2003年12月1日(月)

往路の罰ゲームのようなドライブとはうってかわって、復路は快適そのものだった。

午後2時23分にサーラスィン(サーラシン)橋を渡り、午後4時45分にマレー半島東海岸のスラートターニー(スラタニ)に到着。大型スーパー「テスコ・ロータス」のタイスキ屋 MK で夕食をとって、午後7時にスラートターニー(スラタニ)を出発。片側3車線の平坦な道路を時速130キロでとばし、およそ6時間後の午前2時半に帰宅した。

もし、往路も国道35号線プララームソーング(ラマ2世)通り→国道4号線ガーンヂャナーピセーク(カンチャナピセーク)通り→国道4号線というルートでプーケットに向かっていたなら、きっと途中の僻村で朝を迎えることもなく、出発約9時間後の午前7時にはプーゲット(プーケット)に到着していたはず。

2003年12月2日(火)

プーゲット(プーケット)往復ドライブの疲れを癒すために、部屋のベッドで16時間も眠り続けた。

2003年12月3日(水)

有料の清掃サービスがあると、昼前にコンドミニアム14階にあるミニショップの店主から聞いた。さっそく部屋のオーナーに依頼して、コンドミニアムが雇い入れている清掃婦(メーバーン)との値段交渉を代行してもらった。

1回あたりの清掃時間は約1時間。週2回の室内清掃で月々1,000バーツ。

僕は二人組の清掃婦に、日本市場向け電気製品用のコンセントなどについて説明してから外出した。帰宅後に部屋を念入りにチェックしてみたところ、完璧なまでにキレイになっていた。

なお、この清掃サービスを1回あたりの料金に換算するとたったの110バーツ。日本料理1食よりも安い金で部屋の清潔が保たれるのなら、けっこうお得かもしれない。

2003年12月4日(木)

「思い返せば、僕が入学した頃にはオトコのクラスメイトもたくさんいたけど、年々その数は減り続け、今では片手で数えられるほどになってしまったよ。彼らはいったいどこへ行ってしまったかって? それはもう知っての通り、一部は眉毛を抜いた顔に厚化粧をして「きゃはっ♥」とか言いながらはしゃぎ回ってるし、そうならなかった学生もすっかり男前になって日々格好いい男を見つけようと目を輝かせているよ。――それで、俺はまだ男かって? それはみなさんのご想像にお任せします」

午後の「近代東南アジアの植民地化・民主化・民族主義」の講義を終えてから文学部ボーロンマラーチャグンマリー(ボロムラチャクマリー)館の前に出てみると、学部生たちがパーティーの準備をしていた。クラスメイトによれば、文学部学生自治会の改選が8日にあるそうで、これは旧執行部の退任コンサートらしい。自治会委員長がなかなか愉快な人だったから、僕は蚊に刺されるのも忘れて、クラスメイトたちと日が落ちるまで見入ってしまった。内容は主に外国語専攻の学生たちによる世界各国のポップスのカラオケ大会。スペイン語学科の学生がマライア・キャリーのヒーローを完璧に歌っていて、会場を埋め尽くした学生たちを驚かせていた。

その後、日本人の友人とサームヤーンにあるヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学プワングチョンプー学生寮で催されていたコンサートを見に行った。

今日は、午前の講座でミャンマー史とタイ史を学んだ。タイ人クラスメイトから、クラスメイトのカンボジア人男性の名前が、通常タイでは女性の名として用いられるものと同じだと耳打ちされた。やはりタイ語もカンボジア語も同じ言語を語源としているだけあって、古典的な単語には多くの共通点があるようだ。

2003年12月5日(金)

正午過ぎ、セントラル(セントラン)百貨店ピングラーオ(ピンクラオ)店の駐車場に普通洗車(200バーツ, 室内清掃付)を依頼し、その時間を利用して美容室でストレートパーマ(2,000バーツ)をかけた。

午後9時頃、美容室を出て帰ろうとしたところ、店員からピングラーオ(ピンクラオ)橋が通行止めになっているという話を聞いた。そこで、ピングラーオ(ピンクラオ)橋の北3キロにあるグルングトング(クルントン)橋を渡って帰宅した。

今日は国王誕生日。ピングラーオ(ピンクラオ)橋東岸の王宮前広場サナームルワング(サナームルアン)では祝福のセレモニーが催されている。もしいつもの経路で帰っていたら、きっとひどい渋滞に巻き込まれていたはず。

2003年12月6日(土)

アルバイトの一日。バイト先の同僚と飲みに出かけた。

2003年12月7日(日)

国王賛歌には、何か神秘的な雰囲気を感じる。

午前8時と午後6時にテレビや街頭で放送されるタイ国歌には、すっかり無感覚になってしまっている。国家と国王への忠誠を露骨にアピールしている歌詞にもウンザリ。ところが映画館で本編上映前に流される国王賛歌にはいまだに圧倒される。

そこで、この国王賛歌の歌詞やその起源が気になって、いろいろと調べてみた。タイ人の友人たちによれば、歌詞に用いられている語彙があまりにも難解で意味もよく分からないという。それでも子供の頃、朝礼で国王への忠誠をクラスメイトと競い合いながら毎日頑張って歌っていたという。

เพลงสรรเสริญพระบารมี
国王賛歌

ทำนอง : ปโยตร์ สซูโรฟสกี้
作曲 : ピョードル・サスロフスキー
คำร้อง : พระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว กรมพระยา นริศรา นุวัดติวงศ
作詞 : プラヤー・ナリサラー・ヌワットティウォング (ワチラウット=プラモングットクラーオ王編曲)
 

 
ข้าวรพุทธเจ้า
臣は
เอามโนและศิรกราน
心から崇拝しています
นบพระภูมิบาล บุญญะดิเรก
もっとも偉大な土地神*に合掌します
เอกบรมจักริน พระสยามินทร์ พระยศยิ่งยง
至高なるヂャッグリー朝とサヤームの偉大なる最高指導者たる国王陛下
เย็นศิระเพราะพระบริบาล
大いなる守護神*のご加護で幸せに暮らせています
ผลพระคุณ ธ รักษา
陛下の温情の賜です
ปวงประชาเป็นศุขสานต์ ขอบันดาล
どうか陛下の御力で全臣民を幸福にしてください
ธ ประสงค์ใด จงสฤษดิ์ดัง หวังวรหฤทัย
陛下のどんな願いもその熱烈なる御心で叶えられます
ดุจจะถวายชัย ! ไชโย
たとえば勝利を献上するというような! 国王陛下万歳

