2003年7月1日(火)

賭け事をすれば、勝つこともあれば負けることもある。ところが、もし客の方が有利であれば賭場の経営が成り立たなくなってしまうから、どのゲームも賭場が有利になっている。客が負ける確率は「ペイアウト率」と呼ばれる払い戻し率から測ることができ、ラスベガスのカジノでは概ね90%以上に設定されている(掛け金の90%以上は手元に残るという意味)。しかし、一般に日本国内における公営ギャンブル(競馬や競輪など)のペイアウト率が約75%、宝くじが45~50%、パチンコが70%程度であることを考えると、カジノは客にとって比較的有利な賭け事であることが分かる。

この数字を見てしまうと、パチンコや宝くじをするのが馬鹿らしくなってくる。

なお、一般的に当たったときの配当金額が高いものほど、負けるリスクも高いと言われている。高額な配当金の裏には、必ず膨大な数の敗北者がいるのだから。

そこで、僕はより豊かな生活を夢見て、すでに400ドルをすっている友人を尻目にブラックジャックをプレイし続けた。勝っても2倍(運が良くても2.5倍)の配当しかないブラックジャックなら安全だろうという判断からこのゲームを選んだのだ。

昨晩、ダウンタウン・ラスベガスにあるゴールデンゲートホテルで30ドル負けた僕は、この日ボードウォークスホテルで45ドル勝ち、差し引き15ドルの勝ちに終わった。

明日はグランドキャニオンへ行くことになった。

2003年7月2日(水)

初日以来、僕たちはラスベガスクラブというダウンタウンにあるカジノホテルに宿泊している。そこは日本人によく知られてるラスベガス「ストリップ地区」からクルマで15分ほどかかるが、宿泊費が安いのが魅力だ。

オンラインの旅行代理店を通して予約した部屋は一泊17ドル。二人で泊まればひとりあたり8.5ドル/日の計算になる。無料ソフトウェア Travelaxe を使えば、希望するホテルを最安値で提供しているオンライン旅行代理店を簡単に検索することができる。

ホテル「ラスベガスクラブ」のテーマはなんと「野球」だった。ストリップ地区にある派手なテーマカジノホテルに比べるとひどく貧相なテーマに映るが、それでも安く泊まれるのだから良しということにしておきたい。どうせ、僕たちがラスベガスを堪能するのはタウンタウン地区ではなく、ストリップ地区にあるカジノなのだ。

今日はグランドキャニオン国立公園に出かけた。片道340マイル(約544キロ)、約5時間の道のりだった。途中でグランドキャニオンの麓の街「フラッグスタッフ」に一泊しておいた方が良かったのではないかと後悔した。往復で1088キロという距離は、とても尋常ではない。

今晩はストリップにある古代エジプトをテーマにしているラクソーホテルで60ドル勝った。通算75ドルの勝ちだ。最初のうちは負け続けていたものの、最後に友人とルーレットに100ドルずつ掛けたのが功を奏して、最終的に勝ち逃げることができた。もし、負けていたら、本当に目も当てられないような結果になっていた。

2003年7月3日(木)

せっかくラスベガスまで来たら、アウトレットモールに寄ってカジュアルウェアを調達しておきたい。ロサンゼルスの流行は日本とまったく違うから、日本から持ってきた服をほとんど着られず、深刻な洋服不足に陥っており、なんとしてでも着られる服が欲しい。

なにしろ、ロサンゼルスにおける服の流行は、日本のそれよりはるかにカジュアルなのだ。

僕たちはカリフォルニア・ネバダ州境にある Primm という街に寄ることにした。 Primm は砂漠化した湖 Dry Lake と呼ばれる広大な砂漠地帯のど真ん中にあって、当然、居住には不向き。地元住民による市街地も形成されておらず、そこあるのはこの大型ショッピングモール「ファッションアウトレッツ」 Fashion Outlets と3件のカジノホテルだけだ。

出店しているデザイナーズブランドは全部で80ほどあり、いずれも有名店ばかり。ここでそのすべてのブランド名を紹介してしまったら何行あっても足りないだろうから、詳しく知りたい人はPrimm Fashion Outlets のホームページでチェックして欲しい。

今日までバーストウの街で調達した GAP の安物の服で我慢していた僕は、ここにある Banana Republic と Guess? で250ドル分ほどの被服品を買い込んで、自分のファッションレベルを向上させよう考えた。

一説によれば、ここで売られている格安品の多くは、型落ちした在庫処分品が多いとか。しかし、周囲には何もないという不便な立地にあるため、各デザイナーズブランドは都市部での値崩れを警戒することもなく、思い切った値引きをしているらしい。

2003年7月4日(金)

今日は227回目のアメリカ独立記念日。1776年7月4日にひらかれた大陸会議で、イギリス領北アメリカの13植民地が独立を宣言した「1776年7月4日の連合会議における13のアメリカ連合諸邦による全会一致の宣言」を国家的に祝う祝日だ。

