2004年6月1日(火)

日の出前、ノーンカーイ(ノンカイ)県庁舎近くの路上で高速バスを降り、トゥクトゥク(三輪タクシー)でラオス国境へと向かった。オーバーステイ(超過滞在)している僕は出国審査窓口となりの入国管理局へと直行して科料400バーツ(2日分)を支払った。

せっかくの機会だからと、ついでにクルマをラオスに持ち出す方法を入国管理官に尋ねてみた。職員たちの説明はことごとく矛盾していたが、そのなかの一人が戸棚からパンフレットを持ってきて、上長たちの話とは異なる信じるに足る話を聞かせてくれた。

それによると、タイのクルマを国外に持ち出すためには、所管の運輸局(ワッタナー区民はスクンウィット(スクンビット)101のバンコク第3運輸局事務所)で、International Transportation Permit(国際交通許可証) を取得しなければならないという。発行には数日かかるそうで事前の申請が必要。 หนังสือ(国際交通許可証)อนุญาตรถระหว่างประเทศ の申請に必要な書類は、①หนังสือ(車検証)รับรองการตรวจสภาพรถ、②ใบอนุญาต(英訳運転免許証)เป็นผู้ขบรถที่แปลเป็นภาษาอังกฤษ、③สำเนา(自動車登記簿または自動車登録票の複写)หรือภาพถ่ายหนังสือแสดงการจดทะเบียนรถ หรือใบคู่มือจดทะเบียนรถ、④สำเนา(国際免許証の複写(もしあれば))หรือภาพถ่ายใบอนุญาตประกอบการขนส่งระหว่างประเทศ (ถ้ามี)、⑤国民 ID カードまたはそれに代わる身分証の複写、法人の場合は法人登録している自動車登記証明書の複写、⑥หนังสือ(委任状(本人が申請しない場合))มอบอำนาจ (กรณีมิได้มาดำเนินการด้วยตนเอง) の合計6通。タイ運輸省発行の国際運転免許証の申請に必要な書類は、①運転免許証もしくはそれに代わる書類と1インチの写真2枚、②写真付きのパスポートまたはそれに代わる書類と③申請書類。乗用車を持ち出す人物は自動車登記簿にある所有者と同一でなければならなず、それ以外の人物が自動車を持ち出すことはできない(お問い合わせは、ノーンカーイ県(ノンカイ県)運輸局運輸課 +66-4242-1473 まで)。

ラオス入国後、その足で在ウィアングヂャン(ビエンチャン)・タイ大使館領事部で教育ビザ(2,000バーツ, 受付時間午前8時半から11時)を申請し、市内の中級ホテル Day Inn(デイイン) にチェックイン。ホテル近くの外国人向けパブ「ラーンアーハーン・コープヂャイデュー(ありがとう食堂)」で遅めの昼食をとり、そこで働いているラオス人店員とメーコーング川(メコン川)沿いの屋台で夕食をとり、ホテル Novotel(ノボテル) 1階にあるディスコへと繰り出した。そこで知り合ったラオス人客に現地ビール「ビアラオ(ラオ・ビール)」をおごってもらい、みんなで法定閉店時間の午後11時まで踊り続けた。さらに1日200バーツでレンタルしたバイクでホテルに戻る途中、韓国車に乗っているラオス人女性に逆ナンされて、タイのポップミュージックが流れている大部屋カラオケ屋へと向かった。

現地ラオス人のナマの言葉。

「どこに秘密警察がいるか分からないから大声では言えないないが、俺はラオスの社会主義政権が大キライだ。社会主義の思想そのものは悪くないが、今のラオス社会主義政権は政府高官の利益を図ることだけに興味を示し、人民のことなど考えていない。ラオスは王政を復古させるか、もしくは民主化するべきだろう。こんなことを続けていては永遠に発展できない」

「ラオスの若者世代は、タイ語のライティングはできないが、リスニングくらいならある程度できる。地方の貧しい村でも同じような状況で、テレビ放送を通じてタイ語はラオス全土に浸透している」

「ラオス人はタイポップスをこよなく愛している。でも、誰もがタイ語とタイ人を嫌っている。タイ人はラーンサーング朝(ランサン朝)の版図を奪い、それが今日における貧困の原因になっている」

「極めつけは1年ほど前にテレビ放映されたタイの時代劇ドラマ『ニラートソーングポップ』(留学生日記2545年10月15日参照)だ。テレビドラマを通して、ミャンマー人を敵対視させることで自国民の愛国心を鼓舞しようという明らかな世論操作の意図があった。他の番組でもラオス人を蔑視する言動が多く、そいういった根性がどうしても好きになれない」

「タイ人は常にラオスを見下している。こういった態度をとらない日本人に対しては敬意を払うべきだ」

「ラオス人の平均的月収は2,500バーツ程度といわれているが、地方へ行けば貨幣経済など存在しない。地方のラオス人は自給自足の気ままな生活を送っているし、俺の月給は1,000バーツにすぎない。この国では110ccの原付を運転するだけで『イケてる男』の仲間入りができる」

ちなみに、僕たちに声をかけてきた韓国車に乗っているラオス人女性が開口一番に放った言葉。

「あの男、タイ語もしゃべってるし・・・・・・」

彼女たちには最後まで僕が日本人であることに気づかなかった。片言のタイ語しか話せないラオス人にとっては、僕程度のタイ語でもネイティブタイ語のように聞こえるのだろう。そのせいで、せっかく現地で逆ナンされたというのに何も得られなかった。

2004年6月2日(水)

「なんで、そんな高いホテルに泊まったんだ!? 俺に言ってくれれば、安くて良いホテルなんていくらでも紹介してあげられたのに!」

昨晩一緒に夜の街に繰り出したラオス人の友人は、僕が泊まっている高級ホテル「セートター・パレス(セーター・パレス)」のフロントでそう言った。このホテルは昨日のホテル Day Inn(デイ・イン) の東約100メートルのところにあり、宿泊費は一泊85ドルから。地理不案内のウィアングヂャン(ビエンチャン)の街を独力で徘徊して迷子になってもいけないと思い、近場のホテルで良さそうなものを適当に選んだ。

このホテルは、大通りから少し離れた静かなところにある全27室の山荘風高級ホテルで、その外観や内装は清潔感と高級感を見事に演出している。日本政府や外郭団体の職員も月極契約で宿泊している。高級ホテルにつきもののプールもあり、誰に紹介しても絶対に満足してもらえるはずだ(Setta Palace Hotel +856-21-217-583)

この友人は以前、ここ「セートター・パレス(セーター・パレス)」や、昨晩出かけたディスコが入っているホテル Novotel(ノボテル) で働いたことがあるという。その証拠として、僕たち外国人が行きそうなところで働いている友人たちをを紹介された。

日没前、友人が働いている外国人向けパブ「ラーンアーハーン・コープヂャイデュー(ありがとう食堂)」でビールを飲み、友人が仕事を終えた午後5時から川沿いのバーベキュー屋で夕食をとり(ふたりで185バーツ)、外国人向けパブ On the Rock(オンザロック ) でビールを飲み、午後8時から法定閉店時間の午後11時半まで地元民向けの大衆カラオケ屋でビールを飲みながらタイポップスを歌い続けた。

「だから、ラオス人の若い世代はタイ語が話せるんだ。こうやって頻繁にタイ語曲を歌っていれば誰だってすぐに習得できるさ」

しかし、友人もタイ語を柔軟に扱えるほど達者ではなく、タイポップスに疎い僕でも大声で自信満々に歌えるような曲ばかりを選んでいた。この店では発音を間違えたり読む速度が間に合わなくても OK という雰囲気があって、「ほとんど初心者」の僕でも気軽にタイ語カラオケを楽しめた。料金はふたりで135バーツ。

2004年6月3日(木)

ラオス人の友人は外国人向けの Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) で働いている。その仕事が休みの今日、歴史資料館をはじめとするウィアングヂャン(ビエンチャン)市内の観光名所を案内してもらえることになった。この友人とのコミュニケーションはもっぱらタイ語に頼っているが、今日は少しだけラオス語にも挑戦してみたい(タイ語が読める人ならギリギリ読めるかも)。

ວຽງຈັນ(ウィアングヂャン) は、 ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ (ラオス人民民主共和国) の首都で、推定人口73万人。タイ国内の地方都市程度の小規模な街で、バイクをレンタルすれば1時間足らずですべての観光地を見て回ることができる。

午前10時、ホテル「セートターパレス」にラオス人の友人が迎えに来た。最初に向かったのはຫໍຜິຜິດທະພັນແຫ່ງຂາດລາວ (ラオス国立博物館)。ここに展示されている史料と友人の話を簡単に要約すると、ラオスの歴史はつぎのとおり。

当時、この地域で強大な勢力を誇っていたクメール帝国で教育を受けた王子が1353年、全国に点在していた集落を統合して、現在のルワングパバーン(ルワンパバン)を都に定め、現在のラオスの原型となるラーンサーング王国(ラーンサーン王国)の版図を確立。アユッタヤー(アユタヤ)サヤーム(シャム)の侵攻を受けて、セーターティラート王がウィアングヂャン(ビエンチャン)へと都を移した。17世紀後半に国内で王位継承を巡る内乱が起こり、ラーンサーング王国(ラーンサーン王国)はそれぞれ北のルワングパバーン(ルワンパバン)、都のウィアングヂャン(ビエンチャン)、南のヂャンパーサック(チャンパサック)に分裂した。1779年にトンブリー朝サヤーム(シャム)の侵攻を受けるとそれぞれ保護領(植民地)になる。旧ラーンサーング3王国の領土は、ウィアングヂャン王アヌウォングによる独立戦争の失敗や少数民族ホーによる反乱などで政情が悪化し、ラッタナゴーシン朝(チャクリ朝) サヤーム(シャム)によりフランスに割譲されフランス領インドシナに編入された。第二次世界大戦中にはシーサウォングを国王とするラオス王国が日本の保護領として独立。戦後の混乱の中で王政は廃止され、ヴェトナムの影響を強く受けた共産主義政権が現在のラオス人民民民主共和国を設立した。

共産主義国における歴史教育は、国民の愛国心を鼓舞して共産主義政権を正当化するためにある。この博物館でもそういった傾向は強く見られ、資料室の大半が戦後史の資料展示に充てられている。

「この写真を見てくれ。これはラオス王の第一王子が王位継承権を放棄する文書に署名させられている場面だ。なんとも気の毒な話だが、のちに彼は一市民として生活をしたという。俺は王政時代のラオスのほうが好きだ」

