2003年6月1日(日)

アメリカは人種の坩堝といわれているそうだが、ここロサンゼルスに限って言えば、どうやら「アジア人とヒスパニック系だけ」の街のようだ。スペイン語が街中の至る所で使われ、銀行ATMなどでは英語だけでなくスペイン語のメニューも選択できる。また、中国人の多い地域では、銀行の看板に中国語が併記されており、たとえば僕が使っている Bank of America では、正規の銀行ロゴの下に「美国銀行」という文字が書き加えられている。

そして、ここには多くの韓国人も住んでいるようだ。

韓国人のアルバイト先を探すために、遅めの昼食を兼ねて韓国人が経営する日本料理店「富士」に出かけた。この韓国人は、以前僕にクルマを売ってくれると話していたタイ料理店で働くタイ人と同棲している。彼女は即決で採用された。

夜になって、ポーとともに韓国料理店へ焼き肉を食べに行った。そこには韓国製ビールしかなく、これがまたひどく不味かった。まるでタイでいう象ビール(ビアチャーング)、日本でいう発泡酒のような味気なさ。しかも、ニンニクライスを注文しようと、”two garlic rice please” と言ったところ全く通じなかった。その後もありとあらゆる方法で何を注文しようとしているのかを説明したが、すべて失敗に終わった。

昼食をともにしたタイ人の彼女の韓国人の話によれば、「長年アメリカに住んでいる韓国人でも英語を全く話せない人は山のようにいる」ということだった。また、ポーの話でも、「ロサンゼルスには大規模な韓国人街がいくつも点在しているから、彼らは英語が使えなくても何不自由なく生活できる」という。僕よりも英語が使えないというのはさぞかし不便だろうが、慣れてしまえば案外気にならないのかもしれない。

いろいろ苦労して注文したガーリックライス(ニンニク炒めご飯?)だが、数分後に僕たちのテーブルの上に出てきたのはピンク色の赤飯だった。

今晩は韓国風日本料理店で昼食をとったあと、タイ人共同生活住宅に戻ってタイ語ドラマ「ウマーンディン」を鑑賞。最終話がとても感動的で、涙をこらえるのに必死になった。日本のテレビでもタイドラマを放映したら面白いのではないか。日本人の誰もがアメリカ文化の概略を知っているだろうが、おそらくタイ文化を理解している人はごく少数であるはずだ。タイ文化という違った価値観の上で展開されるストーリーはきっと新鮮で興味深いのではないかと思う。

タイ関係の話ばかりを書いているような気がするが、アメリカへ来て以来、タイ人共同生活住宅に居候しているのだから、こればかりはもうどうしようもない。それでも、今日は勉強に適した空間を見つけて、なんとか4時間の自宅学習の時間を確保した。

明日は午前中だけ授業に出て、午後から車の名義変更手続きに出かける予定。

2003年6月2日(月)

一緒に住んでいるタイ人たちがひどく遊び好きなことに、僕は正直ウンザリし始めてきている。昨年、タイ語を集中的に学習したころの経験からすると、語学学習とは授業時間と同程度、もしくはそれ以上の時間を家庭学習に費やすべきだが、こうも毎晩のように遊びに連れて行かれていては効率的に勉強することすらままならない。彼らの親切心には感謝の気持ちで一杯だが、このままでは期待通りの成果を挙げられるかどうか不安になる。

1日あたりの授業時間が7時間6分。家でもせいぜい6時間は予習や復習、それに単語の暗記に充てたいところだ。

昨日予定していた中古車の購入は中止した。例の車が運輸省が定める売却時の排気ガス規制検査を通過できなかったため、エンジン性能に疑問が生じたからだ。

しかし、すでに午後の授業を休むことを決めて帰宅してしまったからには、どうにも学校へ行く気がしない。そう思いながらリビングでだらだらとタイ語ドラマを見ていたところ、ポーやその友人たちに「ゴルフ場へ行こう」と誘われてしまった。てっきり僕はゴルフ練習場に行くものだと思って話を聞いていたところ、なんと彼らは本気でゴルフコースを回る気だったようだ。

タイでは1ラウンドあたりのグリーンフィーが1200円程度だったが、日本だと平日でも1万円強はかかるだろう。さらに、現在の外国為替市況からするとアメリカの物価は日本よりも高いはずから、いったいいくらするものかと心配になって聞いてみたら、なんと

「8ドルだよ」

という返事が返ってきた。この値段はここアルハンブラにあるゴルフ練習場の利用料(練習球70球)とほぼ同額だ。こんなに安いのなら、経験のために行っておいても良かったのかも知れない。こうして、僕もついて行くことにした。

スコアは惨憺たるものだった。あまりにもひどいスコアだったので、誰も自分の打数を数えようともしなかった。

今晩はポーやその友人、またその友人の彼女の韓国人の4人で焼き肉屋に出かけた。この店も例に漏れず韓国銘柄のビールしか置いていなかった。

2003年6月3日(火)

7時間6分に渡る英語シャワーを浴びて、午後5時半に帰宅。午後9時までタイ人たち4人とタイ語ドラマ「ウマーンディン」を見た。それでも、なんとか午後10時からの3時間を勉強のために確保した。

やはり、このペースで授業を受けていると、どうしても家庭学習時間3時間というのは予習復習単語暗記のための時間としては短すぎるような気がする。

なんとかして、周囲に干渉されない自由な勉強時間の確保方法を模索しなくてはならない。

2003年6月4日(水)

「ネイティブスピーカーの私でも、TOEFL の問題を正面からまともに解いたら、制限時間内に全問回答することはできないだろうね。実際、何度か試してみたけれど、一度として解き終えたことがないんだ!」

TOEFL 対策コースの講師は、そう胸を張って話していた。そして、これを根拠に彼は学生たちに特別な解法を身につけるよう促している。いわゆる「必勝攻略法」というやつだ。昔、ファミコンゲームの「必勝攻略本」というものがあったけれど、それ同様にこの TOEFL 攻略法もひどくセコイ。

3階のボスは敵の行動範囲ギリギリまで接近して、しゃがみパンチを連打。ボスが勝手にダメージを受けに来るのを待つべし!