僕たちは先週金曜日のホームパーティーでお世話になったアメリカ人の家に集合して、花火大会が催される南パサデナ高校に出かけた。僕たちが到着した午後6時には、すでにバンドによる演奏がメインステージで行われていた。

空が暗くなり始めたのは午後8時すぎだった。花火大会は午後9時から始まり、ディズニーランドのパレードのような重厚な楽曲とともに約20分間に渡って大量の花火が打ちあげられた。もちろん最後は大音量のアメリカ国歌と、その音楽が聞こえなくなるほどの大量でめちゃくちゃな花火で締めくくられた。

2003年7月5日(土)

久々の休日。ゆっくりとくつろいだ。

2003年7月6日(日)

チーズケークファクトリーは、ビジネスにおける成功を夢見たオーベルトン夫妻によって1940年、小さな手作りチーズケーキ屋の1号店としてデトロイトに設立されたという。1971年に最優秀地方料理店に選ばれ、1970年代には事業の拠点をロサンゼルスに移したそうだ。現在では全米に25店舗を擁する高級ファミリーレストランとして知られており、店前には連日のように1時間から2時間待ちの大行列ができている。

今晩は友人たちと吉野家で夕食をとることになっていた。ところが、どこに吉野家があるのか知らないままに出発してしまったので、当然のように道に迷い、当てもなく彷徨い続けることになってしまった。そうしているうちに Cheesecake Factory の看板を発見。それがあの有名レストランであることをすぐに思い出した。そして同時に、僕たちがパサディナ市街に迷い込んだことを知った。

午後11時30分。夕食を取るには遅する時間だが、だからこそ普段は大行列を作っているこの有名店で夕食を取るには絶好の機会と思い、すぐに吉野家という目的地をキャンセルして、ここで夕食をとることにした。たった20分待っただけで席に着けた。深夜でも行列を作っているところが、この店の評判の高さを証明している。

店内は薄暗いながらも、清潔かつ高級な雰囲気が保たれていた。料金はパスタが12ドル~16ドル、ご飯ものが13ドルから。予定外の手痛い出費だが、2時間も並ぶことなく、この有名店でのディナーを体験できたのは満足だ。

Cheesecake Factory
2 W Colorad Blvd, Pasadena, CA 91105 / (626) 684-6000

2003年7月7日(月)

1週間の充実した夏休みも終わり、学校通いの日々がまた始まった。今期は集中英語講座レベル4と、TOEFL 対策講座を受講する。授業時間は1日あたり7時間12分。授業中に寝てしまうことがないように頑張ろう。

クラスが変わったことで、僕たちレベル3からの進級組は古い教科書を売って、新しい教科書を買わなくてはならない。周囲の話によれば、語学学校の教科書や中古の教科書は市価より割高ということで、一部学生たちの間では個人売買のほか、amazon.com での購入が盛んになっている。

よほど気合いが入っているのではない限り、教科書は中古のものを購入した方がよい。突然の用事などで宿題が出来ない場合などに驚異的な威力を発揮するからだ。さらに、留学生アドバイザーの話によれば、語学学校を通して取引される中古教科書は、語学学校がその半額をマージンとして取っているのだとか。そこで、僕は始まったばかりのレベル5の教室を訪ねて、中古教科書を売却してくれそうな学生を探すことにした。

「語彙と読解」と「文法」の教科書2冊セットで30ドルで売却してくれる学生を発見。直ちに現金払いで買うことにした。しかし、「会話」の授業の教科書が今学期から変更されたそうで、これの購入に25ドルを費やした。

自分で宿題を解くのが最良の学習方法であることは承知している。しかし、保険があるにこしたことはない。

2003年7月8日(火)

「クラスは平均10~15人で編成されており、定員数を超えた場合には新クラスが設けられます。私共の経験から、各学生を十分に配慮し少人数制クラスにしております」(語学学校ホームページより)

今日は実に不愉快な一日だった。朝、学校に行ってみたら、なんと教室に20人もの学生がいた。しかも、名簿にまだ名前が書き加えられていない学生を含めると25人にもなるという。25人の英語教室の何を以て「少人数制クラス」と主張つもりなのか!? これでは公立学校の英語の授業と何も変わりやしない。

そこで、クラスの親しい友人達を集めて解決策を探ることにした。僕たちの力でこの事態を解決する方法はいくつかある。①さらにもうひとつ上のクラスに進級させてもらう、②午後のクラスに移籍する、③別の校舎に移籍する、④別の語学学校に転校するなど。

さっそく、もうひとつ上のクラスに進級してもらおうと要求しに言ったところ、「レベル5のクラスにも15人以上います。それでしたら、レベル4のクラスと変わりませんよね?」と諫められてしまった。さらに、ダウンタウンLA校のレベル4について問い合わせてみたところ、「こちらのレベル4にも20人以上の学生がおり、新規や編入等の受付はすでに打ち切られています」とのこと。仕方がないから、後日気が向いたときに、午後のクラスを見学させてもらおうかと思っている。

