2004年10月1日(金)

今回のペーパー(小論文)作業は、9月末に提出できるようスケジュールを組んで作業を進めてきた。まだ手直しすべき箇所がいくつか残っているが、提出期限が1週間も延長されたため時間的な余裕がまだかなりある。もう目の下にクマを作って深夜まで頑張る必要もない。

朝から残りのペーパー(小論文)を手直し、一足早く長期休業に入っている友人から誘われて日没後にエーガマイ通り(エカマイ通り)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) へとクルマを走らせた。

エーガマイ通り(エカマイ通り)の交通は完全に麻痺していた。今晩はタイ人会社員の給料日直後の週末であるうえ大雨も降っている。しかし、それを考慮に入れても、この渋滞はあまりにも酷すぎる。そう思って、スモーク貼りのウインドウを開けてみると沿道の明かりがすべて落ちていた。

これでは目的地にたどり着けないと思って引き返そうとしたが時すでに遅し。対向車線にもすでにクルマがびっしりと詰まっていてクルマを転回させるためのスペースすら確保できない。交差点にある信号機も機能しておらず、無理をして右左折しようとするクルマが道路を塞いでいる。およそ1時間後に友人たちが待つ Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Zantika(サーンティガー) に到着した。

Zantika(サーンティガー) の入口も暗闇が支配していた。警備員が懐中電灯片手に交通整理にあたっている。きっと落雷のせいでエーガマイ(エカマイ)一帯が停電してしまったに違いない。しかし、駐車場には多くのクルマが駐まっている。店はまだ営業しているはずだ。僕もそれに習ってクルマを駐め、店の入口へと向かった。

入口にいる年齢確認係の警備員は運転免許証を一瞥しただけで、すぐに中に通してくれた。こんなにも暗くては、どうせ年齢を確認しようにも免許証の文字など読めるはずがない。

友人たちとは店内の照明をロウソクの明かりだけに頼っている薄暗い店内で合流した。電力は約1時間半後に復旧し、店にいつもの賑わいが戻った。

大雨が降るとすぐに停電してしまい、一度停電するとなかなか復旧しないバンコクの電力事情。完璧な電力供給はムリでも、なんとか20分以内に復旧するシステムを構築してもらいたい。

2004年10月2日(土)

相も変らぬペーパー(小論文)書きの一日。夜、トーングロー(トンロー)10にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブート) で友人たちと合流した。夜の時間を娯楽に費やせるようになっただけ、精神的にも余裕が出てきたのかも。

2004年10月3日(日)

ペーパー(小論文)書きの一日。

2004年10月4日(月)

先日、コンドミニアム管理室(レセプション)前を通りかかったとき、職員に「重要な郵便物が届いてるのに、どうして取りに来ないの?」と言われ、電報を手渡された。差出人はプラカノーング(プラカノン)中央郵便局。そこには「日本からの送金150万円を可及的速やかに受領せよ」と書かれていた。

留学費用の仕送りを、これまで僕は直接現金で持ち込むか、日興ビーンズ証券やシティーバンク銀行の格安送金サービスを通じて手に入れていた。ところが、これらのお得な送金テクが使えなくなり別の送金方法を選ばざるを得なくなったうえ、2週間ほど前からクレジットカードに依存した生活を強いられており一刻も早い仕送りが必要だった。そこで先月27日、両親に仕送りを「国際郵便小為替」で送るよう依頼した。

文学部前でオーイ(仮名)と待ち合わせ、プラカノーング(プラカノン)中央郵便局へ国際郵便小為替を受け取りに出かけた。ところが、電報には郵便局までの地図が書かれていない。スクンウィット71(スクンビット71 / プラカノーング通り)クローングタン(クロンタン)郵便局を見つけたが、このままではどうしてもプラカノーング(プラカノン)中央郵便局までたどり着けるような気がしない。送金を受け取れなければ、今月の家賃どころか今晩の食事もままならない。

約40分後、オーイの母親からもたらされた情報のおかげで、ようやくプラカノーング(プラカノン)中央郵便局に到着した。

窓口の職員に電報を見せると、すぐに奥の事務所に通された。受け取ったのは、1,000バーツの札束5本と端数の紙幣が入っている茶封筒。このときの為替レートは 1バーツ = 0.3599円 だったが、タイ農民銀行(ガスィゴーンタイ銀行)の 1バーツ = 0.3669円 に比べると約3%も不利だった。今回、国際郵便小為替を使って送金したことで16,350バーツ(44,574円)も無駄にした。

その後、 BMW サービスセンターで前照灯を取り替え、サヤーム(サイアム)で自習仲間たちと合流してヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館へと向かった。

今回の仕送分から、月々の予算が189,000円(約1.4倍)に増額された。

2004年10月5日(火)

朝からパソコンに向かってキーボードを叩き続けた。途中2時間ほど外出し、アソーク通りにある商業ビル「スーミットタワー(サミットタワー)」の国際交流基金バンコク日本文化センター図書室とヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)政治学部前でそれぞれ別の友人たちと会った。

2004年10月6日(水)

