2003年9月1日(月)

ガソリンの小売価格が急騰した。これまで1ガロン(約4.54リットル)1.91ドルだったハイオクガソリンが先々週の月曜日、22%も値上げされて1ガロン2.32ドルになった。おそらくイラク戦争の影響を受けたものだろう。

一般にロサンゼルスと呼ばれている地域の面積は、日本の首都圏のそれに匹敵する。全米第2位の人口を抱え、無数の「市」行政単位を含んでいる。人々はこの領域に広く分散して居住し、それぞれ個性的な街を形成している。しかし、その領域があまりにも広すぎるせいか、バス網の発達は著しく遅れている。したがって、僕たちはどこへ行くにも大量のガソリンを燃やしながら走るクルマで移動せざるを得ない。

「え? ガソリンの値段ってそんなに上がったんだ? 普段からガソリンの値段なんて気にしてなかったから、全く気づかなかったよ」

ひとりを除く、僕の友人たちはみんな、今回のガソリン小売価格の高騰に眉を細め顔をしかめている。

今日は労働者の日で、語学学校は休みだった。

2003年9月2日(火)

TOEFL(トーフル)Test of English as a Foreign Language(外国語としての英語試験)) は、アメリカやカナダにある高等教育機関への進学希望者に課せられている英語能力検定。教育機関によって異なる出願基準が設定されており、それぞれ短期大学(コミュニティーカレッジ)で450点、4年制大学(ユニバーシティー)で500点、大学院修士課程(マスター)で550点のスコアが要求されている。また、超名門校では600点という気が遠くなるようなスコアがないと出願できない。

一方、僕が出願しようと考えているタイ国立ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学大学院修士課程が出願者に要求しているスコアは550点程度といわれているが、明確なボーダーラインが今ひとつハッキリしない。

昨日、電子メールで出願に必要とされる書類を研究室に再確認したところ、今日になって想定外の回答が返ってきた。

「主任教官と協議した結果、私たちはあなたが現在取得しているスコアを TOEFL のスコアとして見なさないと決定しました」

目の前が真っ暗になった。僕はいままでの TOEFL 受験方針を、突如として変更しなくてはならなくなったのだ。出願期限まで残り約1ヶ月。この期間内に大学側が要求している英語能力証明書をそろえるためには、いままで考慮したことのない2つの方法を新たに選択肢に加えなくてはならない。ひとつは比較的難易度の高いコンピュータベース(≠ペーパーベース)の TOEFL 、もうひとつは未対策のヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学主催の英語検定試験 CU-TEP(シーユーテップ) という試験。

僕がもう少し気合いを入れて事前の調査をしていれば、こんな事にはならなかったはずだ。情報不足だった僕は、語学学校で受験できるペーパーベースの試験 TOEFL Institutional Test(トーフル・インスティテューショナル・テスト) を公式の TOEFL Paper-based Test(トーフル・ペーパーベースド・テスト) が同一のものと思いこんでいた。

そこで、「受験料を支払って受験できる TOEFL 試験」の全形式について書きとどめておきたい。

  • TOEFL Paper-based Test(トーフル・ペーパーベースド・テスト) (ペーパーベース) ・・・ アメリカおよびカナダ国内の教育機関に出願するときにスコアの提出を求められる英語能力検定で、2001年頃まで主流だったマークシート形式のテスト。現在でも、一部の大学では英語能力証明書類として認められている(主催機関の公式見解では、中華人民共和国以外の教育機関では認定されていないそうだが、タイ国立ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学でも認められている)。
  • TOEFL Computer-based Test(トーフル・コンピューターベースド・テスト) (コンピュータベース) ・・・ 2001年頃に登場した新形式の試験で、現在ではカリフォルニア州内の短期大学以外のすべての教育機関に出願するときにスコアの提出が求められる。試験会場のコンピュータを利用して受験する。
  • TOEFL Institutional Test(トーフル・インスティテューショナル・テスト) ・・・ 語学学校で受験できる割安な試験。ペーパーベーステストの過去問から出題される。カリフォルニア州内の短期大学の出願にスコアを理由できる。
  • Pre-TOEFL(プレ・トーフル) ・・・ 語学学校で使う練習用の試験。ほかの形式の試験よりも出題数が少ないという。

ちなみに、次回開催の TOEFL Paper-based Test の最寄りの試験会場はテキサス州。しかも、試験日が来月では出願期限に間に合わない。

さしあたって、タイ在住の友人に送ってもらったヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学英語能力検定 CU-TEP の模擬試験問題集を解いて様子を見てみようと思う。

今回の出願期限内に大学が要求する形式のスコアを提出できないと、僕のアメリカ滞在はさらに半年間延長される。

2003年9月3日(水)

ロサンゼルスの日本人向け観光名所といえば、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、それから日本人選手が活躍しているドジャースの本拠地「ドジャースタジアム」。せっかくロサンゼルスにいるのだから、「日本人向け」というのは気になるが、やはり一度くらいは行っておきたい。