それにしても、語学学校の全関係者が「新たにクラスが設けられます」という文言を完全に忘れ去っているかように振る舞っていたことには、正直、怒りを越えて驚いている。

友人の話では、語学学校の紹介パンフレットも通信販売のパンフレットと同じように話半分と思っておいた方が良いそうだ。やはり、留学前に現地の友人を作って、十分な情報収集をしておくべきなのだろう。

ダウンタウンLA校に電話で問い合わせたところ、あちらにもキレイなタイ語を話す日本人がいるそうだ。

2003年7月9日(水)

僕がアメリカに来てからというもの、今日まで数え切れないほどのサインを書いてきたと思う。アメリカの契約社会、訴訟社会をそのまま反映しているのではないだろうか。

今日は友人の中古車を買いに行くのにつきあった。友人が「びびなび」というロサンゼルス在住の日本人によるコミュニティーサイトで見つけた中古車を買うことにしたのだ。出品者は現地に長いこと住んでいる日本人。3200ドルだった。

出品者が車を駐車している道路に着いて、さっそく車を試乗させてもらったところ、特に問題がなかったようで、友人は購入を即決した。すると、出品者がすぐに数枚の紙を持ってきて、そこへのサインを求めてきた。内容は、売買成立時刻以降にその車が問題を起こした場合、運輸局への登記内容の如何に関わらず、新しい所有者が全責任を取るという内容。また、いっさいの苦情は受け付けないという内容も含まれていた。

なお、その友人は売買成立時に受け取った自動車登録証を自ら持参して、運輸局で名義変更を行わなくてはならないそうだ。

偶然、今日はその車を買った友人の誕生日から、彼が買ったばかりの車でリトルトーキョーに行って、大量のビールを飲んで焼き肉を食べた。

2003年7月10日(木)

集中英語講座レベル3以来の友人たち数名で、午後の「中級英語講座」を見学した。もはや、僕たちの我慢は限界寸前で、ここのところ、いろいろな可能性について真剣に議論を交わすようになっている(→今月8日の日記参照)。

今日はその第二弾、「午後のクラスに移籍する」の可能性を探ってみた。しかし、結果はあまり芳しくなかった。なにしろ、午前中の集中英語講座が7教室に別れて編成されているのに対して、午後の授業はひどく人気がないらしく、なんと1クラスしか用意されていないのだ。学生は6人だったが、生徒の英語理解度にはかなりのムラがあって、授業のテンポも悪い。

さしあたって、もう少しの間、大人数制英語教室レベル4で様子を見るしかなさそうだ。

それにしても、この国の事業家には日本人ほどの責任感はない。ありとあらゆる分野に関してそう断言できる。規則で雁字搦めになっていて妙に息苦しく思える日本だが、それが日本経済の原動力なのであって国際競争力の要なのだろう。

「日本は最高の国だ!」

という声を聞く機会が、外国にいると特に多い。それは単なる思い込みなどではなく、もしかしたら真実なのかもしれない(それでも、日本の農奴階級管理型の社会に縛られることへの抵抗感は拭いきれない)。

2003年7月11日(金)

外国人の率直な意見は、聞いていてとても興味深いと思う。特にそれが外国語だと、時間を忘れて思わず聞き入ってしまう。

今晩は毎週金曜日恒例のホームパーティーの日だった。しかし、友人宅にいたところ、突然クラスメートの台湾人から電話があって、この週末にスピーキングの教科書をコピーしたいから、家まで届けに来て欲しいと頼まれてしまった。そこで、僕はホームパーティーを抜け出して、その台湾人が滞在している中国系アメリカ人(台湾人は「台湾系アメリカ人」と呼んでもらいたいそうだ)の家へ行くことになった。そして、教科書を渡してから、屋外で様々な話について話し合った。

そのなかでも、台湾人の日本人観というものが特に興味深かったから、その一部を書きとどめておこうと思う。

  1. 台湾には徴兵制があり、成人台湾人男子は2年間に渡る軍隊生活を義務づけられている。もちろん、ケイイチも兵役の義務を全うしたんでしょ?
    • 日本人の僕に、軍隊生活というものは想像できない。日本には軍隊がないから、徴兵制自体存在しない。でも、戦闘機や戦車を保有している特別な国防部隊がある。
  2. 台湾にとっての仮想敵国は、中華人民共和国だけではなく日本も含まれている。日本の軍事力は驚異だ。
    • そんな馬鹿な!? 日本は台湾の友好国だから、台湾に軍事的圧力を加えるはずがない。台湾人は日本を軍事的脅威ととらえているのか!? しかも、現行法では、日本の国防部隊が戦争の当事者になったり、交戦中の地域に派遣することはできない。
  3. 川島茉樹代という芸能人を知っているか? 台湾ではとても有名な歌手なんだけど、日本ではどの程度の人気なの?
    • 知らない。それは確かに日本人の名前だけど、僕の知る限り彼女は日本ではデビューしていないと思う。
  4. 台湾にもある日系の MAKOTO 銀行は、日本ではメジャーな銀行なのか?
    • そのような名前の銀行は日本国内に存在しない。
  5. アメリカに限らず、日本でも23歳の女の子が夜間に外出するのは両親に禁じられているものでしょ?
    • 大学生でも大半の女性は夜間に外出したり、友人の家に泊まったりできるはず。すでに、大学を卒業しているんだったら、その両親は娘の結婚のために外泊等を期待することはあっても、禁止することはまずないはずだ。