*「土地神」および「守護神」はタイ国王を意味する

  
国王賛歌の起源と法的な位置づけについて、空軍ドーンムアング(ドンムアン)司令部のウェブサイトに詳しい解説がある。
  

ในรัชสมัยของพระบาทสมเด็จพระจุลจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว พระองค์เสด็จฯ ประพาสชวาเมื่อ พ.ศ. 2414 ขณะประทับอยู่ที่สิงคโปร์ ทหารอังกฤษใช้เพลง God Sve the Queen รับเสด็จฯ เมื่อเสด็จถึงเมืองปัตตาเวีย พวกฮอลันดาคงจะถามถึงเพลงชาติของไทย เพื่อนำไปบรรเลงรับเสด็จฯ จึงมีพระราชดำริให้แต่งเพลงขึ้นเพื่อแตรวงบรรเลงรับเสด็จฯ ครูดนตรีไทยได้เลือกเพลงไทยชื่อ 'เพลงสรรเสริญพระบารมี' ซึ่งมีกำเนิดในรัชสมัยพระบาทสมเด็จพระพุทธเลิศหล้านภาลัย ขึ้นทูลเกล้าฯ ถวายให้ใช้เป็นทำนองเพลงสรรเสริญพระบารมี ไปพลางก่อน
ヂュンラヂョーム王(ヂュラーロンゴーン大王, ラーマ5世)統治下の2414年、王はジャワを訪問する途中のバタビアの街に入ったときに、儀仗式でイギリス駐留軍から「神よ女王を護り賜え」(God Save the Queen)の演奏で迎えられた。そのとき王はオランダ人から儀仗式のためのタイ国歌について尋ねられたため、儀仗式のための楽曲を作るよう命じた。プラプッタルートサラーンパーライ王(ラーマ2世)の治世に作曲された「ソンスームプラバーンラミー歌」がタイ人教師により選ばれ奏上された。

ต่อมาพระบาทสมเด็จพระจุลจอมเกล้าเจ้าอยู่หัวได้โปรดเกล้าฯ ให้ มร.เฮวุตเซน (Mr. Hevutzen) ครูแตรทหารมหาดเล็ก แต่งทำนองเพลงคำนับรับเสด็จอย่างเพลง God Sve the Queen โดยพระราชทานทำนองเพลงฝรั่งบทหนึ่ง ซึ่งได้ทรงสดับฟังและโปรดมากเมื่อครั้งเสด็จฯ สิงคโปร์ให้ครูแตรด้วย มร.เฮวุตเซน ได้นำทำนองเพลงนั้นมาปรับปรุงเรียบเรียงขึ้นใหม่จนเป็นต้นเค้าของ ทำนองเพลงสรรเสริญพระบารมีที่ใช้กันอยู่ทุกวันนี้
その後、宮内省軍のラッパ教師ヘヴィットゼンに西洋式の歌詞が下賜され、「神よ女王を護り賜え」のような儀仗式のための楽譜を書かせた。シンガポールはヘヴィットソンを含むラッパ教師らに編曲させ、独自の新しい曲が作られ、それが今日の国王賛歌となった。

ส่วนเนื้อร้องนั้น สมเด็จฯ เจ้าฟ้ากรมพระยานริศรานุวัตติวงศ์ ทรงพระนิพนธ์ขึ้น และ มร.ยาคอบ ไฟต์ (Mr. Jacob Feit) บิดาของพระเจนดุริยางค์ (ปิติ วาทยะกร) ได้เรียบเรียงสำหรับการขับร้อง ประสานเสียง 4 แนว ขึ้นเป็นครั้งแรก
一方、この歌詞は4拍子曲として、プラヤー尚書のナリサラー・ヌワットティウォング王子とヂェーンドゥリヤーングの夫ヤコブ・フェイト氏によって初期のものが作られた。

ครั้นถึงรัชสมัยพระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว ได้ทรงพระราชนิพนธ์เนื้อร้องเพลงสรรเสริญพระบารมีขึ้นใหม่โดยทรงรักษาทำนองพื้นเดิมไว้ มีบทร้องขึ้นต้นว่า 'ข้าวรพุทธเจ้า เอามโนและศิระกราน…' ประกศใช้เมื่อวันที่ 1 มีนาคม พ.ศ. 2456 และใช้กันต่อเนื่องมาจนถึงทุกวันนี้
モングット王の治世になり、国王賛歌の歌詞は当初の楽譜の土台を保ちながら「臣は心から崇拝しています」から始まるものに改訂され、タイ仏教歴2456年1月1日に布告され今日のものとなった。

เพลงสรรเสริญพระบารมี ใช้บรรเลงในโอกาสดังต่อไปนี้
国王賛歌は次の機会に演奏される。

  1. พิธีการที่พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว และหรือ สมเด็จพระนางเจ้าฯ พระบรมราชินีนารถ เสด็จพระราชดำเนิน ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีทั้งรับและส่งเสด็จฯ
    国王および/もしくは女王、王妃がおでましになる式典において、楽団が国王賛歌を歓送迎共に演奏する。
  2. พิธีการที่พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว และสมเด็จพระนางเจ้าฯ พระบรมราชินีนารถ เสด็จพระราชดำเนินพร้อมด้วยประมุขต่างประเทศ ให้ดุริยางค์บรรเลงเพลงชาติของประเทศนั้น จบแล้วบรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีทั้งรับและส่งเสด็จฯ ในกรณีที่ประมุขต่างประเทศเสด็จฯ หรือไปตามลำพัง ดุริยางค์บรรเลงเพลงชาติของประเทศนั้น
    外国元首訪問時にその国の国歌が演奏された場合、国王および/もしくは女王、王妃が外国の国家元首を伴っておでましになる式典において、歓送迎共にその国の国歌演奏後に楽団が国王賛歌を演奏する。
  3. พิธีการที่สมเด็จพระศรีนครินทราบรมราชินีเสด็จพระราชดำเนิน ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีทั้งรับและส่งเสด็จฯ
    ソムデットプラスィーナカリントラーボーロンマラーチニー親王がおでましになる式典において、歓送迎共に楽団が国王賛歌を演奏する。
  4. พิธีการที่สมเด็จพระบรมโอรสสาธิราชฯ สยามมกุฎราชกุมารเสด็จพระราชดำเนิน ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีทั้งรับและส่งเสด็จฯ
    ソムデットプラボーロンマオーラサーティラート・サヤームマグットラーチャグンマーン親王がおでましになる式典において、歓送迎共に楽団が国王賛歌を演奏する。
  5. พิธีการที่ผู้แทนพระองค์ปฏิบัติพระราชกรณียกิจแทนพระองค์ในงานเสด็จพระราชดำเนิน
    おでましがある祭事において、国王の代理人が王室行事を国王に代わって催す式典。
  6. ถ้าผู้แทนพระองค์คือสมเด็จพระบรมราชกุมารี สมเด็จพระเจ้าลูกเธอ พระบรมราชวงศ์ชั้นสมเด็จเจ้าฟ้า หรือพระวรราชทินัดดามาตุ เมื่อผู้แทนพระองค์เสด็จมาถึง ดุริยางค์บรรเลงเพลงมหาชัย และเมื่อผู้แทนพระองค์ประทับเรียบร้อยแล้ว ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีเป็นการเปิดงาน เมื่อปิดงาน ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมี และ เมื่อผู้แทนพระองค์เสด็จกลับดุริยางค์บรรเลงเพลงมหาชัย
    もし、国王の代理人が皇太王女、内親王、皇子の位を持つ王族の場合には、代理人到着時に楽団が大勝利曲(マハーチャイ)を演奏し、代理人着席後に開会として楽団が国王賛歌を演奏する。閉会時には国王賛歌を演奏し、代理人退出時に大勝利曲を演奏する。
  7. ถ้าผู้แทนพระองค์เป็นบุคคลอื่น เมื่อผู้แทนพระองค์มาถึง ดุริยางค์ไม่บรรเลงเพลงใด ๆ และเมื่อผู้แทนพระองค์นั่งร้อยแล้ว ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมีเป็นการเปิดงาน เมื่อปิดงาน ดุริยางค์บรรเลงเพลงสรรเสริญพระบารมี และเมื่อผู้แทนพระองค์กลับ ดุริยางค์ไม่ต้องบรรเลงเพลงใด ๆ
    もし、国王の代理人がその他の人である場合には、代理人到着時にいかなる楽曲も演奏せず、代理人着席後に開会として格段が国王賛歌を演奏する。閉会時には国王賛歌を演奏し、代理人退出時にいかなる曲も演奏しない。