というものに限りなく近い。たとえば、長文読解の場合は、

「全文を読むな。まず最初は本文を無視して語彙に関する問題を解け。次に、代名詞に関する問題を解いてから、本文各段落最初の1文ずつと最終段落末尾の1文だけに目を通せ。それから初めて読解に関する問題に答えればよい!」

というもの。つまり、それぞれの段落内にある論理を補強する部分はすべて無視してしまっても良いということのようだ。

たしかに、この方法を用いれば時間内に問題を解き終えられるかもしれない。きっと、ゲームが大好きな人にはたまらない快感というものが、この TOEFL 対策の訓練にはあるに違いない。

2003年6月5日(木)

一見、さまざまな民族が分け隔てなく上手くやっているように見えるここロサンゼルスでも、やはり民族というものを意識されられることが頻繁にある。先日の中国語が併記されている大手都市銀行の看板でもそうだったように、彼らはアメリカに帰化してからも祖先の文化を頑なに守っているようだ。

今晩こそ遊びには行かないと決めていたが、共同住宅の居間でタイ人6・韓国人1の合計7人によるビールパーティーが始まってしまった。その居間は僕が日頃勉強やパソコンに使っている食堂のテーブルからたった4メートルしか離れていない。

こんなことではとても勉強なんて続けられないと困り果てていたところ、ポーから出かけないかと誘われた。人数が多すぎて会話にすらろくに参加できないようなところにいるよりは、脱出した方がいくらかマシだろうということだった。僕も確かにその通りだと思い、ついて行くことにした。

今晩の目的地は近隣の都市パサデナにある Q’s というクラブだった。なんでも、今日はアジアンデーということで周辺に住むのアジア人が集結しているという。僕は場内にけたたましく流れているラップミュージックを無視して、がんばって彼らが話している言語が何語なのかと聞いてみた。どうやら、そのほとんどが中国語のようだった。

なお、入場料無料、ビール1本4ドル、入場に際しては年齢を証明できる身分証の提示が必要。午前3時に帰宅した。

2003年6月6日(金)

最近、タイに住んでいる友人の話で明らかになったこと。なんでも僕がタイで受験した TOEFL 互換性試験 CU-TEP は、難易度が TOEFL よりも格段に低いため、CU-TEP の得点から TOEFL の得点に換算したものをそのまま信じない方が良いという話だった。

昼食後、いつものように僕にとって難しすぎる TOEFL クラスに出席したところ、突然、担当講師が今日は模擬試験を行うと宣言した。そのとき、ふと冒頭の友人の言葉を思い出して、もし300点台だったらどうしよう、と一瞬目の前が真っ暗になるような思いをした。それでも、ただ呆然としてばかりいては事態は悪くなる一方だろうと思い、とりあえず気合いで問題を解いてみることにした。

約2時間に渡る模擬試験の結果は、聞き取り41点(正答率34%)、文法正誤43点(正答率50%)、長文読解41点(正答率52%)でTOEFLペーパーテスト換算443点相当だった。あと7点でアメリカ国内の短期大学――留学生の間ではカレッジと呼ばれる教育機関――に入学できる得点に達するのだが、僕が目指しているタイ・チュラロンコーン大学文学部修士課程に入学するためには、もっともっと多くの点数が必要だ。

これは前回の CU-TEP よりも17点低い得点だったものの、さしあたって300点台に転落しなかったことに胸をなで下ろしている。さすがに、2週間に渡る英語シャワーのおかげか、ヒアリング能力が飛躍的に向上した。また、TOEFL 攻略法のおかげで文法正誤問題の得点力も飛躍的に向上した。長文問題は CU-TEP に比べて格段に難しかったせいか若干得点を減らしたものの、問題の難易度差を考えるとまあまあの結果だ。いずれにしても、初回の模擬試験の成果としてはそう悪くはないだろうと考えることにした。

家に帰ってこの話をダウンタウンLAにある大学で経営学を勉強しているポーに話してみたところ、

「5ヶ月で50点上げればいいだけだろう?。500点から550点に引き上げるのは難しいかもしれないけど、450点から500点なんてすぐだね。超楽勝じゃん?」

という返事が返ってきた。一方、大学院入学を目指してTOEFL 勉強中のポックの話によれば、

「たったの50点!? 冗談じゃないよ。あはははは・・・」

と空笑いをしていた。

ところで、やはり噂に違わずこの TOEFL という英語検定には奇妙な癖があるような気がする。僕が午前中勉強している集中英語講座レベル3のクラスよりも2段階(約半年分)上のクラス、レベル5にいる台湾人が380点しかとれていなかったことには驚いた。真の英語能力とTOEFLの得点とは必ずしも正比例しないということなのだろう。

いずれにしても、TOEFL クラスでは際だって英会話能力が低い僕だが、なんとかクラス平均程度の得点をとれたことに素直に喜んでおくことにしたい。

2003年6月7日(土)

アメリカに来て2週間が経過した。タイ人の友人たちにいろいろなところへ連れて行ってもらったおかげで、徐々にではあるがようやく勝手が分かってきた。当初はあらゆる物事について、情報不足のため判断を下せずにいたが、やっと腰を据えていろいろな計画を立てられるようになった。

目下の最大の懸案となっていた「部屋探し」問題は解決した。アメリカに来て以来滞在していたタイ人共同住宅に空きができたというので、そこに入居することにした。自然と調和するように整備された道路に面しており、夜になると地中から散水機が出てきて、部屋にいてもその散水音が聞こえてくる。朝方、学校に行くときなどにはリスが道路を渡っている光景もよく見かけるほど環境には恵まれている。

現在、この共同住宅には僕を含めて4人が住んでいる。一人は僕が通う語学学校の留学生アドバイザーでタイ封建時代の大領主の姓を名乗っているイット。もう一人は、ダウンタウンLAにある4年制大学に通うタイ国警察中将――タイでは超法規的な権限を持っている有力者――の子ポー。そして、僕と相部屋になったのは同じ語学学校に通い英語による大学院受験を目指すポックだ。僕以外の3人はいずれもタイ人。

1階には一応の電気機器を備えた12帖の居間、調理器具が充実した6帖の台所、勉強に最適なテーブルがある6帖の食堂などがあり、2階には6帖の寝室2部屋(イットとポーの部屋)のほか、12帖の寝室(僕とポックの部屋)がある。トイレは3カ所、洗面台は4カ所、風呂は2カ所あり、さしあたって生活に必要な設備は十分に備えている。月々の家賃は個室住人416ドル、相部屋住人336ドル。なお、この金額には電気、ガス、水道等の公共料金は含まれていない。

語学学校に近い部屋が決まり、学校へは歩いて5分で行け、それ以外のどこへ行くにも――僕が望んでいない場所にも――ポーが連れて行ってくれているから、いまだ自分の車がなくて困ったということはない。僕が自分の車を必要となるのは、おそらくここで彼女を見つけたときなのだろが、それも彼女が自分の車を持っていれば全く問題はないはずだ。なにしろ、ここは1人1台の自動車社会。一緒に出かける相手が車を持っていることも十分に期待できる。

それでも、アメリカに長期滞在する計画があれば、自分の車というのは絶対に必要になるだろう。この広いロサンゼルスに分散して住む友人たち――おそらく同胞――に会うためには自分で運転して行かなくてはならないだろうからだ。ただ、僕の場合は TOEFL500点をゲットし次第タイへ戻る予定だから、短期間のために車を買っても売却時の手間というのが気になる。売り急いで安く買いたたかれるのはイヤだし、売れずに入学期限までにタイへ戻れないというのも困る。