今日は部屋に籠もって、必修科目「 ASEAN 地域論」のペーパー(小論文)を一日で片付けてしまうつもりだった。

ところが昼過ぎになって、突然部屋のベルが鳴った。誰かと思って扉を開けてみると、そこにはモップを持ったメーバーン(清掃婦)が立っていた。メーバーン(清掃婦)によると、昨日は所用があって来られなかったから、その代わりにこれから掃除をしたいという。普通なら怒鳴って追い返すべきシーンかもしれないが、部屋の清潔と家財の安全のためにもメーバーン(清掃婦)とは仲良くやっておきたい。

さすがに部屋が掃除中ではペーパー(小論文)作業に集中できない。仕方なく気分転換を兼ねてスクンウィット(スクンビット)5にある Starbucks Coffee(スターバックス) へ行って、政治学部図書館でコピーしてきたばかりの英文学術雑誌に収録されている「タイとアメリカの瞑想の違い」という論文を読み始めた。そこで僕は「ある単語」を見つけてしまい、コーヒーをすすって大きなため息をついた。

英文学術雑誌に書かれている「ある単語」のせいで、僕はとても憂鬱な気分になり、さらなる気分転換のために今度は1年以上も足が遠のいていたスクンウィット(スクンビット)8へと向かった。騒然としている大都市バンコクの中で、このソーイ(小街路またはソイ)には今もなお長閑な地方都市のような雰囲気が残されている。左右に並ぶ商店をひとつひとつのんびりと観察しながら通りの奥へ足を進めていくと、オープンエアーの外国人向けタイ料理屋がひっそりと佇んでいる。

さっそく店に入って風通しの良い席を見つけて荷物を下ろし、店員にカーオパットアメリカン(アメリカ風チャーハン)を注文してから、さっきの論文をふたたび読み始めた。そして、またしても「ある単語」が目に飛び込んできた。

Hierarchical Society(階級社会)

ああ、なんと精神的に堪える言葉なんだろうか! 日本に住んでいる日本人にとっては「外国の伝統的社会を言い表している言葉」にすぎないだろうが、このような価値観が根深く定着しているタイに実際に住んでいると、なかなかそうも悠長に構えてはいられない。

タイにおける階級社会に関する論文はすでに豊富にあるため、ここでは僕たちが実際に見聞きできる事象について考えていきたい。

階級社会

階級社会とは、閉鎖的なコミュニティーが階級別に形成されている社会のことをいう。タイ人との関わりが薄いうちは、外国人ゲスト(部外者)としてそれなりに丁重なもてなしを受けていると感じるかもしれない。しかし、ひとたびタイに居を構えると、われわれ外国人も階級社会の一員として区分され、その階級相応の待遇を受けることになる。先進国ニッポンから来たというだけでは、すべての階層から仲間として認めてもらうことはできない。

タイにおける各級コミュニティーに参加する時には、さまざまな「入会資格」を満たしている必要がある。無論、外国人もその例外ではない(バンコクに住んでいる一部の貧困日本人のあいだでは「外国人は階級社会の蚊帳の外にいる」という主張もあるが、それは発言者自身がおかれている窮状を「なかったこと」にして、自己を精神状態を保つためにそう思い込もうとしているだけの集団的ヒステリーにすぎない)。過去、日本には「武士は食わねど高楊枝」という古い格言があり、実体が伴っていなくても見せかけだけでなんとかやり過ごせたが、ここタイでは楊枝以外にもありとあらゆるものを披露して、自分に入会資格があることをハッキリと証明して見せなければならない。

アユッタヤー時代(アユタヤ時代)(西暦1351-1767)以降、タイにおける支配者と被支配者との関係はサックディナー(位階田)制によって明確に区別されてきた。そこには日本の江戸時代にあったような「士農工商」(実際には「士商工農」)という建前的な下級民尊重論が介在する余地など一切なかった。ところが、アユッタヤー朝滅亡に伴うサックディナー制の実質的消滅(厳密には現存する)やヂュラーロンゴーン大王(ラーマ5世, 西暦1853-1910)による奴隷制や領主制の廃止、代わって導入された近代官僚制などの影響により、タイの身分秩序は次第に曖昧なものへと変容していった。西暦1932年に人民党(カナラーサドーン)が立憲革命を起こしてタイ王国憲法を制定すると、立憲君主制下における民主化の流れのなかで、タイ史開闢以来延々と受け継がれてきた「法的拘束力のある身分秩序」は完全に崩壊し、「法の下に平等」とされる現在の民主的な社会が創造された。

しかし、既得権益を守り通そうとするのが人の世の常。タイの権力者集団もその例外ではなく、相続税制度を骨抜きにして自らの経済力を維持し、一般庶民が容易に真似できない「上流社会(チョンチャンスーング)の人民たる条件」という暗黙の了解の下に自らの仲間を取捨選択していった。

タイ人の中間階層

日本人としてタイに住むのであれば、せめて「タイの中間層」たる条件くらいは満たしておきたい。

東京大学社会科学研究所の末廣昭教授は、タイの中間層を、①専門職・自由職、技術職、国営企業や大企業のホワイトカラー(中間管理職以上)、または中級以上の公務員、自営業者などで、②月収が2-3万バーツ以上ある世帯で、自家用車、携帯電話、家電・OA機器、土地付き自宅などを所有し、③ 大卒または短大卒以上の高等教育を受けた階層(2003年度のタイにおける大学進学率=学齢人口の48%→教育省統計参照)と定義している。

