2004年4月11日(日)
いま、僕は学校の暑期長期休暇とタイ正月休みを利用して、日本に一時帰国している。日本に戻ってきてからの10日間、休みなく友人たちに会っては終電まで飲むという生活を続けていたせいか、すっかり太ってしまった。
今日、ブワとその家族5人が日本にやってきた。一行はタイの旅行会社が主催する日本観光ツアーに参加して、5日間で東京ディズニーリゾートや富士山など関東甲信越圏の観光名所を見物する予定。ツアー料金はひとり約48,000バーツ(約134,000円)。今回の旅行の準備は2ヶ月ほど前から進めいていたそうで、タイ人が日本観光に来る際の最大の懸案となる入国査証(ビザ)も、ツアー会社に任せた結果、日本国大使館から面接調査されることなく、あっけないほど簡単にゲットできたという。国立大学に通う大学生にビザが下りやすいというのは、タイの観光業界では有名な話。
正午過ぎ、一行は成田・新東京国際空港に到着。皇居、渋谷、新宿などを観光バスで見物し、午後8時に宿泊先の新高輪プリンスホテルに到着した。
ブワによると、道中、タイ人ツアーガイドはろくに日本に関する説明をせず、オモシロ日本語講座でツアー客の笑いばかりをとっていたとか。日本語で「お冷や」を意味する「くっそー、このやろう(オーヒィーア)」という言葉が紹介され、それをひどく気に入ってしまったあるタイ人旅行者が、ご飯のお代わりが欲しいときにも「くっそー、このやろう」(お冷や)と連発していたために、結局おかわりにありつけなかったという。
一方、僕は友人と買い物に出かけていた有楽町から、電車に乗って品川駅前にある新高輪プリンスホテルにブワを迎えに行った。当初の予定では、一緒に新宿へ買い物に出かけたのちに、東京タワーとお台場も併せて見物する予定だったが、ツアーバスが予定を大幅に遅れてホテルに到着したため、新宿ショッピングと東京タワー見物を見合わせ、電車でお台場にあるパレットタウンへと向かった。
お台場の観覧車はタイ人にも有名らしく、ブワもイルミネーションの変化に見入っていた。彼女は僕の母からプレゼントされたばかりの200万画素デジカメ搭載型の携帯電話を駆使して、これ見よがしにバシバシと風景写真を撮りまくっていた。ブワによると、ツアーに参加していたタイ人女性ツアー客3人が初日の今日、さっそく脱走して行方不明になってしまったという。
ブワをホテルに送り届けて終電で帰宅した僕は、途中、最寄り駅の出口で10人くらいで営業活動していた中国語を母国語とする娼婦たちの姿を見て、改めて不法滞在外国人と苦境と、日本国内におけるアジア系外国人に対するイメージの悪さを痛感した。日本に本帰国するまで、外国人とは結婚しないというポリシーだけは絶対に守り抜きたい。
金融機関(社内SE職)を退職後、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座を修了。米国語学留学を経て、同大学東南アジア研究科で修士号を取得。現在、日本国内の専門商社で海外営業に従事。
ブワのツアー一行は、この二日間で富士山見物と温泉を堪能して、午後10時頃に新高輪プリンスホテルへと戻ってきた。今晩こそ東京タワーに連れて行こうと考えていたが、結局間に合わず仕方なくレンタカーで僕の実家に連れてきた。
午後5時31分、
悪路のため到着が予定より大幅に遅れてしまった。さらに目的地
「
夕方、現地に住む友人と昼食をとり、
その友人を
正午過ぎに
午前零時前にバンコク到着。この時間になると、フツウのマッサージ屋はどこもシャッターを下ろしている。そこで
午前10時、クラスメイト25人がバンコク・
午前12時15分、僕たちはプレジデント航空876便でバンコクから飛び立った。13時25分、カンボジアの首都にあるプノンペン・ポーチェントン国際空港に着陸。後発開発途上国とはいえ首都の空港だけあって、小規模ながらも整備が行き届いている。空港から老朽化が激しい大型観光バスに乗ってプノンペン市街へと向かった。
トンレサップ川に面したカンボジア料理店「トンレ」で昼食をとった。ヴェトナム人クラスメイトによると、カンボジア料理はタイ料理よりもヴェトナム料理に似ているそうで、味もヴェトナム人を満足させるレベルにあるという。しかし、タイ人クラスメイトは不慣れなカンボジア料理を嫌い、店外にある
食後、僕たちは王城「カンボジア王宮」へと向かった。1919年にフランス人建築家によって建設され、現在でも国王と王妃の居住と公務の場となっている。典礼施設のほか、歴史的にも貴重な国家遺産を見て回ることができる。仏教寺院「シルバーパゴダ」に隣接しており、カンボジア人ガイドによるとタイの王宮建築の影響を受けているという。
その後、国立博物館で国内各所から発掘された銅像や壁画などの解説を受けてから、1時間ほど船に乗ってたどり着いたメコン川畔の海鮮料理店「ラムチョング」で夕食をとり、今晩の宿泊地ホテル「プノンペン」へと向かった。