車があった方が便利なのは間違いないだろうが、僕はどうしても必要だということでなければ別に買う必要もないだろうという考えに傾きつつある。

それでもなお、何かの問題でポーと深刻な対立をしたときにどうしたら良いのかという心配は残る。

今日土曜日はポーに連れられて、ロサンゼルス郊外のゴルフ練習場(終日打ち放題15ドル)にいってから、ポーの会員権を利用してフィットネスクラブに寄った。

2003年6月8日(日)

たかだか半年間のアメリカ滞在とはいえ、やはり一応の生活水準は維持したい。健康のための快適な睡眠や、効率的に勉強するための机などは絶対に不可欠だ。勉強するための十分な環境がなくてはアメリカへ来た意義そのものが薄れてしまうし、十分な睡眠をとれないようでは翌日の集中力に深刻な影響を与えてしまう。

住む家が確定したことで、やっと必要なもののリストが作れるようになった。現在、僕の部屋で再利用可能なものは、壁据え付け型戸棚とベッドのマットレス部分しかない。掛け布団はおろか室内灯すらない。そこで、今日はポーに頼んでバーバンクにある大型家具チェーン店 IKEA へ家具の買い出しにつきあってもらうことにした。

家具の総額が372ドル、その他無線LAN関係機器154ドルだった。

この家具店は日本の家具店に比べると格段に割安だった。たとえば、写真中央にある机29ドル、椅子49ドル、卓上灯19ドル、間接照明灯32ドル、羽毛布団59ドル、布団・枕カバー12ドル、写真左のボックス3ドルといったカンジ。

一度、この値段とセンスの良さを見てしまうと、日本の家具屋で買い物をする気すら起きなくなってしまうとともに、

これらの商品を日本に輸入して販売したら、結構儲かるかもしれない?

なんて思ってしまう。

寝室に勉強机を設置できたことにより、周囲に干渉されやすい食堂での勉強から逃れられるようになった。

2003年6月9日(月)

「昨日、語学学校から 『現在の出席状況では、近い将来 F-1 ビザ(通常留学ビザ)が取り消され、最悪の場合、アメリカ合衆国への再入国ができなくなります』ってゆうメールが来たのよ!」

今朝の授業はいつになく出席者が多かった。いつもは自由に発言できる程度の生徒しか出席していないのだが、こんなにたくさんの学生に出席されてはまったく息苦しくてかなわない。冒頭の語学学校からの警告メールに、さすがに堂々と欠席していた学生たちも驚いたようで、なんとかしてアメリカ再入国拒否の憂き目から逃れようと必死の様子。

もっとも、彼女らがろくに学校へ来ないというのにはそれなりの理由がある。というのは、彼女らがアメリカに来ている真の目的が英語の上達ではなく「音楽センスの向上」であるため、必然的にミュージックスクールのほうが語学学校より優先度が高くなるという。しかし、多くの場合、ミュージックスクールには留学ビザ取得に必要な米国内務省が認める留学生管理書類 I-20 の発行権限がなく、それでしかたなく I-20 を得るために語学学校へ通っているという。それなら語学学校が休みがちになるというもの理解できる。

しかし、語学学校留学生アドバイザーの話によれば、米国外務省が発行する普通留学ビザ F-1 には、語学留学生には全日制の講座を受講するよう義務づけられているという。ここでいう「全日制」とは、最低でも1日約3時間半、一週間で18時間分の講座を受講しなくてはならないという意味だ。内務省移民局による査察では、出席日数だけでなく出席時間数も詳細に検査され、一週間あたりの出席時間数が18時間、出席率が80%に満たないと、留学生としての資格を剥奪される可能性がある。たとえば、それは留学生管理文書 I-20 受給資格および普通留学ビザ F-1 受給資格の両方が剥奪されるなどのペナルティーが科せられる。それに強制送還や一定期間のアメリカ入国拒否などが加わる可能性も否定できない。

ちなみに、僕の場合はほとんどの学生の2倍もの講座を受講しているため、50%程度休んだところで全く問題ない(っていうか、留学生管理部門の担当者と同居しているのだから怖いものなんて何もない)。

僕たちのクラスにも、この問題に該当する学生が4人ほどいたが、彼女らのレベルでは英語でこのような込み入った話ができないものだから、僕が間に入ってタイ語でタイ人留学生アドバイザーに話の詳細を尋ねることになった。

今日はその4人のうちのひとりに、このアルハンブラの街や隣接するパサデナの街などを案内してもらった。アメリカに来て以来、日本人と出かけたのは今回が初めてだ。99セントショップのほか、日本人でないと知らないだろう日系スーパーなどを紹介してもらった。おいしい日本料理弁当が売っている日系スーパーが、家から歩いていける距離にあったなんてまったく思いもよらなかった。

日系スーパー掲示板で1,500ドルの中古車を発見した。この程度なら、たとえ帰国時に売却できなくても痛手が少ないかもしれないと思い、現在購入を検討している。

4ドル75セントの大盛り穴子丼、なかなか美味しかった。

2003年6月10日(火)

アメリカ合衆国の国内法には連邦法と州法の2種類があるという。州によって死刑制度があったり無かったりするのはこのためだ。ほかにも州によって法解釈が異なるというケースも少なくない。

たとえば、1949年9月19日の道路交通に関する条約(Convention on road traffic of 19 September 1949)に基づいて発行されている国際運転免許証。カリフォルニア州における例外的取り扱いには特段の注意を払う必要がある。

アメリカ合衆国もこの道路交通に関する国際条約に加盟しているが、なぜかアメリカ国内で唯一、カリフォルニア州だけはこの条約を例外的に運用しているという。通常、国際運転免許証は条約加盟国内で発行日から1年間有効とされているが、このカリフォルニア州では3ヶ月間しか使えない。したがって、州内に長期滞在する予定のある自動車を運転する留学生は、それとは別に陸運局へ行ってカリフォルニア州が発行する運転免許証を取得しなくてはならない。

それと同様に、それぞれの州における喫煙規制も異なる。カリフォルニア州内にあるバーを含むすべての飲食店では完全禁煙が義務づけられているが、隣接するネバダ州などではどこでも自由にたばこが吸えてしまう。

どうも釈然としないが、これよりもさらに不可解な規則まであるというのだ。

僕がアメリカへ来て3日後の先月27日、僕は語学学校の1階部分にある半屋内駐車場でタバコを吸っていた。そこで、非常に高圧的な態度の駐車場警備員から、「タバコは道路に出て吸え!」と指示された。いままでずっと、僕はどのような根拠に基づいて駐車場内で喫煙するのを禁じられたのか不思議に思っていたが、その理由が今日になってはじめて分かった。すなわち、

すべての屋根がある空間内での喫煙を禁じる

という条項がもこの喫煙諸法にはあるのだとか。全く不思議なもので、伏流煙が停滞しないような吹き抜けの半屋内駐車場でも禁煙なのだという。この州には愛煙家の権利保護という考え方が全くないのだろうか。