社会的地位に基づく定義

社会的地位に基づく階級は、高級官僚や高級軍人を筆頭に、華人中心の財閥家集団、大企業役員、中小資本家、管理職、大卒会社員、高卒労働者、店員と続く。非熟練労働者(ガンマゴーン)や農民(チャーオナー)などはその最下級にあるとされ、特に日本人に人気の娼婦はタイ人の社会観や宗教観などから「論外」として遇されている。

タイにおける給与所得者(サラリーマン)は、職位と給与のみによって序列づけられるため、日本国内で高く評価されているような「大企業の社員」であるとか「銀行員」であるなどといった業種や企業名だけでは高い評価を受けられない。その背景には、①被雇用者という立場そのものが社会的に高く評価されていないこと、②同一企業間においても職種によって極端な給与格差があるため「会社」を単位として個人の給与を推定することが困難なこと、③転職が常態化しており会社への帰属意識も薄いため会社の安定性や将来性がそれほど重視されていないこと、などが考えられる。ただし、日本人被雇用者のうち「駐在員」については、先進国レベルの給与所得と追加的に支給される駐在手当に加え、平均的な日本人労働者の月給にも相当するラグジュアリーな住居が会社から貸し与えられるため、それなりに高い「経済力による評価」を受けることができる(次項参照)。

また、「自分は皇族である」とか、「自分は元大臣の息子だ」という軽口をたたくと、彼らが決まって恐れ入るのもこういった価値観によるところが大きい。ただし、この種の騙り行為が発覚すると、それまで築いてきた信用のすべてを失うことになる。

上流階級以外の人民は、決して財閥を形成することなどできないし、政府高官や高級軍人になるのにも相当な困難が伴う。

経済力に基づく定義

タイにおける個人の経済力は、所有する自家用車、装飾品(プラクルアングを含む)、化粧品、携帯電話、住居の時価または家賃などで評価される。

タイ人が自宅よりも高価なベンツなどの高級車を乗り回し、食費を節約してまで新型の携帯電話を持とうとするのはまさにこのためである。バンコクに住んでいる一部の貧困日本人は、これを「タイ人は見栄っ張り」の一言で片付けることで「対抗できないんじゃなくて、あまりの馬鹿らしさに付き合っていられないだけ」という立場を取っているが、そのような主張が階級社会で認められることはまずない。ただ相手に甘く見られるだけだ。また、一部の貧困日本人が好んで用いる「実は金持ちなんだけど、僕はケチなだけでね」というクダラナイ言い訳も、ここでは一切聞き入れられない。証拠品は包み隠さず、その全てを示さなければならない決まりになっている。「見えない証拠品」は「存在しないもの」とみなされる。

企業を代表する日本人駐在員が決まって異常に高価なコンドミニアムに住んでいるのも、実はこういった事情による。会社が駐在員を過剰に厚遇しすぎてているという説もあるが、それは相対的に貧しい非駐在員日本人の言い分であり、本来の目的はもっと別のところにある。日系企業の駐在員は、仕事柄、タイの上流階級との商談の場に赴くことが多いため、同等な立場で交渉する権利があることをはっきりと示しておく必要がある。そうでもしなければ、平均的な日本人程度の給与所得ではタイ人が定める「上流階級市民」としてタイ人経営者たちと互角に渡り合うなどできない。

タイ人が相手の持ち物の値段を聞くのも、別に金品を奪おうと狙っているわけではなく、ただ純粋に「相手が属している階級」を推し量るための情報を収集しようとしているにすぎない。

これが「タイでは人は見かけで判断される」といわれる所以でもある。それも、判断されるのは人間性ではなく自らが属している社会階層であるから、日頃からそれなりに身なりには気を遣っておかないと不本意な辱めを受けることにもなりかねない。

上流階級以外の人民は、決して新車のベンツには乗れないし、高価な装飾品や化粧品を買うのにも相当な困難が伴う。

教育に基づく定義

タイにおける個人の教育的バックグラウンドは学位の格によって決定される。博士卒を筆頭に、修士卒、国立大学学士課程(4大卒)、私立大学学士課程(4大卒)、高等専門学校後期課程(ポーウォーソー)(高専卒)、中等教育学校後期課程(モーホック)(高校卒)・高等専門学校前期課程(ポーウォーチョー)中等教育学校前期課程(モーサーム)(中学卒)、小学校と続く。しかし、タイでは「国外の(日本人の場合は日本国外の)大学を卒業した者が高い評価を受けるのは当然」というような雰囲気があって、特に米英の主要大学を卒業したとなれば、いともたやすく他を圧倒することができる。

ところが、日本国の名門私立大学の名を聞いても、タイ人が感嘆の声を上げることはまずない。過去、タイ国における私立大学は「准大学」という地位にあり、国立大学と明確に区別されていた。近年、日本の早稲田大学がバンコク市内に日本語学校を設立して知名度を上げつつあるが、それでも私立大学は国立大学よりも劣るものとして見なされている(ここでは国立正規大学の対比として私立准大学と表記しているが、総合大学と私立カレッジのふたつに分類して呼ぶ方法もある。私立准大学の正規大学昇格への歴史については「タイ大学めぐり」参照)。