本当はもっともっと興味深い話題もあったが、他人のプライバシーについてはできるだけ書かないようにしたい。

なお、台湾の大学では、日本語を第二外国語として選択する学生が少なくないそうだ。僕の知る限り、どうやら台湾人は日本語語彙を50語以上知っているようだ。さらに、ほかのクラスには実用レベルの日本語を話す台湾人がウジャウジャいる。

タイ人の日本人観と比較するためにも、より多くの情報が欲しいところだったが、ホームパーティーの解散時刻が迫っていたものだから、1時間弱程度で立ち話を切り上げてホームパーティーに復帰した。

今日は、近くの公園でクラスメートに髪を切ってもらった。10年間以上変えることのなかった「少し長めのストレートヘア」をやめ、LAのカジュアルさに合わせた流行の短髪を試してみた。明日にも、無造作ヘアを整形するための整髪料を買いに行かなくては。

2003年7月12日(土)

一日の大半を寝て過ごした。

2003年7月13日(日)

アメリカでは、州によって飲酒や喫煙が法的に許可される年齢というものが独自に定められている。ここカリフォルニア州では、その年齢は21歳以上とされており、購入者の年齢を容姿によって判断できない場合、販売店は必ず政府機関が発行する顔写真付きの身分証で確認しなくてはならない。

その規則によれば、年齢確認に使用できる身分証は、各州が発行する運転免許証のほか、州発行の身分証、州兵身分証やパスポートなどに限られ、国際運転免許証は使えない。

この規則の運用は、どうやら日本に比べると非常に厳格に運用されているようで、僕の場合は100%の確率で身分証の提示が求められる。友人の話によれば、異民族の場合、容姿から年齢を推定するのは困難で、特にアジア系は年齢よりも若く見られることが多いそうだ。先日、一緒にビールを買いに行った31歳のタイ人までもが身分証の提示を求められたのには正直驚いた。

この規則の詳細については、大型食品スーパーのレジ横に掲示されている。

今晩は友人たちとテンプル市の吉野家で2.69ドルの並盛り牛丼を食べてから、僕の部屋で朝まで酒を飲み続けた。今回は沖縄の飲酒習慣に則り、瓶ビールを回し飲みした。もちろん、今晩も身分証の提示を要求された。

2003年7月14日(月)

僕がタイにいた頃、ほかの語学学校をよく「生け花教室」と揶揄していたものだが、もしかしたら今僕がいる語学学校こそがその生け花教室なのかもしれない。

授業中にノートの裏側にメモした単語リストを眺めていたところ、その数がひどく少ないことに驚いてた。過去一週間に出てきた新出単語はたったの20語だった。

昨年、ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学文学部では毎日120語くらいの新出単語が出てきたが、こうも少ないと家で単語を覚えようという気力すらなくなってしまう。なにしろ一日あたり、たったの4語しかないのだ。

もっと手応えのあるスパルタ型の英語学校があれば、ぜひとも転校したい。いかんせん語学学校関連の情報があまりに乏しく、選ぶことすらできない。

これではアメリカ語学留学生のすべてが「遊学生」だと揶揄されても、自分を含め、「そうだ」と甘んじて認めざるを得ないだろう。

2003年7月15日(火)

午後の授業をさぼって、友人達とショッピングモール「サンタアンティナ・ファッションモール」に出かけた。語学学校前を走るハンティントンドライブから東に5.6マイル(約15分)ほどのところにある。

このショッピングモールは、有名服飾品百貨店 Macy’s と複合ショッピングモールに区分けされており、すべての有名ブティックが揃っているというほどではないものの、多くの選択肢からさまざまな種類のものを選択できる。

Santa Anita Fashion Park
 400 S Baldwin Ave, Arcadia, CA, USA
 (626) 574-2983

2003年7月16日(水)

「サンマリノ市って、本当の意味での高級住宅街なんだってよ。私の叔母がここに引っ越してきて家を建てようとしたら、市の認可がなかなか下りなくてひどく困ったらしいの」

この友人の話を要約すると、ロサンゼルス郡サンマリノ市には住宅と地域環境に関する条例があるらしく、街の景観を維持するために、美しい家を建てなくてはならないそうだ。家の善し悪しは、市当局のデザイナーと近隣に住む5人の住民によって判断されるという。

そして、建設した家が彼らの同意を得られなかった場合、改築するか新築し直さなくてはならないとか。

3時間目の授業が始まったのを無視して、台湾人の友人と廊下で長話をしてから教室に戻ったら、英文読解の教師に教室から追い出されてしまい、僕たちは給湯室で時間を忘れて延々と話し込むことになった。

ふと気づいて時計を見たところ、午後の1時だった。良い英会話の勉強になった。

2003年7月17日(木)

