2004年7月1日(木)


朝、タイ研究科の講座「タイ史博物館論」に出席。昼前に友人たちとサヤームで合流し、昼食をとりに(トゥラキットバンディット大学)ゥラギットバンディット大学へと向かった。今回のタイ大学めぐり第3弾は(トゥラキットバンディット大学)ゥラギットバンディット大学、スィーパトム大学(シーパトム大学)(ラチャパット大学スワンドゥシット校)ーチャパット高等教育機関スワンドゥスィット校の3学。いずれも女子大学生たちが変わった制服の着こなしをしていることで有名だが、実際に行ってみると田舎臭さと鈍臭さばかりが印象に残った。

(ラチャパット大学スワンドゥシット校)ーチャパット高等教育機関スワンドゥスィット校(サターバン級)のキャンパス内では、来年6月に正規大学(マハーウィッタヤーライ級)へと昇格することから、そのことを告知するポスターが至る所に貼られ、電光掲示板にも「私たちは『(ラチャパット大学スワンドゥシット校)ーチャパット・スワンドゥスィット大学』になる準備が整いました」という表示が流れていた。

その後、ホーガーンカー大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街でホーガーンカー大学(タイ商業会議所大学)の学部生や(ラチャモンコン大学チャックラポンプワナート校)ーチャモンコン高等教育機関ヂャッグラポングプワナート校のポーウォーチョー(高等専門学校後期課程)の生徒たちと狂ったように踊りまくっていたところ、あまりの激しさに店のオーナーが注意された。僕たちのグループにいる(ラチャモンコン大学チャックラポンプワナート校)ーチャモンコン高等教育機関ヂャッグラポングプワナート校の女子学生が、男子学生用の制服を着ていた。

มหาวิทยาลัยธุรกิจบัณฑิตย์ (ธุรกิจบัณฑิตย์)
  マハーウィッタヤーライ・トゥラギットバンディット (トゥラギットバンディット)
種別 下位私立大学
*茶色の旧校章より移行中
設立年 2511年 (西暦1968年)
所在地 バンコク都ラクスィー区(プラチャーチューン通り)
設置学部 経営学部、商学部、経済学部、法学部、文学部、報道放送学部、工学部、情報工学部
標準学費 約18,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.dpu.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし24位 (人文学部英語学科・正答率30%、倍率1倍未満)
経営学 みなし14位 (経営学部産業経営学科・正答率43%、倍率1倍未満)
法学 みなし18位 (法学部・正答率25%、倍率1倍未満)
医学 -
工学 みなし26位(工学部産業工業学科・正答率28%、倍率1倍未満)
キャンパス 建築物 85点(美しいキャンパスと充実した駐車場棟)
学生街 0点(何もない。近隣のショッピングセンターまで出かけなくてはならない。噂に寄れば学生向け飲屋街があるらしいが発見できなかった)
オシャレ 20点(ごくまれに見かける例外を除いてはファッションに無関心にすら見えた。田舎臭い。ベルト装着率が低い)
ボディコン 50点(なんか違うカンジ)
歴史 2511年 トゥラギットバンディット高等教育機関、サワイ・スッティピタック博士とサナン・ゲートタットにより、プラパー運河沿いのサームセーン区ラーマ6世通りに設立。
2513年 トゥラギットバンディット準大学に名称変更。
2528年 トゥラギットバンディット大学に名称変更。プラチャーチューン通りに移転。
2544年 国際標準化規格 ISO 9001および2000を取得。
มหาวิทยาลัยศรีปทุม (ศรีปทุม)
  マハーウィッタヤーライ・スィーパトゥム (スィーパトゥム)
種別 下位私立大学
設立年 2513年 (西暦1970年、前身はタイ・スリヤ準大学)
所在地 バンコク都ヂャトゥヂャック区(パホンヨーティン通り61番地)、チョンブリー分校、パヤータイ分校
設置学部 報道放送学部・法学部・商学部・経営学部・文学部・経済学部・情報工学部・建築学部・工学部・国際学部・大学院
標準学費 約18,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.spu.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし26位 (文学部・正答率26%、倍率1倍未満)
経営学 みなし43位 (経営学部・正答率25%、倍率1倍未満)
法学 みなし13位 (法学部・正答率26%、倍率1倍未満)
医学 -
工学 みなし32位 (工学部電気学科・正答率23%、倍率1倍未満)
キャンパス 建築物 50点(古いうえに雑然としている。図書館が近所の書店よりも小さい)
学生街 0点(何もない。近隣のショッピングセンターまで出かけなくてはならない。)
オシャレ 80点(ほかの大学とは違う独特な着こなしがある)
ボディコン 30点(この大学の流行はほかの部分にある)
歴史 2513年 タイ・スリヤ準大学、スック・プッカヤーポーン博士により設立。
2530年 プラシーナカリンサーププラマラーチャチョンニー殿下により「スィーパトゥム」の名を与えられ、スィーパトゥム準大学と改称。大学庁の認可を得てスィーパトゥム大学と改称。
2540年 国際化プロジェクトに伴い、国際学部を設立。インターナショナルプログラムを開設。
มหาวิทยาลัยราชภัฏสวนดุสิต (สวนดุสิต)
  マハーウィッタヤーライ・ラーチャパット・スワンドゥスィット (スワンドゥスィット)
種別 下位国立大学・地域総合大学
設立年 2480年 (西暦1937年)
所在地 バンコク都ドゥシット区(ラーチャスィーマー通り)
設置学部 教育学部、芸術学部、情報工学部、社会人文学部、管理学部、大学院
標準学費 約4,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.dusit.ac.th/
入試難易度 情報なし
キャンパス 建築物 50点(古い日本の大学のよう。狭い土地に夥しい数のビルが建っている)
学生街 5点(官庁街にあるため、周囲には学生街が発展していないように見えるが、栄えている学生街があるという噂もある)
オシャレ 80点(流行を追っている)
ボディコン 90点(噂ほどではなかった)
歴史 2480年 ガーンルアンウォングヂャンガセーム学校として、ウィサーマンガーンルアンン高等学校から独立。
2481年 教員養成課程設置。
2483年 アヌバーンラオーウティット学校と改称。タイ発の幼稚園/保育園を設置。
2486年 保育士課程を設置。
2497年 高等学校課程を設置。
2499年 職業専門学校課程を設置。
2501年 職業専門学校課程を廃止し、職業訓練課程保育士養成家政学専攻を設置。
2517年 学士課程小学校社会学専攻を設置。
2518年 学士課程高等学校家政学専攻を設置。
2519年 教育学職業訓練課程および学士課程を設置。
2520年 アヌバーンラオーウティット学校、サーティットアヌワーンラオーウティット学校スワンドゥスィット教育学校と改称。
2521年 教育学学士課程総合科学専攻を設置。
2522年 教育学学士課程10専攻を設置。
  その後も様々な学部・課程が設置される。

2004年7月2日(金)

20040702.gifタイには「ポーウォーチョー」や「ポーウォーソー」という聞き慣れない学歴をもっている人が多い。

タイの学校制度は右図のとおりで、入学試験に合格すれば原則として直上の教育機関へと進学できる。タイの大学へ進学するためには、中等教育学校後期課程の卒業資格 ม.6(モーホック) / สำเร็จการศึกษาตามหลักสูตรมัธยมศึกษาปีที่ 6 または 日本の大検に相当する中等教育学校後期課程卒業相当の資格 เที่ยบเท่า(ティアップタオ)สำเร็จการศึกษาเที่ยบเท่ามัธยมศึกษาปีที่ 6 が必要。

タイでもっともメジャーなのは、小学校を卒業してから中等教育学校(前期)へと進み、後期中等教育学校(後期)を卒業し「モーホック」を取得して4年制大学へと進学するというコース。

中等教育学校の前期を卒業して高等専門学校前期課程へと進学する生徒も少なくない。この高等専門学校の前期課程をタイ語で ปวช. / ประกาศนียบัตรวิชาชีพ(ポーウォーチョー) という。「ポーウォーチョー」を卒業しただけでは大学受験資格である「モーホック」を取得できないので、そのまま高等専門学校後期課程に進学するケースが多い。この高等専門学校の後期課程をタイ語で ปวส. / ประกาศนียบัตรวิชาชีพชั้นสูง(ポーウォーソー) という。「ポーウォーソー」を卒業した学生には大学3年次への編入資格が与えられるが、その多くは進学することなく民間企業へと就職する。

バンコク在住日本人の子供が通うことで知られる「インターナショナルスクール」は、タイの学校制度から完全に外れているため、卒業しただけでは大学に進学できない。

ただし、高等専門学校前期課程の卒業生やインターナショナルスクールの卒業生でも日本の大検に相当する「ティアップタオ」に合格すれば大学の受験資格が得られる。この「ティアップタオ」の資格は、学校外教育で認定されれば無試験で手に入れることができる。この学校外教育をタイ語で กศน. / การศึกษานอกโรงเรียน(ゴーソーノー) という。そのため大学への進学を確実にしたい生徒は、普段通っている学校のほかにも、週末に「ゴーソーノー」での教育も受けている。

ちなみに、昨晩 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) で知り合ったのは、ラーチャモンコン(ラチャモンコン大学チャックラポンプワナート校)高等教育機関ヂャッグラポングプワナート校に通う23歳のポーウォーソー1年生。それを聞いた友人の彼女は、「それで、23歳になるまで彼女はいったい何をやっていたというの?」と話していた。友人たちのあいだで、この女子学生放つ雰囲気から進学前は娼婦(売春婦)をしていたのではないかという疑いが日に日に強まっている。

ป.4 【ポーシー】 旧制小学校卒業 (10歳までの教育)
ป.6 【ポーホック】 小学校卒業 (12歳までの教育, 小学卒)
ม.3 【モーサーム】 前期中等教育学校卒業 (15歳までの教育, 中学卒)
ปวช. 【ポーウォーチョー】 前期高等専門学校卒業 (18歳までの教育)
กศน. 【ゴーソーノー】 学校外教育課程修了 (18歳までの教育)
เที่ยบเท่า 【ティアップタオ】 後期中等学校卒業相当 (18歳までの教育, 大検)
ม.6 【モーホック】 後期中等教育学校卒業 (18歳までの教育, 高校卒)
ม.8 【モーペート】 旧制中等教育学校卒業 (18歳までの教育, 高校卒)
ปวส. 【ポーウォーソー】 後期高等専門学校卒業 (20歳までの教育, 高専卒)
อนุปริญญา 【アヌパリンヤー】 短期大学卒業 (20歳までの教育, 短大卒)
ปริญญาตรี 【パリンヤートリー】 4年生大学卒業 (22歳までの教育, 大学卒)
ปริญญาโท 【パリンヤートー】 前期博士課程修了 (24歳までの教育, 修士了)
ปริญญาเอก 【パリンヤーエーク】 後期博士課程修了 (26歳までの教育, 博士了)

2004年7月3日(土)

20040703.jpgタイ史上初の地下鉄が今日ついに営業を開始した。

昼過ぎ、友人に呼び出されて近所のインターネットカフェへと出かけ、そこでタイでも手軽にブロードバンド・インターネットを楽しめるようになったという情報を入手した。その後、サービス内容の詳細を問い合わせるために通信会社 True(トゥルー) 系の携帯電話会社 Orange(オレンジ) のオフィスに立ち寄った。

日没後、日本語検定1級に合格したという友人が加わって、今日開業したばかりのタイ初の地下鉄を試乗してみようという話になり、さっそく僕たち3人は高架電車 BTS サーラーデーング(サラデーン)駅近くの地下鉄 MRT スィーロム(シーロム)駅へと向かった。

「人の目をはばからずにこれだけ思い存分写真を撮りまくれるのって、やっぱり営業初日の今日だけよね? 数週間後にこれをやったら、絶対にヤバい人だと思われるわよ」

今日はバンコク中がお祭りムード一色に染まっている。高架電車 BTS は今年で開業5年目を迎えるが、そこでも自動券売機の使い方やエスカレーターの乗り方が分からず戸惑っている多くの家族連れが見られた。きっと地下鉄に乗るために田舎から出てきた人たちだろう。