タイ語の地上波・衛星放送は、ラオス全土で広く視聴されているという。ラオス語とタイ語は似ているため、タイの立憲君主制の影響が人々に浸透している。社会主義革命の要は厳格な報道管制と大衆煽動だが、こんなことでは革命が起きて現在の社会主義政権が転覆してしまいかねない。

その後、タイ大使館領事部ちかくのラオス料理屋で昼食をとり、ウィアングヂャン(ビエンチャン)の観光名所をひととおり紹介してもらった。今回、僕たちが向かったのは①ປະຕູໄຊ(凱旋門)、②ວັດທາດຫລວງ(ワットタートルワング)、③ວັດສີສະເກດ(ワットスィーサゲート) 、④ວັດຫໍຜະແກ້ວ (ワットホーパゲオ) 、⑤ວັດສີເມືອງ(ワットスィームアング)など。僕は長時間に渡って直射日光を浴びて心身ともに疲れ果ててしまい、ຕຫຼາດເຊົັາ(タラートサオ)まで送ってもらってから、ラオス-タイ国境横断バス(35バーツ)に乗ってノーンカーイ(ノンカイ)高速バス乗り場へと向かった。

2004年6月4日(金)

午前4時すぎ、モーチット高速バスターミナルに到着。タクシーで帰宅して、昼過ぎまで睡眠を貪った。夜、マレーシアのエスニシティーについて書かれた論文を読んで過ごした。

2004年6月5日(土)

ガソリン価格高騰危機(ウィグリットカーナームマンペーング)。タイのマスコミは昨今の原油高をこのように表現している。イラク戦争にともなう今回のガソリン小売価格の高騰は、タイの自動車ユーザーの家計を直撃し深刻な社会問題になっている。この話題はテレビの討論番組でも頻繁に取り上げられており、以前から問題視されていた偽ガソリンを売るスタンドにもふたたび注目が集まっている。

僕は領収書を見て驚いた。今回はじめてハイオク(95オクタン価)ガソリン満タンが1,000バーツを越えた。58リットルで1,020バーツ。半年前までは1,000バーツ札を出せば100バーツ以上のおつりが来たのに、今では1,000バーツ札のほかにも何枚かの紙幣を用意しなければならない。

現在、ハイオク(95オクタン価)ガソリンは1リットル17.69バーツ(約49.5円)。それでも日本に比べればまだまだ安い。

夜、これまで先送りにしてきた「東南アジアの民主化・近代化、民族主義」のペーパー(学期末小論文)に着手した。

2004年6月6日(日)

映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」が2日、日米に先駆けてバンコクで一般公開された。都内の映画館には日々多くのファンが押し寄せ長蛇の列ができている。僕たちはその列を見てすぐに映画を見るのをあきらめて、 CWP Central World Plaza(セントラルワールドプラザ) 地下のタイスキ(タイ風鍋)屋 MK で昼食をとり、伊勢丹6階の本屋「紀伊国屋」でラオス史の参考書を探した。

結局ラオス史に関する文献は見つからなかったが、その代わりに観光ガイドブックの最新版を購入した。ついでに新たに出版されたタイ語参考書のかずかずを眺めてみたが、相変わらずの綴りミス、見当違いのカタカナ表記、誰も使わないような表現のオンパレード。構成の良し悪し以前の問題として、執筆者のタイ語力を疑わざるを得ない。まさかとは思うが、「一応タイ語ができます」みたいな人が書いてるんじゃないのか? 

2004年6月7日(月)

新学期。今日からふたたび読書とレポート漬けの日々が始まる。僕が所属している東南アジア研究科はこの春、新たに10人の学生を迎えた(タイ人7, シンガポール人1, 大陸中国人1, アメリカ人1)。その大半は現在のクラス平均年齢を大幅に上回っており、いずれ僕たちは新入生たちと付き合い方に苦心することになるだろう。

午前9時から正午まで「 ASEAN 地域の国際関係論」を受講。1時間の昼休みを挟んで午後1時から午後4時まで「東南アジア文化論」を受講した。午後の授業では、ペーパー(小論文)の提出が毎週のように義務付けられている。

放課後、サヤームスクウェアにある日本料理店「神戸」で、主任教官や大学職員も交えて学生10人で夕食をとった。タイ資本の日本料理店のお約束だが、テーブルの上には値段が高いだけの激マズ日本料理が並んだ。

大酒飲みクラスメイトによると、タイでは教授と夕食をとるときに学生が酒を飲むのはあまり好ましくないという。カンボジア旅行中は、失礼かもしれないと思いつつも毎晩のようにビールを飲んでいたが、さすがにバンコクに戻ってきたらタイの文化に従わざるを得ない。もしかしたらタイには「学生と教授とのカジュアルな関係」という概念はないのかも。

2004年6月8日(火)

大部屋カラオケはハプニングの震源地。

夜、ブワをピングラーオ(ピンクラオ)まで送り届けてから、コンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」の自室でビール片手に論文を読んでいたところ、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)に住む友人から電話で飲み会に誘われた。このような誘いは毎晩のようにある。そこで今晩は気分転換を兼ねてクルマを運転して北サムローング(サムロン)通り(スクンウィット(スクンビット)113)へと向かった。所要時間はおよそ35分。

今晩のメンツはタイ人の男友達とその彼女、それから初対面の女性の合計4人。友人が経営しているインターネットカフェで合流し、スクンウィット(スクンビット)107にある下町の大部屋カラオケ屋へと移動した。この店はタイのカラオケ屋にしては珍しく女性接待係(ホステス)のいない Pub and Restaurant(パブ) で、出入口横のスクリーンにはカラオケ画面が投影されている。

午後10時から午前2時10分(閉店時間)の約4時間を、僕たちはほとんど会話を交わすことなく、終始スクリーン画面に食い入って歌い続けていた。先日のウィアングヂャン旅行で慣れたせいか、泥酔状態でも問題なく字幕のスピードについていけた。こういった店にあと何回か通えば、マイク片手にリクエストを連発できるようになるかも。

閉店時間直前、オカマ3人組がダミ声でブワチョンプー・フォードの อย่าทำให้ฉันรักเธอ(あなたを好きにさせないで)留学生日記2004年3月30日参照)を歌いながら、マイクの一つを隣のテーブルにいる男に押しつけて、あろう事かグワーング(AB Normal)のパートを歌わせていた。この曲の男性パートは「マジでお前が好きなんだ!」の連続。新手のナンパだろうか? 不本意にもオカマにラブコールを送り続ける羽目になったこの不幸な男性客に、店内からは大きな拍手が沸いた。

結論。カラオケには女性接待係(ホステス)など必要ない。特に日本人向けのカラオケスナックにいるような話術が低く魅力もないような女性に密着して座られてもただ暑苦しいだけでなにも良いことがない。周囲のカラオケ客と叫んでいるほうがストレスを発散には効果的。

2004年6月9日(水)

昼すぎ、 Siam Discovery Center(サヤームディスカヴァリーセンター) 4階の Starbucks Coffee(スターバックス) で、クラスメイトと今学期の履修科目について話し合っていたところ、電話で友人(日本人女性)がバンコク都心部にオフィスを構える日系企業の現地法人に内定したという知らせがあった(月給21,000バーツ)。

日本人向け女性月刊誌 pomelo(ポメロ)(4月号, Quest Media 刊)によると、現地採用者の月収は30,000バーツ以上35,000バーツ以下(32%)、45,001バーツ以上50,000バーツ以下(26%)、35,001バーツ以上40,000バーツ以下(21%)、40,001バーツ以上45,000バーツ以下(13%)、30,000バーツ以下(8%)の順で、理想としている平均62,000バーツから著しく乖離している現状が浮き彫りになった。外国人職業規制法による労働許可証(ワーキングパーミット)発給要件(月給60,000バーツ以上, 2006年から月給50,000バーツ以上に緩和)を満たしている回答者は皆無で、およそ4割が労働許可証を支給を受けずに働く不法就労を強いられており、のこりの6割も労働許可証を受給するために給与を偽装している。賞与については、ゼロ(66%)、年1ヶ月(14%)、年2ヶ月(30%)の順で、年収の大半を月々の給与に依存している。就職内定の決め手になったのは、タイ語力(87%, 複数回答)、英語力(79%)、職務経歴(53%)の順で、33%がバンコクでのキャリアは日本帰国後の再就職に役立たないと回答した。

人材紹介会社 JAC Japan (本社:東京都千代田区)発行の小冊子「東南アジア・中国、転職・就職情報」によると、タイにおける現地採用の求人は、①製造業関係(メーカー、販売会社、機械・素材商社)やサービス業(物流、 IT、旅行会社など)がほとんどで、②都市部では営業職やカスタマーサービス職、地方ではエンジニアや工場管理マネージャー職の求人が多い。③現地採用者には日本人駐在員とタイ人スタッフとの橋渡し役が求められており、④多転職者は書類審査で落とされる。⑤待遇は一般的に製造業の営業職で40,000バーツから、旅行・出版業のサービス職で30,000-80,000バーツ、事務や秘書などのサポート職で40,000-60,000バーツ、工場勤務で40,000-60,000バーツ(ただし部長級なら60,000-150,000バーツ)で、ボーナスはそれぞれ0-2ヶ月。⑥住宅手当や交通費は支給されず(ただし給与に含まれていたり送迎バスなどがある)、⑦日本国の公的福祉(社会保険, 社会保険, 生涯年収+4,000万円程度に相当)の恩恵を受けることはできない。

現地採用者になるのはあくまでも個人の自由であり、誰に強制されてなるものではない。みずからの意思でタイへの渡航を決意し、みずからフリーター同等の低賃金で働くことを選ぶことで、はじめてタイで生活するという希望が叶えられるんだから、それはそれでイイと思う。ところが、この記事には現地採用者の不満が並び、さらにそれを屁理屈で正当化しようとしている記述が随所に見られる。まるで編集者たちの屈折した根性を垣間見ているかのようで、読み進めていくうちに次第に気分が悪くなった。