放課後、語学学校のクラスメイトから「ドジャース vs アストロズ」戦のチケットをもらい、別のクラスメイトとともにドジャースタジアムへと出かけた。

さすがはショウビジネスの本場アメリカ。多彩なファンサービスで、観客を退屈させない。観客席に配置されいるテロ対策警備員が、厳しい目で観客席を監視していた。

日没後、クラスメイトがバイトしている寿司屋で、友人達と浴びるようにビールや日本酒、泡盛(沖縄特産の焼酎)、赤ワインなどを飲んだ。店を出たのは閉店2時間後。先日の英語学習方針の急転換でひどいストレスを感じていたものだから、ついつい深酒してしまった。

2003年9月4日(木)

出願期限までもう時間がない。 TOEFL を受験して結果が郵送されてくるのを待っていては締め切られてしまう。そこで、僕は出願先のタイ国立ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学が主催する英語検定 CU-TEP(シーユーテップ) の結果に賭けることにした。

CU-TEP(シーユーテップ) の出題傾向は TOEFL(トーフル) とほとんど変わらないが、長文読解問題の英文にとんでもないクセがある。なんと一文が10以上のカンマで区切られ、しかもピリオドなしで延々と6行も続くのだ。僕はこんな奇妙な文章を TOEFL 問題集で見たことがなかったものだから、ものすごい違和感を感じた。でも、文章が複数の関係代名詞節でハッキリと分けられていて、そのなかに他の単語の意味を推測するためのヒントが隠されていることもしばしばで、過去問を解いてみたところなんと75%も正解した。

試験本番でもこの調子で問題を解ければ、出願必須スコアを楽々クリアして、来月には晴れてタイの大学に復帰できる。

2003年9月5日(金)

「なーんだよ、これ? イギリス英語なんじゃないの? 俺、こんな文章見たことないよ」

昨日解いてみたタイの大学の英語検定試験 CU-TEP(シーユーテップ) の過去問を流暢な日本語を話すアメリカ人に見せたところ、彼は顔をしかめながら長文読解問題を眺めていた。そして試験問題を見て感じたことを聞いてみたところ、面白い答えが返ってきた。

一般的に TOEFL(トーフル) に出題される長文は米語調で、筆者の主張が分かりやすく述べられている。回答のヒントも本文中に書かれており、あまり頭を使わなくても答えられる。

ところが、 CU-TEP(シーユーテップ) に出題される長文は格調高いイギリス英語調で、アメリカ人が嫌う迂遠な表現で筆者の主張が述べられている。筆者の意志を推測しないと解けないような問題が多く、本文中に回答のヒントがないこともある。

彼の話によれば、イギリス英語の構造はアメリカ英語よりも複雑で、アメリカ英語をネイティブとする人々をしばしば混乱させるそうだ。また、先週退職した語学学校の会話担当講師はこう話している。

「イギリス英語? あれって、かなりヤバいよね。キチガイ英語だ。聞いてて訳わかんなくなることなんてしょっちゅうだよ」

僕にはまだよく分からないが、どうやらアメリカ英語とイギリス英語には大きな違いがあるようだ。

2003年9月6日(土)

大学の休みを利用して、中学時代の友人が遊びに来た。僕たちはさっそく日本料理食べ放題の店へと出かけた。

TODAI はカリフォルニア州ロサンゼルス郡を中心に多くの店舗を展開している、日本料理食べ放題のチェーン店。最寄りの TODAI はアルハンブラ市の東約15分のところにあるサンタアンティナ・ショッピングモール店だ。

料金はひとり約27ドル。料理の質はとても値段に見合うようなものではなかったが、それでも各種日本風洋食のほか、寿司や天ぷら、小ぶりのロブスターなどから好きなだけ選んで食べることができる。ただし、最も高価な食材であるロブスターは1度に2切れまでしか注文できず、ロブスター目当てにこの店を選んだ友人は、なんども調理場と座席のあいだを往復することになった。

僕はもう二度とこの店に行かないだろう。この程度のバフェイ(ビュッフェ)なら、近所にあるアメリカ料理店で15ドルも出せば食べられる。

せっかくだから、このひどい料理を記録に残そうと思ったものの、デジカメが壊れてしまい撮影できなかった。この日記も、当面は写真なしで続けざるを得ない。

2003年9月7日(日)

今月21日に控えたタイの大学が主催する英語検定に備えて、一日中ベッドで横になりながら過去問を解いていた。

2003年9月8日(月)

今朝、両親が日本からやってきた。約一週間の予定で、アメリカ西海岸の各都市を観光する予定だという。こうして僕は両親の「ブランド品漁り」に付き合うことになった。なにしろ、彼らの英語力では値段を聞くことすらままならない。

ロデオドライブは、数々の高級ブティックや高級マンションなどが建ち並ぶ、観光客に人気のブランド品ショッピングの中心地。州間高速道路インターステート10号線のダウンタウン L.A. とサンタモニカのちょうど中間あたりにある。

TIFFANY のブティックで、さっそく名刺入れを購入。値段は日本の40%程度だった。

POLO RALPHLAUREN(ポロ・ラルフローレン) の直営店で約700ドルのスカートを購入。銀座にある直営店よりも高級志向が強い。

LOUIS VUITTON(ルイヴィトン) の直営店で見つけた一番安そうなハンドバッグは1,470ドル。買おうと思っていたものの、さすがに値段を聞いたら買う気が失せた。それでも、日本よりは相当安かったに違いない。

