古都スコータイ

タイの北部にあるスコータイは、コーング川とモタマ湾を結ぶ水上交通の要衝として古くから栄えた。アンコール朝の総督スィーナーワナムトンサワンコット・コームサバートクローンランパングが西暦の1237年にスコータイの統治権を掌握したことに反発して、ラートの領主だったパームアングとバーングヤーングの領主だったバーングラーングハーオのふたりが反旗を翻し、タイ族初の独立国家となるスコータイ朝を設立した。

独立戦争の盟主的立場にあったパームアングは、アンコール朝のジャヤーヴァルマン7世の王女プラナーングスィコーンテーウィープラマヘースィーと婚姻関係にあったことからスコータイ市民による支持が得られないと考えて、統治権をバーングラーングハーオ(のちのスィーイントラーティット)とプラセーングカンチャイスィーに委ねた。王都スコータイが完成するとスィーイントラーティットが国王に即位した。3代目のラームカムヘーング大王の時代になると、文字、政治、法律、建築、国際関係などの整備が進み、現在のタイ文化の原型が確立された。その後、南にあるアユッタヤー朝からの圧迫を受けて支配領域を徐々に縮小していき、9代目のマハータンマラーチャー4世が死ぬとアユッタヤー朝に継承された(事実上の吸収)。

スコータイの主な産業は農業で、現在の人口は約3万人。

午前5時に起きて、スコータイ王宮の跡地に建設されたスコータイ歴史公園をはじめ、王都が完成するまでのあいだ一時的に都が置かれていたスィーサッチャナーライにある歴史公園や宮殿跡、寺院跡などを見て回った。

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帰途、ピッサヌローク県にあるワットマハータートウォーンマハーウィハーン(ワットヤイ)と周辺の遺跡群を見学した。クラスメイトたちが土産物屋を見て回っている隙を見計らって、境内に設けられている露天で石けん(12バーツ)を購入し、外国人用のトイレにある無料シャワー室へ駆け込んで体中にまとわりついていたニアオニアオした汗をキレイさっぱり洗い流した。

ナコーンサワン県で夕食をとり、ヂュラーロンゴーン大学文学部の正門前まで戻ったときには午後11時を回っていた。