 
つまり、本編上映前に映画館で流される国王賛歌は事例7を適用したものなのかもしれない。映画館のどこに「国王の代理人」がいるのか不明だが、さしあたって映画館の運営責任者が代理の義務を負っていると考えれば理解できる。

今日は複合商業施設「サヤーム(サイアム)ディスカバリーセンター」の映画館でブワと洋画 Love Actually を見た。そこで国王賛歌と背景映像が渡米前よりパワーアップしており、さらに神秘的になっていた。タイ人はこうして国王への崇拝の念を強めていくのだろう。

2003年12月8日(月)

今日は一日中、ラオス人難民の帰国事業について英語で書かれた論文を読んでいた。いざ読んでみると意外にもすんなりと理解できて驚いた。もし中学生の頃から「英語なんて難しくない」と思って読んでいれば、今頃これほど英語に悩まされずに済んでいたかもしれない。

2003年12月9日(火)

今晩、ペッブリータットマイ(ニューペチャブリー)通りにあるホテル「アマリ・アトリウム」へ日本人の友人と飲みに出かけた。

ここの2階にあるパブ「ミングルス」のカクテルは、サイズが大きめで、味もなかなか良い。1杯180バーツ。生演奏のコンサートもあってオシャレな雰囲気。午後11時から午前1時までの間に注文すると、もう一杯おなじカクテルが出てくる(buy one get one free)。

今後カクテルを飲みたくなったら、午後11時まで待ってミングルスに行こう。500バーツも出せば、きっと歩けなくなるまで酔っぱらえるに違いない!

2003年12月10日(水)

学生寮は意外にも割高。

僕たちのグループは、明日午前の講座でラオス難民の帰還事業について発表しなくてはならない。そこで、関連する論文を要約するために、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)6にある国際学生寮「スックスィットニウェート(スクシットニウェート)」に集合した。

寮に住んでいるクラスメイトによると、家賃は1人2部屋で月々10,000バーツ、2人2部屋で7,000バーツ。それぞれ1階がタイ人男子学生、2-4階がタイ人女子学生、5-7階が外国人学生に割り当てられている。寮の規則で男女間の部屋の往来が禁じられているが、外国人は自由に寮内を移動できるという。家賃の割には環境が悪いそうで、クラスメイトたちは早くも引っ越しを検討している。

ちなみに、この付近にある民間アパートの相場は月々4,500-6,000バーツ。

今日は午前7時に起床した。大学寮に行こうとクルマに乗り込んだところ、左後輪がパンクしていた。昼食を挟みながらも、午前9から午後3時までグループ作業を続け、解散後にバイトに出かけた。帰宅後、コンドミニアムのミニマートのオーナーから、この3日間で駐車場に駐めてあったクルマが3台も被害に遭っていると聞いた。このオーナーも被害者のひとり。

2003年12月11日(木)

「不要な国内対立を未然に防ぎ、効率のよい経済運営ができるという点で、一党独裁は多党制より優れている」 (ベトナム:ベトナム共産党)

東南アジア研究科のクラスメイトたちは国際色あふれる顔ぶれだ。午後の講座「近代東南アジアの植民地化・民主化・民族主義」には19人の学生が出席し、内訳はタイ人10、日本人1(僕)、フィンランド人1、中国人1、ベトナム人1、ラオス人1、カンボジア人1、ミャンマー人1、フィリピン人1。そのうち共産主義国から来ている学生の英語力は、いずれも奨学金を得いていることもあって、ほかの学生たちを圧倒している。

今日のテーマは、列強による植民地化と第2次世界大戦が与えた東南アジア諸国への影響。話題が戦後相次いだ民主/共産革命の意義に移ると、一党独裁制の是非が議論された。そこで、共産圏の学生たちが持ち前の英語力を駆使してその優位性を唱え始めた。

「以前、わが国はビルマ社会主義計画党の独裁下にあり、人民が一致団結して国家の発展に尽力していました。ところが1988年以降さまざまな政党が誕生したことで、人民はどの政党を選ぶべきかと混乱に陥り、国内に深刻な対立が生じました。ですから、いっそのことひとつの政党にすべて委ねてしまうのが一番ではないでしょうか?」 (ミャンマー:国家秩序回復委員会)

「一党独裁は官僚による腐敗を招きます」(中国:中国共産党)

彼らの主張は、各国の政府が公認している歴史教科書に書かれている内容をそのまま反芻しているに過ぎなかった。そこで僕は思い腰を上げて反論を試みた。

「特定の政党が強大な権力を得ることで、国民の権利は厳しく制限され、自由な研究さえできなくなる」

社会科教育は恐ろしい。なんと僕自身も中学校の社会科で習ったことをそのまま反復して主張してしまった。まったく釈然としない。社会化教育が国内世論に与える影響力の強さを思い知らされた。議論はその後も継続されたが、僕と隣に座っているアメリカ生まれのタイ人学生との間では「やっぱりアメリカ式の2大政党制が最もバランスがとれてて良いよね」という結論に落ち着いた。

王政を否定できないタイや、社会主義を否定できないその他の発展途上国ではタブーがあまりにも多すぎて、政治学や史学を研究するのには向いていないかもしれない。

ところで、昨日6時間もかけたプレゼンテーションに向けての努力は水泡に帰した。昨日の準備に参加しなかったフィリピン人学生が、突然首を突っ込んできて内容を変更しようと言い出しかたらだ。これに抗弁するための英語力がないものだから、なんとももどかしい思いをした(もちろんタイ語による非難が本人の目の前で半ば公然と飛び交った)。

2003年12月12日(金)

朝からバイトに出かけ、久々に昼寝をしたあと、タイ人の友人と国王への忠誠について話し合った。

2003年12月13日(土)

飲酒と喫煙が解禁される年齢は、国(または州)によって異なる。

日本では飲酒・喫煙ともに20歳だが、アメリカ・カリフォルニア州では21歳。しかも必ずといって良いほど身分証の提示が求められる。

ところが、ここタイでの規則は少し変わっている。飲酒が18歳から、喫煙が20歳から。ただし屋外での20歳未満の飲酒は禁じられている。だから、クラブ(タイではディスコやパブと呼ばれる)の入り口には、客の身分証(国民 ID )を確認するための警備員が配置されている(20歳未満の未成年者を店に入れてしまうと、店が罰せられる)。