その後、欲しいと思っていた黒パンツに合う159ドルの革靴(踵なし)を買ってもらった。店員の話では、銀座で4万円前後で売られているという。

放っておくと際限なく金を浪費し続けそうだったから、僕はラスベガス市内に最近できたというショッピングモールの話をして、両親を宿泊先の Regent Beverly Wilshire Hotel (リージェント・ビバリーウィルシャーホテル) (現 BEVERLY WILSHIRE, A FOUR SEASONS HOTEL(ビバリーウィルシャー・ア・フォーシンズホテル)) に引き揚げさせた。

あのまま放っておいたら、きっと百万円は浪費していただろう。

恋人とロサンゼルスに来ることがあっても、絶対に連れて行ってはいけない場所。それがロデオドライブだ。

2003年9月9日(火)

午前中の授業に出ていたところ、終日 Universal Studios(ユニバーサルスタジオ) にいる予定になっている両親からの電話があった。ツアーに含まれていないサンタモニカビーチでショッピングをしたいという。

そこで、ユニバーサルスタジオへと両親を迎えに行った。もし月末の大学院の試験に受かったら、きっと一生行く機会がないだろうと思って、ついでに入場してみることにした。49ドルだった。

ユニバーサルスタジオには、有名なハリウッド映画をテーマにしたアトラクションが多数ある。さっそくターミネーター2のアトラクションを体験してみることにした。

今日は幸運にも普通の平日だったため、すぐに入場することができた。列の最後尾で3Dメガネ(たしか、なんとか防護メガネという名前が付けられていた)を受け取り、週末には家族連れなどで長蛇の列ができるだろう通路を足早に通り過ぎた。父の服装がロサンゼルス在住の韓国人風だったせいか、入り口に立っていた係員に笑顔で「アンニョーンハーセウー」と挨拶されてしまった。もちろん、韓国語などまったく知らない父は、まるで何もなかったかのように係員の前を素通りした。

屋内に入ると、上部に複数のモニターが設置されている空間に出る。そこには悪の巣窟サイバーダイン社のプロモーションビデオが流されており、続いて女性プレゼンテーターが登場する。どうやら、このアトラクションはサイバーダイン社のショウルームという設定のようだ。そこで、まるでテレビスタジオの観衆のように声を上げる練習をさせられてから、ストーリーを理解するために必要な基本情報の説明を受けた。

室内の映写スペースは半円形のワイドスクリーンに囲まれていた。スクリーンには3D効果のある映像が流され、ターミネータが前方の舞台上で敵と戦い、左右に配置されている6体のサイバーダイン社製のロボットから光線銃が発射される。臨場感たっぷりの演出だった。

ちなみに、僕が最も気に入ったのは、4両編成のトラムに乗ってテーマパークの麓に下りて、実際に映画撮影に使われたというセットを見て回る「スタジオツアー」というアトラクション。川が氾濫を起こすなど、ハラハラドキドキの演出があった。これを見ないでユニバーサルスタジオを語ることはできないだろう。

昼食後、僕たちはサンタモニカにあるショッピング街 Third Street へと向かった。

2003年9月10日(水)

「昼休みに電話番号を聞いたら、あっさりと教えてもらえたものだから、さっそく彼女に電話してみたよ」

ついに、このときがやってきてしまった! いままで恐れていた「タイ人男性による日本人女性攻略作戦」の始まりだ。ルームメイトのタイ人は、ウワサに違わず、リスクを顧みない勇敢かつ無謀なプロジェクトをそのまま実践してしている。それは日本人のやり方とは似ても似つかないものだ。

さらにタイ流の「告白のスタイル」には、日本人の「精神面から徐々に攻略していく」というアイデアがないようで、ルームメイトも他のタイ人の例に漏れず「行け行けドンドン」といったカンジでイキナリ彼女を食事に誘っていた。これじゃ、繁華街で目の前を通り過ぎる女性に手当たり次第声をかけるのと何も変わらない。しかし、当の本人はこの戦略で特定の女性を本気で落とそうとしているのだ。しかも、相手が同じ語学学校に通う女性とあれば、失敗したときのダメージがあまりにも大きすぎる。

「もし俺に興味がなかったら、さっさと断ってもらいたい」

友人はそう言うが、ハッキリと NO を突きつけるのが苦手な日本人には難しい要求だ。さっさと結果を知りたいという気持ちは理解できなくもないが、こんな簡単に成就するようなものだったら、世の中に恋の悩みを抱える人なんて誰ひとりとしていないはずだ。

しかも日本人的な価値観で考えてみると、このやり方で相手に電話をかけまくると「ストーカー」呼ばわりされることが目に見えている。彼はこの辺の覚悟が本当にできているのだろうか。

あまりにもリスクが高すぎると、僕には思えてならない。しかし、彼は目隠しされたイノシシのようにただただ次のステップへと進むことばかり考えていて、もはや誰にも止められるような雰囲気ではない。

タイ人にとって、恋は「駆け引き」ではないのかもしれない。

2003年9月11日(木)