また、上流階級の人々は「英語と米英の大学にこそ価値がある」と定めている。だから、日本語や日本の大学は、英語や米英の大学より格下であるとしてみなされる。確かに日本語も外国語のひとつだし、日本の大学も外国の大学のひとつであるには違いないが、上流階級の人々がそう決めている以上、どんな理屈を以て反論しようとあまり意味をなさない。この項では、個人の能力の高さではなく、彼らが定めたルールの中でどれだけイケてる結果をおさめたのか問われている。

タイ人同性愛者たちが好んで英語で会話をしたがるのも、同じ論理で説明できる。社会的にその存在を認められることが困難な嗜好を持つ彼らは、上流社会の共通語である英語を駆使してみせることで、自分たちの嗜好を正当性しようとしている、と複数の論文が主張している。

上流階級以外の人民は、決して私費では先進国に留学できないし、教育にふんだんな投資をするのにも相当な困難が伴う。だからこそ、「奨学金を得て先進国の大学へ留学する」ことが真に価値ある「サクセスストーリー」として社会的に賞賛される。

海外逃亡論

近年、日本国内における失業者増の影響で、タイに移住しようという日本人が増加の一途をたどっている。日本人向けのサービスも拡充され、タイにおける日本人社会の規模は急速に拡大している。世界大恐慌で日本経済が停滞し、街頭に失業者たちが溢れかえった1930年代に流行した「南米移民ブーム」が、太平洋戦争や高度経済成長期を経験した3世代70年の時を経て、形態と場所を変え、今まさにここバンコクで再現されようとしている。

「日本経済には未来がないからバンコクでやり直そう」

このような論調が一部の日本人社会で大腕を振ってまかり通っているが、皮肉にもタイで就労する日本人の大多数は日本の景気に大きく左右される仕事をしているのが実情である。彼らが好んで用いているこうした「日本経済悲観論」を「タイ新天地論」と結びつけて考えるのは、起死回生の妙案のようにも思えるが、実は根本の部分で重大な矛盾を孕んでいる。

仮にもし本当に日本の経済力が失墜し、タイにおける日本人社会の経済力が著しく縮小したら、どのように生計を立てていくつもりなのか?

経費節減のために日系企業が駐在員の定員を減らせば、それだけでバンコクの日本人社会に流通する通貨量が減少し、タイ在住の日本人を相手に商売している飲食店、理髪店、教育機関の経営状態は一気に悪化する。また、タイに進出している企業の本体の経営が厳しくなれば、海外事業会社(現地法人)も撤退しなくてはならなくなり、ここでも新たな失業が生まれる。さらに、「経済力が著しく縮小した日本」とのビジネスの重要性も当然ながら低下する。

このような環境の中で、現在「日本人の優越」という原則の下で職位や給与の面で優遇されているタイ在住の日本人たちが、そのままの待遇で働き続けられるのか? どうやってタイ人ではなく日本人を雇うメリットを会社に説くのか? 同額の給料を得ているタイ人従業員と同じだけの仕事ができるのか? そもそもタイ資本の企業で働けるだけの資質があるのか? タイ人の上司と完璧なコミュニケーションがとれるのか?

これらの問い全てに対して、「楽勝で YES! だ」と胸を張って言える人だけが、矛盾する「日本経済悲観論」と「タイ新天地論」との整合性を主張できる。

「21世紀の海外移民」たちが南米移民時代の不幸な失敗の轍を踏まぬよう強く希望する。

娼婦(売春婦)との結婚と一部の日本人社会

このような観点から、僕は以前から「娼婦(売春婦)と付き合っても有頂天になるべきではない」という主張を繰り返してきた。同時に、「娼婦(売春婦)と暮らすためにタイへ移住するなど、もってのほかの暴挙だ」とも訴え続けてきた。

(それ以外に結婚への道がないのであれば、それも「人生の質」の確保のためにはやむを得ないかもしれないし、娼婦(売春婦)の中にも心が清らかで人間としての魅力に富んだ人がいるかもしれない。しかし、娼婦(売春婦)たちは誰かに強制されたのではなく、自活のための最も安直な手段として売春という道を選んだという事実から目を背けるべきではない。十分に意思の疎通ができないうちは娼婦(売春婦)と話していても退屈しないかもしれないが、自分がタイ語を完璧に話せるようになったときにその考えの浅はかさにウンザリとする日がやって来る・・・・・・という可能性についても、あらかじめしっかりと考慮に入れておく必要がある)

タイ人社会は横のつながりが強い反面、他の階層との縦のつながりがほとんどない。異なる階層の異性と出会う機会も極端に限られているため、自然と同程度の階層の相手と結婚することになる。また、既婚者が属している階層はその配偶者の階層から推測されるため、ここで変な妥協をしてしまうと自分自身が不当に低く評価されてしまいかねない。