20040703-2.jpg地下鉄駅構内に入ってみると、今度は僕たちの方が戸惑った。改札階は広くて綺麗だが、どこを見渡しても自動券売機が見当たらない。とりあえず周囲の様子を写真に納めてから、人集りができている改札口の方へ歩いていくと、駅員が拡声器で「自動券売機はまだ届いておりません。こちらに並んで10バーツのコインをお求めください」とアナウンスしていた。

20040703-3.jpgなぜ乗車券を切符ではなくメダルと呼んでいるのかと不思議に思ったが、窓口に10バーツ出したところ、黒い樹脂メダルを渡された。いままで見たこともない樹脂メダルを眺めながら首をかしげていると、今度は駅員にメダルを自動改札機にかざすよう指示された。どうやら IC チップを搭載したメダル型スイカのようだ。

トークン購入時に手渡された小冊子によると、地下鉄 MRT の乗車券は2種類ある。① [トークン] は 自動券売機で購入できる IC チップ内蔵の樹脂メダルで、自動改札機にかざして入場し、自動改札機に投入して退場する。② [プリペイドカード] は駅窓口でデポジットを補充することができる IC カードで、自動改札機にかざして入退場する。

20040703-4.jpg僕たちはまるで田舎から出てきたばかりの「お上りさん」のように右往左往しながら、やっとのことでバーングスー(バンスー)方面行き電車のプラットホームに到着。ホームは開業初日に地下鉄に乗ろうと集まった野次馬たちで溢れかえっていた。ある電車は満員のため乗車できず、またある電車は乗客を満載したまま停車せずに素通りしていった。電車内ですし詰め状態になっている乗客を奥に押し込むようにして、僕たちが無理矢理乗り込んだのは、ホームに着いてから20分後のことだった。

小冊子によると、運賃は初乗り14バーツ(児童高齢者は半額、初年度大人12バーツ)、最高運賃36バーツ(児童高齢者は17バーツ、初年度大人29バーツ)。今回の「全線運賃10バーツ」は自動券売機が到着する来月12日まで続くという。この冊子の冒頭には「都市電車チャルームラッチャモンコン(チャルームラッチャモンコン)線」の名前の由来が書かれている。

รถไฟฟ้ามหานคร สายเฉลิมรัชมงคล
都市電車チャルームラッチャモンコン(チャルームラッチャモンコン)
พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู๋ห้ว ทรงพระกรุณาธิคุณโปรดเกล้าฯ พระราชทานนาม “รถไฟฟ้ามหานคร สายเฉลิมรัชมงคล” อันมีความหมายว่า “งานเฉลิมความเป็นมงคลแห่งความเป็นพระราชา” เมื่อวันที่ 9 สิงหาคม พ.ศ. 2542 สำหรับโครงการรถไฟฟ้าใต้ดิน เส้นทางหัวลำโพง-บางซื่อ ซึ่งมีสถานีทั้งหมด 18 สถานี รวมระยะทางทั้งสิ้นประมาณ 20 กิโลเมตร
恐れ多くも国王陛下は1999年8月9日、フワラムポーン・バーングスー間を結ぶ地下鉄(営業区間約20キロ, 全18駅)に対して、「国王慶賀」を意味する「都市電車チャルームラッチャモンコン線」という名を下賜された。

僕たちはパホンヨーティン駅で下車し、セントラル百貨店ラートプラーオ(ラップラオ)店の MK で夕食をとり、それぞれ高架電車 BTS で家路についた。

2004年7月4日(日)

ごく普通の日曜日。ブワと会った。

2004年7月5日(月)

特に何もない一日。午前中の講座「東南アジア諸国連合の地域的世界的背景論」をサボリ、午後の講座「東南アジア文明論」に出席。午後4時から文学部ボーローンマラーチャグンマリー(ボロムラチャクマリー)館7階でシンガポール国立大学から来たアメリカ人教授の講義を受けた。

2004年7月6日(火)


20040706-3.jpgタイの大学生のあいだで流行っている着こなしを、突き詰めて考えてみるとなかなか興味深い。

大学生の制服にはそれぞれの個性が表現されている。思い返せば、昨年同棲していたエーンはスリットの入ったチャイナドレスのような黒いスカートをはいていた。一方で、ブワは標準的な国立大学スタイルをしていることが多い。先週の日曜日に「ボディコンブラウスは胸を張ったときにボタンが飛んでしまいそうだからやめとくけど、腰ばきスカートは始めてみたいかも」と話していたが、僕は腰ばきはダサいからやめておけと反対した。ところが僕が通っているヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)にも、腰ばきスカートという新しい流行の波が押し寄せてきている。

そこで昨日、教室に戻る途中の文学部第4号館の階段で、23歳のクラスメイト3人(ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)政治学部卒, ガセートサート大学(カセサート大学)人文学部卒, コーンゲン大学(コンケン大学)法学部卒)に、昨今の腰ばきスカートの流行について尋ねてみた。

「以前はミニスカートが主流だったけど、ここ数年、膝丈が伸びる傾向が続いていて、ついに膝下まで降りてきてしまったの。それじゃスカート丈が長すぎてダサいということになって、今年の頭あたりからベルトの位置が下降するようになってきてるみたい。今じゃ腰より下でスカートをはいている学生もけっこういるはずよ」

「たしかに、この流行はが爆発的に流行したのは今年に入ってからよ。だって、私が学部生だった頃にはこういった着こなしは全く見なかったもの」

「タイのファッションは常に日本の流行を追いかけているんだから、こういう経緯については日本人である君の方が詳しいんじゃないのか?」

バンコク大学に通う現役学生はつぎのように話している。

「そう聞くからにはもう見たってことよね? 結構かわいくてイイでしょ?」

個人的にはファッションに無関心な人が寝起きにスカートを履き違えたかのような間抜けな印象しかないが、どうやらタイ人のあいだでは腰ばきスカートが「カワイイ」ということになっていて、しかも社会的に流行として認知されているようだ。

この2週間ほど、いろいろな大学を訪れて学生たちのファッションを比較して楽しんでいる僕たちは、午後1時に高架電車 BTS エーガマイ(エカマイ)駅前で集合し、今回で4回目となる大学めぐりへと出かけた。

日没後、ここのところの定番になっているホーガーンカー大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街で、いつもに増して盛り上がりながら浴びるようにウイスキーを飲んだ。僕たちは、常連として見なされているようで、学生たちと気軽に挨拶を交わせるようになった。

今回の一連の大学めぐりは、バンコク在住2年目を迎えた僕にとって、初の夜の街デビュー。老いてから悔いるのも釈然としないだろうから、この機会にバンコクの学生街を一通り回ってみたい。

バンコク留学を始めた頃には、まさか夜の街で Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) の店員から泥酔したタイ人女子学生を預けられ、さらに他大学のタイ人男子学生のところまで運んでいくように依頼されるようとは、思ってもみなかった。それでも、こうすることで他のテーブルにいる学生たちとも仲良しになれるのだから案外悪くない役回りなのかも。

มหาวิทยาลัยกรุงเทพ (.กรุงเทพ
  マハーウィッタヤーライ・グルングテープ (モー・グルングテープ)
種別 上位私立大学
設立年 2505年 (西暦1962年)
所在地 バンコク都クローングトゥーイ区(
ラーマ4世通り・グルワイナームタイ校)、パトゥムターニー県クローングロワング郡(パホンヨーティン通り・ラングシット校)
設置学部 商学部・経営学部・報道放送学部・法学部・人文学部・経済学部・情報工学部・工学部、大学院
標準学費 約28,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.bu.ac.th/
入試難易度 人文科学 16位 (人文学部英語学科・正答率39%、倍率2倍)
経営学 13位 (経営学部経営情報学科・正答率37%、倍率3倍)
法学 16位 (法学部・正答率39%、倍率3倍)
医学 -
工学 みなし33位(工学部電気工学科・正答率23%、倍率1倍未満)
キャンパス 建築物 75点(2キャンパスとも新しく、施設も充実している)
学生街 0点(何もない。ただし、グルワイナームタイ校は都心にあるため、どこへでも遊びにいける立地にある)
オシャレ 95点(超イケてる。また、大部分の学生が登校前に美容室で整髪している)
ボディコン 90点(かなりイケてるが、タイ商工会議所大学には及ばない。お嬢様系の着こなしが大多数を占める。)
歴史 2505年 バンコク高等教育機関、有力な財閥を率いていた当時の内務省次官・商務省大臣スラット・オサッタヌグラーが設立したバンコク大学基金により、非営利私立教育機関として開校。
2508年 バンコク準大学に名称変更。タイ初の私立準大学となる。
2527年 バンコク大学、教育庁の認可を受けて名称変更。
2528年 経営学修士課程を設立。
มหาวิทยาลัยอัสสัมชัญ (เอแบค)
  マハーウィッタヤーライ・アッサムチャン (エーベック)
種別 上位私立大学
設立年 2512年 (西暦1969年)
所在地 バンコク都フワマーク区(ラームカムヘーング通り24・フワマーク校)、サムットプラガーン県バーングサオトーング郡(バーングナー・トラート通り26キロ地点・バーングナー校)
設置学部 経営学部・工場運営リスク管理学部・文学部・看護学部・科学技術学部・工学部・報道放送学部・法学部・理学部・建築学部、大学院
標準学費 約45,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.au.adu/
入試難易度 統一大学入学試験を受験せずに入学できる。ただし、入学時に実施される学力試験の成績が水準に満たない場合には、正規のカ
リキュラムを受講する前に、特別補習を
受講しなくてはならない。また、英語専修学校(インターナショナルスクール)の卒業生は、出身校で数学の試験を受験でき、英語の試験は免除される。
工学 みなし33位(工学部電気工学科・正答率23%、倍率1倍未満)
キャンパス 建築物 100点(バーングナー校はまるで宮殿そのもの)
学生街 80点(正門前にそれなりの規模の学生街が栄えている。飲食店等も豊富)
オシャレ 90点(なかなかイケてる。ただし、制服の着こなしはかなりフリースタイルだ。なお、正門では守衛が服装検査をしている。)
ボディコン 85点(さまざまな流行が混在している。)
歴史 2512年 アサンプション経営専門学校、フランスの聖ガブリエル兄弟基金により、非営利の私立商業教育機関として設立。
2515年 アサンプション経営準大学、教育省の認可を得て名称変更。
2518年 アサンプション大学、大学長の認可を得て名称変更。

2004年7月7日(水)

昨晩飲み過ぎたせいで二日酔いになり、午前の講座「タイ舞台演劇論」の実技を欠席した。その後、クラスメイトから「タイ舞台演劇論」が休講になったという知らせを受けた。ラッキー。

2004年7月8日(木)


朝、大ヂャッグリー城(王宮)ワット(エメラルド寺院またはワットプラゲーオ, ワットプラケオ)プラスィーラッタナサーサダーラームで行われたタイ研究科の講座「タイ史博物館論」に出席した。

大ヂャッグリー城(チャクリ宮殿)は1875年、ヂュラーヂョームグラーオ大王(ラーマ5世. チュラロンコーン王)(1853-1910)により迎賓館として建設された。設計はイギリス人建築家ヨーン・クルーニッチ、制作総指揮はヂャー(チャオプラヤ・パヌウォンマハコサティバディー)オプラヤー・パーヌウォングマハーゴーサーティッバディー(トゥワム・ブンナーク)。

大王は当初、西洋宮殿の建設を希望していたが、ソムデット(ソムデットチャオプラヤ)ヂャーオプラヤー・ボーローンママハースィースリヤウォング(チュワング・ブンナーク)の進言を入れてタイ建築に変更した。タイ史上はじめて電力が用いられた場所としても知られている。

現在、大ヂャッグリー城(チャクリ宮殿)は拡張工事中。今回は、一般人の立ち入りが許されていない大ヂャッグリー城(王宮)内で、壁に飾られている歴史的芸術品の数々について学んだ。まるで映画のワンシーンのように華やかこの施設は、国賓級のゲストを招いてのレセプションのほか、王族の食堂としても用いられる。右上の写真は大ヂャッグリー城の階段から衛兵交代式の様子を撮影したもの。