「本人でもその知り合いでもいいけど、彼女が俺のことをどう思っているか探りを入れてみてくれないか?」

昨晩、タイ人ルームメイトにそう頼まれた。僕は「リスクが高すぎる」と消極的な意見を伝えたが、彼がどうしても「時間と労力を無駄にしたくない」と言うものだから、仕方なく彼の望むやり方でやってみることにした。

そこで、さっそく親しい日本人クラスメイト二人にこの話を持ちかけた。ところが、彼女らの答えは呆気ないほど単純明快で、しかもルームメイトを落胆させるには十分なものだった。すなわち、

「○○ちゃん、本当に困ってるよ。昨日なんて・・・(中略)・・・もう彼はストーカーになりつつあるよ」

ああ、やっぱり。アメリカにいるタイ人のほとんどが「日本人と対等に渡り合える」と信じているようだが、実際に学力や経済力がどうであれ、日本人の多くが共有している発展途上国に対する差別感情は尋常ではない。しかも、日本の流儀を無視したやり方で、彼は二日目にして高い壁にぶち当たってしまった。

自分たちの流儀で女性に交際を迫ったのは責められないが、彼に「当事者が許容できる方法で」口説くようにもう少し強めに忠告しておくべきだったと反省している。

外国人と付き合うのは、恋人友人を問わず、それなりに難しいことなのかもしれない。

今晩は、友人達と寿司屋へ飲みに出かけた。

2003年9月12日(金)

今週の月曜日から「会話」クラスの担当講師が変わった。しかし、その新任講師は授業の進行が下手で、午前中の授業が終わったときには精も根も尽き果てていた。おかげで午後の授業に出る気力もなくなり、僕は呆然としながらパソコンの歴史シミュレーションゲームをして過ごす羽目になった。

夕方、毎週金曜日恒例の夕食会兼英文聖書翻訳会に参加した。当初、寿司バーで働いているクラスメイト宅で予定されていた誕生日会への出席は見合わせた。

それにしても、ゲームに1日を費やしてしまうたびに、無駄な時間を過ごしてしまったという徒労感に襲われるのは僕だけだろうか?

2003年9月13日(土)

ここのところ、僕のタイ語力が急速に低下している。特に関係代名詞節を含む長文作成能力の低下は目を覆わんばかりだ。おそらく、渡米以来まったくタイ字新聞を読んでいなかったせいだろうが、一方で若者同士の会話で用いられるスラングのボキャブラリーは飛躍的に向上した。

でも、ルームメイトに「君のタイ語力は明らかに低下してる」と言われると、さすがにショックを隠しきれない。一刻も早くアメリカから脱出して、タイ語の復習に取り組みたい。

相変わらず退屈で暇な週末だった。

2003年9月14日(日)

試験が近づくと勉強をする気が失せるのは人の性だ。一週間後に控えた英語検定の試験対策をしようと思っていたが、結局まったく手を付けなかった。

2003年9月15日(月)

部屋を借りるのが難しいのか、それとも申込人の服装に問題があるのか。

今日は友人のアパート探しに付き合った。彼らはかれこれ2ヶ月近くもアパート探しに奔走しているが、いまだにホームステイ暮らしを続けている。僕は彼らのアパート探しに4回ほど付き合ったが、いつも申込用紙を提出しては拒否されることの繰り返しだ。ほかの留学生たちがいとも簡単に入居できていることを考えると、もしかしたら彼らの信用情報以外にも何らかの問題があるのだろう。

今日は「語学学校の近くにある2ベッドルーム」の部屋を探しに出かけた。ここでいう2ベッドルームとは、ダイニング、キッチン、リビング、バスルームのほかにベッドルームが2部屋あるという意味。

僕たちが住んでいるアルハンブラ市は、ロサンゼルス市街地から北東に約20分、パサデナ旧市街から南に約20分のところにある。2ベッドルームの相場は月々1,150~1,250ドル。希に1,300ドルに接近する物件や、900ドル台の物件もあるが、2人で無理なく共同生活をするのであれば、月々600ドルは見ておくべきだろう。さらに、部屋を借りて実際に住むとなると、家賃のほかにも、ソファーやベッドなどの生活必需品をそろえるための予算が必要だ。

予算に限りがある場合、家具付きのワンルームで生活することを選択肢に加えても良いかもしれない。月々480ドルで、二人でシェアして住めば月々の負担を240ドルにまで抑えることができる。

例によって、今日も彼らの部屋を見つけられなかった。たぶんギャングスターのような友人の風貌に問題があるのだろうが、当の本人はまったく意に介していないようだ。

2003年9月16日(火)

アメリカには日本の車検のような制度がない。しかし、それに代わるものとして、年に一度の車輌所有者登録(レジストレーション)と自動車税納入、それから排ガス規制適合検査(スモッグチェック)の合格証を提出しなくてはならない。

それぞれの費用は、自動車税と登録料で78ドル、近所の自動車整備工場での適合検査料(証明書発行手数料を含む)が48ドル。自動車税は車種によって若干異なるそうで、一緒に行った友人の自動車税は58ドルだった。