カノジョのブワは18歳。一緒に酒は飲めてもクラブには行けない。そこで今晩はブワと酒を飲むために、ホテル「アマリ・アトリウム」のパブ「ミングルス」へと出かけた。厳密には違法だが、ホテルに年齢確認の警備員がいることはほとんどない。

それでも一緒にクラブに行けないのは、やっぱり少しだけ残念だ。

2003年12月14日(日)

身分証を見れば、その人の大体の素性が分かる。

昨日の日記でも話題にあがった国民身分証(国民 ID カード)。タイ語では 「バットプラヂャムトゥワプラチャーチョン」と呼ばれている。①氏名、②性別(女性の場合は未婚/既婚の区別)、③生年月日、④信仰、⑤血液型、⑥住所などが記載されており、すべてのタイ国民に携行が義務付けられている。

たとえば、①各種公的手続き、②職務質問(交通違反取締)、③就職活動、④クラブ(ディスコ/パブ)への入場などで提示が求められる。

今回サンプルとして用意したのは、バンコク都ワッタナー区在住のブリトニーズ・スピアーズさん(仮名)の国民身分証。彼女はタイ仏教歴2544(西暦1981)年生まれの22歳。血液型はA型で仏教を信仰している。

現在発行されている国民 ID は、エメラルドグリーンのプラスチックカード(旧式のものは紙にラミネート加工)。エメラルドグリーンの台紙に偽造防止のための精細な模様が印刷されている。

各項目の読み方はつぎのとおり(このサンプルは、本物を見て暗記したのちに再構成したもので、デザイン等が実物とは若干異なります。また発行年や発行県により、デザインや記載内容が若干異なります。2007年1月に再度デザインが変更されています)。

เลขหมายประจำตัวผู้ถือบัตร(レークマーイプラヂャムトゥワプートゥーバット) – カード保有者番号

  • タイ国民ひとりひとりに割り振られている13桁の数字。

ชื่อ(チュー) – 名

  • その人の名。ステータスは次の3種類に分類される。
    น.ส.(ナーングサーオ) = Miss, 未婚女性 / นาง(ナーング) = Mrs., 既婚女性 / นาย(ナーイ) = Mr., 男性

ชื่อสกุล(チューサグン) – 姓

  • その人の姓。名字。

เกิดวันที่(グートワンティー) – 生年月日

  • その人の生年月日。形式は[dd/mm/yyyy]。日付2桁+月2桁+年4桁。
    • タイ語の月表記はつぎのとおり。
      ม.ค.(マッガラーコム) = 1月 / ก.พ.(グンパーパン) = 2月 / มี.ค.(ミーナーコム) = 3月 / เม.ย.(メーサーヨン) = 4月 / พ.ค.(プルッサパーコム) = 5月 / มิ.ย.(ミトゥナーヨン) = 6月 / ก.ค.(ガラッカダーコム) = 7月 / ส.ค.(スィングハーコム) = 8月 / ก.ย.(ガンヤーヨン) = 9月 / ต.ค.(トゥラーコム) = 10月 / พ.ย.(プルッサヂガーヨン) = 11月 / ธ.ค.(タンワーコム) = 12月
    • タイ仏教歴の換算式はつぎのとおり。
      西暦(1981) = タイ仏教歴(2524) - 543

ศาสนา(サートサナー) – 宗教

  • その人が信仰している宗教。
    พุทธ(プット) = 仏教 / คริสต์(クリット) = キリスト教 / อิสลาม(イッサラーム) – イスラーム教 / ฮินดู(ヒンドゥー) = ヒンズー教

หมู่โลหิต(ムーローヒット) – 血液型

  • その人の血液型。
    เอ(エー) = A型 / บี(ビー) = B型 / โอ(オー) – O型 / เอบี(エービー) = AB型 / - – 未確認

ที่อยู่(ティーユー) – 住所

  • その人の住民票がある住所。タイの県名はつぎのとおり(全76県, 人口順)。
    กรุงเทพมหานคร = バンコク(バンコック)都 / จ. นครราชสีมา = ナコーンラーチャスィーマー(コーラート)県 / จ. อุบลราชธานี = ウボンラーチャターニー(ウボンラチャタニ)県 / จ. ขอนแก่น = コーンゲン(コンケン)県 / จ. เชียงใหม่ = チアングマイ(チェンマイ)県 / จ. บุรีรัมย์ = ブリーラム(ブリラム)県 / จ. อุดรธานี = ウドーンターニー(ウドンタニ)県 / จ. นครศรีธรรมราช = ナコーンスィータンマラート(ナコンシータマラート)県 / จ. ศรีสะเกษ = スィーサゲート(シーサゲット)県 / จ. สุรินทร์ = スリン県 / ร้อยเอ็ด = ローイエット(ロイエット)県 / จ. สงขลา = ソンクラー県 / จ. เชียงราย = チアングラーイ(チェンライ)県 / จ. ชลบุรี = チョンブリー(チョンブリ)県 / จ. ชัยภูมิ = チャイヤプーム県 / จ. สกลนคร = サゴンナコーン(サコンナコン)県 / จ. นครสวรรค์ = ナコーンサワン(ナコンサワン)県 / จ. สมุทรปราการ = サムットプラーガーン(サムットプラカン)県 / จ. อุบลราชธานี = ウボンラーチャターニー(ウボンラチャタニ)県 / จ. เพชรบูรณ์ = ペッチャプーン(ペチャブン)県 / จ. กาฬสินธุ์ = ガーラスィン(カラシン)県 / จ. สุราษฎร์ธานี = スラートターニー(スラタニ)県 / จ. นนทบุรี = ノンタブリー(ノンタブリ)県 / จ. มหาสารคาม = マハーサーラーカーム(マハサラカム)県 / จ. หนองคาย = ノーンカーイ(ノンカイ)県 / จ. พิษณุโลก = ピッサヌローク(ピサヌローク)県 / จ. สุพรรณบุรี = スパンブリー(スパンブリ)県 / จ. ราชบุรี = ラーチャブリー(ラチャブリ)県 / จ. กาญจนบุรี = ガーンヂャナブリー(カンチャナブリ)県 / จ. ปทุมธานี = パッターニー(パタニ)県 / จ. นครปฐม = ナコーンパトム(ナコンパトム)県 / จ. ลำปาง = ランパーング(ランパン)県 / จ. ลพบุรี = ロッブリー(ロッブリ)県 / จ. พระนครศรีอยุธยา = プラナコーンスィーアユッタヤー(アユタヤ)県 / จ. กำแพงเพชร = ガンペーングペット(カンペンペット)県 / จ. นราธิวาส = ナラーティワート(ナラティワット)県 / จ. นครพนม = ナコーンパノム(ナコンパノム)県 / จ. ฉะเชิงเทรา = チャチューングサオ(チャチュンサオ)県 / จ. ปัตตานี = パッターニー(パタニ)県 / จ. เลย = ルーイ県 / จ. สุโขทัย = スコータイ県 / จ. ตรัง = トラング(トラン)県 / จ. สระบุรี = サラブリー(サラブリ)県 / จ. ระยอง = ラヨーング(ラヨン)県 / จ. พิจิตร = ピヂット(ピチット)県 / จ. ยโสธร = ヤソートーン(ヤソートン)県 / จ. สระแก้ว = サゲーオ(サケオ)県 / จ. ตาก = ターク(タック)県 / จ. พัทลุง = パッタルング(パッタルン)県 / จ. จันทบุรี = ヂャンタブリー(チャンタブリ)県 / จ. หนองบัวลำภู = ノーングブワランプー(ノンブワランプー)県 / จ. พะเยา = パヤオ県 / จ. ประจวบคีรีขันธ์ = プラヂュワップキーリーカン(プラチュアップキリカン)県 / จ. น่าน = ナン(ナーン)県 / จ. ชุมพร = チュンポン(チュンポーン)県 / จ. แพร่ = プレー県 / จ. อุตรดิตถ์ = ウットラディット(ウトラディット)県 / จ. ยะลา = ヤラー県 / จ. เพชรบุรี = ペッブリー(ペチャブリ)県 / จ. สมุทรสาคร = サムットサーコーン(サムットサコン)県 / จ. ปราจีนบุรี = プラーヂーンブリー(プラチンブリ)県 / จ. ลำพูน = ランプーン(ランプン)県 / จ. กระบี่ = グラビー県 / จ. อำนาจเจริญ = アムナートヂャルーン(アムナートチャロン)県 / จ. ชัยนาท = チャイナート(チャイナット)県 / จ. มุกดาหาร = ムッグダーハーン(ムクダハン)県 / จ. อุทัยธานี = ウタイターニー(ウタイタニ)県 / จ. มหาสารคาม = マハーサーラーカーム(マハサラカム)県 / จ. ภูเก็ต = プーゲット(プーケット)県 / จ. อ่างทอง = アングトーング(アントン)県 / จ. สตูล = サトゥーン(サトゥン)県 / จ. แม่ฮ่องสอน = メーホングソーン(メーホンソン)県 / จ. นครนายก = ナコーンナーヨック(ナコンナヨック)県 / จ. พังงา = パンガー県 / จ. ตราด = トラート(トラット)県 / จ. สิงห์บุรี = スィングブリー(シンブリ)県 / จ. สมุทรสงคราม = サムットソンクラーム(サムットソンクラム)県 / จ. ระนอง = ラノーング(ラノン)

