2003年6月1日(日)
アメリカは人種の坩堝といわれているそうだが、ここロサンゼルスに限って言えば、どうやら「アジア人とヒスパニック系だけ」の街のようだ。スペイン語が街中の至る所で使われ、銀行ATMなどでは英語だけでなくスペイン語のメニューも選択できる。また、中国人の多い地域では、銀行の看板に中国語が併記されており、たとえば僕が使っている Bank of America では、正規の銀行ロゴの下に「美国銀行」という文字が書き加えられている。
そして、ここには多くの韓国人も住んでいるようだ。
韓国人のアルバイト先を探すために、遅めの昼食を兼ねて韓国人が経営する日本料理店「富士」に出かけた。この韓国人は、以前僕にクルマを売ってくれると話していたタイ料理店で働くタイ人と同棲している。彼女は即決で採用された。
夜になって、ポーとともに韓国料理店へ焼き肉を食べに行った。そこには韓国製ビールしかなく、これがまたひどく不味かった。まるでタイでいう象ビール(ビアチャーング)、日本でいう発泡酒のような味気なさ。しかも、ニンニクライスを注文しようと、”two garlic rice please” と言ったところ全く通じなかった。その後もありとあらゆる方法で何を注文しようとしているのかを説明したが、すべて失敗に終わった。
昼食をともにしたタイ人の彼女の韓国人の話によれば、「長年アメリカに住んでいる韓国人でも英語を全く話せない人は山のようにいる」ということだった。また、ポーの話でも、「ロサンゼルスには大規模な韓国人街がいくつも点在しているから、彼らは英語が使えなくても何不自由なく生活できる」という。僕よりも英語が使えないというのはさぞかし不便だろうが、慣れてしまえば案外気にならないのかもしれない。
いろいろ苦労して注文したガーリックライス(ニンニク炒めご飯?)だが、数分後に僕たちのテーブルの上に出てきたのはピンク色の赤飯だった。
今晩は韓国風日本料理店で昼食をとったあと、タイ人共同生活住宅に戻ってタイ語ドラマ「ウマーンディン」を鑑賞。最終話がとても感動的で、涙をこらえるのに必死になった。日本のテレビでもタイドラマを放映したら面白いのではないか。日本人の誰もがアメリカ文化の概略を知っているだろうが、おそらくタイ文化を理解している人はごく少数であるはずだ。タイ文化という違った価値観の上で展開されるストーリーはきっと新鮮で興味深いのではないかと思う。
タイ関係の話ばかりを書いているような気がするが、アメリカへ来て以来、タイ人共同生活住宅に居候しているのだから、こればかりはもうどうしようもない。それでも、今日は勉強に適した空間を見つけて、なんとか4時間の自宅学習の時間を確保した。
明日は午前中だけ授業に出て、午後から車の名義変更手続きに出かける予定。
金融機関(社内SE職)を退職後、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座を修了。米国語学留学を経て、同大学東南アジア研究科で修士号を取得。現在、日本国内の専門商社で海外営業に従事。
一緒に住んでいるタイ人たちがひどく遊び好きなことに、僕は正直ウンザリし始めてきている。昨年、タイ語を集中的に学習したころの経験からすると、語学学習とは授業時間と同程度、もしくはそれ以上の時間を家庭学習に費やすべきだが、こうも毎晩のように遊びに連れて行かれていては効率的に勉強することすらままならない。彼らの親切心には感謝の気持ちで一杯だが、このままでは期待通りの成果を挙げられるかどうか不安になる。
一見、さまざまな民族が分け隔てなく上手くやっているように見えるここロサンゼルスでも、やはり民族というものを意識されられることが頻繁にある。先日の中国語が併記されている大手都市銀行の看板でもそうだったように、彼らはアメリカに帰化してからも祖先の文化を頑なに守っているようだ。