今日は午後の授業をサボって、友人と DMV(運輸局) に行って車輌所有者登録(レジストレーション)をしてから、IKEA(イケア, アイキア)に寄って引っ越してきたばかりの友人の家具の購入に付き合い、リトルトーキョーの日本料理店「こう楽」で天津丼を食べて帰宅した。

2003年9月17日(水)

今年中の大学院進学の可否が決まる最後の英語能力試験を4日後に控え、僕は現実逃避に走っている。午前中の授業を終えてから、クラスメイトたちとしゃぶしゃぶ(6.95ドル)を食べてから帰宅し、翌18日の午前7時まで入手したばかりのパソコンゲーム「信長の野望 天下創世」をプレイし続けた。またしても、不毛な一日を過ごしてしまった。

2003年9月18日(木)

「巡礼」とは、その宗教固有の聖地を巡拝すること。一般にこれを果たすことは宗教上の義務または年来の誓願であり、その功徳によって日頃の祈念が実現されるという。中世ヨーロッパの人々は、イスラーム教徒ならメッカ、キリスト教徒ならエルサレムなどを目指して歩いたという。今日は、それがいかに苦難に満ちたものだったかを考えさせられた。

今日、僕はルームメイトのタイ人とタイに行くことになった。僕は大学院主催の英語検定試験 CU-TEP(シーユーテップ) を受験するため、ルームメイトは幼なじみの結婚式に参列するためだ。

旅客機で約18時間の空の旅。機内では自由に動き回ることもできないし、タバコを吸うことすら許されない。そもそもロサンゼルスから経由地の成田に飛ぶだけでもシンドイというのに、さらにそこからタイまで飛ばなくてはならないのだから本当に気が滅入る。まったく常軌を逸している。

それでも、中世の「巡礼」に比べれば、かなり快適だったに違いない。飛行機のなかで飢餓や疫病の危機にさらされることはなかったし、身ぐるみを剥がされ所持金すべてを盗られることもない。ただ単に、エコノミークラスを3席占領して、毛布をかぶって横になっていればいいだけなのだから。

それでも、「本当にシンドかった」と誰かに言いたくてならない。

この続き(9月19日~10月2日)は、現在休止中のバンコク留学生日記をご覧ください。

2003年9月19日(金)

他人(ひと)に厳しく自分に甘く。タイには「タイ人同士は助け合い(コンタイチュワイガン)」という言葉があるが、タイの公的機関も外国人に厳しくタイ人には甘い。だから、外国人である僕たちがタイで暮らすのはそう楽なことではないし、外国人だから優遇されると期待するのは大間違いだ。是非とも肝に銘じておきたい。

もし自分が優遇されていると感じているのなら、それはたぶん平均的タイ人よりも多くの金を払っているからだろう。つまり、平均的タイ人と同程度の出費でタイで暮らしていては、タイ人よりも不利な扱いを受け、もちろん裕福なタイ人にも圧倒されることになる。

こうした憂き目から免れるには、彼らとの同化を図るしかないだろう。彼らの言語を話し、彼らの文化を重んじなくてはならない。それができなければ、僕たちは外国人として扱われ、ありとあらゆる局面で不利な立場に追いつめられるだろう。それにもし仮に同化に成功したところで、若干マシになるというだけで、外国人であるという不利を覆せるわけじゃない。どうあがいても国民ID(バットプラチャーチョン) やタイのパスポートは手に入らない。

今晩、僕はアメリカでのタイ人ルームメイトとともに、バンコク・ドーンムアング国際空港へと半年ぶりに降り立った。ルームメイトは21セットものゴルフクラブを小遣い稼ぎに持ち込もうとしている。アメリカで約560,000バーツ(約13,000ドル)で購入したものを約861,000バーツで転売することで、約320,000バーツの利益を得られると見込んでいる。

入国審査を済ませた僕は、手荷物引渡場でルームメイトからゴルフクラブバッグ6個のうち2個を受け取った。ルームメイトはバッグ6つが「申告なし」で通関するには多すぎると考えたようだ。

ルームメイトはタイのパスポートを提示して無事通関に成功した。一方で日本のパスポートを提示した僕は、係官に「旅行者にしては荷物の量が多すぎる」と思われ、内容物について厳しく詰問された。

ルームメイトからの事前の指示どおりに「段ボール箱のなかには被服品、カバンにはゴルフバッグが入っています」と英語で答えたが、すぐにカバンを X 線装置のなかに放り込まれてしまった。ルームメイトは簡単に通関できると信じていたようだが、僕は密輸入犯としていまにも逮捕されようとしている。

มิน่าล่ะ(ミナーラ) ไม่ใช่ของเค้าหรอก(マイチャイコーングカオローク) เอามาขายแน่ ๆ(アオマーカーイネーネー)
「やっぱり! 彼の私物のもんか。売るために持ち込んだに決まってる!」

僕の嘘はあっさりと露見し、係官からカバンを開けるように求められた。しかし、カバンには鍵がかかっている。クラスメイトはどうやら僕が考えていたよりも賢かったようだ。これで、僕の責任放棄への道が開けた。