その後、ターチャーング(ターチャン)船着場前で昼食をとり、友人たちと今回で5回目になる大学めぐりに出かけた。

มหาวิทยาลัยศิลปากร (ศิลปากร)
  マハーウィッタヤーライ・スィンラパーゴーン (スィンラパーゴーン)
種別 準上位国立大学
設立年 2486年 (西暦1943年)
所在地 バンコク都タリンチャン区(ボーロンマラーチャチョンニー通り、タリンチャン学部長室)、バンコク都プラナコーン区(プララーン前通り、タープラ宮殿校)、ナコーンパトゥム県ナコーンパトゥム郡(ラーチャマアンカーナイ通り、サナームヂャン宮殿校)、ペッブリー県チャアム郡(チャアム・プラーナブリー通り、ペッブリー・コミュニケーション校)
設置学部 絵画学部・建築学部・考古学部・装飾学部・文学部・教育学部・理学部・薬学部・工業技術学部・畜産農業技術学部・音楽学部・大学院・経営学部・報道放送学部
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.su.ac.th/
入試難易度 人文科学 4位 (文学部・正答率61%、倍率6倍)
経営学 -
医学 -
工学 7位(工学部産業工学学科・正答率46%、倍率12倍)
キャンパス 建築物 80点 (タープラ宮殿校は狭い上に古いが、校舎そのものが文化財)
学生街 80点 (プラアーティット通りに多くのバーがあるが、制服での入場はできない。)
オシャレ 70点 (変わった髪型の学生が多い)
ボディコン 10点 (制服を正しく着用している)
歴史 2486年 シンラパーゴーン大学、イタリア人官吏シン・ピーラシン(旧名:コラード・フェロッチ)教授により設立された芸術局管轄の無料教育機関「プラニートシンラパガム学校」から名称変更し、大学長管轄の大学に組織替えされ、現在の絵画学部が設置される。
2498年 タイ建築学部(現在の建築学部)が設置される。
2509年 学部の大増設に伴い、パトゥムターニー県のサナームヂャン宮殿にキャンパスを設置。
2511年 文学部設置。
2513年 教育学部設置。
2515年 理学部設置。
2529年 薬学部設置。
2535年 工業技術学部設置。
2540年 ペッブリー校「ペッブリー・コミュニケーション校)設置。
2542年 音楽学部設置。
2544年 畜産農業技術学部設置。
2546年 報道放送学部設置。
มหาวิทยาลัยมหิดล (มหิดล)
  マハーウィッタヤーライ・マヒドン (マヒドン)
種別
準上位国立大学  
設立年 2432年 (西暦1889年)
所在地 バンコク都ラーチャテーウィー区(パホンヨーティン通り6番地・歯学部)、バンコク都バーングゴークノーイ区シリラート町(パラーンノック通り2番地・医療技術学部・看護学部の一部・医学部附属シリラート病院)、バンコク都バーングゴークノーイ区バーングクムノン町(バーングゴークノーイタリンチャン通り・看護学部の一部)、バンコク都ラーチャテーウィー区パヤータイ町(ラーマ6世通り・医学部附属ラーマーティッバディー病
院・理学部)、バンコク都ラーチャテウィー区パヤータイ町(スィーアユッタヤー通り442番地・薬学部)、ナコーンパトム県プッタモントン郡サーラーヤー(プッタモントンサーイ4通り・工学部・人文社会学部・獣医学部・環境資源学部・大学院・ドゥリヤーング芸術学校・国際学校・ラーチャスダー学校・体育技術学校・歴史学校)、バンコク都ラーチャテーウィー区(ラーチャウィティー通り・医学部ローン校・公衆衛生学部)、バンコク都ヂャトゥヂャック区(ラッチャダーピセーク通り・タイ語課程経営学校)、バンコク都サートーン区(南サートーン通り・国際課程経営学校)
設置学部 理学部・看護学部・薬学部・歯学部・医学部・医療技術学部・工学部・獣医学部・公衆衛生学部・人文社会学部・シリラート病院医学部・環境資源学部・経営学部・修士博士課程、経営
カレッジ・ラーチャスダーカレッジ・ドゥリヤーング芸術カレッジ・体育技術カレッジ・インターナショナルカレッジ・歴史カレッジ
標準学費 約6,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.mahidol.ac.th/
入試難易度 人文科学 情報なし
経営学 情報なし
法学 -
医学 2位(シリラート病院医学部医学科・正答率71%、倍率5倍)
工学 8位(工学部工学科・正答率44%、倍率16倍)
キャンパス 建築物 70点(古い日本の大学よりもイケてる)
学生街 60点(サーラーヤー校:飲屋街はないが、大学前にたくさんの料理店がある)
オシャレ 60点(派手ではないが清潔感あり。一般的な国立大学ファッション)
ボディコン 20点(大半の学生は制服を正しく着用している)
歴史 2429年 病院建設委員会、プラミントラマハーヂキュラーロンゴーン・プラヂュンラヂョームグラーオヂャオユーフワ国王陛下の勅旨を賜っり、さらにラーマ3世以来宮殿として使用されていた土地と16,000バーツを下賜され、タイ初の病院建設計画が始動する。
2430年 病院建設委員会、シリラートガクッタパン・プラヂュンラヂョームグラーオユーフワ親王殿下の行幸を賜る機会を得て、病院運営資金56,000バーツを拝領する。
2431年 国王陛下を招いて病院を開設し、「シリラート療養所」の名を下賜される。
2432年 「医学学校」、プラヂュンラヂョームグラーオユーフワ国王陛下の許可を得てシリラート療養所内に設置され、読み書きができる15名が2年間の医学専修課程の学生として受け入れられる。
2434年 ジョージ・ビー・マックフォーランド、医学学校の教師として迎え入れられる。第一期生9名が卒業する。
2436年 「医学者学校(ペータヤーゴーン学校)」、医学学校から名称変更。
2443年 「ラーチャペータヤーライ学校」、プラヂュンラヂョームグラーオヂャーオユーフワ国王陛下および王妃陛下により、医学者学校から名称変更される。
2446年 医学専修課程、4年に拡充。
2460年 「ヂュラーロンゴーン大学医学部」、ラーチャペータヤーライ学校を併合。(その後、「シリラート療養所附属医学部」と名称変更)
2486年 「医学大学(ペータヤサート大学)」、ヂュラーロンゴーン大学から医学部、附属シリラート病院、歯学部、薬学部、獣医学部を独立させ、公衆衛生省(保健省)管轄の大学として設立。
2403年 医学大学、公衆衛生省から内閣府管轄に移管される。
2508年 附属ラーマーティバディー病院、プラポーンミンタラマハープーミポンアドゥンヤデート国王陛下の勅旨により設立される。医学部、チアングマイ大学に併合される。
2512年 「マヒドン大学」、マヒドン大学設置法に基づき、プラマヒタラーディベートロードゥンヤデートの名を冠する、現在の名称に変更。
2513年 マヒドン大学、ナコーンパトム県サーラーヤー郡の土地1,241ライを購入と、分校設立を奏上。
2515年 マヒドン大学、王室資産管理局からナコーンパトム県サーラーヤー郡の土地1,242ライ20ターラーングワーを購入する。
2519年 マヒドン大学、サーラーヤー校建設に伴う費用と、経済の低迷や物価の上昇に伴い、極度の財政難に陥る。
2526年 マヒドン大学、プラテープ・ラッタナラーチャスダー・サヤームボーロンマラーチャグマリー殿下をサーラーヤー校に招いて、サーラーヤー校開校式典を執り行う。
มหาวิทยาลัยเทคโนโลยีราชมงคล (ราชมงคล)
  マハーウィッタヤーライ・テークノーローユィー・ラーチャモンコン (ラーチャモンコン)
種別 下位国立大学・工業振興大学
設立年 2518年 (西暦1975年)
所在地 バンコク都ドゥスィット区(サームセーン通り・テーウェート校)、バンコク都バーングスー区(ピブーンソンクラーム通り・プラナコーンヌア校)、バンコク都ドゥスィット区(ピッサヌローク通り・パーニットガーンプラナコーン校)、バンコク都サートーン区(アーカーンソングクロ通り・バピッタムックマハーメーク校)、バンコク都ドゥスィット区(ナコーンサワン通り・チュムプラケートウドムサック校)、バンコク都プラナコーン区(ポチャング校)、バンコク都パトゥムワン区(パヤータイ通り・ウテーンタワーイ校)、バンコク都サートーン区(ナーングリンジー通り・テークニックグルングテープ校)、バンコク都サムパンウォング区(ヂャックラウォン通り・バピットピムックヂャックラウォン校)、バンコク都ディンデーング区(ウィパワディーラングスィット通り・ヂャックラポングプワナート校)、バンコク都サートーン通り(ヂャルーングルング校・プラナコーンターイ校)、バンコク都ドゥスィット区(スィーアユッタヤー通り・チョーティウェート校)、そのた地方都市に28のキャンパス
設置学部 教育学部・農学部・経営学部・家政学部・芸術学部・マーディスィンレドゥリヤーング学部・工業農業技術学部・産業教育学部・建築学部・理学部・ナコーンスィータンマラート農学部・報道放送学部・文学部・大学院学部・水産業技術理学部
標準学費 約4,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.rmut.ac.th/
入試難易度 人文科学 14位 (文学部バピッタムックマハーメーク校日本語学科・正答率50%、倍率14倍)
経営学 7位 (経営学部経営情報学科・正答率48%、倍率48倍)
法学 -  
医学 -
工学 17位(工学部化学科・正答率36%、倍率4倍)
キャンパス 建築物 評価不能
学生街 評価不能
オシャレ 40点(いまひとつ冴えない)
ボディコン 80点
歴史 2510年 技術専修準大学(テークノロイーレアーチワスクサー準大学)、教員や技術者の不足を補うことを目的とし設立される。その後、国家発展のため、教育省によりタイ全土に建設される。
2518年 技術専修準大学、技術専修準大学法に基づいて開校。
2520年 タイ各地の技術専修準大学、ひとつの教育機関として統合、分校化される。
2521年 学長室をテーウェート校に設置。
2531年 ラーチャモンコン技術高等教育機関、プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下より新名称を下賜され、名称を変更する。
2548年 ラーチャモンコン技術高等教育機関、ラーチャモンコン工科大学に昇格。

2004年7月9日(金)

バンコクの商業金融の中心地スィーロム通り(シーロム通り)にある商業ビル C. P. Tower(シーピータワー)。そこに入居している大手通信会社 True Corp.(トゥルーコーポレーション)のカスタマーサービスでの出来事。

「あそこに座ってるコがあなたに興味があるって言ってるんだけど、もう彼女とかっていちゃったりする?」

僕たちは、手続きに無関係なことを聞いてくるはずのない窓口係が発した質問に、仰天して互いに目を合わせた。そのせいで悪ノリしてしまい、手渡された申込用紙にあるユーザー ID 欄に、危うく CHAMBERS と書き込んでしまうところだった。 CHAMBERS とは、 The(ホーガーンカー大学) University of The Thai Chamber of Commerce 大学前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に通っている僕たちが、勝手に自称しているチーム名。もっとも、激しく悪ノリしている友人が実際にこの ID を書いて申し込んだが、すでにほかのユーザーに使われていることが分かりやむなく断念した。僕たちを担当した窓口の女性職員が、偶然にもホーガーンカー大(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)の OG たちだったことも、僕たちの悪ノリにさらに拍車をかけた。

真っ昼間のオフィス街で窓口の女性職員5人を巻き込んでのトタバタ劇の末、ようやく肝心のブロードバンドインターネットの詳しい内容を知ることができた。

サービス名 下り / 上り 通信速度 月間使用料
5倍
10倍
20倍
40倍
50倍
70倍
256/128 Kbps.
512/256 Kbps.
1 Mbps. / 512 Mbps.
2.5 Mbps. / 512 Mbps.
3 Mbps. / 512 Kbps.
4 Mbps. / 512 Kbps.
590
750
890
1,150
1,850
2,200

この価格表は今年6月22日に改訂されたもので、それまでのハイエンドは下り1024K(40時間まで1,850バーツ, 以降1時間ごとに45バーツ)だったという。

ブロードバンドインターネットの申し込みには、国民 ID カードまたはパスポート、住所や電話番号を控えたメモ書き、 USB ブロードバンドモデム(買い取り)代1,800バーツが必要となる。