たとえ自分がどのように思いこもうと、周囲の見る目と価値観を自分の思い通りにするのは容易ではない。娼婦(売春婦)たちの階層に深いつながりがあるというだけで、格好が悪いという以前の問題として、周囲から「娼婦(売春婦)階層」の人間であるとみなされるリスクを背負い込むことになる。一般のタイ人たちは、娼婦(売春婦)たちを何十段も格下のヒトであるとみなしており、むろん娼婦(売春婦)相当の階層に属しているヒトとも一定の距離を置きたいと考えている。

バンコクにおける日本人社会もすでに階層化が進んでいる。経済的な格差だけでなく、価値観にもあまりにも大きな隔たりがある。仮に「タニヤのカラオケスナックへ行ってサービス嬢と戯れながらウイスキーでも飲もう、どうせタダのようなものだ」と毎日のように誘われても僕の経済力的では無理だろうし(そもそも個人的にもそういった趣味はないし)、逆に「タイポップスでも聴きながら楽しく酒を飲もう」と週末に友人をパブに誘っても「金がない」の一言で断られてしまっては一緒に行動することもできない。

ちなみに、日頃から行動を共にしている学内の日タイ混成グループは、学生街サヤームスクウェアで一食あたり150-230バーツ程度の昼食をとっている。

それで僕はどうすれば良いというのか

僕は自分が所属する社会のレベルを上げようと、これまでさまざまな工夫と血のにじむような努力を重ねてきた。しかし、米英主要大学の博士課程への進学など夢のまた夢だし、支払える家賃も月々6万円が限度。愛車も10年落ちの中古BMW(170万円)が精一杯で、友人達の水準もこれ以上は望み得ない。どうやらこのあたりが限界のようで、能力的にもこれより上を狙うのは難しい状況にある。

タイで自分が考えているレベルの生活を送っていくためには、最低でも月々10万バーツの予算は欲しい(賞与1ヶ月と仮定しても年収354万円)。せめてそのくらいはないと貯蓄など到底できないし、貯蓄がなくては安心して老後を迎えることもできない。ところが、僕には駐在員として現地工場を管理した経験がないため、クルマを買い換えるどころか、いま乗っているクルマを維持するのに必要なだけの給料で雇ってもらうのも難しい。将来にわたって「タイの中間層」レベル以上の生活を続けることに、どうしても自信を持てない。

そもそも、「おまえはタイ人の中間層たる水準すら満たしていない」と言われることに、僕は奇想天外な新理論を打ち立てて自分を騙し続けていかなければ精神状態を維持できないだろう。

健全な精神状態を維持してタイで生活し続けるためには、「自分は日本人なのだから・・・・・・」という根拠に乏しいクダラナイ選民意識を捨てて、現実と向き合いながら変な欲を出さずに生きていくのが一番だ。そして、もしこういった考え方に基づいて実際に行動できるだけの胆力を持ち合わせた日本人がここバンコクにいるのなら、僕はその人物に最大級の敬意を払いたい。

「階級社会」とは、ここタイにおける各階級社会に深く根付いている、決して無視できない伝統的な価値観である。それを受け入れられないとあれば、タイを拒否して直ちに日本に帰国するか、ホイップクリームをたっぷりとかけた抹茶フラペチーノよりもさらに甘い夢想の世界の中で、同じ夢を共有している友人達とニンマリとしながら幸せに暮らすほかに道はない。

こうして、僕は田舎臭いタイ料理店の天井にくっついている巨大な扇風機を眺めながら、「卒業したら数年の内に絶対に日本へ帰ろう」と改めてそう心に固く誓った。

2004年10月7日(木)

午後9時、珍しく自習仲間たちと待ち合わせてラッチャダーピセーク(ラチャダー)4の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) へと繰り出した。みんな前日までの徹夜続きで目の下に大きなクマを作っていたが、自由の身になったからには一刻も早くそれを満喫したい。

Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Snop(スノップ) は、平日であるにもかかわらず、僕たちと同じようなことを考えている学生達で溢れかえっていた。客の服装はいつもよりかなりおとなしいし、店内の雰囲気もいつもとはすこし違っていた。

この週末、私立大学よりも一足早く休みに入る国立大学の学生グループは、トーングロー(トンロー)をはじめ、エーガマイ(エカマイ)ラッチャダー(ラチャダー)ラートプラーオ(ラップラオ)のほか、各大学周辺にあるパブ街へと徒党を組んで繰り出している。こういった光景はあと数日は夜のバンコク各地で見られる。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部の場合、前期期末試験は9月第4週から10月第1週まで(一部専攻を除く)の2週間。一方で、ほとんどの教科で筆記試験や口頭試問による評価方式をとらない政治学部・法学部3・4年生の試験期間は10月第3週までずれ込み、まとまった休みをとれないまま後期を迎えることになるという。

いつもと違った雰囲気のパブで、いつもとは少しだけ違った仲間達と、他のパブよりもよい演奏をするバンドによるタイポップスを聴きながら、午前零時までウイスキーを飲んだ。

今日は高架電車 BTS チットロム駅前のホテル Inter Continental(インターコンチネンタル) 地下の日本料理店「日本亭」で遅めの朝食をとってから、残りのペーパーを提出しに大学へと出かけた。その後、セントラル百貨店ピングラーオ(ピンクラオ)店3階に入っている美容室「カリスマ美容師の店」(?)でストレートパーマをかけ(2,500バーツに値上げされていた)、自習仲間たちとラッチャダーピセーク(ラチャダー) 4のPub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Snop(スノップ) へ繰り出した。