現地採用者の厳しい現実を屁理屈で正当化しようとする論調は、なにも雑誌やフリーペーパーに限らず、タイ関係のほとんどのウェブサイトで大腕を振ってまかり通っている。特に、バンコクには割安な性風俗を通うことだけを目的に現地採用者として働いている奇特な日本人も少なくない。現地採用者のたかだか40,000バーツ程度の月収では、ソープランド通い(2時間1,800バーツ程度)すら満足にできず、本末転倒で不本意な末路をたどるのは端から目に見えているのに、それを謎の思考プロセスを経て正当化できてしまうのだから不思議でならない。個人的には、屁理屈だけで苦境から立ち直れるなんて到底考えられないし、100,000円程度の月給では今回の留学資金すら回収できないから、現地採用として働きたいとは思わない。

いずれにせよ、今回の内定は、友人にとってはウレシイ知らせだ! 大好きなタイで暮らしたいという姿勢で働くのなら、僕も積極的に応援したい。

朝、タイ研究科の講座「タイ舞台演劇論」に出席し、昼の時間をサヤーム(サイアム)Starbuck Coffee(スターバックスコーヒー) で過ごした。夜、足つぼマッサージ屋 Mr. Foot で台湾式足ツボマッサージ(1時間350バーツ)を受けながら、女性週刊誌 pomelo(ポメロ) を読んだ。その後、フワイクワーング交差点付近にある日本風料理屋でラーメンともグワイッティアオとも言い難い謎の劇マズラーメン(35バーツ)を食べ、喫茶店に移動して午前零時までフラペチーノと水だけで居座り続けた。

2004年6月10日(木)

タイ人は一生に何度でも姓名を変更できる。そのほとんどが宗教上の理由から変更されるが、過去の犯罪歴を葬り去るために変更するというケースもあるという。こうした理由から、タイ国内での就職には姓名変更証明書の提出を求められることがある。

ここのところ、日本人の友人たちのあいだでタイ人の姓に対する関心が高まっている。きっかけは、日本人の友人が「爵」の称号を持つタイ人女性と結婚したこと。このことをタイに詳しい友人たちに聞いて回ったところ、高架電車 BTS サヤーム(サイアム)駅前にある複合商業施設 Siam Center(サヤームセンター) の3階書店 SE-Education(シーエド) に姓名辞典があると聞いてさっそく購入した。

นามสกุลพระราชทาน ๖,๔๓๒ สกุล
賜姓6,432種
รวบรวมโดย เทพ สุนทรศารทูล
テープ・スントーンサーラトゥーン編
ISBN 974-8338-60-6
ผู้จัดจำหน่าย: สายส่ง ดวงแก้ว โทร. ๐-๒๔๖๔-๓๔๓๔
販売者: サーイソング・ドゥワングゲーオ 電話番号 0-2464-3434

この本の前書きには、タイにおける氏姓制度の成り立ちとタイ人の認識についての興味深い解説がある。

คำนำ
前書き

 
ข้าพเจ้าเป็นคนประเภทอนุรักษ์นิยม คือพวกรักของเก่าอยากศึกษาเอาไว้ อยากให้คนรุ่นลูกหลานรู้เรื่องของเก่าแก่แต่โบราณ
私は保護主義者である。古きものを愛する者として研究を重ね、古きものを子の世代へと受け継ごうと願っている。
  
เรื่องนามสกุลพระราชทานนี้ ก็เป็นเรื่องโบราณอย่างหนึ่งคนไทยรุ่นใหม่อาจจะไม่รู้ว่า
賜姓はタイ史の一部だが、おそらく若者たちは知らないだろう。
  1. คนไทยก่อน พ.ศ. ๒๔๕๔ ไม่มีนามสกุล
    仏教歴2454年(西暦1911年)以前、タイ人には名字がなかった。
  2. พระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าฯ ได้ออกพระราชบัญญัติขนานชื่อนามสกุลไทย เมื่อ พ.ศ. ๒๔๕๖
    仏教歴2456年(西暦1913年)、モングット王(プラモングットグラーオ)が姓名法を発布した。
  3. แล้วพระราชทานชื่อนามสกุลให้แก่ข้าราชการ พ่อค้าที่ขอพระราชทานชื่อนามสกุล เรียกว่านามสกุลพระราชทาน มีนามสกุลพระราชทานถึง ๖,๔๓๒ สกุล
    その後、賜姓を希望する官吏や商人に6,432種にのぼる姓が下賜された。
  4. นามสกุลพระราชทานนั้น พระราชทานให้แต่ใคร เมื่อไร เขียนเป็นอักษรไทยว่าอย่างไร เขียนเป็นอักษรโรมันว่าอย่างไร ทรงทำทะเบียนไว้หมดทุกนามสกุล
    すべての賜姓は、日付とともに氏名の表記法がタイ語とローマ字で記録された。
  5. นามสกุลพระราชทานนี้ ประกาศในราชกิจจานุเบกษาเมื่อวันที่เท่าไร มีผลใช้ได้เมื่อไร มีหลักฐานปรากฏอยู่ทั้งหมด
    すべての賜姓は、官報告知日や施行日などが史料として残されている。
  6. นามสกุลนั้นมีความหมายว่าอย่างไร เช่นนามสกุลบุนนาค หมายถึงชื่อ นายบุนนาค ต้นสกุล นามสกุล สุนทรศารทูล หมายถึง นายเสือ ตันสกุลที่มีชื่อเสียงในวงศ์สกุล
    姓の意味、たとえばブンナークという姓は最初に名乗った人物の名、スントーンサーラトゥーンという姓は一族で最も名の知れているスアに由来している。

เรื่องดังกล่าวมาทั้ง ๖ ข้อนี้ นับวันแต่จะไม่มีใครรู้แม้แต่คนในสกุลเอง บางคนยังเขียนนามสกุลตนเองไม่ถูก
上記6項目で述べたようなことは、時間の経過とともにその姓を名乗る者からも忘れ去られ、ある者は自らの姓を正しく綴れなくなるだろう。
 
ข้าพเจ้าเป็นนักศึกษา จึงค้นคว้าศึกษาทราบมาโดยละเดียด จึงมีความคิดเผื่อแผ่อยากจะให้คนในวงศ์ตระกูลทราบหรือคนอื่น ๆ ทราบด้วย จึงได้เขียนและพิมพ์เผยแพร่ออกสู่สาธารณชน เป็นเรื่องน่ารู้ในปัจจุบันและอนาคตอันไม่สิ้นสุด จึงมอบให้สำนักพิมพ์ สาทรรมิก พิมพ์ออกเผยแพร่โดยแน่ใจ ๑๐๐% ว่าเป็นประโยชน์ และเป็นที่สนใจของมหาชนคนไทย แม้คนต่างชาติที่อยู่ในและนอกประเทศ
私は学生として詳細にわたって学習し、姓について一族やそれ以外の人たちに知らせたいと考え、現在と後世の人々にとって興味深いトピックとして執筆し世に送り出す。タイ人民のみならず国外にいる外国人にとっても興味深く有意義なものとして、100%の自信を持って発表する。
 
หนังสืออย่างนี้ แม้ค่าพิมพ์จะแพงและต้องขายราคาแพงก็เป็นหนังสือดีทีค่ากว่าราคาหนังสือและไม่ใคร่มีใครเขียนขึ้น เพราะหากำไรเป็นเงินทองไม่ได้นอกจากกำไรเป็นธรรมทาน ข้าพเจ้าจึงขอขอบใจสำนักพิมพ์ ดวงแก้ว ที่พิมพ์หนังสือนี้ออกจำหน่ายจ่ายแจกเผยแพร่ ไม่ใช่เพื่อชื่อเสียงของคนเขียน แต่เป็นชื่อเสียงของสำนักพิมพ์ชั่วกาบนาน นับร้อยปี
このような文献は、たとえ印刷費用が嵩もうが、販売価格が高かろうが、それ以上の価値がある。ところが、社会貢献になると以外に、金銭的な利益が得られないため書き手がいない。そこで私は本書を出版元であるドゥワングゲーオ出版に御礼申し上げる。おそらく本書は編者の名声にはならないが、出版社の功績として何百年もの歳月に渡って讃えられ続けるだろう。
 
เทพ สุนทรศารทูล
テープ・スゥントーンサーラトゥーン

付録として20条からなる姓名法も掲載されている。姓名法はすべてのタイ国民に姓を名乗ることを義務づけるもので、夫婦同姓、氏姓相続などについて定めており、賜姓やすでに使われている有力者の姓を名乗ることを禁じている。

現在のタイ王国では、貴族制はすでに過去のものとなっている。ところが、旧貴族は賜姓を名乗り続けており、なかには地名を名乗っているものもあって興味深い。今回は旧地方領主のチアングマイ(チェンマイ)、ローイエット、ガーラスィン(ガーラシン)の三家について注目してみる。ちなみに、例外的に地名の前に名字が併記される各グルングテープ(クルンテープ)家は、仏教歴2469年の勅命で名字に併記される地名を「アユッタヤー(アユタヤ)」と変更している。

๑๑๖๐ เจ้าแก้วนวรัฐ (เจ้าแก้ว) เจ้าผู้ครองนครเมืองเชียงใหม่ พระราชทานนามสกุลว่า ณ เชียงใหม่ (na Chiengmai)
1160 チェンマイ領主ヂャーオ・ゲーオナワラット(ヂャーオゲーオ)に「ナ・チアングマイ」の姓を下賜する。
 
๑๑๔๙ พระยาขัติยะวงษา (เหลา) ผู้ว่าราชการเมืองร้อยเอ็จ พระราชทานนามสกุลว่า ณ ร้อยเอ็จ (na Roiech)
1149 ローイエット県知事プラヤー・カティヤウォングサー(ラオ)に「ナ・ローイエット」の姓を下賜する。
 
๑๑๗๐ พระยาไชยสุนทร (เก) กรมการพิเศษเมืองกาฬสินธุ์ พระราชทานนามสกุลว่า ณ กาฬสินธุ์ (na Kalasindhu)
1170 ガーラシン県知事軍司令官プラヤー・チャイスゥントーン(ゲー)に「ナ・ガーラシン」の姓を下賜する。

この辞書の著者も賜姓を名乗る者のひとり。もしかしたら古き良き先祖の時代に思いを馳せながらこの調査を続けたのかもしれない。

夜、高架電車 BTS プローンポング(プロンポン)駅前にある日本料理店「新潟」で日本人の友人とこの辞書を開きながら政財界の有力者の名字を探しては一喜一憂してたところ、遠巻きにタイ人の店員達が怪訝な顔をしながら見ていた。

「このタイ語、あなた達は読めるの?」

この本の重々しい装丁を見ていると、たとえタイ人とはいえ身構えてしまうのかも。

今日は午後の「タイ史博物館論」に出席した。

2004年6月11日(金)