この国民身分証の根拠法は「2526年改正国民身分証法」。ただし、官吏には2535年改正官吏(国家公務員)公吏(地方公務員)身分証法 / 2542年制定官吏(国家公務員)身分証法の規定に基づいて、官吏身分証(バットプラヂャムトゥワカーラーチャガーン)が交付されている。

なお、タイ人が他人のカードを行使した場合には、10,000バーツ以上100,000バーツ以下の罰金(払えない場合は懲役)。外国人が偽造カードを行使した場合には、2年以上の懲役または40,000バーツ以上300,000バーツ以下の罰金が科せられる。

ところで、外国人には別の法律によりパスポートの携行が義務づけられている。しかし、ポケットに入れて持ち運ぶには少し大きすぎるし、万一にもなくしてしまったら大変なことになる。だからといって、国民 ID を偽造して使うこともできない。バンコクの日本人社会には「パスポートのコピーでも使える」というウワサもあるが、それが通用するという法的根拠なんてどこにもないし、実際に身分証として機能しなければ意味がない。日本人がタイの国民カードを持てるはずもなく、僕はタイの運転免許証を国民身分証の代わりに使っている。実は運転免許証にも身分証としての機能はないが、さしあたってクラブ(ディスコやパブ)の入口にある検査場の年齢チェックには問題ないようだから、このまま使い続けようと思う(外国人の運転免許証は氏名が英語で書かれることになっている。今回登場したブリトニーズさん(仮名)はタイ人なので、ここではタイ語で表記することにした)。

今日は伊勢丹に入っている紀伊国屋で英語参考書を購入した。

2003年12月15日(月)

タイでも学生証があれば、いろいろと便利だ。

昼過ぎに、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学政治学部向かいにあるタイ商業(タイパーニット)銀行タイ赤十字(サパーガーチャートタイ)で学生証を受領した。これからはボーリング場やカラオケ屋で学割を受けることができる(右の学生証は現物を元に再構成したもので、デザインが本物とは若干異なります)。

この学生証には、銀行のキャッシュカード機能が付いており、受け取り時にタイ商業(タイパーニット)銀行の口座を開設しなければならない。

タイの学生証には銀行キャッシュカードを兼ねているものが多く、ブワが通っているマヒドン大学の学生証には何の機能もないが、ウワサによればアサンプション大学(エーベック)の学生証にはクレジットカードの機能まで付属しているという(おそらく日本の「デビットカード」に相当する「エレクトロンカード」機能と混同している)。

ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学の学生証は、他の大学よりもデザイン的・機能的にも劣り、エレクトロン機能すらないが、さしあたって便利そうな機能は活用したい。

第一目的地はウィッタユ(ワイヤレス)通りにある日系カラオケ屋「ビッグエコー」。半額でカラオケが楽しめる。

今日はマヒドン大学へとブワを迎えに行ってから、アングリードゥーナン(ヘンリーデュナント)通りにあるタイ商業(タイパーニット)銀行タイ赤十字(サパーガーチャートタイ)支店で学生証を受け取り、サヤーム(サイアム)にあるヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学ブックセンターでタイ国歌が収録されているCDを買って、旅行代理店で友人のホテル予約を取り、深夜にドーンムアング(ドンムアン)国際空港までその友人を迎えに行った。

2003年12月16日(火)

クレジットカードカードがなくてもカード決済できる。

日本には銀行預金口座から直接支払う「デビットカード」があるが、ここタイでは「ビザ・エレクトロンカード」として知られ広く普及している。

バンコク銀行ではこれに Be First という商品名を付け、各支店の口座開設カウンターで発行している。手数料は300バーツ。申し込み時期によって、さまざまなキャンペーングッズがもらえる。

今日はスィーロム(シーロム)通りにあるバンコク(グルングテープ)銀行本店で国際キャッシュカード「プレミア」を「ビーファースト」に切り替え、安っぽいウインドブレーカーをもらった。

2003年12月17日(水)

タイ語の復習をしてから、アルバイトに出かけた。

2003年12月18日(木)

夜風を浴びながら見下ろすバンコクの眺望は最高だ。

タイといえば発展途上国というイメージが先行しがちだが、実際には数多くの超高層ビルが点在している。しかし、首都バンコクにおける観光産業の勢いを象徴しているかのように、ほとんどが観光客向けの高級ホテルで、超高層オフィスビルは片手で数えるほどしかない。

バンコク都内で最も高い建造物は、ラーチャダムリ(ラチャダムリ)通りプラトゥーナーム(プラトゥナム)交差点の北にある中級ホテル「バイヨックサガーイ(バイヨークスカイ)」。高さ309メートル、地上88階建て。このホテルの78階にも展望レストラン「スカイビュッフェ」があるが、それは単に見晴らしが良いだけのありふれたレストランに過ぎない。