なお、日本における喫煙者人口は成人男女の35.1%、約3422万人だという。

2003年6月11日(水)

友人の話では、日本のように中古車の値段が安いのは世界的にも珍しいそうだ。新車の買い換えが多く、中古車市場も活発だからというのがその理由。しかし、アメリカには「10年で廃車」とか「10万キロで廃車」とかいう不可解なルールはない。そのため、クルマを買い換える機会が少なく、中古車市場における売買価格も高い。だから、友人たちは高価格で売買される中古車屋を嫌って、個人売買などで中古車を手頃な値段で手に入れているそうだ。

ところが、今日は同じ学校で勉強しているタイ人から中古車屋に行ってみようと誘われた。実際に中古車屋における中古車市場価格を調べてみることになった。

96年式 Honda Civic 65,000マイルが7,000ドルだった。

これは、個人売買市場で妥当だとされている相場より16%も割高だった。やはり中古車を購入するのなら個人売買が最善の選択かもしれない。

今日は午後の授業を欠席して、タイ人3人と中古車屋を見て回った。

2003年6月12日(木)

アメリカに滞在しているタイ人の大半は、アメリカに滞在している平均的な日本人よりはるかに裕福だ。

というのも、日本人の場合はアメリカのビザ免除プログラム (Visa Waiver Program) の恩恵を受けることができ、航空券さえあればどんなに貧しくてもアメリカの地を踏める。しかし、タイ人の場合は事情がだいぶ異なるからだ。

まず、彼らは在バンコク米国大使館領事部へ行って各種ビザの申請をしなくてはならない。その際に、本人または両親の経済力を証明する必要がある。経済力が米国大使館の基準を満たしていない場合、申請は当然却下される。すなわち、経済力が一定水準以下のタイ人は、アメリカに入国できない(日本人の場合、留学などのビザが必要とされる理由でも、よほど怪しい点がなければ入国が認められる)。

つまり、日本では発展途上国の国民、売春婦輸出国の国民として見下されているが、ここアメリカにいるタイ人はまったく違う。なにしろ、彼らは平均的な日本人よりも格段に裕福だ(実際に彼らと日々の行動を共にできる日本人は少ないだろう。たとえば、毎日のようにポーの外食付き合っていると、食費だけで毎日30ドルは使っている。きっとどちらかの経済力が限界に達するまでこの習慣は続くのだろう)。

さて、それではアメリカに滞在している日本人は、彼らのことをどう見ているのだろう?

議題:タイ人男性が日本人女性と交際するのは容易なことか?

ポー(タイ国出身某4年制大学経営学部学生) 「極めて容易だ。実際に日本人女性と交際している友人が何人もいる。ここアメリカにいるタイ人は決して貧しくはない。彼女らとは十分に渡り合えるはずだ。つまるところ、「愛情の深さ」というものが重要なんだ。出身国なんて、ここではたいした問題にならないだろう」

僕「困難だ。アメリカに滞在している日本人の多くはタイのそういった事情すら知らない。それに、「アメリカに来るというイケてる行為」と、彼らの価値観による「タイ人と交際するという行為」は著しく矛盾する。したがって、タイ人は愛情を築くスタートラインに立つことすらできないのではないか?」

もし正解というのがあるなら、どんなカンジなのだろうか僕の短いアメリカ滞在では、この問題に自信を持って回答することができない。ただ、僕がアメリカへ来て以来、反日的な感情を抱いていると言われる韓国人から、反日感情を露骨に見せつけられたことがないことを考えると、もしかしたら何も知らないのは当事者だけなのではないかと思ってしまう。

こんな議論をしていたら、午前5時になってしまった。どうやら明日は学校へ行けそうにない。

今晩は友人の誕生祝いでタイロックカフェに出かけた。

2003年6月13日(金)

日本では厳かに行われる学位授与式。でも、ここはアメリカだった。まるでディスニーランドのパレードのよう。派手に演出されていた。

卒業生たちは学部旗を掲げて入場してきた。まるで中世イングランド貴族の旗のようだ。赤いマントを羽織った威厳たっぷりの学長の言葉に続いて、各学部長のユーモアに富んだ演説が始まった。学生たちは、黒ずくめのローブに四角帽という出で立ちだった。

その卒業生の家で午前5時まで飲み続けた。彼は明後日にもタイに戻り、ラヨーン県にあるリサーチ会社で働くことになっている。

2003年6月14日(土)

いま自家用車が本当に必要かと聞かれたら、僕は NO と答えるだろう。語学学校はアパートから歩いていける距離にあり、買い物もポーが連れて行ってくれる。車がないことで、生活できなくなるということだけは絶対にない。しかし、どこへ行くにも日本人的常識でいう有り得ないほどマイペースなポーに合わせなくてはならず、僕はその日の予定を立てられず心底困り果てていた。同時に、日を追うごとに僕の立場がポーに対して従属的になっていくのが気にくわない。

今日もポーに午後、中古車屋へと連れて行ってもらえることになっていた。しかし、正午から2時間もゴルフの練習に付き合わされ、午後3時には疲れたからと帰宅してしまった。もう到底付き合いきれない!

「僕にとって車の購入はとても重要なことなんだ。早く起きて中古車屋へ連れて行ってくれよ」

平然と約束を破られながらも、こんな頼み方をしなくてはならないという自分の置かれた環境の理不尽さに、もう1日として我慢できない。自分のクルマを一刻も早く手に入れなくてはならない。いかに個人売買の方が中古車屋より安く買えようが、もはやそんなことなどどうでもいいといった心境だった。精神衛生維持のための金は惜しむべきではない。

こうして、ついに渡米以来の懸案だった中古車の購入に乗り出した。午後4時15分になって無理矢理ポーを起こして、中古車屋巡りの旅に出発。約1時間ほどで3軒まわり、なかなか良さそう車を1台見つけた。

94年(平成6年)式 TOYOTA CELICA GT 赤色 排気量2,200CC、78,300マイル、 6,500ドル。

見たところ、どうやら事故車ではないようだ。そして、さまざまな人からもらったアドバイスを元にその車をチェックしてみることにした。

ジェフ(中華料理店店主) 「エンジンルーム内のネジに注目するべきだ。ひとつでも新しいものがあれば、それは事故車を意味する」

日本人中古車店店員 「日本車のパーツすべてに製造番号を示すシールが貼られている。このシールが塗装で上塗りされているようならば、その部分は再塗装したことを意味する。おそらく事故車だろう」

すぐに店員を呼んで値段交渉を始めた。というのも、皆が「値引きを迫るべき」と勧めていたからだ。

エディ(語学学校講師) 「車を買うときには、中古車に限らず新車の場合でも値引き交渉するべきだ。もし、表示価格通りの額で購入してしまったら、その店の店員は後ろを振り向いてから満面の笑みを浮かべるだろう」