再来週末にある語学学校イベント「バレーボール大会」の練習をするために、語学学校の友人たちとアーケディア市にある Newcastle(ニューキャッスル) 公園へと出かけた。この公園には一般的な遊具のほか、広大な芝生スペース、テニスコート2面、壁に打つテニス練習場5カ所、砂ベースのバレーボールコート2面などがあり、なかなか良い施設だ。

アメリカに来て頻繁に思うことだが、こちらの地域インフラは日本に比べて格段に優れている。おそらく、優れた都市計画論に基づく都市開発をしているのだろう。日本にもこのような公園が近所にあれば、きっと幸せな生活が送れるのではないかと思う。

2003年7月18日(金)

日本でも、国産車の方がアメリカ車よりも優れていると言われているが、ここアメリカでも日本車の方が人気がある。中古車市場での取引価格も、もちろん日本車の方が圧倒している。

午前中の授業のあと、僕は隣のクラスの学生達とメイン通りにある中華料理店へと出かけた。食事を終えて駐車場に戻り、それぞれのクルマに乗り込んだところ、クラスメイトが運転する旧式キャデラックの下に落ちる小さな火花が目に入った。僕はクラクションを鳴らし「逃げろ!」と叫び、クルマから脱出するよう促した。10秒後に発火。1分後には駐車場一帯が黒い煙に覆われた。僕たちは自分のクルマを安全な場所まで移動させてから、隣接するコインランドリーに待避した。一方のキャデラックの持ち主は、駐車場を囲むようにして建っている商店ひとつひとつに駆け込んで、クルマを移動させるように呼びかけて回った。

4分後にはキャデラックが炎に包まれた。その炎は、すぐ隣の植え込みに飛び火し、その植え込みの反対側に駐車してあった新型ベンツに迫っていた。クラスメイトのクルマはもうあきらめるしかないが、ほかのクルマに延焼してしまったとあっては、とんでもない賠償問題にも発展しかねない。

消防車が現場に到着したのは炎上から15分後。そのころには小規模な爆発が繰り返されており、窓ガラスも周囲に飛び散って、いまにも新型ベンツに飛び火しようとしていた。

消防車から飛び降りた消防士は、素早く消防服に着替え、ただちに消火活動にかかった。炎はそれから約5分してようやく鎮火された。

キャデラックの持ち主は、片っ端からアメリカの事情に詳しい日本人に電話をかけ、全米自動車協会 AAA (日本の JAF のようなもの)の電話番号を尋ねていた。彼は自動車保険に加入しておらず、しかも AAA にも加入していなかったことから、知り合いの AAA 加入者番号を借りざるを得なかったという。ところが、名義の貸し借りが出来ないことが分かり、彼の知り合いの解体屋に電話することになった。

彼の車は1979年製のキャデラックだった。誰が見てもそれはクラシックカー以外の何物でもなかったが、それでも何の前触れもなく爆発炎上することを想像できた人は誰ひとりとしていなかっただろう。彼が半年前にその車を購入したときの値段は1,500ドルだったという。今回の爆発は、電気系統の故障が原因で、バッテリーのショートによって引き起こされた火花が周辺の部品に引火したという見方が強い。

ところで、消防車費用と炎上車の処分費用は無料だったという。おそらく、焼け残った部品の一部が価値あるものとして売買されるのだろう。

彼は来週水曜日に警察と消防による事情聴取を受けることになっているそうだ。また延焼させてしまった駐車場の植え込みに対する補償話は今のところ来ていないそうだ。

そのとき、僕は来週月曜日にでも自動車保険に加入しようと決意した。

2003年7月19日(土)

マジックマウンテンは、僕たちが住んでいるロサンゼルス郡北東部にあるアルハンブラ市から50分ほど北上したところにある遊園地。アトラクションの趣向や規模のほか知名度などからも、日本の富士急ハイランドと比較してみるとちょうど良い。アトラクションの大部分は絶叫系のものばかりだ。料金は大人乗り放題券44.99ドル。僕たちはマジックマウンテンがコカコーラ社と提携してプロモーション中の Buy One Get One Free キャンペーンを利用して半額で入場することになった。

今日はクラスメイトたちと遊園地マジックマウンテンへと出かけた。午前8時に出発し、午後6時まで遊び倒した。アトラクション待ちの時間がほとんどなかったせいで、絶叫系アトラクションを休憩時間なしで乗り継ぐ羽目になった。7つほど乗ったところで体調が悪くなり、園内にある中華料理店で1時間ほどの昼寝をした。

東京ディズニーランドの行列は、来園客を苛立たせ良くないと思われがちだが、もしかしたら、実は客を極度に疲労させないための園側の心遣いなのかもしれない。

近所に新たに発見した吉野家に寄ってから、午後11時に解散。その後、友人たちと午前2時まで紳士クラブ(ジェントルメンズクラブ)へと出かけた。紳士クラブとはタイにあるゴーゴーバーのようなところだが、今ひとつ迫力がバンコクに劣るため、僕はあまり好きではない。

http://www.sixflags.com/parks/magicmountain/index.asp

2003年7月20日(日)