ところが、サートーン(サトン)通りにある高級ホテル「バンヤントリー」(元ウエスティン・バンヤントリー)最上階の61階に入っているレストラン Vertigo Grill は屋外型の西洋レストラン。高層階にあるためか風が強く、ここ常夏のバンコクにいながら自然の肌寒さ感じることができる。このホテルが入っているビル「タイワータワー2」はまるで壁のように細く、ぐるりと身体を一回転させるだけで360度の風景を言葉通り一望できる。

今晩、僕は西洋料理店 Vertigo Grill で日本人とタイ人の友人たちと夕食をとった。料金は都内の高級ホテルよりもやや割高で、3人で7,544バーツ(税サ込み)、チップ500バーツ。内訳は次のとおり。

前菜: Scarllop Tartar 280バーツ / Soft Shell Crab 360バーツ / Betigo Caesar 280バーツ。魚料理・肉料理: オーストラリア産ステーキ250グラム1,050バーツ / ラム肉のステーキ1,400バーツ / ワイルドサーモン1,250バーツ。トッピング: ゆでベークドポテト150バーツ / マッシュドポテト210バーツ、 Diebels 240バーツ。飲み物: オレンジジュース160バーツ / コーラ120バーツ / ビール240バーツ。

最高の雰囲気で贅沢なディナー。財布へのダメージは少なくないが、ぜひ一度はカノジョと一緒に楽しんでみたい。そのためにも財布には常に何枚もの千バーツ札を忍ばせておく必要がありそう。

ちなみに、表題にある「世界で最も高い」とは、もちろん料金のことではなく、海面からの高さのこと。

2003年12月19日(金)

ついに、試験問題の解答を英文で作らなければならない時がやってきてしまった。

今回の試験は「近代東南アジアの植民地化・民主化・民族主義」の中間テスト。大問3題をA4用紙15枚で論じるというもの。内容は主に比較文化論の領域にあるもので、①東南アジアが欧米的近代国家を築けなかった理由や②旧イギリス植民地と旧フランス植民地におけるナショナリズムの違いを問う内容。

よくよく考えてみると、僕は過去に一度も英作文を書いたことがない。しかし、内容以前の問題として、英作文にチャレンジしないことには解答することすらできないものだから、一瞬まるで目の前が真っ暗になったかのような気分にとらわれた。それでも英語文献に目を通しているうちに自力でも何とかなりそうな気がして、ふたたび気を取り直してパソコンへと向かった。

提出期限は来週の木曜日。12月25日のクリスマス。クリスマスの夜を気分良く迎えるためにも、ここは気合いで乗り越える以外に道はない。

2003年12月20日(土)

毎週土曜日恒例のアルバイト三昧の一日。仕事後に安宿街「カーオサーン(カオサン)」のタイ料理店「トムヤングング(トムヤムクン)」でバイト先の同僚たちと夕食をとった。この界隈特有の貧しい雰囲気がなく、なかなか良い気分転換になった。

カーオサーン特有の貧しい雰囲気といえば、駐車場からカーオサーン通りへ出る途中にある薄暗い通路に日本人が集う日系屋台飲み屋を発見した。こうした光景に遭遇するたびに、僕は複雑な心境になる。

2003年12月23日(火)

この三日間ほど、パソコンに向かってキーボードを打ち続ける日々が続いている。パソコンがある寝室には大量の参考文献と配布プリントが散乱し、時間が朝も夜もなく過ぎ去っていった。途中、「セントラルワールドプラザ(ワールドトレードセンター)」にいたブワから電話で誘われたが、これも断らざるを得なかった。

自分が書いた英語の文法の誤りをワープロソフト Microsoft Word に指摘されるたびに頭を抱え、困難をひとつひとつ乗り越えながらキーボードをただひたすら打ち続けた。

2003年12月24日(水)

バンコクとは、なんと狭いのだろう。

ペーパー(小論文)を提出日の前日までには終わらせてしまいたい。昨晩からキーボードを打ち続け、空が明るくなって街が活発に動き出した午前8時半になってフラフラとベッドに倒れ込んだ。

その後、シャワーを数日ぶりに浴び、出前の日本食を平らげてから、気分転換のためにサヤーム(サイアム)へと出かけた。

大型複合施設「サヤームセンター(サイアムセンター)」を徘徊していたところ、アメリカ留学時代に隣の家に住んでいたタイ人兄弟と語学学校隣のアパートに住んでいたタイ人大学院生に遭遇。なんでも彼らは年末年始の休暇を利用して一時帰国しているという。別のタイ人の友達に託していたクルマの売却はいまだ済んでいないらしい。この友人は今月28日に一時帰国する予定になっているという。

2003年12月25日(木)

多くの日系企業が進出しているアユッタヤー(アユタヤ)は近いようで遠い。

夕方頃、僕は日本人の友人と携帯で話していた。そこで、日本に帰国してしまった友人がアユッタヤー(アユタヤ)で働いていたという話題になって、そこがどれだけバンコクから離れているのかを知るために、実際にアユッタヤーで夕食をとることにした。

プラナコーンスィーアユッタヤー(アユタヤ)はバンコクの北約75キロ(約1時間)にある工業都市で、県内のバーングパイン(バンパイン)工業団地、ハイテック(ハイテク)工業団地、ロートヂャナ(ロジャナ)工業団地には、多くの日系企業が進出している。今晩の目的地は、工場労働者が多く住んでいるアユッタヤー新市街にある日本人街。

アユッタヤー市街は思いのほか大きかった。なかなか日本人街を発見できなかった僕たちは、途中の道路で検問にあたっていた警察官に「日本料理店がたくさんあって、日本人がたくさんいるところ」を聞いて、やっとのことで到着した。

その日本人街は、国道1号線パホンヨーティン通りからアユッタヤー旧市街へと向かう道の路地(ソーイ)の奥に、バンコクにもあるような日本人向けの歓楽街が開けていた。路地の入口にはビデオレンタル店 Tsutaya がある。

今晩、スクンウィット(スクンビット)13にあるコンドミニアムを午後6時45分に出発。大通りの渋滞にハマり、午後7時5分に北プルーンヂット(プルンチット)入口からチャルームマハーナコーン自動車道に乗った。ドーンムアング有料高架道路に乗り継いで北上し、午後7時50分にはアユッタヤー市外に到着した。

バンコク在住の日本人には、アユッタヤー通勤はシンドイとかそれほどでもないとか言われている。個人的な印象としては、東京郊外のベッドタウン千葉県成田市から大手町まで通う根性があれば、決して難しくはなさそう(アユッタヤー通勤者には原則として、駐在員の場合は専用車両、現地採用の場合は乗り合いワゴン(ロットゥー)が家まで迎えに来ることになっている)。