ポップ(タイ料理店店員) 「絶対に値引きを迫れ。表示価格なんていい加減なものだ。ひどい場合には相場よりも1,000~2,000ドルも高い場合がある」

店員を呼び、値段交渉の結果6,000ドルまで値引きさせた。その後、試乗してみたところ、特に問題がなかったので購入することに決めた。支払いはBank of America の銀行小切手で済ませた。

「もし、あなたの口座に十分な残高がない場合は、お渡しした車を差し押さえに伺います」

と釘を刺された。その他、カリフォルニア州自動車売買税(約定金額の8%)480ドルが課され、合計6,480ドルを支払った。車は直ちに引き渡された。

帰宅後、ドライブを兼ねてポーとリトルトーキョーへ出かけたところ、速度計の電飾が切れているのに気が付いた。不慣れな右車線の道路を制限速度を守りながら運転するのにひどく苦労した。契約書によれば、エンジン関係、タイヤ関係、電飾品関係の不良は1週間以内であれば無料修理してもらえることになっている。月曜日にでも、修理を依頼しに行くつもりだ。なお、カリフォルニア州法によると、各種商品に義務づけられているクーリングオフ制度が、中古車には例外的に適用されないことになっているらしい。

今回、自分の車を手に入れたことで、移動手段のすべてをポーに依存する必要がなくなったため、いままで従属的だったポートの関係を改善できるのではないかと期待している。

我慢の限界というものが、まさに目前にまで迫っていた。こんなことなら、アメリカに到着したと同時に中古車屋へ行っておけば良かった。それでも、約3週間に渡ってタイ人たちと行動できたおかげで、現地のタイ人コミュニティーに深く食い込むことができたということで良しとしておきたい。

2003年6月15日(日)

クルマを購入した翌日にすることといえばドライブ。それに、近隣の主要道路の位置関係も早く覚えたい。

しかし、目的地を定めずクルマを走らせ続けるのはあまりにも苦痛だ。そこで、カー用品屋に行って、盗難防止のハンドル固定装置、電子地図を搭載したノートパソコンを利用するための電源供給装置、芳香剤、キーホルダーなどを買った。それとは別に新品のカーステレオやカーナビゲーションシステムも考えたが、そう長いこと乗るクルマではないし、それで転売時の値段が跳ね上がるというわけでもなさそうだったから、今回の購入は見合わせることにした。

近所の大通りをひととおり走ったあと、語学学校に面しているハンティングトン・ドライブを内陸部に向かって走り続けた。スーパーマーケット「ラルフス」数店舗、いくつかの短期大学、大型生活用品店「ターゲット」のほか、大型パソコンショップ COMP USA を発見。そして、20分ほど走り続けたところで、いくつもの小さな山々が現れた。このロサンゼルス市とその近郊は、すぐ後背に山地を抱える大都市だったようだ。その深い山地帯を越えると、そこにはカジノ都市ラスベガスがある。

進級に伴う休暇が来週、一週間ほどあるから、ぜひ行ってみたいと思っている。

それに、このロサンゼルスにあるというディズニーランドにも行ってみたい。しかし、ひとりで行くのはあまりにも間抜けだし、男同士行くのも妙だろうと思って、ルームメイトのポックに一刻も早く彼女がほしいとぼやいたところ、

「え? ディズニーランドって子供向けのテーマパークでしょ? 別にカップルで行く必要もないんじゃない? 俺は男友達と行ってきたよ」

という答えが返ってきた。もし、この話が事実だとすると、どうやら日本とは事情がだいぶ異なるようだ。

2003年6月16日(月)

さすがは石油資本が支配しているアメリカ合衆国。ここでは市民が積極的にクルマに乗って石油を効率よく消費できるよう、ありとあらゆる施策がとられている。

代表的なものとしては、幹線道路の広さがある。生活道路以外の道路は、片側3車線あり、狭くても2車線はある。仮に渋滞が発生しても、たいていの場合、短時間で解決される。歩いて渡るには広すぎる道路だが、都市全体が自動車で移動するのを前提に設計されているため、その他の移動手段のことなど端から考慮に入れていないのだろう。

もちろん、自動車を所有する市民の利便というものも十分に考慮されている。僕が住んでいる家の前に走っているのは中央線のない単なる生活道路だが、それでも仮に日本規格の車線を引いたら4車線はとれそうだ。だから、道路の両端に駐車するスペースが十分とれる。そもそも、この道路は両側に駐車できるように設計されているらしく、道路標識をそのまま解釈すると、「住民の方は最寄りの警察署の許可を得て路上に駐車してください」ということらしい。

なお、標識には「この道路全線、午前2時から午前6時までのあいだ、許可車以外の駐車を禁ずる (NO PARKING WITHOUT PARMIT 2 A.M. TO 6 A.M.)」という警告が書かれている。

僕はまだ警察署へ行って許可を取る時間をとれずにいるので、イットに警察署へ電話してもらって臨時の路上駐車許可を取ってもらった。

今日は、一昨日買った車の不具合(保証期間中のため無料)を直しに行くついでに、クラスメートの中古車探しを手伝う予定だったものの、台湾人留学生の銀行口座開設手続きなどに付き合っていたら、中古車屋の修理技師が帰宅してしまっていた。

2003年6月17日(火)

「明日は東側に路駐しちゃいけない日だから、午前8時までには西側へ移動しておけよ」

昨晩、同室のポックにそう忠告された。この一見理不尽なほど無秩序に見える合法的路上駐車にも、一応それなりの制約があるようなのだ。

東側歩道には、『レッカー移動警告。清掃作業のため、毎週火曜日の午前8時から午前11時まで、こちら側の路上駐車を禁ずる (TOWAWAY. NO PARKING THIS SIDE TUESDAY 8 AM – 11;30 AM. STREET SWEEPING)』、西側歩道には『レッカー移動警告。清掃作業のため、午後2時から午後5時まで、こちら側路上駐車禁止』という看板が立っている。午前中の授業を終えて中古車屋へ行こうとしたところ、青い駐車違反切符を片手に呆然と立ち空くしているメキシコ人らしい学生を発見した。彼はうっかり逆側に駐車してしまったようだ。

今日は中古車屋へ行って、①速度計の電飾交換、②ブレーキの異常音修理、③車体についている擦り傷等の補修、④亀裂が入っているタイヤの交換、などをしてもらった。30日間の保証期間中のため、修理は当然無料だった。

2003年6月18日(水)

日が沈む直前、僕たちはドライブを兼ねて海水浴場で有名なサンタモニカに出かけた。最寄りのガーフィールド通りからインターステート10号線に乗って、途中ダウンタウンLAを通過し、そのまま西の終点まで走り続ければ到着する。約27.5マイル、35分の道のりだ。キロ換算すると41.3キロになるが、ここロサンゼルスの道路交通が日本よりも格段に良いせいか意外にも苦痛ではない。なにより、高速道路利用料がないのが長距離移動を容易にする。