その後、理系学部の修士課程に在籍しているタイ人の友人に呼び出されて、僕たちはトーングロー通り(トンロー通り)にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 複合施設 Liberty Plaza(リバティープラザ) へと繰り出した。ここは、都内で最も流行っている Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街のひとつで、特に今晩はヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学位授与式の予行練習が催されたこともあって、日本の通勤電車のように混み合っていた。クラブ「ボンベイバー」でグルングテープ大学(バンコク大学)の学生たちと合流し、さらにスーパーハイソな学生が住んでいるコンドミニアムの一室に移動して午前5時まで飲み続けた。

「この部屋さえあれば、わざわざクラブに行く必要はない。友人何人か連れてきてくれれば、来週にでもみんなで楽しく盛り上がれるよ」

この部屋を改めて見渡してみると、最初からディスコとしても使えるように設計されていることが分かる。上品に配置されたブラックライトに、広大なリビングルーム、全てが慎重に厳選された家具、豊富な寝室、充実した最新の音響機器。こんなにすごい部屋を、僕はこれまで見たことがない。

「こんなのは全然普通。友人達はもっとハイソな部屋に住んでるよ」

世の中には下には下がいるのと同じように上にも上がいるんだろう。

2004年7月10日(土)

20040710.jpg友人たちのあいだで語られている名言がある。

「本当に良い店に行きたいのなら、(タイ在住日本人社会の評判なんか無視して)ベンツに乗っているタイ人が通う店を選ぶべし」

それと同じことは、ショッピングセンター、屋台、食堂、レストラン、スパ、 Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 、カラオケスナックについてもいえる。日本人社会で知られている「日本人向けのフリーペーパーに広告宣伝費を投じている店」以外に、もっと良い店があってもおかしくない。

夜、ヂャーオプラヤー川西岸のヂャランサニットウォング92にあるお洒落な Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) To-sit Pier 92 でブワと夕食をとった。川沿いにあるオープンエアーの店で、薄暗い照明と対岸の暗闇がオシャレな夜を見事に演出している。

こういったイケてる店は、やはりタイ人からの口コミ情報に期待するのが一番。僕はこれまで保守的に店を選んできたからこのような店をあまりにも知らすぎたが、これからはタイ人発の情報収集にも力を入れていきたい。

2004年7月11日(日)

ここのところ講義に出席したり、コーヒーを飲みながら友人達と文献を読んだり、大学探検に出かけたり、学生街へ飲みに出かけたりと忙しくしていたせいで、部屋でくつろぐ時間がまったくとれなかった。そこで、今日は部屋の整理整頓をしてから、昨晩買ったばかりの VCD を見ながら一日中カラオケの練習をしていた。

友人たちのあいだでは、歌詞を見ないで最新のタイ語ポップスを歌うことがイケてることになっている。僕のように歌詞を見ないで歌えるのが国歌と国王賛歌の2曲だけでは、流行に乗れているとはとても言えない。

2004年7月12日(月)

20040712.gif朝、授業開始時間ぎりぎりに教室へと駆け込んだところ、クラスメイトおよそ15人が木曜日提出のペーパー(小論文)について話し合っていた。ところが時間の経過とともに単なる雑談へと変わり、次第に英会話クラブの会合のような雰囲気になっていった。

授業開始から50分が経過し、話題も尽きて時間つぶしにも飽きたところで、僕たちは休講になったと判断して構内バス2号線(2バーツ)で文学部校舎からパヤータイ(パヤタイ)通りをはさんで反対側にある中央図書館へと移動し、その近くにある学生食堂で朝食をとった。

朝食をとりながらクラスメイトに、先月大学めぐりを始めたころから気になっていた「新入生歓迎行事(ンガーンラップノーング)」について尋ねてみた。この行事は新入生同士の親交を深め上級生と知り合う機会を作ることを目的に毎年行われているが、実際には上級生が新入生を服従させ無茶なことを強いるという(上級生にとっての)娯楽的意味合いの方が強い。

「タイは年功序列社会だから、どんな無茶なことでも上級生の指示には従わざるを得ない。それでも文学部の新入生歓迎行事はまだソフトな方で、私がいた政治学部なんて本当にハードだったわよ。先輩に会ったら必ずワーイをして挨拶しなきゃいけないし、制服の着こなしが生意気だと定期試験の過去問を融通してもらえなくなる。聞いたことがあるかしら? 私たちの大学で上下の関係が厳しいのは政治・法・教育の3学部よ」

クラスメイトによると、新入生歓迎行事で行われる「集団ゲーム」はなかなかに過激なもので、箱の中にカエルなどのゲテモノをいれておいて、新入生に手探りで中身を当てさせるゲームもあるという。先日、友人たちと立ち寄ったラーチャパット(ラチャパット)高等教育機関スワンドゥスィット校(スワンドゥシット校)では、上級生が構内を歩いている女子大生をナンパするよう下級生に強要している光景が見られた。数年前には、この高等教育機関の新入生合宿で上級生が泥酔した新入生を海に飛び込ませ溺死させるという事件が大きく報じられた。報道によると現在、ラングスィット大学(ランシット大学)で行われた女子新入生を四つん這いにさせ、その後ろで男子上級生が長時間腰を前後させるというゲームが、社会的に注目を浴びており、新入生歓迎行事そのものの是非が盛んに議論されている。

つぎに、タイの中等教育学校6年生(高校3年生)向けの歴史教科書の貧弱さについての話題をふった。真実に近い事実が書かれている近代史の文献はタンマサート大学(タマサート大学)の図書館まで行かないと入手できない。歴史観も、モムラーチャウォング(王子の孫に与えられる称号)・クックリット・プラーモート(ククリット・プラモート)元首相 を中心とする王党史派とタンマサート大学(タマサート大学)政治学部の学者を中心とする左派とに分裂している。

タンマサート大学(タマサート大学)の各学部が今年6月に王宮周辺のタープラヂャン(タープラチャン)から郊外のラングスィットセンター(ランシットセンター)へ移転したんだけど、それを嫌った教授陣が最近ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)に移ってきているのよ。でも、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)は王の名を関していることからもわかるように、とても保守的な大学だから、今後も体制寄りの政治史を教えるんじゃないかしら。もし教科書にないタイの近代史を知りたいんなら、よい本を知ってるから紹介してあげるけど?」

こうして僕は図書館の蔵書「タイ政治史 2475年 – 2500年」という分厚い本を又借りして帰宅した。

午後、東南アジア研究科の必修講座「東南アジア文明史」でアンコール朝成立までの東南アジア史を学び、夕方の公開講座「集中ミャンマー語」をサボり、友人たちと合流してホーガーンカー大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街へと繰り出した。

僕たちは店に到着すると学生たち15人と握手をしながらいつもの席へと向かい、店に預けているウイスキーボトルを持ってくるようサーバーに指示した。この店は、僕たちにとって一日の疲れを癒す憩いの空間になっている。

2004年7月13日(火)

20040713.jpg「タイ語以外の、実際の仕事に役立つ専門知識を身につけるためにも、そろそろ将来の方向性を定めた方がいいよ」

今日はその言葉の真意を丸一日かけて学んだ。

数週間前、このウェブサイトを通じて知り合った日本人に、つぎの出張の時に工場を見学させて欲しいと軽い調子で依頼したところ、快く引き受けてくれ、さっそく工場を案内してもらえることになった。

バンコク近郊には政策的に設けられた工業団地がたくさんある。タイ国投資奨励委員会 BOI は、各工業団地周辺の開発状況に応じてゾーン1(発展)、 ゾーン2(開発途上)、 ゾーン3(後発開発途上)の3区域に分類し、開発が遅れている地域に進出した企業に対して税制面での手厚い恩典を与えている。

今回見学させてもらったのは、バンコク中心部から約50kmほど離れている、プラナコーンスィーアユッタヤー県(アユタヤ県)のハイテック工業団地。タイ国投資奨励委員会の基準ではゾーン2に立地している。国際的に有名な大企業が数多く進出しており、タイが世界に誇るコンピュータパーツの一大生産拠点にもなっている。工業団地へと向かうクルマの中で、タイに進出している日系製造業の変遷や抱えている問題などについて、丁寧に説明してもらった。

この工場は。さまざまな産業機械が導入されている先進国顔負けのハイテク工場で、徹底した無人化・省力化が図られている。これだけ隅々まで整備が行き届いていれば、どんな取引先が見学に来ても胸を張って堂々と内部を見せられるだろう。

僕は、生産ラインを眺めながら説明を聞いているうちに、ものすごい不安感にさいなまれた。どんなにタイ語が上手く話せても、どんなにタイに関する知識があっても、業務をこなすための専門知識がなければ何もできない。納入先の担当者が施設の監査にやってきたときに、十分な業務知識がなければ、信頼どころか受注を勝ち取ることもできない。

今回の工場見学でもっとも有益だったのは、実は工場の施設ではなく友人の生き方やポリシーについて聞けたことだが、この日記では割愛する。

将来的にタイに関わる仕事に就いて生計を立てていくのなら、やはり製造業への就職も視野に入れておきたい。そういった意味でも、今回の工場見学はとても有意義だった。

ひととおり生産ラインを見て回った僕たちは事務所棟へと移動。ドラマに出てくるような大掛かりな設備がそろっている会議室で、中堅幹部たちが大きな図面を広げながら現在発生しているトラブルの解決策を話し合っているところにお邪魔した。彼らとデリバリーのピザを食べていたところ、数百億バーツという莫大な資産を有するタイ人経営幹部がやってきて、実際に言葉を交わす機会も得た。僕がこの工場を見学するという話は、あらかじめ各部門の管理責任者にも伝わっていたようで、遅滞なく工場見学ができるよう事前にさまざまな手配をしてくれた友人には感謝している。

午後3時には会社の送迎車でフワイクワーングへと戻り、その後セントラル百貨店ピングラーオ店(ピンクラオ店)で、昨日入手した図書館の蔵書「タイ近代政治史」を読みながら、およそ3ヶ月ぶりにストレートパーマをかけた。夜、バンコク大学に通う友人たちがいるサムットプラーガーン県(サムットプラカン県サムロン)サムローングの大部屋カラオケ屋へと向かった。

2004年7月14日(水)

20040714.jpg僕たちはサムットプラーガーン県(サムットプラカン県サムロン)サムローングにある大部屋カラオケ屋で14日の午前零時を迎えた。

「6年前には『携帯すら持てないようなヤツは友達も作れない』と言われていたが、今では『クルマすら持てないようなヤツは友達も作れない』と言われるようになった。だからグルングテープ大学(バンコク大学ラングスィット校)ランシット校でも、誰もが流行に乗り遅れまいとこぞってクルマを購入している。しかし、頑張っても数万バーツのオンボロ中古車しか買えないという学生も多く、駐車場から数百メートルのところにある正門付近でエンジントラブルを起こしているクルマをしばしば見かける」

この友人は話を面白可笑しくするために、物事を誇張して伝え、自分とは無縁の人々をこき下ろすという悪いクセがある。だから日頃から僕はこの友人の話を話半分で聞いているが、なにか強烈なコメントが得られるのではないかと思って各大学の評判について尋ねてみた。

――ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学大学)は本当にサイコーだ。みんな可愛いしファッションも斬新。君もそう思わないか?