2004年10月8日(金)

約1ヶ月間のペーパー(小論文)地獄から解放され、今日からやっと他の学部の学生たちと同じようにバケーションを満喫できる。・・・・・・とはいうものの、昼寝中に電話で自習仲間たちから呼び出されて、なぜかいつものようにヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)中央図書館へと向かった。

中央図書館1階ロビーにあるステンレス製のチープなベンチの一角を陣取って、出入口前にある売店で買ってきたインスタントコーヒー(7バーツ)とサーラーパオ(中華まん)(10バーツ)を食べ、試験を控えて忙しそうにしている他の学部の学生たちを眺めながら午後6時までの時間を過ごした。

2004年10月9日(土)

「聞き取れなかったのは、あなたたちだけじゃないわ。私もよく分からなかったからテキトウに返事しておいたんだけど、あれで本当に通じたのかしら?」

バンコク出身のタイ人クラスメイトは、空港ターミナル前のスィーロー(シーロー, 乗り合い軽トラック)の運転手に行き先を告げたあとに、そう話していた。東北部方言(イーサーン語)ほど声調に違和感はないが、それでも北部方言には固有の単語や独特の言い回しがある。そのため、会話の中で鍵となる単語が聞き取れずに返事に困ることもしばしば。僕のようにヂャーオ、アーイ、ウー程度しか知らないようでは、とても対処できない。

午前8時15分。バンコク・ドーンムアング(ドンムアン)国際空港で、それぞれ異なる目的を持っているクラスメート達3人と待ち合わせ、タイ国際航空 102 便でタイ北部にある地方都市「チアングマイ(チェンマイ)」へと向かった。

タイの航空業界における目まぐるしい再編と他業種の新規参入により、現在、国内線を営業している各航空各社は激しい価格競争にさらされている。現在、インターネットで申し込むことの出来る各航空会社のバンコク-チェンマイ便の運賃は次のとおり。

タイ国内線の運賃


航空会社名 英語名 料金 便数
タイ航空 Thai Airways 1,950バーツ 10便
バンコク航空 Bangkok Airways 1,950バーツ 2便
タイ・アジア航空 Thai Air Asia 1,000-1,500バーツ 6便
オリエントタイ航空 Orient Thai 1,150バーツ 3便
ノック航空 Nok Air 1,115バーツ 5便

旧市街(チアングマイ城内)プラポックグラーオ通りにあるゲストハウスに荷物を預け、再びスィーロー(シーロー, 乗り合い軽トラック)に乗ってチアングマイ大学(チェンマイ大学)中央図書館へと向った。

通常、国立大学の中央図書館に入るとき、それぞれほかの大学に在籍している学生は10バーツ、一般来館者は20バーツを払わなければならない。ところが学生証を提示するだけで簡単に入ることができた。館内は予想以上に整然としており、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の中央図書館より使い勝手がよい。床には絨毯が敷き詰められているし、奥には「アメリカンコーナー」という名の視聴覚室もある。

再びゲストハウスへと戻った僕たちは、レンタルバイク(1日150バーツ)を借りて、一日の締め括りに城外にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) へと向かった。

มหาวิทยาลัยเชียงใหม่ (มช.)
  マハーウィッタヤーライ・チアングマイ (モーチョー)
種別 上位国立大学
設立年 2507年 (西暦1964年)
所在地 チアングマイ県ムアングチアングマイ群フワイゲーオ通り239番地
設置学部 大学院・農学部・歯学部・医療技術学部・経営学部・看護学部・医学部・薬学部・人文学部・芸術学部・理学部・工学部・教養学部・経済学部・社会学部・獣医学部・建築学部・産業農業学部
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.cmu.ac.th/
入試難易度 人文科学 6位 (社会学部報道放送学科・正答率59%、倍率17倍)
経営学 2位 (経営学部・正答率59%、倍率30倍)
法学 3位 (社会学部法学科・正答率48%、倍率27倍)
医学 4位 (医学部・正答率68%、倍率8倍)
工学 10位 (工学部・正答率43%、倍率26倍)
キャンパス 建築物 60点 (古い日本の大学のよう)
学生街 60点 (正門・裏門に学生街が形成)
オシャレ 60点 (派手ではないが清潔感あり)
ボディコン 30点 (おおむね制服を正しく着用している)
歴史 2507年 授業が開始される。
2508年 国王陛下主催の開学式が執り行われる。人文学部、社会学部、理学部が開設される。医学大学チアングマイ病院医学部がチアングマイ大学に編入される。
2511年 教養学部開設。
2513年 工学部開設。
2515年 歯学部、薬学部、看護学部開設。
2518年 医療技術学部開設。
2519年 大学院、各学部と同格の教育・研究機関として新設。
2525年 芸術学部設置。
2526年 芸術学部学生募集。
2536年 経済学部、経営学部、産業農業学部開設。
2538年 獣医学部開設。
2543年 建築学部開設。

2004年10月10日(日)