バンコクで何年も暮らしていても、タイ文化のすべてを理解するのにあと百年はかかりそう。そんな気がする。疑問点の多くはタイ人にも答えられないようなマニアックなものばかりだが、さしあたって人々の生活に密着しているものくらいは知っておきたい。

午前中の講座「東南アジアの麻薬取引」のガイダンスのあと、仏教の商業化について研究している友人とチョークチャイスィー(チョークチャイシー)通りにある骨董品情報誌「クラングプラクルアング(クランプラクルアン)」の編集部へと出かけた。この出版社には著名な鑑定士がおり古物業も営んでいる。

タイでもっとも人気がある骨董品といえばプラクルアングラーング(プラクルアン)。著名な僧によって鋳造された仏陀(ブッダ)の肖像で、タイ人のなかでも特に信仰の篤い仏教徒はこれを肌身離さず首から提げている。本来、これは寄進などで寺院に貢献した信徒に無料配布されるものだが、巷では鋳造した僧の名声や希少価値によって100バーツから数万バーツの値が付けられて盛んに売買されている。大富豪などは時価数億円ともいわれる「奇跡を呼ぶ護符」を身につけているという。タイでもっとも人気があるプラクルアングラーング(プラクルアン)は、19世紀前半の高層ソムデットプラプッターヂャーンプロンマラングスィーが鋳造したソムデットプラワットラカン。国王が仏歴2508-2513(西暦1965-1930)年にかけて官吏に下賜した2,500個限定のプラソムデットヂットララダー(プラガムランペンディン)も高価で取引されている。右上のプラクルアングラーング(プラクルアン)は、その次くらいに人気がある「プラピットター(プラピッター)」。2522(西暦1979)年に4,000体限定で鋳造された。時価12,000バーツ前後。

昨年9月、当時ロサンゼルスで共同生活をしていたタイ人の実家に泊めてもらったときのこと。僕は寝起きでフラフラとしていて、友人の机の上に置いてあったプラクルアングラーング(プラクルアン)の近くに座ってしまった。そのときにものすごい剣幕で怒られたのを覚えている。タイ人にとってのプラクルアングラーング(プラクルアン)とは、自分の運命にも影響を与えるような大切なものなんだろう。

骨董屋「クラングプラクルアング(クランプラクルアン)」の店内にはたくさんのプラクルアングラーング(プラクルアン)が陳列されいる。その一角にある店主による無料鑑定ブースでは、プラクルアングの価値を知るためにやってきた客のほか小遣い稼ぎにやってきた僧などが人垣を作っていた。この日、店に持ち込まれたプラクルアングラーング(プラクルアン)の大半が贋物だった。

その後、友人とトーングロー通り(トンロー通り)にあるショッピングモールでピザを食べ、その隣にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー)プラクルアングラーング(プラクルアン)についていろいろと教えてもらった。

2004年6月12日(土)

ごく普通の土曜日。昼過ぎにサヤーム(サイアム)のスターバックスでブワと待ち合わせ、Siam Center(サヤームセンター) 1階にある日本/タイ料理店 UCC で昼食を取った。その後、ウィタユ通り(ワイヤレス通り)にあるカラオケ屋 Big Echo(ビッグエコー) で僕はタイ語ポップスを、ブワは日本語ポップスを歌った。

ATM の明細書を見て驚いた。このままのペースで金を使い続けると、次回の仕送りより前に資金が底をつく。

2004年6月13日(日)

ただ部屋にいただけの一日。朝から何もやる気が起きなかったから、昼寝を含め14時間も寝てしまった。

2004年6月14日(月)

朝、授業開始時刻20分前に起床。普段ならクルマを運転して大学へ行くところだが、駐車スペースを探す時間的なロスを省くために、大急ぎで身支度を調えてコンドミニアム「スクンウィットスイート(スクンビットスイート)」前からタクシーに乗った。

午前中の講座「東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域的世界的背景論」に出席。東南アジアで戦後生まれては消えていったという20もの国家連合の英文名称のせいで授業開始早々混乱に陥った。講義は午前9時から正午までの3時間(3単位)。開始70分後に10分間の休憩が設けられ、僕はタバコを吸いがてらミニマートへ眠気覚ましのコーヒーを買いに行った。講義終了時までに書き取ったノートは8ページを越え、最後のページには眠気覚ましに食べていた粒状ミント菓子の成分がタイ語で書き殴られている。

講義は予定より20分早い午前11時40分に終了し、僕たちは文学部附属の学生食堂で昼食をとった。僕が食べたのは、カーオソーイチアングマイ(カオソイチェンマイ)(激辛チアングマイ(チェンマイ)風ラーメン)の大盛り(25バーツ)とタピオカ入りアイスコーヒー(17バーツ)。食後、タイ・東南アジア研究室で単位をカンタンにもらえそうな講座を聞いて回った。

午後の講座「東南アジア文明論」は、午後1時から午後4時までの3時間。今日は民俗学を専門とする著名な西洋人講師を招いて、メコン川流域の旅行体験談を聞いた。暗い教室の中でつまらないスライドばかり見せられたせいで、ついに睡魔に負けてしまった。

ไม่เห็นเคอิชิให้เกียรติ์อาจารย์เลย(マイヘンケイイチハイギアットアーヂャーンルーイ)
「ケイイチには講師に対する畏敬の念がないの?」

先輩が休み時間にそう尋ねてきたが、僕は「学生を寝かさないような講義をするのが講師の責任であり義務である」と応じた。タイ人は年長者に対して無条件の敬意を払っている。学歴や職位、所得などの客観的な基準で判断できる権威についても同様だ。

その後、Siam Center(サヤームセンター) にある中産階級向けの日系焼肉屋「大同門」で、スリランカへ行く途中にバンコクに立ち寄っている友人と夕食をとった。

2004年6月15日(火)

今日の授業は履修登録していない。しかし部屋で腐っていても仕方ないと思い、僕は気分転換に Siam Center(サヤームセンター) の書店 SE-Education(シーエデュケーション) へ日記の参考になりそうなタイ語文献を物色しに出かけた。そこで偶然 Sexteen Thailand(タイ人未成年者のセックス) という本を見つけ、その内容が気になってSiam Discovery Center(サヤームディスカヴァリーセンター) 4階の Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でさっそく目を通した。

この本の著者は、有力日刊紙(おそらくマティチョン紙)で働いていた元新聞記者。教育省青少年監督局やアサンプション大学(エーベック)による調査を元に、近年タイ人の未成年者のあいだでトレンドになりつつあるフリーセックスの傾向について、ノンタブリー特派員時代の体験を交えながら警鐘を鳴らしている。この本の裏表紙には衝撃的な真実が列挙されている。

Sexteen Thailand
タイ人未成年者のセックス
 
พิมพ์ครั้งที่สอง กรุงเทพฯ:สยามอินเตอร์บุ๊กส์, 2546
第2版 サヤームインターブックス 2546年
  • เด็กไทยมีเพศสัมพันธ์ตั้งแต่อายุ 9 ขวบ
    タイ人児童は9歳から性交渉
  • เด็กมัธยมศึกษาปีที่ 1 เคยมีเพศสัมพันธ์แล้ว 2%
    中学1年生の2%が性交渉を経験
  • เด็กมัธยมศึกษาปีที่ 6 เคยมีเพศสัมพันธ์แล้ว 30% และไม่ใช้ถุงยางอนามัย
    高校3年生の30%がコンドームを使用しない性交渉を経験
  • นางแบบ-พรีเซ็นเตอร์วันรุ่นเป็นเพื่อนเที่ยวให้กับนักธุรกิจ รายได้ 400,000 บาทต่อเดือน
    フリーセンターの未成年モデル、実業家と同伴で月収40万バーツ
  • วัยรุ่นเชียงใหม่, ลำปาง ตั้งชมรมสวิงกิ้ง
    チアングマイ県とラムパーング県に若者、乱交サークルを設立
  • อาจารย์ฝรั่งจัดปาร์ตี้ อัพยา เซ็กซ์หมู่ น.ศ.สาวไทย
    西洋人教師、ドラッグパーティーを催してタイ人女子大学生と乱交

この日記では、日本人が興味を持ちそうな統計6項目を取り上げて検討してみたい。

1. 平均的なタイ人の初体験は何歳か?

アサンプション大学調査機関 Abac Pro.(エーベックプロー) がバンコク首都圏の就学者を対象に行った調査によると、性交渉経験者率は31.4%。初体験の平均年齢は男子学生が16.6歳であるのに対して女子学生が17.93歳。これまでタイでは純血主義が主流だと言われてきたが、今ではすっかり西洋化が進み西洋諸国もビックリのフリーセックス大国なってしまった。

2. 婚前交渉は汚点となるか?

タイにおける純血主義の後退を裏付けるための資料として、未成年者たちの性交渉に対する考え方についても併せて調査された。それによると、学生の44%が婚前交渉は将来の汚点にならないと回答している。

3. タイ人男性の初体験の相手は誰か?

タイ人学生の初体験の相手については、平均的な日本人とさほど変わらない。恋人が初体験の相手と答えた学生が全体の68%を占め、思春期の若者たちにありがちな「友達と試してみちゃう」というケースも23%あった。繁華街で知り合った相手と初めてのセックスを経験するというケースはわずかに3%。バンコク在住の日本人に多い娼婦(売春婦)(ソープ嬢やホステス)と初体験をすました若者は実に4%にすぎない。

4. 性交渉時にコンドームを使用しているか?

タイでは経済的な理由からコンドームの普及が遅れている。「信じ合う恋人同士が病気を恐れてナマでしないのはオカシイ」という考え方もコンドームの普及を妨げている。性交渉時にコンドームをまったく使用しないと答えた学生が全体の29.9%を占め、毎回使用するの19.7%を大きく上回った。もっとも多かった回答は「時々使用する」の50.4%。しかし、エイズ感染者率が人口の2%を越えるタイで、コンドームを使わずに性交渉をすることはかなりのリスクが伴う。セックス狂と性交渉をするときには細心の注意を払うことをお勧めする。

5. レイプの危険性が高いところはどこか?