「そんなにイイかあ? ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)といえば、都内でもっとも多くの現役娼婦が通っている大学って言われているよ。学生寮街をクルマで徘徊しているだけで、きっと日替わり弁当が楽しめるんじゃないかな?」

この友人が通っているグルングテープ大学(バンコク大学)は、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)とはライバル関係にある。さらにこの友人が通っている経営学部に限って言えば、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)に対して明らかに劣る。そのような事情もあって友人はこう言ったのかもしれないが、日頃は無口な友人の彼女もこの点に関しては特に賛成していたから、あながち事実無根の作り話でもなさそうだ(実際に学生売春が盛んなことで知られているのはラーチャパット大学(ラチャパット大学スワンドゥシット校)スワンドゥスィット校・スワンスナンター校、トゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンディット大学)スィーパトム大学(シーパトム大学)サヤーム大学(サイアム大学)ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)の順)。

――じゃあ、ラングスィット大学(ランシット大学)なんかいいんじゃないか? ものすごい数の学部があるし、私立大学唯一の医学部まである。

グルングテープ大学(バンコク大学)の授業について行けなくなった学生の転出先として知られている。あそこには1年に4学期もあるだろう。たしか2年半もあれば学士号がカンタンにもらえるはず。大量の単位を短期間で取得した学生が、4年次になってグルングテープ大学(バンコク大学)に復学して学士号を手に入れるというケースも多い」

――スィーパトム大学(シーパトム大学)はどう? なんか個性的な学生が多くて面白そうなイメージなんだけど。

「ってゆうか、それ以前にあれは大学と呼ぶにふさわしいのか? まったく授業に出席しなくても、すぐに卒業させてもらえそう。まあ、将来『屋台の物売り』になるために学士号を取りに行くようなもんだね」

そこまでヒドい言い方をしなくても良いのに・・・・・・と思いながらも、僕は興味本位につぎからつぎへと立て続けにさまざまな大学の評判を聞いていった。そんな話をしていたところ、友人は「グルングテープ大学(バンコク大学)はハイソな学生が通っているイケてる大学」で、自分もそのハイソな学生のひとりだと主張した。

「実は一見しただけでは一般庶民のように見えるウチにも、超高価なプラクルアング(プラクルアン)があるんだぜ。俺の兄貴分でもあるプラクルアング(プラクルアン)協会の会長のお墨付きだ」

話があまりにも飛躍しすぎている。大富豪の趣味の世界であるプラクルアング(プラクルアン)協会の会長が、こんなフツウの現役学部生を相手にするはずがない。少しお灸を据えてやろうと、僕はすぐに追求にかかった。

――俺が先生と呼んでいる人がチョークチャイスィー(チョークチャイ4通り)プラクルアング屋(プラクルアン屋)を営みながら、『クラングプラクルアング』という月刊プラクルアング情報誌を発行しているんだ。聞くところによると、彼はどうやらこの世界では第一人者らしいから、今度そこに持って行って一度鑑定してもらようよ? ほら、もし万一にもそれが贋作だったら、将来的にも当てが外れたりして困るだろうから。

そういってみたところ、友人は黙り込んで話をウヤムヤにしてしまった。つい先日にも「俺の父は内務省のナンバー3」という話があって、僕は中央政府と地方行政機関の役割について話して、友人の父親が担当している部局が内務省にはないことを明らかにしたばかり。そのときにも「友達には法螺を吹くな」とキツく釘を刺しておいたはずだが、あまり効果がなかったようだ。

ちなみに冒頭にある友人の言葉だが、僕の周囲ではいまのところ「クルマすら持てないヤツは友達も作れない」というようなことはないし、大半は公共交通機関を使って通学している。また、各私立大学では「自らの財産をひけらかし、教育機関に経済階級的概念を持ち込むのは、学生としては好ましくない振る舞いである」といった啓蒙活動がさかんに行われている(ただしこの通告は完全に無視されている)。

法定閉店時間の午前2時に大部屋カラオケ屋から引き揚げ、正午前に起きて東南アジア舞台演劇論に出席し、サヤーム(サイアム)にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で明日提出のペーパー(小論文)を書いた。

2004年7月15日(木)

アメリカ留学を始める前に友人の会社に預け、ずっとそのままになっていた洗濯機(9,000バーツ)を、3,000バーツで別の友人に売るため引き取りに行った。

その値段があまりにも安かったのか、この話を聞きつけたバイト先の運転手から、友人の会社に預けたままになっているミニコンポ(14,000バーツ)を譲って欲しいという電話があった。ものを売るときに一番面倒なのは価格の設定。高く売りつけてしまっては気の毒だし、逆に安すぎてもまるで損をしたかのようで釈然としない。この価格設定問題さえ解決されれば、いつ売っても構わないが、それが面倒で今日に至るまで不要となった家財道具の売却が遅々として進んでいない。

2004年7月16日(金)

20040716.jpg日本で非職業娼婦との売買春行為が「援助交際」と呼ばれるようになったのは1996年。携帯電話の爆発的な普及にともない、通話料を自分の小遣いでは賄いきれなくなった女子高校生の一部が売春に走ったという。

それから8年、タイに特別な感情を抱く一部の日本人男性のあいだでは、「男女交際」や「援助交際」という言葉が誤用されている。

「援助交際」とは、性的な快楽を必要としている男性が、あぶく銭を必要としている非職業娼婦(売春婦)の性サービスを買う行為のことである。交際という言葉からも分かるとおり、当事者双方にとって、新規の交際相手を見つけるよりも既存の交際相手との関係を続けた方が気楽で安心なため、関係が一度きりで終わることはほどんどない。

したがって、路上や性風俗施設で客待ちしている職業娼婦(街娼・ゴーゴー嬢・ソープ嬢・ホステスなど)に金を払って単発的な性的関係を持つ、いわゆる単純買春を「援助交際」と呼ぶのは誤りである。さらに、金銭を定期的に融通することが前提で成り立っている援助交際を、あたかも世間一般で広く行われている「男女交際」のように表現するのも誤りである(継続的な送金や仕送りで娼婦との関係を維持するのもこれにあたる)。

タイに特別な感情を抱く一部の日本人男性は、買春や援助交際などの「いかがわしい行為」を別の言葉に言い換えることで真実から目を背けようと試行錯誤しているが、非常に見苦しいし、もし本当に「言い換えた言葉」が真実であるかのように思い込んでいるとしたらいよいよもってに救いがたい。どんな言葉に言い換えて体裁を取り繕ったところで、どうせ本質は変わらないのだから、そのままの言葉を使って事実を正確に言い表した方が、まだいくらかは行為の醜悪さが和らげられる。

バンコクにおける日本人とタイ人の男女関係は、「単純買春」の域を超えないことがほとんどだが、それでもタイ人のあいだでは実際に本物の「援助交際」がおこなわれている。ただし、非職業娼婦たる不良女子学生たちの目的は、携帯電話料金を目的とする日本人学生とは異なり(もちろん生活費の捻出でもなく)、麻薬調達資金の捻出だ。

トーングロー(トンロー)21にある微妙にハイソな Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋)ソーングサルング(ソンサルン)」、午後10時。薄暗い店内はまるで日本の通勤電車のように混み合っていた。身体を少し動かすとすぐに別の客にぶつかってしまうし、トイレへ行くにもタバコの火を警戒しながら注意深く人々の壁をかき分けて歩かなければならない。そんな雰囲気の店で、某有名私立大学に通う女子学生たちとウイスキーを飲みながらタイポップスを楽しむ予定になっていた。

ある女子大生は、待ち合わせ時刻から大幅に遅れて、ひとりのタイ人中年男性とともに現れた。男の年齢は45-50歳。その女子大生は男を「自分の叔父でバンコク郊外にある工場のオーナー」と僕たちに紹介した。ところが僕たちは、このふたりのスキンシップが「姪と叔父」の関係を明らかに逸脱していたことから、次第に友人が援助交際をしているのではないかという疑いを強めていった。

「ねー、見て見て! これ、ヤーイー(エクスタシー)だよ! とっておきの夜なんかに使うと、本当にもうサイコー!! 見ての通りここには全部で6錠あるわ。もし興味があったら1錠1,000バーツで譲ってあげるけど、どう?」

そのクスリは大学病院の名前が書かれている処方薬袋に入っていた。違法薬物を病院の処方薬袋に入れて持ち運ぶのは、薬物常用者なら誰でもやっている初歩的なカモフラージュだ。とりあえずテーブルから身を乗り出して錠剤を目視したが、僕たちには端からその真偽を確かめる術などない。でも、おそらく本物のヤーイー(エクスタシー)なんだろう。

タックスィン(タクシン)政権(2001-2006)の「麻薬撲滅戦争(ソンクラームプラッププラームヤーセープティット)」政策が実施される2年ほど前に行われた日本人教授の調査によると、ここバンコク都内におけるヤーイー(エクスタシー)末端価格は300-500バーツ。またこの女子大生によると、最近では麻薬撲滅戦争の影響で入手が難しく、安定した調達ルートもなければ、必要なときに買えるという状態にもないという。

肌の白い、若くて可愛らしい有名私立大学の現役女子学生。幾ばくかの金銭を渡すことで、彼女を自由にする権利を得るという背徳的恍惚感は想像に難くないが、それは本来、心身両面を支配できた時に初めて得られるという種の快感であり、精神的な面を支配できなくては片手落ちにすぎない。

そんな皮肉っぽいことを考えながら、僕は3階にある薄暗いソファー席に身を預け、ウイスキーグラス片手にタイポップスの生演奏を聴きながら、周囲の混沌とした光景を午前2時まで楽しんだ。

その女子大学生だが、現在彼氏募集中とのこと。好みは肌が白くて性格の良い、背が高くて年齢の近い男性。顔立ちや経済力、国籍は問わないという。

これまでタイの若者文化にはまったく無関心だったが、それなりに探求してみると不思議なシチュエーションをいろいろと目の当たりにできて面白い。

20040716-2.jpg今日は午前10時から文学部大講堂で催された仮面舞踊学会に出席し、聞いてもその意義を理解できるはずもない「未発見のラーマギアン(タイ仮面舞踊)とアプサラ(クメール仮面舞踊)の相違点を新たに1つ見つけた」という話を聞いてから、友人とトーングロー(トンロー)21にある Pub and Restaurant へ繰り出した。
 

2004年7月17日(土)

今日は珍しくマヒドン大に通うブワの深夜外出が認められ、僕たちはバンコク大の友人たちと大部屋カラオケに出かけた。

2004年7月18日(日)

20040718.jpgヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)講堂で、カンボジア文芸省主催、タイ外務省協賛のカンボジア舞踊「アプサラ」(留学生日記2004年4月23日参照)が公演された。入場料は学生が50バーツ、部外者が100バーツ。今日はヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学部生のほかにも、大学のバスに乗ったラーチャパット(ラチャパット大学スワンドゥシット校)高等教育機関ドゥスィット校やトゥラギットバンディット大学(トゥラキットバンディット大学)の学部生たちも大挙して押し寄せてきている。

20040718-2.jpg僕たち東南アジア舞台演劇論の履修生は担当の講師から、今回の公演を見て、タイ舞踊とカンボジア舞踊の相違点を5枚程度にまとめて提出するよう指示を受けている。しかし、どう考えても答えが出そうにもなかったから、タイ舞踊を研究しているタイ研究科の学生に相談を持ちかけたところ、「ああ、なんかちょっとカンジが違うっなてカンジ」という頼りない答えが返ってきた。僕のような古典舞踊にまったく無関心な日本人が、専門家たちが血眼になって答えを探し求めているようなテーマについて書けるはずがない。

その後、バンコク中心部の制服街「ボーナンサー」で友人たちと明日実行する予定のプロジェクトに必要となる小道具を買いそろえた。5人分で1,800バーツだった。

2004年7月19日(月)

20040719.jpgついに例のプロジェクトを実行に移す時が来た。

午前の「 ASEAN 地域の国際関係論」と午後の「東南アジア文明論」に出席して、帰宅途中に日本から旅行に来ている友人のクラスメイトたちと合流。ただちに例のプロジェクトの準備に取りかかった。

大学から20分ほど離れたスクンウィット(スクンビット)13にある、僕が住んでいるコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の199号室。僕たち4人は、それぞれが持ち寄った手提げ袋のなかからツートンカラーの衣服を取り出し、ヒンヤリとしたタイルの床の上につぎつぎと広げていった。

タイの大学では、学部生に制服の着用を義務づけている。男子用は白のワイシャツに黒のスラックス、女子用は白のブラウスに黒のスカートと決められており、一部に例外はあるが、基本的にはどこの大学も同じデザインを採用している(留学生日記2003年10月23日参照)。

昨晩、僕たちは若者文化の発信基地サヤーム(サイアム)にある、学生服を売る店が多く集まるショッピングモール「ボーナンサー」で、このプロジェクトのために大学の制服を調達した。友人のひとりがホテルに戻ってから実際に制服を試着してみたところ、少し歩いただけですぐにスカートのスリットの部分が思いっきり裂けてしまったという。それもそのはず。理想的な着こなしを完璧に実現するために、制服屋のおばちゃんのアドバイスを無視して、細身のタイ人でもなかなか着こなすことができない SSSS サイズのキツキツブラウスとピチピチスカートを選び、それをタイ人よりも骨格の太い日本人が着ているのだから仕方ない。