海岸沿いの道路から丘へ登ったそこは、オシャレなショッピング街だった。サンタモニカ市第三道路 (もちろん Third Street のこと) は車が進入できないように設計されており、道路脇にはさまざまなブティックが軒を連ねている。ここ、ロサンゼルスで着るにはちょうど良いカジュアルな服でいっぱいだった。閉店時間は午後9時。

到着したのが閉店直前だったこともあり、靴を一足選ぶだけの時間しかなかったが、洋服はやはりここで揃えておきたい。後日、ひとりでのんびり服を選びに来ようと思う。

それにしても、アメリカは何もかもが安いような気がする。日本が円安不況下にあってもそう感じるのだから、日本の小売商品がいかに高いかということを実感する。

2003年6月19日(木)

ショックだ。明日から進級前の1週間休みが始まるかと思い楽しみにしていたのに、なんと来週もみっちりと授業があるらしい。どうやら、クラスの中で僕ひとりが勘違いしていたようなのだ。恥ずかしすぎるというか、楽しみにしていた自分のお目出度さに赤面するような思いだ。

放課後、台湾人クラスメイトと英語でこの休暇について話し合っていた。しかし、3分経っても話がまったくかみ合わない。そこで、不思議に思って

「今日って今学期の最終日だよね?」

って聞いてみたところ、休暇は再来週からだという。まったく、参ってしまった。

まったく信じられないという思いで、家にいる学校関係者すべてに再確認してしまった。僕のラスベガス行きドライブの計画が・・・。ああ、なんていうことだ。

2003年6月20日(金)

アメリカに来て初めて TOEFL の本試験を受験した。文法と読解問題くらいは難なくこなせると思っていたものの、ヒアリングの酷さといったら、まったく目を覆わんばかりの有様だった。

寝起きだったせいか、何も聞き取ることができず、ただただ「好きな数字に●をつける」という作業に終始してしまった。結果を全く予想できないというのが、ストレスに感じる・・・というわけでもなく、点数を予想できず喜怒哀楽の感情すら抱きようもないというのが率直な感想だ。

なお、この試験は僕が通っている語学学校で行われた。ペーパー(マークシート)形式の試験で、受験料は40ドル。

ヒアリング対策のためには、やはり誰かと英語で会話したり、英語の映画を一本見てから受験した方がよいのかもしれない。普段は午前中の集中英語クラスに出てから午後の TOEFL クラスを受講しているので、なんとか聞き取ることができたが、今回はそうでもなかった。とにかく、今日の聞き取れなさは常軌を逸していた。

やはり、部屋にテレビを設置すべきなのだろうか?

2003年6月21日(土)

人種の坩堝といわれるアメリカの中でも、ここロサンゼルスは特に多くの人種が混在する地域だ。住民348万5398人(1990年)のうち、約38%が外国生まれで、人種民族を問わずスペイン語を話すヒスパニック系が39.9%もいる。民族別の人口比は、白人52.8%、黒人14%、アジア系9.8%、アメリカ原住民0.5%。

街中の至る所に民族色の強い街が形成されている。日本人町リトルトーキョーは、ロサンゼルス市第一通り(1st St.)と中央通り(Central Ave.)の交差点に付近にある。日本人向け旅行手引き書「地球の歩き方」には紹介されていないが、ここにはタイ人町「タイタウン」もある。

ロサンゼルスには、80,000人以上のタイ人が住んでおり、在外タイ人コミュニティーとしては世界最大。タイ77こ目の県ともいわれている。タイタウンは、インターステート10号線ハリウッド出入り口付近にあり、タイ料理店をはじめ、タイ人相手の商店が軒を連ねている。

そして、ここにはロサンゼルス最大のタイ・ロックカフェ「グルンテープ」がある。

中規模の飲食店程度のスペースに、所狭しとテーブルや椅子が配置されていて、曜日を問わずタイ人客で満席状態が続いている。生演奏される楽曲はすべてタイポップスで、彼らのノリといったらすさまじいとしか言いようがない。ビールはキリンビールを含む各銘柄が用意されており、おつまみはもちろんタイ料理。ロサンゼルスに飽きたら、タイに興味がなくても気分転換に行ってみても良いかもしれない。

もちろん、彼らはここに高級車で乗り付けてくる。

実は、この日記には詳細に記していないが、連日のようにこのハードロックカフェ(?)へ出動させられていて、胃がぐったりとしてしまっている。

明日はポーの一時帰国ということで、みんなで午前3時まで盛り上がった。

2003年6月22日(日)

人口約120万人。サンディエゴはロサンゼルスに次ぐカリフォルニア州第2の都市だ。サンディエゴ港を中心に栄えた港湾都市で、豊かな農業都市でもある。ところが、市の経済は軍需産業や造船産業に依存しているらしく、大きな商業ビルはほとんど見られなかった。典型的な軍港都市だ。また、市街地領域が小さいためか、サンディエゴの国際空港が市街地に接近しており、すぐ真上に巨大な航空機を見ることができる。

今日は特にすることもなく退屈していたので、地図上ではすぐ近くにあることになっているサンディエゴまで行ってみようと思い立ち、直ちに実行に移すことにした。午後5時に出発。インターステート10号線と5号線を利用して、ひとりサンディエゴへと向かった。午後7時に到着し、午後10時に帰宅した。

意外にも遠かったというのが率直な感想だ。これだけの体力があれば、もう少し足をのばして、ラスベガスに行ってもよかった。全米道路情報ソフト Microsoft Street and trip によれば、片道122マイルということだったから、僕は122キロメートルの感覚でこの唐突な計画を実行に移したのだが、よくよく考えてみると、それは約195キロを意味し、往復で約390キロ。高速道路が発達しているアメリカでの移動は、距離に対して驚くほど短時間でできるが、さすがに400キロはちょっと遠すぎたようだ。すっかりクタクタになってしまった。

今朝、ポーを見送りに空港に出かけた。彼は1ヶ月の予定でタイへ一時帰国する。明日からは、ビールとは無縁の健康的な生活を始められそうだ。

2003年6月23日(月)

この国に来てから、キリスト教を意識させられることが妙に多い。というのも、アメリカ国民の大半がキリスト教徒であるからだけではなく、キリスト教を信仰するクラスメイトがあまりにも多いからだ。また、日本ではあまり見られないような宗教観に基づく互助活動が、ここでは盛んに行われている。この異国の地で孤独と望郷の念に苛まれた留学生たちが最も必要としているのは、もしかしたら彼らによる救いであり、信仰心を持つことなのかもしれない。これもまた、アメリカ留学のひとつのかたちなのだろう。

メソジスト教会は1791年に英国国教会司祭 S・ウエスレーの第15子ジョン・ウエスレーにより創設された。英国国教会の流れを組むプロテスタント系の教団で、主に英国系アメリカ人からの支持を集めた。日本同盟基督教団川西聖書教会の著書である「やさしい教会史」(1993年)によれば、メソジストの信徒数は、日本における全プロテスタント系信徒の14%を占め、長老派(30%)、組合派(16%)に次ぐ第3位とされている。明治政府によりキリスト教禁制の高札が撤廃された1873年、アメリカやカナダのメソジスト教会が布教活動を開始しいくつかの系統に別れたが、1907年にそれらが本多庸一を初代監督とする日本メソジスト教会に統一されたという。