でも、バンコクに住み慣れてしまって、東京人ほどの勤勉さを失ってしまった僕には、彼らのように毎日アユッタヤー通勤を続けることに、どうやら耐えられそうにない。

今晩はアユッタヤーで友人と夕食をとってから、スクンウィット24にある日本人が経営するショットバーでビリヤードをしながらカクテルを飲み、ペッブリータットマイ(ニューペッブリー)通りにあるホテル「アマリ・アトリウム」のバー「ミングルス」でカクテルを飲み続けた(カクテル1杯180バーツ。ハッピーアワーには1杯注文するともう1杯ついてくる)。

2003年12月26日(金)

どこの国にも首都圏と地方都市のあいだには経済格差があるといわれているが、タイにおける経済格差はその比ではない。その要因は、地域間にある経済発展と教育の格差。もちろん、地価にも大きな差がある。

年末が近づき、飲み会の頻度が日ごとに増している。今晩はスラウォング(スリウォン)通りにある日本料理店「伯楽」でバンコク在住日本人の飲み会に参加した。そこで話題になったのが「5ライ」という土地の広さとその値段。

この「ライ」というのは、タイ独自の面積の単位。1ライ≒1,600m2≒484坪 。つまり、「5ライ」というのは日本でいう2,420坪に相当する。この店のタイ人従業員に「5ライ」の広さを尋ねたところ「どう説明したら分からないほどの大きさ」とのこと。

なぜこの話題になったかというと、ブリーラム(ブリラム)市からクルマで30分のところにある「5ライ」の農地を10万バーツで買わないかと、ある日本人の友人が持ちかけられたから。

地方の事情に疎い僕には、この値段が妥当かどうか分からなかったが、ウドーンターニー(ウドンタニ)市郊外に広大な土地を持っている別の友人の話では、次の要素で地下が決定されるという。

①街の中心部からの距離、②隣接している道路、③インフラの整備状況

酒の席では1ライ10,000バーツが妥当ではないかという話になったが、そもそも5ライの広さの土地なんて都市部に住んでいる日本人に想像できるはずがない。携帯電話で計算してみたところ、どうやら2,420坪または約8,000メートル2に相当し、正方形の土地なら一辺の長さが95メートル。小さな野球場と同じくらいの大きさ。

この友人は、この95m×95m の土地を10万バーツ(約28万円)で購入して、耕作を小作人に任せて利益を上げようと考えているとか。そこで行われた皮算用の結果、1ライあたりの玄米市場価格(仮定)は519バーツ、人件費が同120バーツ、水牛使用料が同240バーツ。この土地から上がる利益は年間795バーツとなった。投下した資本を回収するために125年も要することになる。まあ、それでも趣味で土地を所有したいとあらば個人の自由かもしれない。

なお、タイの法律のでは外国人の土地所有は認められていない。

それよりも興味深いのは、タイ国内の経済格差。統計によれば、国内で最も貧しい県の平均年収はバンコク都民(107,640バーツ)の10分の1にすぎない。各県の平均世帯収入は次のとおり。

さらに、民間企業に就職した新卒者の月給は次のとおり(出展:総理府統計局/民間企業新卒者月給統計, ただし勤続3年以内に大卒以上の職員の給与は数倍に増大する)。

学歴別職種別初任給の格差
(単位:バーツ)

職種 学歴
高卒 専門学校卒 4年制大学卒 修士了
店員 6,423 7,119 - -
電気・自動車技師 6,611 8,312 - -
金融機関職員・会計士 6,803 7,378 12,301 17,695
販売員 6,648 7,795 13,999 25,337
人事担当職員 6,830 7,685 12,488 24,009
法務担当職員 - - 12,681 25,469
経済担当職員 - - 12,666 24,029
プログラマー 6,587 9,361 17,537 24,711
システムエンジニア - -  17,911 27,933
研究者・科学者 - - 12,973 23,886
工業技術者 - - 23,272 29,221
建築士 - - 17,038 -

2003年12月27日(土)

昨晩すこし飲み過ぎたせいか、今日は二日酔い気味。

2003年12月28日(日)

意外にも風情あるタイの結婚式。

今朝、トーングロー(トンロー)通りにある結婚式場「トンラック(愛の木)スタジオ」で催された友人の結婚式に参列した。新郎新婦は日本人男性と日本在住4年目のタイ人女性のカップル。この結婚式のためだけにタイに滞在しているという。

式場に到着してまず気付いたのは中国系タイ人の多さ。それでもタイの伝統に則った式を挙げることにしたのには、ちょっとした事情があるという。

午前8時9分、参列者控え室でモーニングコーヒーを飲みながらサンドイッチを頬張っていた僕たちは、館内放送で入り口に集合するよう指示を受けた。扉の前では9人の出家僧たちが座っており、その前に置かれていた(バート)の中に新郎新婦が食べ物や飲み物などの供物を入れていた(サイバート)。こうして僧侶たちが代わる代わるお経を唱え始めた。

お経を唱え終わると僧たちはすぐに式場を後にし、代わって新郎が新婦の家に「逆持参金」を持って練り歩く「コンマン」という儀式が始まった。

「今回の結婚式では現金○○○万バーツと、金○バーツが新郎側の○○家から、新婦側の○○家へと進呈されます」

日本では到底考えられないことだが、一目見てその価値が分かるように逆持参金のすべてが皿の上に広げられていた。極めつけは司会進行役によるアナウンス。逆持参金の背後には、それぞれ2つ1組になっている果物類が入った駕籠が置かれていた。

「ご参列の皆様、ぜひコンマン(逆持参金行進)にご協力ください。どうか、お手近の駕籠を持って行列に加わってください。一度お手に取られました駕籠は、絶対に元の位置に戻さず、そのままお持ちください。『もう疲れて持てない』なんて方はいらっしゃいませんよね?」

中国系タイ人は、タイ人であるにもかかわらず、意外にもタイの文化には無知で無頓着のようだ。このコンマンの場面でも、一人の老婦人が一度手に取った果物が入った籠を元の位置に戻してしまい、僕たち参列者を大いに驚かせた。

僕は一番重い「バナナの若木」を持つことになった。

タイの伝統的な結婚式には二通りの持参金システムがある。ひとつは新婦が新郎の家に行く「アーワーハモンコン」、もうひとつが新郎が新婦の家に行く「ウィワーハモンコン」。今回は、新郎側の一団が一旦道路に出てから、新婦が待つ結婚式場へと練り歩く「ウィワーハモンコン」の形式がとられた。

今回の結婚式の会場になったのは、バンコク都内でも比較的交通量が多いトーングロー(トンロー)通り(スクンウィット(スクンビット)55)。実際に新郎新婦の家を行列が往復するのには無理があったから、この大通りの1車線を封鎖して練り歩くことになった。僕たちは後ろから猛スピードで迫ってくるクルマに恐れおののきながら、奇妙なお面をかぶったチンドン屋風の男女約10人のあとについて歩いた。行列が練り歩いた距離が30メートルしかなかったことからも分かるように、これは単に必要な手続きを踏むという意味で形式的に行われたもの。