それぞれリビングとベッドルームとトイレに分かれて制服に着替え、最後に男子用の制服にはヂュラーロンゴーン大(チュラロンコーン大)の徽章入りバックルを、女子用の制服の胸元にはマヒドン大の徽章(留学生日記シリーズ「タイ大学めぐり」参照)を装着して、いよいよ完璧な「現役学部生」のできあがり(実は全員タイや日本の大学に通っている日本人大学院生)。

今回、女子用の制服にマヒドン大を選んだのには理由がある。ほとんどの大学では大学指定の徽章入りボタンをブラウスに付けなければならない決まりになっているが、マヒドン大学にはそれがないため簡単に制服一式をそろえることができる。唯一の心残りはマヒドン大の女子用ベルトを調達できなかったことだが、繁華街行けばベルトを着けずに徘徊している学生たちであふれかえっていることだし、この際ないならないでも別に構わない。

おそらくバンコクに住んでいる日本人が過去にひとりもやったことがないであろう、恥ずかしすぎて誰にも言えないようなスーパーバカなプロジェクトは、日没とともに実行に移された。僕たちは、 BMW 318i でホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街に乗り付けて、いつもの店に平然と入っていった。夜が更けるとともに店内は次第にヒートアップしていき、案の定「マヒドン大学インターナショナルカレッジに通っている日本人女子大生」という設定は大ウケした。僕たちが陣取っているテーブルの周りには、都内のありとあらゆる大学からやって来ている学部生の男女が殺到し、ついに店内でもっとも盛り上がっている一角を作り上げるの成功した。さらに、普段はタイ語または英語の曲しか流れない店に、なんと日本語アニメ曲 CHA-LA HEAD-CHA-LA (ドラゴンボール主題歌)が流されて、これまでにないほど激しく盛り上がった。

ところで、月末にもいくつかの講座で中間試験が行われる。そろそろ本腰を入れて準備しないと前学期の二の舞になりかねない。今晩はちょっと悪ノリしすぎたかな。

(注意: タイでは制服を着用する資格のない人――いわゆる「なんちゃって大学生」――が、大学の徽章をつけた制服を着て街中を歩き回ると警察に逮捕・拘束される可能性があります。よい子は絶対に真似しちゃダメだよ!!)

2004年7月20日(火)

昼過ぎにサヤームにあるスターバックスへ行き、クラスメート達と話し合いながら、提出期限の迫ったレポートを書いた。

2004年7月21日(水)

20040721.jpg電話会社 True(トゥルー) のサービスカウンターでブロードバンドインターネット DSL に申し込んだのは今月9日。当初、3営業日後の14日にはサービスが利用可能になるという話だったが、窓口の担当者による連絡ミスで1週間遅れ、さらにコンドミニアムの技師が誤って DSL 回線をほかの部屋の電話線に繋いでしまったため、原因不明のまま接続できない状態が2週間も続いた。

今日になってようやく部屋で DSL 回線が使えるようになった。ところが、電話線を電話回線と DSL 回線とに分配する「スプリッター」という装置が故障しており、モデムから伸びている電話線をモジュラージャックに直付けすることでインターネットには繋げるようになったが、電話が使えなくなって困っている。そこで True Internet(トゥルーインターネット) のカスタマーサポート +66-2900-9898 に電話で問い合わせた。

True Internet(トゥルーインターネット) では現在、お客様の快適なインターネットライフのために、ご契約いただいたプランより高速の通信サービスを提供いたしております」

このようなメッセージが、オペレーターに繋がるまでの待ち時間に流されている。僕が契約しているのは月額1,150バーツの通信速度 2.5Mbps (時間無制限)。すっかり得をしたかのような気分になって、さっそくインターネットの通信速度を計測してみたところ、確かに 5.219Mbps でタイ国内のサーバーに繋がった。しかし、日本国内にあるサーバーへは 0.049 Mbps 。どうせナローバンド(ダイアルアップ接続, 0.056 Mbps)より遅いのなら、この際、一番安い 0.256 Mbps (月額590バーツ)でも十分だろう。

鳴り物入りで始まった一般市民向けのブロードバンドインターネット。タイ国内の通信速度に関してはまったく申し分ないが、国際線の貧弱さはまったく目を覆いたくなるほど酷い。

今日は、授業への関心がいよいよ0%にまで低下してしまった「東南アジア舞台演劇論」に出席してから、部屋に籠ってブロードバンドインターネットの設定をした。

2004年7月22日(木)

20040722.jpg朝、タイ研究科の講座「タイ史博物館論」の一環として、研究室が用意したワゴンでアユッタヤー(アユタヤ)へと移動し、歴史資料館やヂャーオサームプラヤー(チャオサムプラヤー)史跡博物館のほか、周囲の遺跡寺院を見学して回った。

先月末にタイ国立博物館を見学したときには、タイ国内にはまともな博物館など存在しないとすら思ったが、アユッタヤー(アユタヤ)歴史資料館は近代的な作りでタイ史に興味を持っている人々の期待を裏切らない作りになっている。

2004年7月23日(金)

20040723-2.jpgバンコク中心部の南側を東西に走るプララームスィー通り(ラマ4通り)には、タイの主要貿易港「(クロントイ港)ローングトゥーイ港」と港湾労働者たちが住む「(クロントイ港)ローングトゥーイ港地区スラム街」がある。約8,000ライという広大な土地に建てられた約1,000のバラックには、タイ人貧困層やカンボジア人不法滞在者など約8,000人が住んでおり、40の集落に分割、統治されている。

バンコクでは、都内に流通している違法薬物のほとんどが、黄金の三角地帯(ミャンマー・ラオス)に隣接している北部のチアングラーイ県(チェンライ県)から陸路で運ばれてくるものと信じられている。ところが、クローングトゥーイ港(クロントイ港)ちかくのスラムにある教会で牧師をしている西洋人男性によると、ミャンマーやカンボジアで精製された違法薬物は、船に載せられてクローングトゥーイ港(クロントイ港)に入り、正式な通関手続を経ずにスラム街へと運び込まれているという。

バンコク都内で流通している違法薬物は、ほとんどがクローングトゥーイ港(クロントイ港)ちかくのスラムで取引されている。しかし、この地域の運営管理をしている警察署の高級幹部は、麻薬密売組織の上層部と癒着しており、中央政府や都庁の監視の目も届かないため、麻薬の蔓延に歯止めをかけられない状況が続いている。治安が悪く、殺人事件も多発している。牧師によると、スラムでの違法薬物取引は、クローングトゥーイ区(クロントイ区)における経済活動の70%を占めているという。

麻薬密売組織は、麻薬取締官の捜査をかく乱するために、貧困家庭の子供たちを売人に仕立て上げて、麻薬を売り裁いている。その両親は、保釈金という名目で20,000バーツ(1錠あたり100バーツ, ヤーバー100錠を想定)を事前に受け取っており、万一にも子供が警察に逮捕されたときにはこれを元手に救い出すことができるという。もちろん、その両親が保釈金のための金を使い込んでしまっている場合には救出できない。

ヤーバーとは、メタンフェタミンとカフェインを合成した麻薬で、タックスィン(タクシン)政権が断行した麻薬撲滅戦争(ソングクラームプラッププラームヤーセープティット)の影響で供給量が激減し、それまで100-150バーツだったものが250-450バーツに高騰した。不眠不休の効果がある上にやせ薬としても人気が高く、いまなお単純労働者や娼婦(売春婦)のあいだで根強い人気がある。タイでは品質が劣悪なものが多く出回っており、摂取する分量を間違えると致命傷にもなりかねない。

この地域の麻薬問題は、昨年上半期の麻薬撲滅戦争(ソングクラームプラッププラームヤーセープティット)の影響で一時的に沈静化したが、最近になって再び以前の勢いを取り戻しつつあるという。

ある日本人大学教授がまとめた資料によると、タイにおける薬物常用者に占めるエイズ感染者の割合は年々増加の一途をたどっており、それまで30%だったものが現在では50%前後にまで上昇しているという。薬物常用者の大半は、性的な快楽を追求するためにヤーイーなどの向精神薬を常用しているため、性交渉をするときにその効果を低減させるコンドームを使うことはきわめて希で、しかも複数の人と性交渉を繰り返ことから、エイズの蔓延に歯止めをかけらない状況が続いている。こうした傾向は、特に30-40歳のタイ人麻薬常用者に多い。

ヤーイーとは、メチレンダイオキシメタンフェタミン MDMA 系の合成麻薬で、従来のヤーバーに代わって新しい麻薬常用者世代に人気があるという。品質はおおむね安定しており、2002年当時には300-500バーツで取引されていた。この薬がもたらす性的快楽は凄まじく、特に若者や娼婦(売春婦)のあいだで急速に蔓延している。

ヤーバーやヤーイーなどの向精神薬は、脳機能を低下させ回復不能なダメージをもたらすことで知られている。だから僕は麻薬を始める気はないが、来月にも試しにクローングトーイ地区にある一般家屋を訪問してみるか、もしくは周辺の交差点まで出稼ぎに来ている子供達(窓拭きや物乞いなど)にでも尋ねてみようかと思う。きっと彼らに声をかければ、リスクを犯さず最安値でで入手できるだろう。

「それで、日本の行方を左右できるだけのパワーを持っているのは誰ですか? 中央政府なのか、それともトヨタやホンダなどの大企業なのか、それとも・・・・・・」

今回の講座を担当した米国人牧師にそう問われてハッとした。もしかしたら、人々にこういった疑問が生じさせない日本の報道姿勢こそが、マフィアの影響力の大きさとを証明しているのではないか。

微妙にハイソなパブ「ソーングサルン」で女子学生が所持していた向精神薬「エクスタシー」を見た先週16日以来、徐々に膨らみつつあった僕の麻薬流通に関する疑問の一部が、今朝の講座「東南アジアにおける麻薬流通論」に招いたクローングトーイ地区教会の牧師の話で解決された。

講義では、もう少し詳しい具体的な内容についても言及されたが、この日記では新聞報道レベルにとどめておく。

今日は、午前中の「東南アジアにおける麻薬流通論」に出席してから、アソーク通りにある「サイアムソサエティー(サマーコムサヤーム)」の図書館へ東南アジア舞台演劇論のペーパー(小論文)の参考になりそうな文献を探しに行った。ここの図書館には、戦前から今日までに世界各国で出版されたタイに関する論文のほか、各種ジャーナル等も扱っており、今後の文献探しに強力な威力を発揮しそうだ。

2004年7月24日(土)

20040724.jpg痛烈に皮肉な光景を前にして、僕たちは唖然とし、彼らに心から同情した。

先月から続いているタイの若者文化に対する好奇心は、今月に入ってからというもの、エスカレートの一途をたどっている。この調子でいけば、年内にもバンコク都内にあるイケてる Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) を全て制覇してしまいそうな勢いだ。これまで夜の街に繰り出すという機会などほとんどなかったから、見るものすべてが新鮮で興味深い。なによりも、この機会を逸すると、タイの若者文化に触れる機会が永遠に失われてしまうという強い強迫観念が、僕を夜の街へと駆り立てている。

夜、友人とともにトーングロー(トンロー)10にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブートまたはブーズ) へと繰り出した。午後9時半に到着して店内を見渡してみると、まだ混み合う時間でもないのに、なぜかすでに空席がないことに気がついた。

まず店員に頼んで、ステージ前の空間に補助テーブル(といっても、単なるウイスキー置き場)を設置してもらい、やっとのことで酒を飲むための陣地(席と呼べるようなものではない)を確保した。つぎに、今晩起こりそうなハプニングを事前に予測するため、周囲を見渡した。目の前にはバンドがタイポップスを演奏するためのステージ、右隣には見るからにオタクっぽいイケてない女性6人組、背後には従業員用の出入口があり、左隣には場違いなスーツを着ているタイ人の中年男性5人が若くてキレイなタイ人女性客5人とともに4人用のスペースに座っていた。

午後11時、店内が混み合っている理由がはじめて分かった。それまでタイポップスを演奏していたバンドがステージを降りると、代わって女性司会者の2人組が現れた。

「今日は、私たちのスーパースター Peacemaker(ピースメーカー) によるコンサートを、携帯電話機モトローラE398の提供でお送りします」

僕たちのすぐ後ろにある従業員用の出入口から Peacemaker(ピースメーカー) の2人組が現れると、大きな歓声が沸いた。演奏が始まると、日本の通勤電車にように混み合っているフロアで、人々がそれぞれ思い思いに身体を動かしてリズムに乗り始めた。そして僕の腕や背中には、左側のデーブルにいる女性の胸や中年男性の腹が約1時間にわたって接触し続けた。