カリフォルニア州ロサンゼルス郡トーランス市。ロスアンジェル市街地の南約17マイル(約27キロ)にある、日本人が多い町として知られている。人口約14万人。民族別の人口比は白人74.2%、アジア系10.8%、ヒスパニック系8.3%、黒人0.7%など。現地にはトヨタなどの日系企業が進出しているそうだ。

今日はタイ人同居人と「日本製 PlayStation2」のゲーム Final Fantasy11を買いに、アルハンブラ市に隣接するラストゥナス市にある中国人経営のゲーム屋へと出かけた。ところが、売り切で来週まで入荷予定がないということで、僕たちは日本人が多く住んでいることで知られるトーランス市へと向かった。

トーランス市へ行くには、僕たちが住むアルハンブラ市からインターステート10号西線とインターステート110号線南線を経由し、トーランスブルーバード出口でインターステートを降りる。インターステートを降りてからトーランスブルーバードを右折、すぐにある南ウエスタンアベニューを左折すると日系スーパーで有名な Mitsuwa(ミツワ) トーランス店に到着する。

さすがは日系スーパーの本拠地。僕が普段から利用しているサンガブリエル店とは比較にならないほどの大きさで、書店から玩具屋、さらには日本食ファスフード店まであった。

ここで、いろんな人に日系ゲーム店の場所を尋ねてみたが、彼らは、

「○○はすでに潰れてしまったしなぁ・・・」

と繰り返すばかりで、なかなか情報が手に入らなかった。彼らの話では、ここ数年に名の知れた日系ゲーム店が次々と閉店に追いやられているとかで、以前はゲーム屋をしていたという店も今ではビデオレンタル店に模様替えされているという。

それでも、なんとか Final Fantasy11 を手に入れた。トーランスは日本人が多いと聞いていたが、噂ほど日本人は多くなく、日系の店も少なかった。

2003年7月21日(月)

タイ人社会とは、すなわち階級社会、年功序列社会である。儒教の影響もあって、日本だけでなく、韓国や中国でも重んじられているアジア共通の道徳観だ。

僕たちの共同生活住宅(タイ人3、日本人1)には、この1ヶ月ほど誰の許可も得ることなく勝手に居候している28歳のタイ人男性がいる。彼はフィアデルフィアで半年間語学留学をしたのち、3ヶ月前にここロサンゼルスに引っ越してきたそうだ。

彼はタイの最高学府ヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学の法学部を卒業したエリートを自称しているが、僕の周囲のタイ人(約10人)はその話を「到底あり得ないこと」として切り捨てている。なぜなら、彼の英語力は僕の英語力よりもはるかに劣るからだ。それに、彼が使うタイ語はひどく汚い。まるで麻薬を売買している不良のようだ。ここまで極端に下品な人物となると、アメリカに来られるような裕福なタイ人にはあまり好まれない。

さらに、彼は居候の身であるにも関わらず、まるで自分がボスであるかのように振る舞い、周囲からの強い顰蹙(ひんしゅく)を買っている。そればかりでなく、彼は僕をまるで使用人であるかのようにあごで使い、さまざまな無茶を強要してくる。

小学校で学ぶ私的制裁の基本。それは、周囲との団結だ。基本とは、最も効果的だからこそ多用され、だからこそ常套手段とされてきた。なにがなんでも、この嫌なヤツを社会から追放しなくてはならない。

そこで、この話をタイ人の同居人ふたりに持ちかけたところ、すぐに同意を得ることができた。彼らも不満を持っていたものの、年功序列というタイの道徳観から口に出して不満を申し立てることができなかったという。また、語学学校のタイ人ふたりに不満をぶちまけたところ、同じような経緯で強い賛同を得た。さらに、夕方頃になって僕たちの共同住宅に訪れた2歳年上のタイ人にもこの話をしたところ、彼は声を大にして今日まで蓄積してきた不満を語り出した。

通常、年長者に対する不満を公言することは、タイの価値観的にはタブーとされているが、外国人である僕がそのタブーを無視して無許可居候人に体する批判を始めた結果、ここに不良居候人排斥のムーブメントが形成された。

「いつになったら、先輩は帰宅されるのですか? 今日にでも帰って頂いて構わなんですけど」

共同住宅の居間、午後11時。22歳のタイ人同居人が Play Station 2 のコントローラーを片手に、言葉を選びながら不良居候人に帰宅を促した。そして、居候人は小声で短く答えた。

「ああ。今日にでも出て行く」

このやりとりに関して、もうひとりのタイ人同居人は次のように語っている。

「彼は怒りを覚えたというより、むしろそれを打ち消してしまえるほどの強烈な羞恥心を感じたのだろう。なにしろ、彼は本来は有り得ないはずの 『年少者による追放』 という憂き目に遭ったのだから」

この一連の事件で、僕はタイ人社会における年功序列観の深部に触れたような気がした。

2003年7月22日(火)

