アユッタヤーの日本人街

日系企業の製造拠点が数多くあるアユッタヤーはバンコクから近いようで遠い。

夕方頃、日本人の友人と携帯で話していたところ、日本へ帰国した友人がアユッタヤーで働いていたという話題になって、そこがバンコクからどれだけ離れているのか知るために、実際にアユッタヤーへ行って夕食をとることにした。

プラナコーンスィーアユッタヤーはバンコクの北約75キロ(約1時間)の場所にある工業都市で、県内のバーングパイン工業団地、ハイテック工業団地、ローヂャナ工業団地には、日系企業が数多く進出している。今晩の目的地は、工場労働者が多く住んでいるアユッタヤー新市街にある日本人街だった。

アユッタヤーの市街地は思いのほか大きかった。日本人街をなかなか発見できなかったため、途中の道路で検問をしていた警察官に「日本料理店がたくさんあって、日本人がたくさんいるところ」を聞いて、やっとのことで到着した。

その日本人街は、国道1号線パホンヨーティン通りからアユッタヤー旧市街へ向かう道から伸びる小街路の奥に、バンコクの日本人向け歓楽街タニヤのように開けていた。路地の入口にはビデオレンタル店 Tsutaya がある。

夜、スクンウィット13街路にあるコンドミニアム「スクンウィットスイート」を午後6時45分に出発。スクンウィット通りの渋滞にハマり、北プルーンヂット入口からチャルームマハーナコーン自動車道に乗ったのは午後7時5分だった。そのままドーンムアング有料高架道路に乗り継いで北上し、午後7時50分にアユッタヤー市街地に到着した。

バンコク在住の日本人のあいだでは、アユッタヤー通勤はシンドイとかそれほどでもないなど諸説ある。個人的には、東京郊外のベッドタウン千葉県成田市から大手町まで通う根性があれば、決して難しくなさそう(アユッタヤー勤務の日本人は原則として、駐在員の場合は専用車両、現地採用の場合は乗り合いワゴンロットゥーが家まで迎えに来ることになっている)。

でも、バンコクに住み慣れて東京人のような勤勉さを失っているため、毎日のようにアユッタヤーまで通勤し続けることには耐えられそうにない。

アユッタヤーで友人と夕食をとってから、スクンウィット24街路にある日本人経営のショットバーでビリヤードをしながらカクテルを飲み、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)にあるホテル「アマリ・アトリウム」のバー「ミングルス」でカクテルを飲んだ(カクテル1杯180バーツ。ハッピーアワーには1杯注文するともう1杯ついてくる)。

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ケイイチ
バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。