ホテルに泊まらせられると思っていたが、ホテル「プノンペン」は贅を尽くした超高級ホテルだった。カンボジア人ガイドによると、宿泊料金は一泊100ドル前後。
朝、 CKS クメール研究所で、カンボジア遺跡についての講義を受けた。各時代の彫刻の特徴などについて学んだが、まったく理解できなかった。クラスメイトたちも退屈しているようで視線が宙を彷徨っていた。
この博物館は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党, ポル・ポト派)支配下のカンボジアに設けられた政治犯収容所 S21 を、侵攻してきたベトナム軍が発見して一般公開したもの。中等教育学校の校舎を改装して作られ、クメールルージュ党内の反革命分子をはじめ、教員、学生、資本家など約20,000人が収容され、少なくともその99.97%が処刑されたという。館内には多くの拷問器具、大小さまざまな独房、処刑された人々の写真などが展示されている(あまりにも気分が悪いので、館内で撮影した写真はすべて削除した)。
その後、市場「ロシアンマーケット」でカンボジア語フォント CD-ROM (1ドル)、カンボジア語学習 CD-ROM (1ドル)、扇子(1ドル)を購入。ふたたびホテルへと戻って今日3回目のシャワーを浴びた。主任教官から「CKS クメール研究所の研究員たちとの親睦会があるため、フォーマルで見栄えの良い衣服を着用するように」と指示を受けた。
ビュッフェ形式のディナーを食べ、カンボジア国産ピール「アンコール」を飲みがらクメール研究所の研究員たちと話を弾ませた・・・・・・と書きたいところだが、彼女たちの英語力は凄まじく低く、ロクに会話にもならなかった。彼女たちは他に職業を持ち、夜間の時間帯を利用して勉強に励んでいるという。そこで「あなたが日本人だと聞いて・・・・・・」といって近づいてきた若くて美しい学生もいたが、僕は肩をすくめて手早く会話を切り上げ、足早にゲートの外に脱出した。食後、カンボジア様式なのかタイ様式なのかも分からない意味不明なフォークダンスを踊ってホテルへと戻った。
深夜、CKS クメール研究所の研究員から紹介してもらったディスコ Heart of Darkness にクラスメイトたちと繰り出した。 DJ の腕は最高にヘボかった。曲と曲とをつなぐときに空白の時間ができてしまうのには正直あきれ果てた。しかし、ここプノンペンでは外国人や
いよいよ今日から本格的な遺跡調査が始まる。とはいえ、僕たちにはカンボジア考古学の専門知識がないため、せいぜい観光ガイドブックの解説を元に見て回るのが精一杯だろう。
クラスメイトたちは、僕の旅行カバンを「ゴミ袋」と呼んでいる。由来はゴミ袋(黒, 45リットル用)のなかにカバンが入っていることから。
幹線道路に架けられている橋は、非常に簡素で強度もない。そのため、複数のクルマが同時に通過するのを防ぐために、あえて狭く作られている。沿道の家々には電力をはじめ、上下水道や都市ガスなどの基本的なライフラインが普及しておらず、人々はまるで原始人のような生活を送っている。カンボジア人ガイドによると、アンテナが立っている家屋がちらほらとあるが、ほとんどは自家発電で電力をまかなっているため、電力を大量に消費するカラーテレビは使えず、今でも白黒テレビが活躍しているという。
何時間も車外の風景を眺めていると、それぞれの集落に共通した特徴を発見した。集落の入口には政党の看板が掲げられており、まるでその政党が集落全体を支配しているかのよう。実際に各集落にある政党事務所は、集落一の有力者の(一番大きくて一番豪華な)家がほとんどだ。
朝から
「シヴァリンガの長さについて話すのは一切禁止! 勉強しようという意欲が一気に失せるから本当にやめてよね」
考古学者による解説を聞きながら遺跡めぐりをしていると、次第に「考古学とは何か」という疑問が強くなっていく。
「大東亜戦争に対する償いって、いまでもこんなに大規模にやってるんだぁ。アジアの優等生である日本国クンも、けっこう大変な思いをしてるのね~」
今日は、今回のカンボジア調査旅行のクライマックス。
昼食後、カンボジア遺跡でも最も壮麗で歴史的価値が高いとされる
「一生に一度は訪れてみるべき」といわれているアンコールワットだが、本当の意味で興味深いのは遺跡の歴史的価値なのか、それともシエムリアップの街の観光資源なのか。もし後者であるとすれば、日頃から発展途上国に住んでいる僕にとって、それは何の変哲もないツマラナイ「日常的風景」にすぎない。
昨日までの8日間、僕たちは15ヶ所もの遺跡を炎天下「登って」きた。カンボジア遺跡に対する新鮮な喜びなどとうの昔になくなっている。
日本人愛国主義者説。タイ人とフツウにコミュニケーションがとれる日本人であれば、バンコク生活のなかで一度は聞く仮説もしくは風評。その根拠は、日本人が日本製品をこよなく愛し、日本国に対して絶対の自信を持っていること。