タイ人の女子学生の多くがレイプ(強姦)の危険性を身近に感じている。密室状態の自宅またはアパートが34.4%と最も高いのは当然としても、衆人環境である公共交通機関でも31.0%もある。以下、繁華街(21.6%)、人通りの多いところ(17.0%)、職場(12.1%)、映画館(8.4%)、教育機関(7.9%)、宿泊施設(7.3%)、タクシー(7.1%)、公衆便所(6.7%)、自家用車(4.4%)、その他(3.2%, 高架鉄道・兵舎・刑務所・横断歩道・バス停など)と続く。

6. 娼婦(売春婦)は薬物常用者か?

一般に、タイ人娼婦(売春婦)は、都市部におけるブランド志向や地方における貧困のせいで売春を繰り返さざる終えない境遇にあるとバンコクの日本人社会では言われているが、実はほとんどが麻薬の調達資金を得るたの手段となっている。この統計によると、娼婦(売春婦)の22.7%が吸引系覚醒剤(ヤーバー, メタンフェタミン系)、16.2%が睡眠薬、15.8%がコカイン、14.0%が媚薬(ヤーラブ)、12.3%がエクスタシー(ヤーイー)に汚染されているという。

この統計によると、バンコク首都圏における売春予備軍は41,083人にものぼる。

午後3時、 Siam Discovery Center(サヤームディスカヴァリーセンター) 4階の Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) から、クルマを運転してトーングロー(トンロー)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) へと移動し、午後6時までこの本を読み続けた。その後、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県) サムローング(サムロン)の友人に呼び出されて、先週と同じカラオケ屋へと向かった。

2004年6月16日(水)

午後、文学部本館ビルで講座「タイ舞台演劇論」の一環として、僕たちはタイ舞踊のステップを学んだ。今日習得したのはタイ舞踊の基本であるテンサオステップとゲップステップの2種類。高校以来、実に7年ぶりに受ける体育の授業だった。明日の筋肉痛が思いやられる。

この講義「タイ舞台演劇論」は予定より1時間10分早い午後2時50分に終わり、僕たちは雨のなかトゥクトゥク(三輪バイクタクシー)に乗ってサヤーム(サイアム)Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) へと向かった。

2004年6月17日(木)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)パヤータイ(パヤタイ)通りを挟んで東西に分かれている。今朝はその西側にあるヂャームヂュリー(チャムチュリー)5号館の登録事務所に履修登録票を提出し、後期の授業料を納めた。

ヂュラーロンゴーン大学大学院修士課程東南アジア研究科の授業料は半年で142,000バーツ。政府からの教育助成金が支給されない外国人留学生はタイ人学生(半年80,000バーツ)よりも多くの授業料を納めなければならない。それでもタイ人の授業料をみても他大学の修士課程より割高で、巷では「ヂュラーの東南アジア研究科はハイソ」と囁かれている。外国への調査旅行がない文学部タイ研究科の授業料はタイ人・外国人ともに半年46,000バーツ。

授業料を銀行の札束のまま支払い、午後の講座「タイ史博物館論」に出席。サヤームスクウェア(サイアムスクエア)にあるヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)ブックセンターで学生歌 CD を購入した。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)の学生歌「マハーヂュラーロンゴーン(偉大なるチュラロンコーン)」は1949年、プーミポン・アドゥンヤデート国王により下賜された。大学の公式ウェブサイトではつぎのように紹介されている。

เมื่อปี พ.ศ. 2492 จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย ได้ขอพระราชทานเพลงประจำมหาวิทยาลัย พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัวภูมิพลอดุลยเดชฯ จึงได้โปรดเกล้าฯ พระราชทานทำนองเพลงแบบใช้ Pentatonic Scale คือ 5 เสียงซึ่งได้ทรงพระราชนิพนธ์ไว้ก่อนแล้ว พระราชทานแก่จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัยและโปรดเกล้าฯ ให้ใส่คำร้องเอง ภายหลังท่านผู้หญิงสมโรจน์ สวัสดิกุล ณ อยุธยา กับนายสุภร ผลชีวิน จึงได้ประพันธ์คำร้องขึ้นถวาย
仏教歴2492年、ヂュラーロンゴーン大学がプーミポン・アドゥンヤデート国王陛下に学生歌の拝領を奏上したのにともない、ヂュラーロンゴーン大学は5音階の楽譜を拝領し、歌詞については自ら加えるようにというお言葉を賜った。そこで後日、ソムロート・サワッディグン・ナ・アユッタヤーとスポーン・ポンチーウィンがその歌詞を奏上した。
 
เมื่อต้น พ.ศ.2497 ทรงพระกรุณาโปรดเกล้าฯ ให้นายเทวาประสิทธิ์ พาทยโกศล นำทำนองเพลง “มหาจุฬาลงกรณ์” ในแนวสากลมา แต่งทำให้เป็นแนวไทยเดิม นายเทวาประสิทธิ์ รับพระราชทานลงมาทำ และบรรเลงถวายด้วยวงปี่พาทย์ถึงสองครั้งด้วยกัน
仏教歴2497年初頭、テーワープラシット・パータヤゴーソンが西洋風楽曲の「マハーヂュラーロンゴーン」を伝統的なタイ風楽曲に編曲し、彼は陛下とともに演奏する機会を2度賜った。
 
ต่อมาเมื่อนายเทวาประสิทธิ์ไปสอนดนตรีไทยให้แก่ชมรมดนตรีของสโมสรนิสิต จุฬาลงกรณ์มหวิทยาลัย จึงได้นำเพลงนี้ มาปรับปรุงให้เป็นเพลงโหมโรง สำหรับใช้โหมโรงในการบรรเลงดนตรีไทยของชมรม
その後、テーワープラシット・パータヤゴーソンは学生互助会の音楽部でタイ音楽の指導にあたり、音楽部がテーマ曲として用いるのに適したものにするため再度編曲した。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)学生歌はつぎのとおり。

มหาจุฬาลงการณ์
マハーヂュラーロンゴーン

<img src="http://www.diaryinbangkok.com/images/2004/20040617-2.jpg" width="300" height="169" align="center" />

พระราชนิพนธ์ทำนอง : พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว
作曲 : 国王陛下
ผู้ประพันธ์เนื้อร้อง : ท่านผู้หญิงสมโรจน์ สวัสดิกุล ณ อยุธยา,สุภร ผลชีวิน
作詞 : クンユィングソムロート・サワッディグン・ナ・アユッタヤー
    スポーン・ポンラチーウィン

น้ำใจน้องพี่สีชมพู ทุกคนไม่รู้ลืมบูชา พระคุณของแหล่งเรียนมา จุฬาลงกรณ์
ขอทูนขอเทิดพระนามไท พระคุณแนบไว้นิรันดร ขอองค์พระเอื้ออาทร หลั่งพรคุ้มครอง
นิสิตพร้อมหน้า สัญญาประคอง ความดีทุกอย่างต่างปอง ผยองพระเกียรติเกริกไกร
ขอตราพระเกี้ยวยั้งยืนยง นิสิตประสงค์เป็นธงชัย ถาวรยศอยู่คู่ไทย เชิดชัย ชะโย
桃色*1学生の思いやり 忘れることなき敬慕の心 恩賜の学舎 ヂュラーロンゴーン
大恩ある王の御名を冠し 永遠に讃え続けます どうか王の祝福があらんことを
全学生が一体となり 支え合う誓い 善行の決意 颯爽と風を切って未来へと歩む
プラギアオ章*2よ永遠なれ 学生が目指すは タイ未来永劫の繁栄 万歳

*1 桃色・・・ヂュラーロンゴーン大学のスクールカラー。
*2 プラギアオ章・・・ヂュラーロンゴーン大学の校章のこと。ヂュラーの女子大学生はこの校章を制服の胸元に装着している。

その後、いつものようにサヤーム(サイアム)にある僕たちの自習室 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) へ徒歩で移動中、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)のセンターポイントにさしかかったところで午後6時の国旗掲揚に遭遇した。タイ国歌が大音量で流され、人々が国旗の方を向いて立ち止まり直立不動の姿勢をとる。時と場合によっては無視することもできるが、巨大な液晶画面に国旗の静止画がこれほどデカデカと映っていては、もはやどうすることもできない。

2004年6月18日(金)

午前の講座「東南アジアの麻薬取引」に出席し、いつものようにクラスメイトとサヤーム(サイアム)にある僕たちの自習室 Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) へと向かった。そこにやってきたブワと専門店モール Siam Discovery Center(サヤームディスカヴァリーセンター) をフラついていたところ、いきなり妙なガウンを着ている芸能人とその取り巻きたちに囲まれてフラッシュの集中砲火を浴びた。

「写真と記念品をお渡ししますので、午後5時に1階のマクドナルド前までお越しください」

ところが、その時間に指定された場所へ行ってみると、催し物に参加しないと商品がもらえないことが判明。そのために僕たちが潰した約3時間をまったくどうしてくれるんだ。日本でなら罵倒されるだけでなく、企業イメージの致命的な低下にすらつながる重大なミス。それとも、強者による搾取が日常的に続けられているタイでは、庶民を踏みにじっても許されるというのか。ちなみに、この日の企画はオランダ資本 Unilever (ユニリーバ) 社の化粧品ブランド POND’S (ポンズ) によるもの。

2004年6月19日(土)

映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」が2日、日米よりも3週間早くバンコクで一般公開された。今日、その話題作をブワと見に行ったが、僕は登場人物たちが話しているイギリス英語がほとんど聞き取れず、タイ語字幕を延々と読み続けざるを得なかった。

昨日、アメリカ人のクラスメイトに「アメリカ人講師の英語は分かりやすくて良い」という話をしたところ、「イギリス英語なんてさっぱり分からなくて当たり前。このまえ、みんなでイギリス人クラスメート達と飲みに行ったときに、私が彼の英語を何度も聞き返していたのを覚えてる? 気にしないで大丈夫よ」という答えが返ってきた。だから今回も仕方ない。イギリス英語が聞き取れなくても、これからはあまり深く考えるのはやめよう。

2004年6月20日(日)

原因不明の頭痛に悩まされ、一日中ベッドに寝っ転がって Sexteen Thailand(タイ人未成年者のセックス) を読んでいた。深刻な社会問題を扱っている割にはヒョウキンな笑い話の連続だった。

2004年6月21日(月)

夜、クラスメイトとバンコクの中華街「ヤオワラート」で夕食をとってからサパーンプット市場へと向かった。

サパーンプッタヨートファー(サパーンプット)は、バンコク中心部を流れるヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)によって隔てられている東岸のプラナコーン地区と西岸のトンブリー地区とを結ぶ可動橋(現在は動かない)。プラポックグラーオ王(ラーマ7世)(1893-1941)により建設され1932年に完成した。現在では中等教育学校(日本の中学校・高等学校に相当)に通う多くの健全な生徒たちがサッカーやスケートボードを楽しむためにここを訪れる。