「この荷物、実は一緒に来た友人の物で、彼がこのカバンの鍵を持っているんですよ。彼は数分後に出てくるでしょう。それまでの間、もうしばらくお待ち下さい」

そんな話を係員にしていたところ、クラスメイトが税関を素通りして出口へと向かっていた。ここで僕が彼に声をかけては、彼が今まさに無事通関させようとしつつある、ほかのゴルフクラブセットにまで累が及んでしまう。そんな彼に声をかけるのは愚の骨頂だろうと思い、彼が戻ってくるまで椅子に座って待つことにした。

そして10分後、ルームメイトが手ぶらで戻ってきた。ここからが贈賄交渉の始まりだ。

税関職員A 「これって、どれくらい価値があるんだ?」
友人 「300ドルくらいで買いました」
税関職員B 「300ドルってこれ全部の値段? それとも、1セットの値段?」
友人 「・・・全部の値段です」
税関職員A 「そんなわけないだろ? 1セットの値段だよな?」
友人 「・・・はい、そうです」
税関職員A 「ゴルフクラブの関税率は30%。で、これ全部で何セットんだ?」
友人 「だいたい6セットくらいです」
税関職員A 「じゃあ、300ドル×6セットの30%を課税カウンターに行って払ってくれ」
友人 「実は・・・僕も今日アメリカから戻ってきたばかりで、バーツを持っていないんですよ。200アメリカドルなら今すぐ払えるんですけど」
税関職員A 「そういうのは最近厳しくてダメなんだが・・・」
友人 「まあ、そう言わずに・・・」 (ほかの荷物に隠れて他人から見えない位置にあった職員の手元へ100ドル紙幣2枚を差し出す。)
税関職員A 「う~~ん・・・」 (周囲にいたほかの2人の税関職員を見渡し、目で同意を求める。)
税関職員C 「あ~~、もういいから、ほかの職員に見つかる前にさっさと行け!」 (一番遠くにいた税関職員が僕たちを追い払うような仕草をした。)

ちなみに、ルームメイトが戻ってくるまでのおよそ10分間に通関した約150人のうち、 X 線検査を受けたのはタイ人1に対して日本人7だった。どうやら、梱包されたままの新品が課税の対象になったようだ。今後、精密機械を日本から持ち込むような場合には、一度ケースから出して、ケーブル類をグジャグジャにしてから持ち込もうと思う。

それにしても、タイ人の荷物はどれも巨大で怪しかったのに、なぜ調べられなかったのだろうか。甚だしい不公平だが、「タイ人は助け合い」なのだから仕方ない。

その後、空港まで迎えに来たルームメイトの親族のクルマで実家に行き、午前3時頃まで話し込んでから、彼の部屋にある2段ベッドの上段で寝た。

2003年9月20日(土)

「宿泊されるのはタイ人ですか? それとも外国人ですか?」

ルームメイトに頼んで、スクンウィット(スクンビット)通り沿いにある旅行代理店に片っ端から電話で問い合わせてもらったところ、必ずといって良いほど冒頭のような質問を受けた。

ここバンコクのホテルは、タイ人向けの価格のほかに、外国人向けの価格を設定している。いわゆる二重価格ってやつだ。

ルームメイトも不思議に思ったようで、旅行会社にその理由を尋ねていた。ある旅行代理店のオーナーは、つぎのように説明していた。

「先日、The Twin Tower Hotel(ザ ツインタワーホテル) のオーナーがこの店に来て、直々にこのポスターを貼っていったんだ。彼はタイ人を一泊990バーツ、外国人を一泊1,500バーツで紹介して欲しいと話していた。そういう要望がある以上、私たちとしてもタイ人価格のバウチャーを外国人に売るわけにはいかないんだよ」

そこで、ルームメイトが自分の名前でホテルをとってくれた。

The Twin Tower Hotel は、個人旅行者のあいだでは不評だが、日本人向けのツアー旅行では一応高級ホテルという設定になっている。ロビーにはタイ風琴(名前を知らない)を演奏する女性従業員が常時2人配置され、巨大な絨毯が中央に敷かれている。客室は清潔で勉強机もあり、周辺に外国人が使えるような大量輸送の手段がないという欠点を除けば、値段の割に高級感のあり使い勝手の良いホテルだ。

2003年9月21日(日)

その結婚式はヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川沿いにある超高級ホテル「オリエンタル」で催された。会場の入り口には、昨晩ルームメイトの実家で会ったばかりの男性の写真が掲げられている。

ルームメイトの話では、新郎の父親は有名な私立英語学校のオーナーで、かなりの影響力を持っている人のようだ。また、翌日の新聞報道によると、今回の結婚式には900人もの招待客が参列していたという。

会場の各所にはオシャレな西洋料理が並び、招待客たちがワインを傾けながら歓談していた。ところが、用意されてた料理が少なかったようで、僕たちは空腹に耐えながら料理の前にできた長蛇の列で延々と待たされることになった。

それにしても、タイ国内で最も高級なホテルでこれだけの規模の結婚式を開いたら、いったいどれだけの費用がかかることか。

今日はヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学マスコミュニケーション学部のピニットプラチャーナート館で、大学主催の英語検定試験 CU-TEP(シーユーテップ) を受験してから、借り物の礼服でルームメイトの友人の結婚式に参列した。試験結果の発表は1週間後。