自分の陣地を守りながらそのむさ苦しい腹の重圧から逃れるため、僕は足の位置を動かさずに身体の重心だけを大きく反対方向に傾けた。振り向いて彼らの様子を観察してみると、女性は女性同士で密着しており、男性のひとりが彼女たちと一緒に踊ろうと(自分の正当な権利を行使しようと)、腕に触れたり肩に手を回したりと試行錯誤を繰り返しているせいで、むさ苦しい腹が僕の背中に当たり続けることが分かった。まったく迷惑なことこの上ない。

Peacemaker(ピースメーカー) がステージを去ると、店内はようやく落ち着きを取り戻した。そのとき、僕たちの左にあるテーブルで中年男性5人と一緒にいる女性のひとりが、カジュアルな場面で用いるタイ語としては丁寧すぎる言葉遣いで話しかけてきた。

「誠に恐縮ですが、あなたの電話番号を教えていただけませんか? あそこにいるコがどうしてもほしいと言っているのです」

僕は、男たちの痛烈に皮肉な結末を目の前にして、同情せずにはおれなかった。世間はあまりにも非情だ。そのとき、大きな腹を気持ちよさそうに揺らしながら踊っていた中年男性5人組の動きがピタリと止まり、瞬く間に表情が凍り付いていく様子がハッキリと見て取れた(さすがに、このときはヤバいと思った)。こうして、僕たちのグループは隣にいた女性数人を吸収した。

タイに特別な感情を抱く一部の日本人男性のあいだでは、タイがまるで「援助交際パラダイス」であるかのように信じられている。ところが実態は、娼婦(売春婦)のなかでも Go Go Bar(ゴーゴーバー) で働いているような特にショボイ下級娼婦(売春婦)ばかりを相手にしてタイ人の全体像を評価しているにすぎない。彼らが逆立ちしても知り合うことなどできないフツウのタイ人女性を基準にしてタイ人を考えろなどとという端から無理な注文をつけるつもりはないが、せめてこのように美しくて教養もある娼婦(売春婦)の存在を念頭に置いてタイの売買春を考えれば、きっともう少し真実に近いものが見えてくるのではないだろうか。

「私は、大学の教授のすすめで、ある有力者と知り合った。月々3万バーツの手当をもらいながら、まあまあ高級と言えるコンドミニアムで快適に暮らしてる。彼も忙しいようで、会うのもどうせ月に一度くらいだし、結構気ままで悪くないわよ」

つい最近、こういった話を21歳の現役大学生から聞いたばかりだけに、タイにおける売買春が日本人社会のなかで正確に語られているかどうか疑問を感じている。

ところで、その電話の持ち主、アー(仮名・年齢職業不詳)からもらった電話番号だが、いったい僕はどうしたらよいだろうか。タイ人上流階級がどのように女性を囲っているのかという実情を探ってみるというのも非常に興味深い研究課題(実際に近年この手の論文がもてはやされる傾向にある)だが、彼女はひとりでも持て余しているくらいだし、 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) での自習時間を減らすのも気が進まないし。

今晩は新たな発見がもう一つあった。タイ人女性は恋人の行動に対して異常なまでに神経質で、数時間おきに電話を入れるなど監視に余念がないといわれているが、その理由は、ひとたび夜の街に出かけると、あっけないほど簡単に見知らぬ女性と親しくなれるという機会がゴロゴロと転がっているからだ。

今日は外部講師を招いて行われたタイ舞台演劇論の特別講義に出席してから、夕食後に不要になったミニコンポを僕のアパートまで来たタイ人の友人に売り渡し、トーングロー(トンロー)11にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) Booze(ブートまたはブーズ) に友人と繰り出した。

2004年7月25日(日)

20040725.jpgここのところ、友人たちから、ブワとの交際費の額が常軌を逸していると指摘されている。そのほとんどは食費に費やされており、バンコク中心部にある標準的なアパートの家賃の2倍にも達している。家計に与えるダメージも無視できない。

にも関わらず、ヂャルーングルング通り(チャルンクルン通り)の最南端にあるレストラン Good View でブワと夕食をとった。バンドによる洋楽の生演奏を聴きながら、ヂャーオプラヤー川沿いの席から対岸を眺めていたところ、二週間前の土曜日に出かけたレストラン To-sit Pier 92 の遊覧船が目の前を通りかかった。

2004年7月26日(月)

企業の栄枯盛衰と同じように、若者たちの流行も世情や嗜好の変化とともに絶えず移り変わってゆく。ここバンコクでも、数年前には毎晩のように賑わっていたディスコが人知れず閉店に追い込まれ、一方でこれまで誰も見向きもしなかったような沼地に出現した巨大な Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) に若者たちが殺到している。

友人によると、近年、タイ語曲を中心に流すパブ街(トーングロー通り(トンロー通り)エーガマイ通り(エカマイ通り)ラッチャダーピセーク(ラチャダー)4)に人気が集まりつつあり、逆にそれまで流行っていた洋楽を中心に流すディスコ(スクンウィット通り(スクンウィット通り)一帯、 RCA ロイヤルシティーアベニュー、ソーイスィー(ソイ4)を除くラッチャダーピセーク(ラチャダー)一帯)には閑古鳥が鳴いているという。

流行に敏感な10代の現役大学生ブワによると、「 RCA なんて完全に時代遅れ」という。僕は比較的バンコクの流行には疎い方だが、最近になっていろいろなところへ友人に連れて行ってもらっているせいか、徐々に勝手が分かるようになってきている。

夜、ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) にいる大学生たちから聞いたラッチャダーピセーク(ラチャダー・ソイ)4の Snop へ、試しに行ってみた。

この店で演奏されるタイ語曲は巧みに編曲されており、リズムに乗りながら心地よく酒を飲める。ただ、価格設定が立地の割にはやや高く、家計へのダメージも少なくない。

「こうも知らない曲を連続して流されるとテンションが下がる一方だ」

というのが、大学院の夏休みを利用して遊びに来ている友人の感想だったが、僕と別の友人は最高に盛り上がっていた。

このままでは日本語ポップスのリズムについていけなくなってしまいそうだが、それは日本に帰国してからの課題ということにして、今はタイポップスを満喫しておくことにしたい。

20040726-2.jpg今日は、午前の「ASEAN 地域論」と午後の「東南アジア文明論」に出席した。放課後、バンコク郊外のコンサートホール「インパクトアリーナ・ムアングトーンターニー(ムアントンタニ)」で催された The Offspring のコンサートをブワと見に行った。今回のチケットは、ブワが衛星放送 UBC の音楽専門チャンネル V 主催のインタビュー会でアカペラを一曲披露した謝礼としてもらってきたもので、1枚1,000バーツ相当。その後、友人達がラッチャダーピセーク(ラチャダー・ソイ)4のパブ Snop で午前2時まで飲み続けた。

2004年7月27日(火)

「あなたは本当に外国人か?」

Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋)ソーングサルング(ソンサルン)」の警備員に指摘されて自分の腕を見てみると、日本人の白い肌からは想像もつかないほど真っ黒に陽に焼けていた。グルングテープ大(バンコク大)スタイルを少しだけスッキリさせたような髪型だし、ポロシャツにジーパンというファッションも、タイ人大学生がデパートに出かけるときのような服装だ。これではタイ人と間違えられても文句は言えない。

現在、複数の講座で中間ペーパー(小論文)の提出期限が目前に迫っており、たとえ夜の数時間といえど外を出歩く余裕などないが、クラスメイトの友人が日本から来ているということもあって、昨晩に引き続いて今晩もパブに繰り出すことになった。

アルコール飲料メーカーのキャンペーンガールの服を着ている店員に、人数だけでなく、氏名と携帯電話の番号を尋ねられた。不審に思った僕が「なぜ氏名と電話番号が必要なのか」と聞き返してみると、「プロモーション(販促)を受けるためには氏名と電話番号を記入しなければならない」という答えが返ってきた。その用紙には「ソーングサルング(ソンサルン)顧客リスト」と書かれており、詳しく聞いてみると「プロモーションがあるときに SMS(ショートメール) で通知する」という話だった。氏名と電話番号の情報を渡すだけで、プロモーション(販促)の恩恵にあずかれるのなら書いてしまって構わないとも思ったが、定期的に店の宣伝が送られてくるのでは鬱陶しいくてかなわない。

「プロモーションの連絡は辞退するので、電話番号は言わないってことでイイですか?」

こうしたやりとりを店の入口でしてから、扉の前にいる年齢確認担当の警備員に日本国旅券と書かれている赤いパスポートを提示したところ、冒頭のような指摘を受けた。流暢なタイ語を話す日本人など、そうそういるようなもんじゃないから、不審に思うのも当然かも。

今日は Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でクラスメイトたちと自習してから、友人宅へと移動し、突然降り出した豪雨が収まるのを待ってトーングロー(トンロー)21にある Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋)ソーングサルング(ソンサルン)」へと繰り出した。

2004年7月28日(水)

今日は珍しく部屋に籠もってペーパー(小論文)を書き続けた。学期始めに履修登録した講座のうち、① ASEAN 地域論(必修)、②東南アジア文明論(必修)、③タイ史博物館論、④タイ舞台演劇論以外の登録を解除した。中間試験終了後の履修登録解除は認められていない。もし研究室事務員のアドバイスがなかったら、学期末に、僕は大量のペーパー(小論文)を前に発狂していたはずだ。

2004年7月29日(木)

朝、タイ研究科の講座「タイ史博物館論」が再びタイ国立博物館で行われた。館内に展示されている仏像についての説明を受けていたところ、担当講師(スィンラパゴーン大学(シラパコーン大学)考古学部長)から離れたところをダラダラと歩いていたミーハーなクラスメイトたちのあいだで、一風変わったゴシップが話題になっていた。

バンコク都スワンルワング区(スワンルワン区)に住む AV 女優のネットちゃん(ノーングネット)=ゲートサリン・チャイチャルームポン容疑者(19歳)が今朝未明、わいせつ VCD 製造の共犯として逮捕された。今朝のニュースを見たクラスメイトたちのあいだでは、早くも「ネットちゃんは本当にカワイイか?」という議論が交わされている。あるクラスメイトによると、これまでも数多くのタイ人女性が日本のアダルトビデオに出演してきたが、そのほとんどが偽名を使っているのに対し、この容疑者は「ネット=ゲートサリン」という本名で売り出していたため足がつき、今回の逮捕につながったという。

ネットちゃん(ノーングネット)の写真は、まるで有名アイドルのスキャンダルであるかのように、新聞各紙の第一面を飾った。テレビの討論番組では「実名報道の正当性と弊害」についての話題が物議を醸している。タイ人の名字は、日本人のものとは異なり、別の家系と共有して用いられることはないため、今回の実名報道により家族や親戚が「 AV 女優の一族」として世間の好奇の目にさらされ、職場や学校に行けなくなるなどの実害を被っているという。

2547年7月29日付の日刊紙「コムチャットルック」によると、ネットちゃんが出演したのは「モーラー」と「彼女はエーン」の2本。警察の取り調べに対し、だまされて自分の性行為が撮影・販売されてしまったと主張しているという。しかし、演技が過剰である点や出演したタイトルが複数ある点などを根拠に、警察側は公判を維持できるとの考えのようだ。

第一地区弁護士評議会委員によると、ネットちゃんの容疑は「刑法287条、営利目的わいせつ」で、3年以下の懲役または6,000バーツの罰金、もしくはその両方を課せられる可能性があるという。しかし、ネットちゃんが自らの罪を認めれば、罰金を支払うだけですぐに自由の身になれるという見方が有力視されている。

余談だが、ネットちゃんが出演したアダルトビデオ VCD の価格は、逮捕以降高騰を続けており、現在では通常80~100バーツのものが200バーツ前後で取引されているという。

2004年7月30日(金)

今回のタイ研究科の講座「麻薬流通論」では、政府側の意見を代弁する立場にある外務省麻薬取締局上席顧問を招いて、タイにおける麻薬流通についての質問をぶつけた。先週のアメリカ人牧師による、政府の麻薬政策に批判的な講義とは対照的だった。