ところが日没とともに周囲の雰囲気は一変する。古着(シャツやパンツ)、カバン、装飾品などを扱う出店が歩道に軒を連ね、普段着にサンダル姿のオシャレとは無縁の若者たちが通りを埋め尽くす。学生似顔絵師や素人音楽家たちが小遣い稼ぎをしており、周囲はまるでナイトバザールのように賑わう。古くからの下町とあって物価がものすごく安く、海賊版 DVD が市価のおよそ半額(120バーツ, 電脳街パンティッププラザの VCD と同額)で売られている。その他、飲食品店、大学汎用制服屋(留学生日記2003年10月25日参照)、雑貨屋、刺青屋などもあり、自由に使える金があまりない学生層を中心に若者たちからの強い支持を得ている。

闇が深くなるとともに、橋の袂にある広場も雰囲気が悪くなる。タイではほとんど目にすることのない中等教育学校(日本の中学校・高等学校に相当)に通う非行化した生徒たちが制服姿のままタバコを吸っている現場や、娼婦や麻薬の売人の姿なども見ることができる。その奥でライトアップされている巨大な(ラーマ1世)ラプッタヨートファーヂュラーローク大王像の裏側にはバンコクの歴史を物語る記念碑が建てられている。
 

พระพุทธศักราช ๒๕๒๕ในมหามงคลสมัยสมโภชกรุงรัตนโกสินทร์ ๒๐๐ ปี
ประชาชนชาวไทยทั้งมวล รำลึกในพระมหากรุณาธิคุณ
จึงพร้อมใจกันถวายพระราชสมัญญาว่า
พระบาทสมเด็จพระพุทธยอดฟ้าจุฬาโลกมหาราช

仏教歴2525年
ラッタナゴーシン朝 安泰200周年を迎え
タイの全国民は陛下の恩寵を想い
プラプッタヨートファーヂュラーローク大王陛下に対して
心をひとつにして忠誠をお誓い申し上げる

พระบาทสมเด็จ
พระพทธยอดฟ้าจุฬาโลก
ปฐมบรมราชาธิราชมหาจักรวงศ์
ได้ทรงสร้างพระนครอมรรัตนโกสินทร์
มาถึงพุทธศักราช ๒๔๗๘ นี้ครบ ๑๕๐ ปี
เปนอภิลักขิตมงคล

太祖
プラプッタヨートファーヂュラーローク陛下が
ラッタナゴーシン朝の王都(バンコク)を建設されてから
今年 仏教歴2478年を以て 150周年の節日を迎えた

ชาวสยามทุกชาติชั้นบรรดาศักดิ์
อันพระบาทสมเด็จ
พระปกเกล้าเจ้าอยู่หัว
รัชชกาลที่ ๗
ทรง เปนประมุข พร้อมกัน สร้าง
พระบรมรูป ประกอบกับสะพานข้ามแม่น้ำเจ้าพระยา เปน
ปฐมบรมราวานสสรณเฉลิมพระเกียรติ

第7代国王
大なる指導者
プラポックグラーオヂャーオ王と
サヤーム国の各級官吏は
太祖の栄光を寿くものとして
御影をヂャーオプラヤー川に架かる橋とともに
力を合わせて建設した

ประดิษฐานไว้ให้คนภายหลังระลึกถึงพระเดชพระคุณ
ซึ่งพระองค์ทรงพยายามปราบปรามปัจจามิตร

敵を掃討することに尽力された陛下の恩寵を
後世の人々に思い起こさせるためにこの碑を設ける
กู้บ้ามเมืองให้พ้นภัยพิบัตเปนอิสสรภาพ

แล้วได้ประดิษฐานพระราชวงศ์ซึ้งทรงทำนุบำรุงประเทศสยาม
ให้รุ่งเรืองเจริญสุขสืบมาจนกาลบัดนี้

版図を自由の地として守らせしめたことで
今日に至るまでサヤーム国の栄華繁栄に貢献した
国王像を建設することができた

「スゲー! ศัตรู(サットゥルー)って、サンスクリット語で ปัจจามิตร(パッヂャーミット) って言うらしいよ!! 今度、試しにタイ人の前で使ってやろうぜ!」

その後、スラウォング通りにある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) で女性店員数名を巻き込みながら、僕たちは脇目もふらず古典タイ語(バーリー語やサンスクリット語)で盛り上がっていた。きっと、店内にたくさんいる日本人観光客の目には奇異なものに映ったはず。

この店は外国人観光客に人気の夜の歓楽街の中心地にある。この店から約30メートルのところには男娼の裸踊りバー Go Go Boys(ゴーゴーボーイズ) で知られるドゥワンタウィープラザ、約40メートルのところには娼婦の裸踊りバー Go Go Bar(ゴーゴーバー) で知られるパッポング通り(パッポン通り)、約120メートルのところには日本人向けカラオケスナックで知られるタニヤ通りがあり、ここでくつろぐ日本人観光客も少なくない。

今日は、①午前の「ASEANを取り巻く地域的世界的背景論」、②午後の「東南アジア文明論」、③午後5時から7時までのミャンマー語の集中講座に出席。その後、友人と中華街「ヤオラワート」やナイトバザール「サパーンプット市場」を散策した。

2004年6月22日(火)

毎週火曜日恒例のカラオケの日。昼、サヤームの Starbuck Coffee(スターバックスコーヒー) で自習し、日没後に友人とカーオサーンで会ってから、サムットプラーガーン県サムローング(サムットプラカン県サムロン)にあるカラオケ屋で午前2時過ぎまで歌い続けた。

2004年6月23日(水)

午後の「タイ舞台演劇論」(ダンスの授業と命名)で力尽き、その後サヤームの Starbuck Coffee(スターバックスコーヒー) のソファー席でパソコンの充電池が力尽きるまでインターネットをした。二日酔い越しのダンスはあまりにもしんどすぎる。

2004年6月24日(木)


今日はやけに長く感じる一日だった。

午前6時半起床。タンマサート大学隣にあるタイ国立美術館でタイ研究科の講座「タイ史博物館論」を受講。この美術館には、スコータイ時代の石器をはじめ、各時代の衣装や楽器、武具、舞台演劇に用いられた小道具などが展示されている。一国の歴史と伝統を誇示するための施設であるにもかかわらず壮麗な演出もなければ保存状態も悪く、クラスメイトによると「タイ国立美術館は東南アジア屈指のイケてない国立博物館」と言われているとか。

その後、「大学ごとに独自の文化がある」というウワサを確認するために、友人たちとバンコク郊外にある大学へと向かった。着眼点はアカデミックな研究とは正反対のミーハーなものばかりで、今回は特に学生たちのオシャレ度、ボディコン度のほか、大学のキャンパスや近隣の学生街に注目した。

タイの大学生には制服の着用が義務付けられている(留学生日記2003年10月参照, 公開大学であるラームカムヘーング大学、スコータイタンマティラート大学、元公開大学のタンマサート大学を除く)。近年、女子学生たちのあいだでは「小さい・キツい・短い」を特徴とする着こなしが流行っており、特に私立大学や国立准大学(下位国立大学)など一部大学では流行が先鋭化している。現在の流行は、胸のすぐ上で第2ボタンを留め、性的な部位である肩、胸、腰、臀部のラインを際だたせ、互いに競い合うかように自らの魅力を強調するようなファッション。こうしたボディコン制服のブラウスはサイズが3Sから5Sと極端に小さいのもので、学生が多い繁華街などで1枚69バーツから120バーツで売られている。ちなみに、右の画像はタイ語エロ画像投稿掲示板からダウンロードしてきたもので、ファッション雑誌にも無断借用されるなどした知る人ぞ知るメジャーな一枚。

今日訪問したのは、スィーナカリンウィロート大学(シーナカリンウィロート大学またはシーナカリンウィロット大学)ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学,またはタイ商工会議所大学)、セントジョーン大学の3学。なかでもホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学,またはタイ商工会議所大学)の学生食堂はまさに狂気の空間。僕たちは少しでも気を抜くとすぐに緩んでしまう口元をなんとかするのに苦労した。コスプレ風俗店・・・・・・以上の色気とエロさがムンムンで目のやり場に困り、キョロキョロと視線を泳がせていると今度はなんと男子学生同士が互いの股間に刺激を与えあっている光景が飛び込んできた。タイの大学はいったいどうしてしまったんだ!?

これには大学側もかなり頭を痛めているようで、学生自治会は新学期が始まる今月を The Greatest Uniform Season(サイコウの制服シーズン) と銘打ち、近年急速に進行している制服のボディコン化の傾向に歯止めをかけようと懸命になっている。

今回の特集「タイ大学めぐり」では、若者向けの繁華街「サヤームスクウェア(サイアムスクエア)」を徘徊する学生達がどこの大学に通っているかを一目で分かるようにするために、女子大学生が制服の胸元に装着している学章についても併せて掲載する。

ホーガーンカータイ大学(タイ商業会議所大学,またはタイ商工会議所大学)の学生は、特にミーハーで都会的なファッションを好むことで知られている。この大学の前には学生寮のほかにも数多くの Pub and Restaurant(パブ, 飲み屋) があり、学生たちが毎晩のようにナイトライフを満喫している。タイでは20歳未満の Pub and Restaurant(パブ, 飲み屋) への入店が禁じられているが、この付近の店では18歳以上であれば誰でも入れる。また、警察が制服を着ている学生への酒の販売を自粛するよう指導しているにもかかわらず、学生たちが制服姿のまま学校帰りに酔っぱらってはバカ大騒ぎを繰り返している。ただし、法定閉店時間の2時間前、午前零時には閉店する。値段も驚異的に安いことだし、今度ブワを連れて飲みに行こう。