ここロサンゼルスの外食物価は驚くほど高い。日本の1.2倍はあるのではないか。さらに、数年来の日本国内におけるデフレ(消費者物価の下落)と強烈な円安に加え、3年前のIT景気時に起きたアメリカ国内におけるインフレ(消費者物価の上昇)の影響でとても割高感がある。

朝食600円、昼食700円、夕食1300円。大衆食堂でも、こんなに高い。

そこで、僕は市内最安値の外食店を探すことにした。このままでは近い将来、僕の家計が破綻してしまうこと疑いない。

さしあたって、すぐに思いついたのは吉野家だった。ご飯党の僕としては、マクドナルドなどのファーストフード店だけは絶対に避けたい。しかし、最寄りの吉野家はここから30分ほど離れたパサディナ店。そこで、友人に尋ねてみたところ、ここアルハンブラ市からサンゲーブル市の先にあるテンプル市内にも吉野家があるという。ここからだと、片道約10分程度。

牛丼並盛2.69ドル。付加価値税を加えた総額は2.91ドル。これは日系スーパー Mitsuwa で売られている日本食弁当(4.75~6.95ドル)に比べても半額程度。

片道10分というのは少し遠いような気がするが、これからは家計のためにも一日一食の吉野家は欠かさないようにしたい。

2003年7月23日(水)

Bank of America から届いた預金残高報告書によれば、今月、僕は銀行から1,963ドル(約24万円)も引き出したという。僕はあまりの出費の多さに驚き、20分近くもその報告書を眺めてしまった。家賃338ドル、ラスベガス旅行約100ドル、被服品等購入費300ドル程度を考慮しても、この金の使い方はあまりにもひどい。

ところが、タイ人の同居人に言わせると、

「だって、1日3食すべて外食なんでしょ? 2,000ドル程度の出費は当然だと思うけど。出費を減らしたいのなら、自炊すればいいじゃないか?」

ということらしい。確かに一理ある。

そこで、今日はさっそく学校で僕の食事を作ってくれる人を捜すことにした。二人が相応な金額を払えば考えても良いと言っていた。あとは「相応な金額」がいくらなのかが問題だ。

今日現在の預金残高は843ドル。アメリカに来た当初は12,000ドル近くあったはすなのだが、いったいどうしてしまったのだろうか。

2003年7月24日(木)

いまホームステイをしているクラスメートが引っ越したいというので、もうひとりのクラスメートを加えた3人で語学学校の徒歩圏内にあるアパートを探しに出かけた。アルハンブラ市内の2LDKの平均的家賃は1,250ドル。二人で共同生活をしても、月々625ドル(約76,000円)はかかる計算になる。さらに、1LDKの相場は月々720ドル(約88,000円)だ。1Kも探してはみたが見つからなかった。ここロサンゼルスでひとり暮らしをするのは少し難しいかもしれない。

2003年7月25日(金)

「・・・だけど、この話はタイ人と韓国人に秘密にしておいてね。日本人社会って台湾人社会に似ているから、たぶん分かってもらえると思うんだけど、私たちにも民族差別感情があって、世間体も気にしなきゃイケナイから、あまり彼らを家に連れてきてもらいたくないのよ」

語学学校のイベント「ハンティントンビーチ・バレーボール大会」からの帰宅途中の車中で、台湾人クラスメート3人から台湾人学生のお別れ会に誘われた。彼女はアーケディア市内の豪邸に住む台湾系友人宅に居候しているが、そこで行われるお別れ会にタイ人と韓国人を連れてきてもらっては困ると話していた。

いままで、ここまで露骨な外国人差別感情を日本人以外のアジア人が言うのを聞いたことがなかったものだから、僕はすっかり驚いてしまった。「日本人社会と似ている」と言われれば確かにその通りだが、ここアメリカ国内にもそのような傾向があるとはまったく思いもよらなかった。

これは6月12日の日記にある「タイ人男性が日本人女性と交際するのは容易か?」という議論と、その際のタイ人の発言に対するひとつの反論材料となるだろう。

2003年7月26日(土)

本当に暇をもてあましているのだと、自分でも呆れてしまう。

今日は今までに出てきた英単語をどれだけ覚えているか確認しようと、机の前に座って単語帳を開いてみた。書かれているのは英語とタイ語。日本語の文字はひとつとして見あたらない。集中英語講座の新出単語数があまりにも少ないせいで、僕は時間を持てあましており、タイ語の復習も兼ねて英単語の横にタイ語対訳をつける事にしているのだ。

ひどく非効率な時間の使い方をしているような気もするが、さしあたって教室内で「こんな簡単な授業、受けてらんね~よ!」と自分の能力をひけらかすよりは、よほどマシな自己解決方法だろうと信じている。

実際にいるのだ。「こんな・・・」と一日中言っている学生が。しかも彼の英語能力がクラス平均程度しかないものだから、周囲からの激しい不興を買っている。もしかしたらクラス中の誰もが本当に暇を持てあましているのかもしれない。

2003年7月27日(日)

特に何もない一日。

2003年7月28日(月)