アメリカではさほどメジャーではない宗派(もちろん広く知られてはいるの)だが、やはり日系アメリカ人には広く信仰されているのだろう。

今日はクラスメイトに誘われて、僕たち5人はメソジスト系教会在米日本人団体が主催するバレーボール大会に参加することになった。夕方に語学学校に集合し、インターステート10号線で目的地の公立高校を目指すことになった。途中道に迷ってしまい、到着が閉会直前になってしまったものの、高校時代以来久々のバレーボールを楽しむことができた。

どうやら日系アメリカ人の多くは日本語を理解しないらしく、コミュニケーションは専ら英語でとられた。僕は家でタイ語で話し、教室で英語で話し、日本人の友人と日本語で話し・・・中国人たちが話すマンダリン、広東語、北京語をできる範囲で理解しようと努力し、クルマでスペイン語ラジオを聞きというような「言語の坩堝」のど真ん中にいる。正直言って、「言葉の壁」なんて、もうどうでもいいというような気分だ。

やはり、真剣に英語を勉強するのなら、イギリスに行くべきだったのかもしれない。

昼頃、中古車屋へクルマの修理に出かけた。タイヤから妙な音が断続的に聞こえてくるようになったからだ。原因は損耗によるブレーキパッドの消滅。やはり、ここは車検のない国ということなのだろうか。日本の中古車にはないような、つまらない故障がとても多い。なお、これも保証期間内ということで無料だった。

ちなみに、僕は多くのタイ人に助けてもらいながら今日までやってきたので、さしあたって宗教に帰依する必要を感じていない。もし僕が死ぬようなことがあれば、きっと仏教系の葬儀によって埋葬されるだろう(ああ、なんて縁起の悪い表現なのだろうか)。

2003年6月24日(火)

やはり、コミュニケーションの基本が意思の疎通にある以上、それを相手に伝えようとするときに最も言語習得の成果というものが現れるのではないだろうか。特にその意思が強いものになると、言葉へのこだわりはより強いものとなる。

いま思い返せば、タイ語の勉強をしていた頃も、感情的に不満をぶちまけるたびに語学力が一段階ずつ向上していったような気がする。そういう意味で、習得しようとしている言語でコミュニケーションがとれる国へ行くことは有意義かもしれない。そもそも、日本人の英語が下手なのは、文部科学省の英語教育が悪いわけではなく、日本国内で英語が使われていないからではないだろうか。なにしろ、できなくても恥をかかないとあれば、テストで必要最低限の得点をとれればそれで十分なのであって、わざわざその言語を芸術的に使いこなそうというようなこだわりは生まれだろう。もっとも、わざわざアメリカにまで来て、全く外国人とコミュニケーションをとらないというのであれば、それはひどい金の浪費としか言いようがない。

休み時間に外でたばこを吸ってから教室に戻ったところ、外国人クラスメートが僕を待ち伏せていた。なんでも、彼女の話によれば教室内に大嫌いな男がいるのだとか。結局、僕とその友人は3限目の授業開始時刻を無視して、そのまま廊下で話し込んでしまった。さらに、放課後にも空腹をこらえながらその話を30分以上も続けた。

言語を習得する方法としては、かなりネガティブな手法なのかもしれないが、今回も英会話能力が1ランクアップしたような気がする。

もっとも、僕がその話に付き合ったのは、僕自身もその友人同様、そのクラスメートが原因のひどいフラストレーションに悩まされていたからなのだ。

2003年6月25日(水)

学校を休んでアルバイトに励むというのは、いったいどういう了見なのか? おそらく、「アメリカにいたい」という欲求と、「お金がない」という現実とに起因する問題なのだろうが、法律が厳格に適用されるこのアメリカ合衆国でとる行為としてはあまりにも軽率で、かつネガティブな意味で勇敢だといえる。なぜなら、彼らは一度日本に帰国したら、もう二度とアメリカの地を踏めないからだ。あまりにもリスクが大きすぎる。

午前中の授業を終えて家へ昼食に戻ろうとしたところ、タイ人留学生アドバイザーに呼び止められて、アルハンブラ市中央通り Main St とガルフィールド通り Garfield Ave. の交差点近くにある、中国人経営のタイ料理店「紫のタイ」 Thai Purple に出かけた。ところが、僕たちの境遇があまりに違いすぎるせいか、話がまったくかみ合わない。そこで、この機会を利用して、いままで不思議に思っていたことを聞いてみることにした。

「先々週、出席日数過小の学生に警告文を出したと聞きましたが、それは単なる脅しなのでしょうか? それとも、法務省移民局は本気で出席日数を調査して、語学留学生の出席日数に関する法律を厳格に適用するつもりなのでしょうか?」

本来、僕たちの集中英語コース-レベル3には15人程度の学生が在籍しているはずだが、いつも8人くらいしか出席していない。聞いた話では、レベルの2のクラスも17人のうち11人くらいしか出席していないとか。彼らの主な欠席理由は、音楽学校への通学のほか、アルバイトなどもあるという。

「もちろん、彼らはこの規則を厳格に適用しようと考えているはずだ。つい先日も、出席管理システムを最新のバーコードによる自動読みとり式に更新しなくてはならないという通達が来て、それを実行しなかった American English Academy (AEA) の閉鎖が確定したばかりだ。ここのところ、そこの生徒たちが周辺の語学学校にものすごい勢いで流出しているそうだ」

僕が実感していたよりも、移民局はその規則をかなり厳格に運用しているようだ。さらに学校を休みアルバイトに精を出している学生たちは、将来、再入国拒否という憂き目に遭うだろう。留学経験のある地へ、新婚旅行のために訪れることすらできなくなるのだ。

なにしろ、彼らは日本に不法滞在しているイラン人やタイ人と同列に扱われるのだから。

もちろん、ハワイもアメリカ合衆国の一部だから、彼らはそこでの再入国も拒否されるはず。なお、入国拒否された外国人は直ちにほかの便で第三国へ出国しなくてはならないことになっている。なにしろ、ホテルに泊まりたくても入国できないとあっては、たどり着くことすらできないのだから。

彼らのお気楽さ加減には、まったく開いた口が塞がらない。あまりにも無謀すぎる。

2003年6月26日(木)

アメリカにおける一般道の名称というのは少し変わっている。日本語訳してしまうとすべて同じ「○○通り」になるのだろうが、ストリート、アヴェニュー、フリーウェイ(一般道)、ブルーバード、パーキングウェイなどさまざまな名前がつけられている。ところが、誰もそれらの違いを答えられないのだから不思議だ。