その後、友人がナンパした女性弁護士宅で午前5時までウイスキー Chivas Regal(シーバスリーガル) を飲み続けた。

มหาวิทยาลัยศรีนครินทรวิโรฒ (มศว.)
  マハーウィッタヤーライ・スィーナカリンウィロート (モーソーウォー) シーナカリンウィロート
種別 中堅国立大学
設立年 2489年 (西暦1946年、前身は高等師範学校→学芸教育准大学)
所在地 バンコク都ワッタナー区 (スクンウィット23:プラサーンミット校
ナコーンナーヨック県オンカラック郡(オンカラック校)
設置学部 人文学部・理学部・社会学部・教育心理学部・教育学部・看護学部・薬学部・工学部・文学部・歯学部・体育学部
標準学費 12,000バーツ/学期 (Apr. 8, 2007 updated)
公式 Web http://www.swu.ac.th/
入試難易度 人文科学 5位 (社会学部ビジネス言語学科・正答率60%、倍率1倍)
経営学 -
医学 6位(医学部・正答率66%、倍率13倍)
工学 14位(工学部科学技術学科・正答率39%、倍率3倍)
モデル学費  
キャンパス 建築物 60点 (日本の古い大学のよう)
学生街 50点 (高級コンドミニアム街に立地しているため、あまり充実していない。学生向け民間アパートも非常に少ない。不定期屋台市が通用門付近に立つことがある。)
オシャレ 40点 (派手ではないが清潔感あり)
ボディコン 10点 (正しく着用している)
歴史 2489年 教育省管轄の高等師範学校として、プラサーンミット通りに義務教育局長モムルワング・マーラーグンにより設立される。
2492年 プラサーンミット通りに義務教育局管轄の高等師範学校が設立
2496年 義務教育局管轄の学芸教育准大学が、教育省令に基づき高等師範学校の敷地内に設立される。
2496年 学芸教育准大学と改称。プラチャーミット高等師範学校を学芸教育准大学に併合。
2498年 学芸教育准大学初代学長にサーロート・ブワシー教授が就任。
2499年 パトゥムワン学芸教育准大学、バーングセーン学芸大学設立。タイにおける2番目の高等教育機関となる。
2510年 ピサヌローク学芸教育准大学設立。
2511年 マハーサーラーカーム学芸教育准大学、ソンクラー学芸教育准大学設立。
2512年 プラナコーン学芸教育准大学、プラナコーン准大学敷地内に設立。その後、バンコク・バーングケーン学芸教育准大学と改称。
2513年 学芸教育准大学の一部として、教諭局管轄のパラスクサー大学を編入。パラスクサー学芸教育大学と改称。
2517年 勅書により、スィーナカリンウィロート大学と改称。サンスクリット語で大都市に繁栄する大学の意。略称を「モーソーウォー」、英文名称を「Srinakharinwirot University」とする。
2517年 国立大学省管轄スィーナカリンウィロート大学設置法(第91編の112)により、学芸教育准大学プラナコーン校を除く学芸教育准大学8校が統合され、それぞれスィーナカリンウィロート大学の分校となる。(スィーナカリンウィロート大学プラサーンミット校、パトゥムワン校、バーングケーン校、パラスクサー校、バーングセーン校、マハーラーラーカーム校、ピサヌローク校、ソンクラー校)
2533年 スィーナカリンウィロート大学バーングセーン校が独立し、ブーラパー大学に昇格。スィーナカリンウィロート大学ピサヌローク校が独立し、ナレースワン大学に昇格。
2536年 スィーナカリンウィロート大学パトゥムワン校とバーングケーン校がプラサーンミット校に吸収統合され、中央校となる。
2537年 スィーナカリンウィロート大学マハーサーラーカーム校が独立し、マハーサーラーカーム大学に昇格。
2539年 スィーナカリンウィロート大学ソンクラー校が独立し、タクスィン大学に昇格。
มหาวิทยาลัยหอการค้าไทย (หอการค้าฯ)
  マハーウィッタヤーライ・ホーガーンカータイ (ホーガーンカー ホーガンカー タイ商工会議所大学
種別 準上位私立大学
設立年 2483年 (西暦1940年、前身は通称准大学准大学→商業大学→商業大学→通商准大学)
所在地 バンコク都ディンデーング区 (ウィパーワディーラングスィット通り 126/1)
設置学部 経営学部・商学部・経済学部・人文学部・理学部・報道放送学部・工学部・法学部
標準学費 約23,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.utcc.ac.th/
入試難易度 人文科学 17位 (人文学部日本語学科・正答率38%、倍率1倍)
経営学 12位 (経営学部ホテル観光経営学科・正答率40%、倍率6倍)
法学 4位 (法学部・正答率39%、倍率4倍)
医学
工学 みなし36位(工学部・正答率39%、倍率1倍未満)
キャンパス 建築物 75点(日本の古い大学のよう)
学生街 90点(正門前に便利な商店街があるほか、飲屋街や学生向けアパートも充実している。)
オシャレ 85点(色気を重視した OL 系ファッション
ボディコン 100点(スーパーエロ)
歴史 2483年 「通商大学 วิทยาลัยการค้า」がスィーアユッタヤー通りに6ヶ月制/2年制商学単科准大学准大学として設置。当初の学生数は300人。
2484年 太平洋戦争に伴い、キャンパスが政府によりタイ日統合局建設用地収容され、閉鎖に追い込まれた。
2506年 「通商大学」がタイ商業会議所により再興され、ラーチャパビット通り150番地のタイ商業会議所敷地内に、人民学校法に基づく3年制の短期大学として設置。
2508年 「商業大学 วิทยาลัยการพาณิชย์」と改称。 商業会議所法(2509年公布)に基づき、通商および経済に関する教育機関として、商業会議所の管轄で運営されるようになる。当時、経営学部、国際通商学部、市場管理学部、商学部、金融学部、経済学部などが設置された。
2514年 閣議決定により、民間法人による4年制大学設置が許可される。
2516年  「通商准大学准大学」と改称。4年制大学となる。
2517年 商業准大学 准大学、大学庁の管轄下に移ったのに伴い、現所在地ウィパワディーラングシット通りに移転。
2527年 「タイ商業会議所大学」と、大学庁の認可を受けて改称。
มหาวิทยาลัยเซ็นต์จอห์นเซ็นต์จอห์น
  マハーウィッタヤーライ・センヂョーンセンヂョーン
種別 下位私立大学
設立年 2533年 (西暦1990年)
所在地 バンコク都ヂャトゥヂャック区(ウィパーワディーラングスィット通り 1110/11-1)
設置学部 経営学部・法学部・報道放送学部・芸術学部・工学部
(附属校にセントジョーン幼稚園、セントジョーン普通学校、セントジョーン国際高校、セントジョーン商業高校、セントジョーン工業高校、セントジョーン・ポーリー工業高校、系列校にセントカブリエル高校、セントジョーンマリー国際高校)
標準学費 約18,000バーツ/学期
公式 Web http://www.stjohn.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし23位 (文学部世界観光コミュニケーション英語学科・正答率37%、倍率1倍未満)
経営学 みなし22位 (経営学部市場学科・正答率36%、倍率1倍未満)
法学 みなし17位 (法学部・正答率24%、倍率1倍未満)
医学
工学
キャンパス 建築物 50点(老朽化が目立つ)
学生街 0点(何もない)
オシャレ 20点(田舎臭い)
ボディコン 60点(今ひとつそそらない)
歴史 2504年 セントジョーン学院、セントガブリエル高校校長スマン・チナパーにより、全生徒数280人のハイソな小中高一貫校としてモーチットに設置。
2505年 ラートプラーオへ移転。
2507年 全生徒数4,500人を突破。
2508年 セントジョーン学院がセントジョーン幼稚園、セントジョーン男子学校、セントジョーン女子学校の3校に分割。
2533年 セントジョーン大学設置。
2534年  経営学部、商学部を設置
2535年 芸術学部、工学部を設置。全学生数が2万人を超える。

2004年6月25日(金)

昨晩の酒がたたって二日酔いになり、今朝の麻薬流通に関する授業を欠席した。午後2時に清掃婦が入る予定だったので、シャワーを浴びてからサヤーム(サイアム)にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) へと向かい、イタリア料理店で日本人の友人と夕食をとった。

2004年6月26日(土)

バンコク都内には無数の野犬が生息している。飼い主の手に負えなくなった成犬が捨てられるケースが多いのは日本と同じだが、日本であれば保健所によって捕獲、安楽死させられる野犬たちも、タイでは命を大切にする仏教観や保健当局の予算不足などから、そのまま野放しになっている。

そのためバンコク都内の野犬は増加の一途をたどっており、いまや「野犬にはくれぐれも気をつけろ」という警句はバンコク在住の日本人にも一般常識として広く知られるようになった。特にタイでは予防接種が義務付けられていないため狂犬病に感染している野犬も多く、万一にも噛みつかれてしまったら、直ちに病院へ行って検査を受けないと死に直面する。

バンコクでは2種類の野犬が夜道を徘徊している。ひとつは保健省管轄の所有者不明犬(大部分は雑種)、もうひとつは法務省管轄の日本産犬(大部分は貧困にあえいでいる)で、人間に噛み付いて狂犬病を伝染させるおそれがあることでは共通しているが、先天的に犬として生まれたか、後天的(仏教的?)に犬になったかという根本的な違いがある。

バンコクの野犬で特に始末に負えないのは、外国で生活していくために必要とされる最低限の能力すらない生後35年以上の日本産犬(以降「カミツキ犬」)で、その日の食事にありつくのにも難儀しており、当然、事態を改善させるための具体的な行動計画も持ち合わせていない。にもかかわらず、人間としてのプライドに固執し、過去における愚行、現在における惨状、未来における不安を打ち消すために、実力の伴わない自尊心を無理矢理満たそうとするから本当に(たち)が悪い。

カミツキ犬は、なにも好きこのんで、このような不毛な自己正当化を続けているわけではない。自分はタイに精通していると自分自身に言い聞かせて、タイで送ってきた無為な日々にそれなりの意義付けをしてやらないと、過去における愚行や将来における不安を十分に打ち消すことができず、自分の人生までが否定されてしまう。年の功があるだけ自分のほうが優れていると錯覚していることも多く、タイ人とまともに会話した経験すらない ―― 以前の問題として技術的に不可能な ―― くせに図々しくもタイに関する誤ったモウソウや思い込みを偉そうに語るなど、惨めな窮状を忘れて壮大な自己満足へと逃避する傾向がある。

日本人タイ移住者は、現地で生活していくため、現地採用者(あくまでも海外子会社に属しており日本国内とはまったく別の待遇で働く日本人従業員)という身分での就職を目指す。ところが、現地採用者(留学生日記2004年6月9日参照)には、本国から派遣される日本人駐在員の業務を補助できるレベルのタイ語や工業技術が要求されるため、何の取り柄もないカミツキ犬の就職口なんかあるわけがない。バンコク都内にわんさかいる「タイ沈没」(日本人無業者もしくは事実上の無職, 失業者)たちの存在がそれを如実に物語っている。