最近、タイに住んでいる友人の話で明らかになったこと。なんでも僕がタイで受験した TOEFL 互換性試験 CU-TEP は、難易度が TOEFL よりも格段に低いため、CU-TEP の得点から TOEFL の得点に換算したものをそのまま信じない方が良いという話だった。
アメリカに来て2週間が経過した。タイ人の友人たちにいろいろなところへ連れて行ってもらったおかげで、徐々にではあるがようやく勝手が分かってきた。当初はあらゆる物事について、情報不足のため判断を下せずにいたが、やっと腰を据えていろいろな計画を立てられるようになった。
たかだか半年間のアメリカ滞在とはいえ、やはり一応の生活水準は維持したい。健康のための快適な睡眠や、効率的に勉強するための机などは絶対に不可欠だ。勉強するための十分な環境がなくてはアメリカへ来た意義そのものが薄れてしまうし、十分な睡眠をとれないようでは翌日の集中力に深刻な影響を与えてしまう。
家具の総額が372ドル、その他無線LAN関係機器154ドルだった。
日本では厳かに行われる学位授与式。でも、ここはアメリカだった。まるでディスニーランドのパレードのよう。派手に演出されていた。
いま自家用車が本当に必要かと聞かれたら、僕は NO と答えるだろう。語学学校はアパートから歩いていける距離にあり、買い物もポーが連れて行ってくれる。車がないことで、生活できなくなるということだけは絶対にない。しかし、どこへ行くにも日本人的常識でいう有り得ないほどマイペースなポーに合わせなくてはならず、僕はその日の予定を立てられず心底困り果てていた。同時に、日を追うごとに僕の立場がポーに対して従属的になっていくのが気にくわない。
クルマを購入した翌日にすることといえばドライブ。それに、近隣の主要道路の位置関係も早く覚えたい。
さすがは石油資本が支配しているアメリカ合衆国。ここでは市民が積極的にクルマに乗って石油を効率よく消費できるよう、ありとあらゆる施策がとられている。
「明日は東側に路駐しちゃいけない日だから、午前8時までには西側へ移動しておけよ」
日が沈む直前、僕たちはドライブを兼ねて海水浴場で有名なサンタモニカに出かけた。最寄りのガーフィールド通りからインターステート10号線に乗って、途中ダウンタウンLAを通過し、そのまま西の終点まで走り続ければ到着する。約27.5マイル、35分の道のりだ。キロ換算すると41.3キロになるが、ここロサンゼルスの道路交通が日本よりも格段に良いせいか意外にも苦痛ではない。なにより、高速道路利用料がないのが長距離移動を容易にする。
人口約120万人。サンディエゴはロサンゼルスに次ぐカリフォルニア州第2の都市だ。サンディエゴ港を中心に栄えた港湾都市で、豊かな農業都市でもある。ところが、市の経済は軍需産業や造船産業に依存しているらしく、大きな商業ビルはほとんど見られなかった。典型的な軍港都市だ。また、市街地領域が小さいためか、サンディエゴの国際空港が市街地に接近しており、すぐ真上に巨大な航空機を見ることができる。
今日は特にすることもなく退屈していたので、地図上ではすぐ近くにあることになっているサンディエゴまで行ってみようと思い立ち、直ちに実行に移すことにした。午後5時に出発。インターステート10号線と5号線を利用して、ひとりサンディエゴへと向かった。午後7時に到着し、午後10時に帰宅した。
ロサンゼルス郡パサデナ市。そこはサンガブリエル山地の麓にある、豊かな自然に恵まれた高級住宅地として知られている。人口13万4587人。カリフォルニア工科大学やフラー神学校のほか、語学留学生羨望の的である短期大学が集中する文教都市。僕のまわりでは、 PCC (パサデナ市立短期大学)への進学希望者が多い。
夏休み初日。クラスメートやその友人たち総勢9人で、サンタモニカビーチの北にあるマリブビーチへと出かけた。干潮にはヒトデも見られるという。午前8時半に集合し、午後6時に解散した。