台湾テレビドラマの1タイトル。

今晩は、同居人達とビールを飲みながら、台湾ドラマ「貧窮貴公子」(タイ語名:เทพบุตรถังแตก(テーパブットタングテーク))のタイ語吹き替え版を一晩中見ていた。同居人のひとりが、タイから戻ってきたばかりのタイ人から借りてきたそうだ。

原案は日本の少女漫画「山田太郎ものがたり」らしいが、舞台設定は台湾に変更されていて、台湾人俳優が演じていた。なお、登場人物名のほとんどは日本語名のままだった。創氏改名などの歴史的問題がいまなお燻っている韓国などでは、到底ありえないだろう。

この台湾版山田太郎ものがたり、日本語訳して日本で放映されていてもおかしくない内容だ。僕は今までこのような日本漫画を原作とした海外テレビドラマがあることすら知らなかった。

日本のテレビ局がアジア諸国のテレビドラマを放映しないことが、日本人のアジアに対する著しい理解不足を生じさせ、さらにアジア諸国を紹介するドキュメンタリー番組でも事実と異なる「奇妙な」内容ばかり報じているものだから、日本人のアジアへの誤解はますますひどくなる一方だ。

やはり日本芸能界の利権が絡んでいるのだろうか? 僕の目には、日本のテレビ局が日本人芸能人の出演する機会を無理をして作っているようにしか見えない。特に能力が高いわけでもない芸能人にテレビ出演の機会を頻繁に与え続けた結果、番組の質を著しく低下させてしまったということに、関係者はなぜ気づかないのだろうか。

(*有料衛星放送の中国語チャンネルでは日本語字幕付きで放映されているという情報をいただきました。)

2003年7月29日(火)

「台湾にいたとき、私も貧窮貴公子を見てたよ! でも、個人的には流星花園の方が好きかな? 貧窮貴公子と同じF4が出てるし、内容もけっこう面白い。いま台湾で午後8時から放映中の続編、流星花園Ⅱも見てみたいわ」

「え? 私はⅠの方がドタバタしていて楽しいと思うけど」

今朝、集中英語コースの教室で昨晩「貧窮貴公子~山田太郎ものがたり」を見たと台湾人のクラスメート達に話したところ、彼女たちは「流星花園~花より男子」の方が楽しいと言っていた。これも台湾国内向けに独自にリメイクされたもので、台湾人の若者に大人気の F4 (4人組の歌手グループ?)を起用していることから話題になっているらしい。

その晩、僕は同居人達とビールを飲みながら、台湾ドラマ「流星花園」(タイ語名:รักใสใส หัวใจ 4 ดวง(ラックサイサイフワヂャイスィードゥワング))のタイ語吹き替え版第1話から第5話までを一晩中見ていた。同居人のひとりが、タイから戻ってきたばかりのタイ人から借りてきたそうだ。

これも「貧窮貴公子~山田太郎ものがたり」同様、舞台設定や登場人物が台湾に変更されている。

クラスメートの薦めもあったせいか、ついつい夜更かしして見入ってしまった。

ところで、ここのところ外国人との円滑なコミュニケーションを図るためにどうすればよいかと考えている。クラスメートの日本人に興味深い友人がなかなか見つからないというのも理由のひとつだが、せっかくアメリカにいるのだから英語でコミュニケーションがとれる友達を作るべきだろう。

この1ヶ月間、僕は様々な方法で外国人とのコミュニケーションを試みてきた。その中でも一番効果があったのは、その国の芸能に関する話題。特に、登場人物の名前を現地語の発音で言えるようになると、彼らとの距離が一気に縮まる。次に効果的だったのは、その国の言葉を使ってみること。比較的使う機会が多いのは、①おはよう、②さようなら、③ありがとう、④おなかが空きましたか、⑤ハラヘッタ、⑥おなかいっぱい、⑦大丈夫、⑧気にするもんかなど。

現在のところ、台湾語の語彙は8語、韓国語5語程度。これだけでも十分やっていけるような気もするが、せっかくだからもう少し増やしてみようかと思っている。

2003年7月30日(水)

台湾人クラスメイトによると、台湾における平均的な大卒初任給は約800米ドル。日本人約1,700米ドルのおよそ半分、タイ人約300米ドルの約3倍。

今日は台湾人クラスメイトのひとりが本帰国するというので、クラスメイト8人(日本人3、台湾人3、韓国人2)でそれぞれ料理を持ち寄って送別会をすることになった。

ところで、僕の周りにいる台湾人留学生の多くは知人や友人の家に滞在していることが多い。家賃や食費はタダ。大きな家では個室をもらえるそうだが、ワンルームマンションだと部屋の一角にバリケードを築いて住まなくてはならないという。

僕はバリケードを築いて住んでいる台湾人クラスメイトに、家計が苦しいから食事を作って欲しいと頼んだところ、一食につき3.50ドルで引き受けてくれるそうだ。しかし、これでは吉野家の牛丼並盛り2.91ドルより高くついてしまう。

親族の家に滞在することで出費を抑えるのは、アメリカに浸透している華人だからこそできるのであって、僕のような平均的日本人にはなかなか真似できそうにない。