カミツキ犬は、バンコクの厳しい労働市場で淘汰され、次のような事態に直面しながら、不幸な人生を歩み続けている。

カミツキ犬には、タイ語を習得する気力も能力もないため、①タイ人とのコミュニケーションで深刻な挫折感を味わうが、タイ人がバカなせいでコミュニケーションが成立しないと自己を正当化する。しかし、日本人現地採用レベルのタイ語力がないため有利な条件で雇用してもらえず、②平均月収がバンコク勤務のタイ人会社員平均(大卒女子25歳で20,000バーツ, 大卒女子30歳課長で36,000バーツ)を下回り、都市部のタイ人以下の生活を強いられ、③タイという極端な階級社会でタイ人労働者またはそれ以下並みの扱いを受けるが、「自分は日本人だから所得階級の如何に関わらず優遇されて当然」と妄想することで自己を正当化する。特にカミツキ犬が高等教育を受けていない場合、④タイ人大卒者に異常なまでの敵愾心や嫉妬心を抱き、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)タンマサート大学(タマサート大学)に代表される現地の一流大学に怒りをぶつける一方、公開大学の(無試験で入学できる)ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)など(ってゆうか、カミツキ犬はこれ以外の大学を知らない)を見下すことで、破綻しかかった精神バランスをなんとか保とうとする。

しかし、それもこれも事前の検討を怠ったカミツキ犬の自業自得である。タイでは日本人のコンビニバイトや清掃バイトが外国人労働者規正法で禁止されており、とうぜんダメな日本を保護するための制度もない。

夜、タイの現地採用者32人が参加した J-Walker の飲み会が終わってから、フリーライターの男性が住んでいる安アパート「ラーチャプラーロップタワーマンション(ラチャプラロップマンションまたはラチャ)」へ残った5人(男性3, 女性2)で移動した。このマンションはバンコクに住んでいる日本人のなかでも特に貧しい300人からの日本人が集住していることで知られており、家賃は4,900バーツ。

途中まで、軽い話で盛り上がっていたが、突然、1匹のカミツキ犬が精神障害を引き起こし、日頃の憂さを晴らすかのように容赦のない攻撃を仕掛けてきた。

「君はねぇ、あまりにも視野が狭すぎるよ。それにさぁ、チュラロンコン大学なんて日本人の誰が知っているというの? 僕のようなオジサンには君のようなイケメンを見ているだけで気分が悪くなってくるんだよ」

室内は一気に静まり返り、フリーライターの男性に退室を命じられた。これだけの愚痴を並べながらも、実はこういった不思議な事態に陥る可能性を当初からそれなりに想定していたため、反論せずに笑顔でその場を立ち去った。誤解であれば釈明することでなんとか和解の道を模索することもできるだろうが、嫉妬という個人の信仰における仇敵に指定されてしまっては、もはや手の施しようがない。その場にいた女性によると、あまりのことに唖然として5分後には引き揚げたという。落ちるところまで落ちてしまったカミツキ犬が自己を正当化するために現実を無視または否定するのはやむをえないが、それを他人に語ったところで支持されるはずがない。あまりにもバカげている。

今後はタイ在住の日本人との付き合いにはより一層の注意を払い、現地での友人をきちんと取捨選択することで野犬のエサにならないよう努力したい。なにより、アホの代名詞と言っても過言ではないカミツキ犬なんかにガブッとやられてしまっては、自分自身が気の毒でならない。

ほおら、汚い病気を染されて、大人げなくこんなにも長い愚痴を書き連ねてしまったではないか。

将来、僕は他人に嫉妬心を抱かず、精神的に充足した生活を送れるような大人になりたい。

「バンコクでは野犬にはくれぐれも気をつけろ」

つまり、そういうことなんだろう。

2004年6月27日(日)

ここのところ、僕たちはタイスキ屋 MK にハマっている。今日は日曜日ということもあって、サヤームスクウェア(サヤームスクエア)店にブワと行ったところ20分待ちの行列ができており、入口に MK 特製の整理券自動発券機が設置されている。きっとどこの店舗でも似たようなもんだろう。

2004年6月28日(月)

外国語を新たに覚えることがいかに難しいか。

毎週月曜日と水曜日の午後5時から7時までの2時間、大学院東南アジア研究科では集中ミャンマー語講座を開講している。この講座は東南アジア研究科修士課程の単位には認定されず、履修記録も登録されない。全12日間(24時間)の公開講座で、タイ研究科や東南アジア研究科に在籍していない外部の人も授業料3,500バーツを払えば出席できる。出席者は学生8名と部外者7名で、その中には某国大使館の書記官も含まれている。

この講座を担当するのは日本国内の外国語大学で教鞭をふるっていたミャンマー人の老婦人。講師によると、ミャンマー語は外国語としては珍しく基本的な構文が日本語と酷似しているという。だから日本人にとっては馴染みやすい言語だというが、僕は逆に外国語の構文が日本語そっくりなのに違和感を感じた。外国語というと S+V+O によって文章が成り立っているというような固定観念があって、それを打破するのに苦労しそう。

どんな外国語でも、やはり基本的な構文を理解するまでは手探りで試行錯誤を繰り返すしかないだろう。

今日は午前9時から午後7時までの8時間も授業を受けた。授業終了後に友人から電話で呼び出され、ホーガーンカー大学(タイ商業会議所大学またはタイ商工会議所大学)前の Pub and Restaurant(パブまたは飲み屋) 街へ繰り出した。

ちなみに、ミャンマー語の挨拶は「ミンガラーバー」。

2004年6月29日(火)


今学期は火曜日の授業を履修していない。そこでバンコク郊外にある大学を友人と探検した。やはり噂に聞いていたとおり、それぞれ大学によって雰囲気や文化が異なる。その違いは、学生たちの髪型や制服の着こなしから、この時期に頻繁に行われている新入生歓迎イベント(上級生に服従させる儀式)の様子まで多岐にわたる。今回訪問したのはパトゥムターニー県にあるラングスィット大学(ランシット大学)タンマサート大学(タマサート大学) ラングスィット校(ランシットセンター)の2学。

มหาวิทยาลัยรังสิต (ม.รังสิต)
  マハーウィッタヤーライ・ラングスィットモー・ラングスィット
種別 中堅私立大学
設立年 2529年 (西暦1986年)
所在地 パトゥムターニー県ムアングパトゥムターニー郡(パホンヨーティン通り)ほか2校舎
設置学部 心理学部・東洋医学部・音楽学部・医療技術学部・生物科学学部・情報通信学部・社会学部・国際学部・法学部・報道放送学部・国営企業経営学部・商学部・大学院・看護学部・医学部・薬学部・理学部・工学部・芸術学部・文学部・経済学部・建築学部・観光サービス産業学部
標準学費  
公式Wweb http://www.rsu.ac.th/
入試難易度 人文科学 みなし21位(国文学科・正答率42%、倍率1倍未満)
経営学 みなし36位(国際経営学科・正答率30%、倍率1倍未満)
法学 7位(法学科・正答率24%、倍率1倍)
医学 11位(医学科・正答率43%、倍率13倍)
工学 14位(工学部科学技術学科・正答率39%、倍率2倍
キャンパス 建築物 95点(豊かな自然と、綺麗で整然とした学部別建築物群)
学生街 70点(商店街のほか、質素だがそれなりの飲屋街がある)
オシャレ 50点(派手ではないが清潔感あり)
ボディコン 50点(2通りの学生に分類できる
歴史 2526年 プラシット・ウライラット(パヤータイ病院理事長)が150名の有志から合計1億5千万バーツの資金を調達し、高等教育機関設立の資本とする。
2527年 バンコク国際空港から3キロ離れたところにあるパトゥムターニー県ムーバーン・ムアングエークの64.4エーカー(161ライ)の土地で施設建設に着工。
2529年 ラングスィット準大学開校。経営学部(428名)および看護学部(50名)を開設。
2532年 医学部および経営学大学院を開設。
2533年 準大学から正規大学へ教育庁規格を満たしたことにより昇格。
2535年 分校・ターンセータギット(経営基礎)研究所をウィパワディーラングシット通りに開設。
2536年 学部数14に増加。総勢1,327名を世に輩出する。
2545年 分校・北サートーン通りにサートーンターニー研究所を開設。
มหาวิทยาลัยธรรมศาสตร์ (มธ.
  マハーウィッタヤーライ・タンマサート (モートー)
種別 上位国立大学
設立年 2477年 (西暦1934年、前身は道徳政治学大学)
所在地 バンコク都プラヂャン2番地(タープラヂャン校)、パトゥムターニー県ラングスィット郡パホンヨーティン通り41km地点(ラングスィットセンター)、チョンブリー県バーングラムング郡、ラムパーング県など
設置学部 歯学部・法学部・看護学部・商学部・医学部・法学部・社会学報道通信学部・工学部、報道放送学部、文学部、芸術学部、経済学部、社会学部、人文学部、建築学部、保健学部
標準学費 約7,000バーツ/学期
公式Wweb http://www.tu.ac.th/
入試難易度 人文科学 2位 (社会学報道通信学部・正答率66%、倍率23倍)
経営学 -
法学 2位 (法学部・正答率58%、倍率23倍)
医学 5位 (医学部・正答率68%、倍率13倍)
工学 4位 (工学部・正答率48%、倍率13倍)
キャンパス 建築物 85点(学部は郊外にあり不便だが、広大な敷地と綺麗の校舎が魅力。移動にはバイクが欠かせない)
学生街 10点(周囲に個人経営の商店があるが、ショッピングセンター等からは絶望的なほど遠い)
オシャレ 30点(郊外にあるため寮生の率が高く、部屋着同然の姿で構内を移動する姿すら見られる)
ボディコン 15点(制服着用の学生の多くは正しく着用している)
歴史 2477年 道徳政治学大学(マハーウィッタヤーライ・ウィチャータンマサートレガーンムアング)、タンマサート大学設置法に基づき、法学、政治学、経済学などの教育機関として開設される。
2492年 タンマサート大学と改称。
2494年 既存の法学部、政治学部、外交学部に加え、社会学部、報道学部が開設される。
2529年 ラングスィット校を開設。理工学部が移転。
2534年 薬学部、ラングスィット校に移転。

2004年6月30日(水)

午後の講座「タイ舞台演劇論」が休講になり、一日中部屋で明日提出のペーパー(小論文)を書いていた。