「やっぱり30バーツじゃなくて、50バーツにしてもいいかい? 個人的には不公平でまったくおかしな話だとは思うが、観光庁の決まりで『市内からサンガンペーング(サンカンペン)行きの外国人向け運賃は50バーツ』ということになっているから・・・・・・」

サンガンペーング(サンカンペン)行きのスィーロー(シーロー, 乗り合い軽トラック)の運転手は、チアングマイ(チェンマイ)の中心部にある市場から少し離れた路地で出発までの時間をつぶしていた。彼にはチアングマイ(チェンマイ)随一の名門中等教育学校(高等学校)に通っている中等教育学校4年生(高校1年生)の娘がいるそうで、今学期フランス語で4(優)の評価をもらったと嬉しそうに話していた。初めのうち、彼は僕をバンコクから旅行に来ているタイ人観光客だと思っていたそうでタイ人向けの運賃を提示してきたが、出発まで1時間にわたって話し込んでいるうちに外国人であることがバレて外国人向けの運賃を申し訳なさそうに要求してきた(どんなに頑張っても、僕のタイ語力など5分も話していれば外国人であることがバレてしまう程度のものでしかない)。

「本来、チアングマイ(チェンマイ)はとても活気のある街だが、ごらんの通り、週末になると誰も家から出てこない。今朝もサンガンペーング(サンカンペン)温泉までの道のりを往復してきたが、何人客がいたと思う? たったの3人、90バーツだ。これでは山道を往復80分走るためのガソリン代すらまかなえないよ」

午後1時ちょうど、サンガンペーング(サンカンペン)行きのスィーロー(シーロー, 乗り合い軽トラック)は数人の客を乗せてチアングマイ(チェンマイ)市場前を出発し、同乗していた何人かの僧を途中の寺院に降ろし付近の村落に立ち寄りながら細い登山道を登り続けた。

サンガンペーング(サンカンペン)温泉は、エーンと付き合っていた2年前とほとんど変わっていなかった。それでもバンガローにエアコンが取り付けられるなどして、宿泊料が100バーツ値上げされ、一泊600バーツになっていた。

この1ヶ月間のペーパー作業で蓄積された疲労を一日で一気に解消させてしまおうと、僕は熱い温泉につかってはベッドに潜ってぐっすり寝るということを何度も繰り返した。この日、なんと16時間も寝てしまった。

2004年10月11日(月)

事情により、オーイと別れた。

2004年10月12日(火)

「俺には外国人観光客を守るという国家から与えられた重大な任務がある。郊外へ遊びに行くときには是非とも連絡してもらいたい。もしガラの悪いチンピラが目の前に現れようものなら、死を顧みず彼らと全力で抗戦して、必ずや君の命を救うだろう」

(勤務中にトゥクトゥク(3輪荷台付バイク)を運転して、日給にも等しい150バーツもの副収入を得ておきながら、それでもなお公務員としての正義を主張するつもりなのか。そもそも、タイの地方都市がそれほどまでに危険なものなのか)

そんなことを考えながら、チアングマイ(チェンマイ)警察曹長でサンガンペーング温泉警備隊長を勤める男が運転するトゥクトゥク(3輪荷台付バイク)(150バーツ)の後部座席に乗って、再びチアングマイ(チェンマイ)市内へと戻った。

昼過ぎ、市場南にあるホテル「ターペープレイス」(朝食付き一泊650バーツ)にチェックインして荷物を室内に放りだした。これまでチアングマイ市街を一度も観光したことがないことに気づいて、旅行誌等で有名なターペー門外をひととおり見て回ることにした。

そこには、外国人向けのゲストハウスのほか、 Go Go Bar(ゴーゴーバー, 娼婦の水着踊りバー)バービア(ビールバー, 屋外にある娼婦との語らいバー)などが密集している。ところが、それらの店舗はいずれも貧弱を極め、なぜこの一帯がこれほどまでに有名になったものか不思議にも思う。

こうして、午後9時頃にはホテルへと戻り、先日以来長電話を続けている友人と3時間に渡って話し続けた。

2004年10月13日(水)

いつもより少し早く起きて、何も考えずにホテル内にある食堂でアメリカン風朝食とっていると、目の前に建っている小さいながらも重々しい雰囲気を放っている金色に輝く仏教寺院に目がとまった。窓際にある隣の客席に目をやると、子猫が気持ちよさそうに寝入っている。

これこそが「時間がゆっくりと流れている」といわれるタイの田舎風情なのかもしれない。

しかし、飛行機が出るまでの4時間をそんな風情というものに浸り続けているわけにもいかない。僕は暇つぶしにチアングマイ(チェンマイ)市郊外にあるという大学2校を見て回るために、ホテル近くの大通りを走っていたトゥクトゥク(3輪タクシー)を捕まえて、「メーヂョー大学、パーヤップ大学、それからチアングマイ空港の3ヶ所を3時間の予定で400バーツ」という条件で交渉してみたところ、運転手はあっさりとこれを快諾した。もしかしたら、僕は相場からかけ離れている金額を提示してしまったのかもしれない。通常、旧市街内をスィーローで移動する際の料金は5-10バーツ、トゥクトゥクで20-40バーツ程度であるのに対し、郊外へ行くのにスィーローを――事実上――借り切る場合は40バーツ程度が相場と言われている。