2003年9月22日(月)

ルームメイトのタイ人は、どうやらこの国では「上流社会」に属しているようだ。彼の兄はタイ国際航空のパイロットで、王宮ヂィットラダーラホーターン(チットラダ)宮殿ちかくの元小学校の敷地に巨大な邸宅を構えている。一方で、彼の「バンコクのカノジョ」は、父親がタイ東北部イーサーン地方の大都市ウドンターニー(ウドンタニ)で市内随一のホテルを営んでいるそうで、日本円にして1,200万円は下ることのない新型ベンツを乗り回している。

今日はそんなルームメイトの友人たちと、川沿いのシーフードレストランで夕食をとることになった。なかなかに風情のあるいい雰囲気の店だ。プラボーローンママハーラーチャワング(王宮)タンマサート(タマサート)大学があるヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川東岸のやや北のようだったが、旧市街の地理に疎い僕にはそれがどこなのか皆目見当も付かなかった。

やはり彼らと対等に渡り合うため(同じ階級にあると主張するため)にも、せめて BMW くらいには乗っておきたい。もしこのままタイに残れるとしたら、絶対に BMW 以上のクルマを買うための予算を計上しよう。200万円もあれば足りるだろうか?

今日はペッブリー13にあるホテル「ファースト」(朝食付850バーツ)に移った。

2003年9月23日(火)

20040817.jpgおよそ半年ぶりに、僕はバンコクの夜のスポットに足を踏み入れた。まず手始めに、スクンウィット(スクンビット)15にある外国人向けの娼婦(売春婦)調達バー「トァーメー(テルメ)」で、タイ語を話せないフリをして娼婦たちをからかってみることにした。

カウンターバーに座って英語ばかりを話していると、次から次へと娼婦たちに声をかけられた。タイ語ばかりを使っていた語学留学時代に比べると明らかに娼婦ウケが良くなっている。そうこうしているうちに、日本人向けの夜の歓楽街「タニヤ」で働いていたという元ホステスが、片言の日本語で僕に話しかけてきた。

娼婦たちは意外にも正直者ばかりで、僕が投げかける意地の悪い質問にも丁寧に受け答えしてくれた。たとえば、ある娼婦が「なんか今晩のイケてる客はあなたしかいなそうね」と話していたから、どんな客がイケてるのかと聞いてみたところ、「この店に来たことがない短期滞在者で日本国内に職を持っている人」という返事が返ってきた。

その娼婦が去ったあと、僕が流暢なタイ語で話しかけたときの別の娼婦たちの驚いた顔といったら、まったく見物だった。

この店は、多くの長期滞在者たちを落胆させるだろう。ほかの風俗関連施設に比べ、娼婦の容姿が圧倒的に劣るし、なかなか相手すらしてもらえない。新手の語学留学生たちが、無料セックスをゲットするために積極的なアプローチをしてるようだったが、手応えがあるようには全く見えなかった。

ただし、それなりに人が集まるバーで、音楽に身を任せながら酒を楽しみたいというのなら、別に悪くもなさそうだ。

2003年9月24日(水)

タイ人との結婚について、自分の意見をいろいろ書いてみようと考えていたが、やっぱりやめておくことにした。日本人同士の結婚という話題でも個人の見解が分かれて総括しにくいというのに、ここタイには「いろいろなタイ人」がいるため、タイ人との国際結婚を一言でまとめられるはずがない。

タイ人女性と来年結婚するという友人と夜を徹して語り合っていたところ、恋人の両親とフツウにコミュニケーションがとれ、フツウの関係が築けることが重要だという結論になった。

結婚は身請けではない。恋人の親族との関係が、単に金銭だけの関係だというのではあまりにも虚しすぎる。

2003年9月25日(木)

タイで使われている国際規格の携帯電話は、日本のものに比べればかなり見劣りするが、それでも日進月歩の進化を続けている。最近では、カメラ付きの携帯電話も少しずつ普及してきているようだ。

今日はルームメイトと、アメリカから持ち込んだゴルフクラブを転売するために、ゴルフ用品店が集まる「タニヤプラザ」に行くことになった。ところが、思うようにゴルフクラブが裁けず自棄になったルームメイトは、店番の女の子たちと親しくなることに全力を注ぐようになった。

こうして僕たちは、気分転換のために MBK マーブンクローングセンターへと移動した。

タイで携帯電話が最も安く取引されているのは、マーブンクローングセンター4階・北(東急)側のフロアだ。同じフロアでも、南(パトゥムワンプリンセスホテル)側はかなり割高。

僕がいま使っているのは、今年の1月頃に買った中古の Sony Ericsson 製。本体が小さく持ち運びに便利だが、液晶が白黒なのが気に入らなかった。アメリカでもカラー液晶で和音がでる携帯が主流になってきているものだから、とりあえず割安感のあるタイで買っておくことにした。

今回購入したのは Panasonic 製 EB-G50。カラー液晶に和音& PCM 音源を搭載している。新品で7,800バーツ。最高値は9,500バーツだった。

2003年9月26日(金)