その後、仲人を務める地域の名士が「これを以って両家はひとつの家族となった」という内容の演説を披露し、「これを以ってふたりは一つの人格となった」という言葉とともに新郎新婦が指輪交換をし、式場内にある部屋を移動しながらさまざまな儀式が行われた。クライマックスは、初夜を象徴するイベント。それぞれ新郎新婦がベッドの上で自分の両親と言葉を交わしたあと、両家の両親がシーツの上に薔薇の花びらを撒き、そこに新郎新婦が横になる。

「お二人とも、初夜のことを思い出してください」

会場が笑いで包まれ、新郎新婦は照れ臭そうにしていた。これは「両親の同意の下で結婚した」ことを象徴する儀式だが、実はこの二人にはもう子供がいる。

一連の結婚の儀式(僧によるタンブンから初夜イベントまで)におよそ3時間を要し、その後、 ビュッフェ形式の昼食が振る舞われた。

なお今回の結婚式、タイ男性はワイシャツにスラックス(ネクタイの有無は問わない, ラーマ5世時代のタイ式スーツもあり)という出で立ち。女性たちにはお洒落なドレスが好まれていたようだが、さしあたって部屋着でなければ何でもOKといった印象。祝儀は記名したピンク色の封筒を記帳台に出す。

タイの結婚式のわりには格式ばった伝統を重んじる結婚式だったが、それでも参列者は指定された席にとどまる必要はなく、適当にブラブラと会場内をフラついて友人と散歩していればよい。しかし、重要な部分はきちんと押さえられており、決して安っぽくて無秩序な結婚式という雰囲気ではなかった。

伝統的タイ建築の結婚式場と、古典的タイ音楽の生演奏が、この結婚式にさらに荘厳なものにしていた。日本で行われている一般的な結婚式よりも、遙かに情緒ある結婚式だった。

2003年12月29日(月)

年の瀬迫る師走も残りわずか。

バンコクにいると、季節感がなくなってしまっていけない。夜でも街中を T シャツ一枚で気軽に散策できる。コートを着て、首に赤いマフラーを巻き、ネオンがまぶしい交差点をせわしなく渡るなんて、まるで遠い別の世界のおとぎ話のよう。

バンコク12月の平均最低気温は21℃。

ところが、非常に希にではあるが、バンコクでも首にマフラーを巻いている女性を見かけることがある。でも、なぜかマフラーを巻いているのは T シャツの上。理由を聞いてみると「少し肌寒いから」。タイ人にとっての「寒い」とは、どうやら T シャツ1枚で肌寒く感じることを言うらしい。まったく、風情も何もあったもんじゃない。

そんななか、今晩はスクンウィット(スクンビット)12の韓国商店コンプレックス「スクンウィット(スクンビット)プラザ」3階にある日系バーでバイト先の仕事納めパーティーがあった。入り口の小さな扉を開けてみると、そこには日本を思い起こさせる上品でこぢんまりとした空間があった。

飲みたいと思った銘柄のウイスキーを、グラスで注文できるのには感動した。タイではボトル単位の注文がスタンダードで、どこの店に行っても勧められるシーバスリーガル(市価999バーツ)には正直、心の底からウンザリしている。

サントリーの響、とっても美味しかった。値段はバンコク都内にある高級ホテルのバーと同水準。

2003年12月30日(火)

アメリカ留学前にペッブリー(ペチャブリー)通りにある電脳街「パンティッププラザ」で買った自作パソコンの Windows XP 英語版に問題発生。未返信のメールに一応の返信を書いてから、友人の会社に行き、最新ソフトウェア一式を借りて再インストールした。

昨晩からブワは祖父の葬式で忙しくしているという。彼女の家のしきたりでは、来客のない年末年始の4日間を合計6日間の喪中日数に算入しないため、なんと10日間にわたって葬式を続けなくてはならないとか。その間、不要不急の外出は避けなくてならない。

2003年12月31日(水)

2003年最後の日。

ここには日本の正月にあるような静けさがない。銀行も通常通り営業していて風情の微塵もない。タイ人のとってのこの日とは、「お祭り期間内の1日」に過ぎないのかもしれない。ちなみに、このお祭り期間はクリスマスイブから元旦(世界新年)まで。

夕方ごろ、高架電車 BTS トーングロー(トンロー)駅前にある豚焼肉(ムーガタ)屋で、ブワの高校時代の友人たちと夕食をとった。ひとり99バーツで食べ放題。そのなかに今日(大晦日)が誕生日の人がおり、その人が全額を負担した(タイではパーティーの主人公が全額を負担するという慣わしがある)。

食後、そのメンバーで新年のカウントダウンをしようという話になった。

18歳のタイ人女性が10人。集団内における意思の疎通をとにかく苦手とするタイ人が、なんと10人以上の集団で団体行動しようというのだから、一貫性のある行動を取れるはずがない。

事態は時間の経過とともに加速度的に悪化していった。当初、彼女たちは目的地を定めないまま行動を始め、周囲の雰囲気に任せて目的地を決定し、さらにその時々の気分に任せて次から次へと目的地を変更していった。そして、目的地を何度も変更していくうちに、郊外から都心部に集結しつつあった自家用車で渋滞が深刻になっていき、ついに「どこに行っても、もう間に合わない」という事態に陥ってしまった。それに気付いた僕は、ブワを連れて大急ぎでその一団から抜け出し、まだなんとか間に合いそうな目的地を新たに探すことにした。

バンコク都内の主なカウントダウン会場は、①セントラルワールドプラザ(ワールドトレードセンター)前のラーチャダムリ通り一帯、②高架電車 BTS 国立競技場(サナームギーラーヘングチャート)駅前の旧国立競技場、③ヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川に架かるサパーンプララームペート(ラマ8世橋)などなど。しかし、いずれも付近の交通が麻痺して大変なことになっているはず。

カウントダウンの会場を求めて、サヤーム(サイアム)から東に向かって歩いていたところ、なかなかの穴場を発見した。高架電車 BTS プルーンヂット(プルンチット)駅前にあるホテル「インターコンチネンタル」の1階。入場料ひとり400バーツ(1ドリンク付)。2杯目以降は1杯280バーツ。カウントダウン終了後の帰宅の目処がつけば入ろうかと思ったが、高架電車 BTS の駅前に長蛇の列ができ、タクシーで交通が麻痺することは目に見えている。

午後11時、タクシーでスクンウィット(スクンビット)19にあるホテル「ウエスティングランデスクンウィット(スクンビット)19」へと向かった。ここなら僕が住んでいるコンドミニアム(スクンウィット(スクンビット)13)まで歩いて帰れ、渋滞を気にする必要がない。

ホテル7階のピアノバー「ゼスト」で洋楽の生演奏を聴き、カクテルを飲みながら、窓から見える花火を眺めていた。

来年のカウントダウンは、前もってバーに予約を入れておきたい。

ところで、目的地をトーングロー(トンロー)にあるクラブからサヤームスクウェア(サイアムスクエア)に変えたところから別行動していたブワの友人たちは、さらにそこからサパーンプララームペート(ラマ8世橋)へと向かい、移動中のトゥクトゥクの中で正月を迎えたという。

新年を迎え、都内各所で花火がいっせいに打ち上げられた。ありていに言ってしまえば、バンコクの正月とは花火大会の日のことだ。