現在の仕事に就くまで、トゥクトゥク(3輪タクシー)運転手は毎日のように熱帯の厳しい太陽光を浴びながら仕事をする農民だったのだろうか。顔は真っ黒に日に焼け、まだ若いというのにまるで初老の老人のようにも見えた。そんな彼が運転するトゥクトゥクは、チアングマイ(チェンマイ)郊外の自然に恵まれた大通りを安っぽい大きなエンジン音をあげながら疾走し、途中、正門前に新校舎を建設中のメーヂョー大学、小規模ながらも茶色に統一された校舎が整然と配置されているパーヤップ大学に寄りながら、一路チアングマイ国際空港へと向かった。乾期にさしかかったTシャツ1枚では肌寒く感じた。所要時間は当初予定していたよりも短い2時間10分。僕が乗る予定だったバンコク行きのタイ航空113便が出発する約2時間半前だった。

チアングマイ国際空港国内線ターミナル扉前で、トゥクトゥク運転手に約束の運賃に大学巡りでいろいろ世話になった礼金100バーツを加えた500バーツを手渡して、空港1階にあるタイ国際航空国内線チェックインカウンターへと向かった。

「チェンマイ空港で今朝発生した機材故障のため、ダイヤが大きく乱れております。ご予約の113便よりも早くバンコクに到着する111便に振り替えておきましたので、どうぞお間違えのないよう」

ところが、僕はバンコク・ドーンムアング(ドンムアン)国際空港に到着したのは予定より約1時間も遅い午後3時半だった。

มหาวิทยาลัยแม่โจ้ (แม่โจ้)
  マハーウィッタヤーライ・メーヂョー(メーヂョー)
種別 国立大学
設立年 2460年 (西暦1917年)
所在地 チアングマイ県サンサイ郡プラオ通り
設置学部 理学部・農業生産学部・農業経営学部・農産工学部
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.mju.ac.th/
入試難易度 人文科学 -
経営学 -
法学 -
医学 -
工学 -
キャンパス 建築物 60点 (古い日本の大学のよう。新校舎建設中)
学生街 40点 (正門前に小規模な市場を形成)
オシャレ 50点 (派手ではないが清潔感あり)
ボディコン 40点 (おおむね制服を正しく着用している)
歴史 2460年 道徳尚書ヂャーオプラヤー・タンマサックモントリー、国家の新教育事業の一環としてプラトムガスィガムホーワング師範学校を設立。
2477年 道徳省、北部第一農業師範学校を設立。6年間の尋常中学校を卒業した学生に2年間の農業教育を施した。当時の校長はパーヤップ地方農業試験場所長を兼ねた。
2479年 道徳省、北部上級農業中学校を北部第一農業師範学校の敷地内に設立。尋常中学校4年生を終えたものを受け入れ、4年間の教育課程を終えた者には「尋常中学校8年生」と同様の学位を与えた。
2481年 道徳省、ソングクラー県の南部上級農業中学校、トンブリーの中部上級農業中学校、ナコーンラーチャスィーマー県のイーサーン地方上級農業中学校の3校を、北部上級農業中学校に統合。農務省の管轄に移り、メーヂョー農学準大学と改称。3年の課程を終えた者に農学準学士の学位を与えた。
2482年 農務省、バンコク都バーングケーンにガセートサート大学を設立。メーヂョー農学準大学の2年の課程を終えた者はガセートサート大学に編入できた。
2486年 ガセートサート大学附属高校と改称。
2491年 教育省の管轄に移り、メーヂョー学校と改称。尋常中学校6年生(現在の中学3年生)を受け入れ、3年間の教育課程を終えた者に農学専修高校卒業証書(ポーウォーチョー)を与えた。
2499年 チアングマイ農業準大学に昇格。農学師範課程を新設。
2505年 農学高等師範課程をチョンブリー県のバーングプラ農業準大学へ移転。農業技術・農学専修課程を新設。
2517年 2518年農業技術高等教育機関設置法に伴い、農業技術高等教育機関に改組。
2525年 メーヂョー農業技術高等教育機関と改称。
2543年 建築学部開設。
มหาวิทยาลัยพายัพ (.พายัพ)
  マハーウィッタヤーライ・パーヤップ(モー・パーヤップ)
種別 私立大学
設立年 2517年 (西暦1974年、前身はパーヤップ準大学)
所在地 チアングマイ県ムアング郡スーパーハイウェイ・チアングマイ・ラムパーング線
設置学部 人文学部・社会学部・法学部・経営学部・会計金融銀行学部・看護技術学部・理学部・経済学部・神学部
標準学費 不明
公式Wweb http://www.payap.ac.th/
入試難易度 人文科学 15位 (人文学部英語科・正答率40%、倍率倍)
経営学 みなし27位 (経営学部秘書科・正答率34%、倍率倍)
法学 6位 (法学部・正答率32%、倍率倍)
医学 -
工学 -
キャンパス 建築物 80点 (赤煉瓦の近代風校舎。庭園等の整備が行き届いている)
学生街