言葉も文化も「日本とは違う」という理不尽に耐えているのだから、せめて日本料理くらいは「日本と同じ」美味しいものを食べたい。これは自分へのご褒美のようなもの。タイ料理よりも高いという理由であきらめられるようなもんじゃない。

今晩、僕は友人とスクンウィット(スクンビット)24奥にあるトンカツ屋「べっく」で夕食をとった。この店の一帯には、日本人向けのカラオケスナックや、片言の日本語を話すタイ人従業員がいるビリヤード屋などがある。値段はトンカツが180バーツ前後で、御膳セットがプラス120バーツ。あまりよく覚えていないが、ライスの値段がバカ高かったことだけはしっかりと覚えている。

ところがその御膳セットこそが、、もしかしたらこの店の目玉商品なのかもしれない。ライスのほか、みそ汁、6種類の小皿(すべてお代わり自由)がついてくる。

もしテストに受かってたら、しばらくはここをお気に入りの食堂にしよう。それにしても、「美味しい料理」というのは、値段はともかく、どうしてこんなに高カロリーなものばかりなんだろうか。

2003年9月27日(土)

今回のバンコク滞在、僕は滞在費を節約するために、パホンヨーティン47(都内ヂャトゥヂャック(チャトチャック)区)にあるルームメイトの実家にときどきホームステイしている。ここには外国文化に毒されていない純粋なタイ文化が息づいている。

相手構わず「おばあちゃんはね・・・」から始まるセンテンスで若者に語りかける老婆。僕に「息子よ、どうしたんだい?」と話しかけてくるルームメイトの母親。そして、外国人の僕を年長者への尊称「ピィー(お兄様)」と呼ぶ親戚の大学生。もちろん、少し格式張った感のあるワーイ(手を合わせるお辞儀)もちゃんと実践されている。ここ数日、僕は本物のタイ文化の数々を体験している。

そして、バンコク中流以上の家庭には必ずいると言われるメイドも二人いる。うち一人は、まだ高校生にもならない歳の少女だ。この時期に終日家にいるところからすると、どうやら学校には通っていないようだ。

家屋は、日本の一軒家のような母屋、特別な用途に利用できる離れ、公立小学校の体育倉庫のような使用人棟のほか、屋外の池に囲まれた団らんの場「サーラー」から成り、総坪数は約100坪。

僕は、都心から少し離れたところにある旧貴族の末裔たちが生活している家で寝泊まりをしている。

2003年9月28日(日)

タンブン(托鉢)といえば、一般に金や物を僧侶に寄付することとして知られているが、実は仏教的に功徳を積むこと全般を意味している。

今日は僕の臨時のホストファミリー、ロサンゼルスでのルームメイトの母親の誕生日。僧侶のほか、親戚縁者を招いてタンブンの儀式が行われた。

午前11時25分、僧侶団がルームメイトの親族が用意したピックアップトラック(ロットグラバ)の荷台に乗って登場。一行は豪勢なタイ料理が用意されている母屋の食卓へと直行した。タイ仏教の教義では、僧侶が女性に触れてしまうと「善行の成果(功徳)」が台無しになってしまうそうで、女性たちは厨房で料理を作り料理を僕たちに手渡し、僕たち男性陣が僧侶たちの給仕係(サーバー)を担当することになった。僧侶団の総数は、仏教的に縁起の良い数字といわれている9(ガーオ)と同じ9人だった。

午前11時45分、僧侶たちが居間の壁に沿って着席し儀式を始めた。僧侶たちの手には、自分と僧侶団の主席(?)とを結ぶ白い糸が握られていた。僕たち参加者は、あらかじめ用意されていた供物を差し出した。

午前11時50分、僕たち参加者は僧侶たちが唱えるお経を復唱していた。約15分間に渡って僧侶団の主席が発する教典の一部から始まる節をほかの8人の僧が復唱し、最後に僧侶団の主席が立ち上がって、僕たち参加者の頭に水しぶきを掛けながら室内を歩いて回った。

たったこれだけのイベントだったが、僕はすっかり疲れ切ってしまった。偉そうに構えているルームメイトの親族たちに礼を尽くすよう求められるのは相当に骨が折れる。

なお、今回のタンブンに伴って発生する布施は、僧侶団主席に500バーツ、残りの8人に200バーツずつだったという。

2003年9月29日(月)

今晩、僕はスクンウィット(スクンビット)37にある日本料理店「サムライ」で友人たちと昼食をとった。酒に酔った僕は、ルームメイトの実家に戻るのをやめて、ラッチャダーピセーク(ラチャダー)1にある日貸しアパート「タナタウィー・プレイス」(750バーツ)に泊まることにした。

2003年9月30日(火)

今日は久々にヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学部文学部の友人たちと再会した。正午にサヤーム(サイアム)駅前のミスタードーナツ前で待ち合わせ、サヤームスクウェア(サイアムスクエア)内の少だけ高価なタイ料理屋で昼食をとり、 MBK マーブンクローングセンターでハリウッド映画「アメリカンパイ」を鑑賞した。午後6時にルームメイトに高架電車 BTS モーチット(モチット)前まで迎えに来てもらった。