深夜、学校で知り合ったばかりの日本人たちとドライブに行くことになった。目的地は高級住宅街ビバリーヒルズとパサデナのクラブ。

ビバリーヒルズは、途中インターステート10号線をおりて、サンタモニカブルーバードを直進し、北方面へ曲がった場所にあるという。そこで、インターステート10号線をおりた僕たちは、そのままサンタモニカブルーバードをひたすら西に向かって走り続けることにした。

サンタモニカブルーバードは、途中何カ所ものディスコが集中した地域がある。カリフォルニア州法で、ディスコ内でもたばこを吸うことが禁じられているせいか、多くの人が店の外に群がっていた。そこから少し離れた人気のない交差点には、何もしていない男がぽつぽつと立っている。

アメリカでは道路に売春婦が立っているという話を聞いたことがあるが、まさかこんなむさ苦しい男たちが売春できるはずもない思って友人に聞いてみた。

「アレは麻薬の売人だ。彼らの前で車を停車させて 『いいもの持ってる?』 って聞けば、素早い動作で麻薬を売ってくれるはずだ。彼らは警察車両を発見すると一目散に逃げ出すんだ。見ていると案外面白いかもよ?」

僕はドライブスルーよりも簡単に麻薬を購入できるそのシステムに驚いて、その友人に驚いた様子を伝えたところ、「その辺の街路地へ入ると、こんな男たちが群れをなしているだろうね」とのこと。

タイでも麻薬は深刻な社会問題になるほど蔓延しているが、さすがに一応他人の紹介がないと売ってもらうのは難しい。ところが、ここでは道路に立っている人の前で車を一時停止させるだけで良いというのだ。もし、ご機嫌な気分のときに偶然彼らに出くわして、ついつい調子に乗って麻薬を購入してしまう人もいるのではないだろうか。

そんなことを考えながら、周囲を注意深く観察しながら運転していたところ、なんとサンタモニカビーチに着いてしまった。どうやら、北方面へ曲がるべき交差点を直進してしまったようだ。その後、第二の目的地であるディスコへと向かったところ、閉店時間直前ということですでに入場が締め切られていた。

今晩は単なる麻薬の売人を探す旅になってしまった。

2003年6月27日(金)

ロサンゼルス郡パサデナ市。そこはサンガブリエル山地の麓にある、豊かな自然に恵まれた高級住宅地として知られている。人口13万4587人。カリフォルニア工科大学やフラー神学校のほか、語学留学生羨望の的である短期大学が集中する文教都市。僕のまわりでは、 PCC (パサデナ市立短期大学)への進学希望者が多い。

今晩、その高級住宅地の一角で催された週末のホームパーティーに、クラスメイトから誘われて参加することになった。みんなで夕食を共にしてから、英単語カードゲームなどを楽しんで午後11時に帰宅。

僕たちが訪問したその家は、ホームドラマに出てくるような典型的な「富裕層の家」で、30畳程度の居間のほか、20畳程度の台所兼食堂、40畳程度の会食室兼礼拝室、ジャグジー付きプライベートプールなどがあった。

その家の所有者は、世界的に知られている某金融機関の副社長だとか。富裕層のアメリカ人がどのような生活をしているのかを知る良い機会になった。

「知らない人もいるホームパーティー」

日本で耳にしたことのある違和感たっぷりの単語だけど、まさに知ると見るとは大違い。西海岸特有の陽気さのせいか、すぐにその人々にとけ込めてしまえる雰囲気があった。たぶん、日本にはない価値観だろう。

語学学校は今日から1週間の夏休みに入った。

2003年6月28日(土)

夏休み初日。クラスメートやその友人たち総勢9人で、サンタモニカビーチの北にあるマリブビーチへと出かけた。干潮にはヒトデも見られるという。午前8時半に集合し、午後6時に解散した。

やはり、外国語の学習には「会話」は欠かせない。今日はそう確信する良い機会となった。中級以前の段階では、聞き取りの勉強をするよりも、自発的に会話をする方が効果的に学べるのではないだろうか。今日は一日中英語を話し続けたせいか、言葉も自然に出てきたし、聞き取りの精度も驚くほど良かった。特に、家に戻ってから見た英語映画のすべてが聞き取れてしまったことには驚いた。

この調子で、日常的に英語を話せれば良いのだろうが、今のところそういった機会を得るのはなかなか難しい。一刻も早く、タイ人以外の外国人グループを作る必要がありそうだ。

帰宅して友人たちとビールを飲んで疲れを癒していたところ、知らないタイ人に半強制的にタイタウン近くのディスコへと連れて行かれ、僕たちのグループはキレそうになった。このタイ人共同住宅には普通に知らない人がいることがあるから不思議だ。

2003年6月29日(日)

渡米直前に買ったばかりだという友人のノートパソコンが壊れてしまったため、修理をするために友人のホームステイ先を訪問した。結局、そのパソコンは初期不良だったようで、日本の家電量販店に交換品をアメリカまで送らせることにした。

今晩は、友人達とパサデナにあるディスコ Q’s に繰り出したが、日曜日だったということもあって閑散としていた。

2003年6月30日(月)

僕たち日本人3人はこの夏休みを利用して、隣接するネバダ州にあるカジノで有名なラスベガスへ旅行に出かけることにした。せっかくの夏休みを無為に過ごさないための苦肉の策だった。友人の台湾人も誘ってみたが、彼女はホストファミリーとヨセミテ国立公園に出かけるとかで、結局僕たち日本人だけの旅行になってしまった。

午後3時に南パサデナ市にある友人のホームステイ先を出発。途中、インターステート10号線の帰宅ラッシュに巻き込まれたり、バーストウ市にあるアウトレットモールに寄ったりしていたところ、午後9時にラスベガスに到着した。アウトレットモールにいた時間を差し引いても、ロサンゼルスから約5時間もかかったことになる。

通常、ラスベガスのホテルの多くには何らかのテーマが設けられていて、そのコンセプトに基づき商品開発されているという。たとえば、アラジンホテルだったらアラビア風の建物、ラクソー(ルクソール)ホテルなら古代エジプトのピラミッド型をした建物といったカンジだ。

そして、僕たちが夕食をとったパリスホテルは、名前の通りのパリをテーマにしたホテル。エッフェル塔や凱旋門、それにフランス王宮を超高層化したような客室などは壮麗を極めていた。空腹に耐えかねた僕たちは、そのホテル前にある巨大液晶広告に書かれていた「フランス料理ビュッフェ」という文字を見て、このホテルに吸い込まれていった。

ディナービュッフェ21.95ドル。ほかのストリップ地区にあるホテルでは、ディナービュッフェが15ドル前後で提供されていることを考えると若干割高感はあるものの、バイキング形式の食べ放題(=ビュッフェ)での「高級アイテム」(カニやカキなど)もあったから、案外妥当な金額だったのかもしれない。

こんな料理ばかりを食べていては絶対に太ってしまう。それが、ラスベガス旅行の唯一の欠点かもしれない。