クラスメイトたちは、世界中からの批判されているタックスィン(タクシン)政権による「麻薬撲滅戦争(ソンクラームプラッププラームヤーセープティット)」政策の功罪について、政府側の担当者がどのように説明するのかに注目していた。

ところが、どんな質問を浴びせかけても「そのような事実は確認しておりません。もし具体的な事件等をご存じでしたら法務省の担当部局へお問い合わせください」の一点張りで、学生たちをひどく落胆させた。これでは政府公報の政治宣伝を延々と聞かされるのと同じだ。

上席顧問のプレゼンテーションはつぎのとおり。

タイにおけるヘロインの生産は、2000年以降一件も確認されておらず、現在では東部ミャンマーで生産されたものが国内に流入してきているものと考えられている。ヘロインは依然として広く蔓延しており、昨年(2003年)にはおよそ440キログラム押収した。メタンフェタミン系の「ヤーバー」は、単純労働者や若者を中心に広がっており、パーティーなどで快楽を味わうために用いられている。一錠あたりの重さは約90グラム。成分はメタンフェタミン(約30%)、カフェイン(約65%)、接合剤(約5%)。最近では、ドッグフードのような形に変えた「変形ヤーバー」も出回っているが、全体としては減少の傾向にある。

タイにおける麻薬麻薬関連法はつぎのとおり。

①「緊急違法薬物取締措置法」(2533年)では、麻薬の所持者や使用者に懲役2年または20,000バーツの罰金もしくはその両方、 密売者に懲役3年または30,000バーツの罰金もしくはその両方が科すことが定められている。

②「向精神薬法」(2518年)では、製造者または密輸者に5-20年の懲役と100,000-400,000バーツの罰金、輸送者に5年以下100,000バーツの罰金を科すことが定められている。

③「麻薬法」(2522年)では、製造者・密輸者・輸送者に死刑または終身刑および1,000,000-5,000,000の罰金、さらに数量によって異なるが、密売者に4年以上終身刑以下の懲役と80,000-5,000,000バーツの罰金を科すことが定められている。

今日はいろいろな学部に散在する同じ大学の友人達と、トーングロー10にあるパブ「Booze(ブート)」へと繰り出した。

2004年7月31日(土)

昼過ぎ、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)の本屋へブワと出かけたところ、大衆紙「タイラット」の1面に日本人が絡んだ殺人事件が大々的に報じられているのを見つけ、すぐに手にとって記事に目を通した。

この日記では、タイラット紙に掲載されていた記事のうち、氏名・年齢・住所・場所などの情報を削除して掲載する。


ยุ่นฆ่าแฟนสาวกดอ่างน้ำโดดตึกดับตาม
ジャップ投身自殺 若い恋人を浴槽に押しつけ殺害

เมื่อเวลา 08.20 น. วันที่ 29 ก.ค. ร.ต.อ.______ _____ ร้อยเวร สภ.อ.เมือง______ รับแจ้งมีคนกระโดดตึกฆ่าตัวตาย เหตุเกิดที่โรงแรม______ ถนน______ เขตเทศบาลเมือง______ จึงพร้อมด้วย พ.ต.อ.___ ________ รอง ผบก.ภ.จ. ______ พ.ต.อ._______ ________ ผกก. นำกำลังชุดสืบสวน และแพทย์เวร รพ.______ ไปตรวจสอบ พบศพนาย_____ ____ อายุ __ ปี นักท่องเที่ยวชาวญี่ปุ่น สวมเสื้อยืดโปโลสีดำ กางเกงยีน รองเท้าผ้าใบสีน้ำเงิน นอนคว่ำหน้าจมเลือด อยู่บนพื้นคอนกรีตลานจอดรถด้านทิศใต้ของโรงแรม สภาพศพกะโหลกศีรษะด้านหน้ายุบ คอและกระดูกสันหลังหัก
______警察署の_________________警察大尉は7月29日午前8時20分、____________通りにあるホテル「____」で投身自殺があったとの通報を受けた。______県警察本部副本部長___________警察大佐と警察署長__________________警察大佐の両名が、現場検証班と______病院の検死班を率いて現場に赴いたところ、日本人観光客________氏(__歳)の遺体を、前頭部が大きく陥没し首と背骨が骨折している状態で発見した。発見当時、男は黒のポロシャツとジーンズに青の革靴という姿で、ホテル南側にあるコンクリートで舗装された駐車場にできた地だまりの中で横たわっていた。

ขณะเดียวกัน ได้รับแจ้งจากพนักงานโรงแรมว่า มีคนเสียชีวิตอยู่บนชั้น _ ห้องหมายเลข ___ ซึ่งเป็นห้องที่นาย_____มาเปิดเช่าพักตั้งแต่วันที่ 27 ก.ค.-31 ก.ค. โดยจ่ายเงินล่วงหน้าไว้หมดแล้ว ไปตรวจสอบที่ห้องดังกล่าวพบประตูห้องปิดแต่ไม่ได้ล็อก ภายในห้องยังเปิดเครื่องปรับอากาศและโทรทัศน์ทิ้งไว้ ตามพื้นห้องพบเปลือกเมล็ดทานตะวันอบแห้งกระจายเกลื่อน เมื่อเข้าไปตรวจสอบในห้องน้ำ เจ้าหน้าที่ถึงกับตกตะลึงเมื่อพบผู้เสียชีวิตเป็นหญิงสาว สวมเสื้อยืดสายเดี่ยวสีเหลือง กางเกงยีนขาสามส่วน นอนตะแคงซ้ายคุดคู้แช่น้ำ เสียชีวิตอยู่ในอ่างอาบน้ำเป็นที่น่าเวทนา ทราบชื่อ น.ส.____ หรือ____ _______ อายุ __ ปี อยู่บ้านเลขที่ ___ บ้านดอนแดง หมู่ _ ต._______ __ อ._______ จ.______
同時刻、警察はホテル従業員から、____氏が7月27日から31日までの宿泊代金を前払いして滞在中の____号室に死体があるとの通報を受けた。通報のあった客室を捜索したところ、部屋のドアは閉まっていたものの鍵はかけられておらず、室内の空調とテレビがつけたままになっていた。床にはヒマワリの種の殻が散乱しており、捜査官が浴室内を捜索したところ、黄色のキャミソールに短ジーンズ姿の若い女性が気の毒にも浴槽で水死しているのを見つけて驚愕した。この女性は_____________郡第_集落_____________番地に住む__________さん(愛称______歳)であることが明らかになっている。

ตรวจค้นในห้องพักพบหนังสือเดินทางของนาย_____ ตั๋วเครื่องบินกรุงเทพฯ-สนามบินนาริตะ ประเทศญี่ปุ่น ขวดยาหลายชนิดติดฉลากภาษาญี่ปุ่น บัตรเอทีเอ็มธนาคารในประเทศญี่ปุ่น โทรศัพท์มือถือ 2 เครื่อง นาฬิกาข้อมือผู้ชาย 1 เรือน เครื่องเล่นซีดีแบบพกพา 1 เครื่อง พร้อมแผ่นซีดีเรียนภาษาไทยและภาษาญี่ปุ่น สมุดหัดเขียนภาษาไทย-ญี่ปุ่น กระเป๋าหนังสีครีมภายในบรรจุเครื่องสำอางสตรี ขวดสุราต่างประเทศถูกดื่มไปเกือบหมดแล้ว ขวดโซดาจำนวนมาก และแก้วน้ำ 7 ใบ วางอยู่ที่พื้นห้อง
客室内を捜索したところ、____氏のパスポートのほか、バンコク発成田行きの航空券、日本語のラベルが貼られた複数の薬瓶、日本国内にある銀行のATMカード、携帯電話機2台、男性用腕時計1つ、タイ語教材付属のCDが入っているポータブル CD プレーヤー1台、タイ日対訳ノート(おそらく「旅の指さし会話帳」のこと)、革製の女性用カバン内の女性用化粧品、ほぼ空のウイスキーと大量のソーダ水、7杯のグラスが室内のテーブルの上で発見された。

จากการสอบสวนทราบว่า นาย_____เดินทางเข้ามาประเทศไทยหลายครั้ง ตั้งแต่เดือนมกราคม ปี 45 ตระเวนเข้าพักโรงแรมใน จ.______ หลายแห่ง กระทั่งพบกับ น.ส.____และมีความสัมพันธ์กันลึกซึ้ง นาย_____หลงรัก น.ส.____ อย่างหัวปักหัวปำ จนถึงขั้นเตรียมแต่งงานใช้ชีวิตร่วมกันที่เมืองไทย โดยนาย_____เริ่มฝึกหัดอ่านเขียนภาษาไทย และจะโอนเงินมาให้ น.ส.____ ใช้จ่ายเดือนละหลายหมื่นบาท แต่ระยะหลังนาย_____จับได้ว่า น.ส.____แอบไปคบหากับนาย____ ไม่ทราบนามสกุล ทำให้เกิดความหึงหวง มีปากเสียงกันบ่อยครั้ง
調べによると、2545(西暦2002)年1月以降____氏は幾度にも渡って入出国を繰り返しており、______県内の何カ所ものホテルを転々としていたところで____さんと知り合ったことが判明している。と____氏はすっかり____さんの恋の虜となってタイで一生暮らすことを決意し、ふたりの関係は結婚の準備に取りかかるにまで発展し、____氏はタイ語の読み書きの勉強を始め、____さんに対しては月々何万バーツもの送金をするようになった。ところが、____さんが_____氏(名字不詳)と姦通していることを知ってからというもの、ふたりのあいだで口論が絶えなかったという。

ก่อนเกิดเหตุเมื่อหัวค่ำวันที่ 28 ก.ค. ที่ผ่านมา นาย_____พา น.ส.____พร้อมเพื่อนชายหญิงของ น.ส.____อีก 3 คน ไปเที่ยวหาความสำราญในคาราโอเกะของโรงแรม ตกดึกคาราโอเกะปิด ทั้งหมดจึงขึ้นไปนั่งดื่มเหล้าต่อที่ห้องพัก กระทั่งเวลา 04.30 น. เพื่อนของ น.ส.____พากันกลับ ปล่อยให้นาย_____และ น.ส.____อยู่กันสองต่อสอง ต่อมาเวลา 08.10 น. ผู้เช่าห้องติดกับห้อง ___ ได้ยินเสียงตึงตังในห้องเกิดเหตุแล้วมีเสียงปิดประตูแรงผิดปกติ จากนั้นมีคนเห็นนาย_____ ปีนขึ้นไปยืนบนราวบันไดหนีไฟบนชั้น _ ของโรงแรม ก่อนกระโดดพุ่งหลาวลงมาศีรษะกระแทกพื้นลานจอดรถเสียชีวิตคาที่ เจ้าหน้าที่ตำรวจสันนิษฐานว่า หลังจากเพื่อนกลับไปแล้ว นาย_____และ น.ส.____เกิดมีปากเสียงกันเรื่องหึงหวงอีก นาย_____โมโหที่หญิงสาวคนรักปันใจให้ชายอื่น จึงจับกดน้ำจนขาดใจตายอย่างทรมาน ก่อนหนีไปกระโดดตึกฆ่าตัวตายหนีความผิดเป็นศพที่ 2
事件発生前の7月28日未明、____氏は____さんら____さんの友人男女3人とともに、ホテル内のカラオケ店で楽しいひとときを過ごしていた。カラオケの閉店後には皆で客室に戻り、その後も酒を飲み続けた。____さんの友人達は午前4時半頃に帰宅し、その後____氏と____さんは二人きりになった。___号室の宿泊客の証言によれば、午前8時10分、事件のあった部屋から異常なほど激しく扉を開け閉めする音が聞こえたという。また、____氏が駐車場に飛び降り周囲に脳味噌をばらまいて絶命する前に、ホテル_階の非常階段をよじ登っている姿が目撃されている。警察の捜査担当者は「友人達の帰宅後に、____氏と____さんとのあいだで再び口論になり、____氏は投身自殺によって2体目の死体となって事件の責任から逃れる前に、愛する人が他の男に思いを寄せていることに激怒し、苦痛に満ちた死に至るまで顔を水に押しつけて殺害した」とみている。