2003年5月22日(木)

まさか、こんな憂き目に遭おうとは、まったく夢にも思わなかった。語学学校の担当職員を呪うべきなのか、それとも1年間に渡るタイ語学習の成果に感謝するべきなのか。いずれにしても、僕のアメリカ留学は、好むと好まざるとに関わらず、とても普通とはいえないような状況から1歩ずつ前進して行かざるを得なくなった。

当初予定よりも約2ヶ月ほど遅れて、今日、僕のロサンゼルス留学がやっとのことで実現した。すべては語学学校の不手際に原因があった。語学学校の日本人担当者が授業料の入金確認を25日間にわたって怠ったばかりか、間違った I-20 (留学ビザ申請に必要な語学学校が留学生招聘の時に発行する書類)を3回も送り付けてきたため、無駄な日数が月単位で費やされた。

今日一日の出来事をすべて書いていたら、きっと何行あっても足りないだろう。しかし、今日はロサンゼルス留学初日だし、いずれも重要な出来事だったから記録に留めておこうと思う。

ロサンゼルス国際空港に到着した僕は、いつものアライバルビザではなく、留学ビザを提示して入国審査を受けた。このとき、入国審査官に指示されて、「第二入国審査カウンター」へと通された。なんでも、留学目的の外国人入国者には特別な手続きが必要なのだとか。

ところが、担当係官が席をはずしていたこともあって、1時間以上待たされてようやく入国できた。その後、語学学校の職員から指摘されて初めて知ったことだが、どうやら(語学学校から発行された4稿目の) I-20 に不備があったらしく、もし入国係官がもう少し厳格に審査していたら入国を拒否されていた可能性もあったそうだ。なんと、 I-20 に記載されている「入国期限」がすでに切れていたという。まったく、 I-20 を発行した語学学校の日本人担当職員のいい加減さには、怒りを通り越して、ただただ呆れるばかり。これが3つ目の不手際だ。

事前に語学学校から入国後の指示を全く受けていなかった僕は、とりあえず空港近くにあるレンタカー屋 National Rental a Car で小型車「キャバリエ」を借りた。これからの何ヶ月かをこの国で過ごすために、はるばる日本から持ってきた荷物はとてつもない量だった。1日あたりの費用は43.5ドル。内訳はレンタル料金25ドル、標準損害保険9.5ドル、免責分保障保険9ドル。受付の職員にクレジットカード情報を渡し、2日間の予定でさっそくクルマを持ち出した。

右も左も分からないこの土地で、自分でクルマを運転するためには地図が必要だった。ノートパソコンを起動して、前回のアメリカ旅行で買った Microsoft Streets & tips で道順を調べることにした。しかし、いざ検索しようという段階になって、自分がどこに行って良いものか全く見当が付かないことに気が付いた。仕方なく、問題だらけの I-20 に記載されていた語学学校だけを頼りに、一応の目的地を定めた。

それにしても、走り慣れない街でクルマを走らせるというのは意外に大変なことだ。特に、交差点の道路標識が日本やバンコクと違うのには相当悩まされた。走っても走ってもあるはずの道が見つからず、その代わりに見たことも聞いたこともない名前の道が次々と現れる。おそらく北へ向かっているのだろう、と思ってそのまま直進していたところ、なんと日本人が多く住んでいるといわれるオレンジ郡トーランス市に入ってしまった。

この時点で、僕はすでに2時間程度の時間をロスしていた。さらに、出発地点の空港周辺まで戻るのに約1時間を費やし、やっとのことで本来乗るべきフリーウェイへと戻った。さらに、目的地周辺のフリーウェイから降りてからも、周辺の道路を2時間以上に渡って徘徊し、空いていれば30分で到着すると言われている道のりを移動するのに4時間半も費やしてしまった。

僕は語学学校の職員にホストファミリーを紹介してもらい、そこでゆっくりと旅の疲れを癒そうと胸を躍らせていた。一刻も早く到着したかった。

語学学校の扉を開けて聞こえてきたのはタイ語だった。

タイ人留学生とタイ人の留学生アドバイザーが何かを話し合っていた。英語のスピーキングに不慣れな僕は、今自分が必要としていることをタイ語で伝えることにした。円滑な事務処理を期待したのだ。

自分のホームステイ先はどこなのか? いつから授業に参加できるのか?

「サワッディークラップ」(タイ語でこんにちはの意)

続けて、僕は自分が今朝ロサンゼルスに到着したばかりの日本人留学生であること、自分が申し込んでいたロサンゼルス・ダウンタウン校の所在地を知らされていなかったため、やむを得ず I-20 に記載されていたこのアルハンブラ校を尋ねたこと。いかにロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人担当留学生アドバイザーが役立たずの穀潰しであるかということなどを延々とタイ語で説明した。そこで、ある重大なことが発覚した。

「それは大変気の毒なことだ。右も左もわからないと言うのに、君は住所一つを手がかりに、レンタカーではるばる空港からやってきたというのか。いまロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人留学生担当者に問い合わせてみたんだが、彼はまだ君のホームステイ先を用意していないと話している。あと2週間は斡旋業者の休業が続くから、君にホストファミリーを紹介できるのは、早くても2週間後になるだろう」

ロサンゼルス・ダウンタウンの日本人担当者が至急部屋を紹介する?

それにはどれくらいの経費がかかるのか? 日本人担当者に僕の部屋を性格に手配できるだけの能力が本当にあるのか? そう簡単に部屋を見つけることができるのか? ・・・それに、できることなら僕は彼の顔なんか見たくもない。挨拶以前の段階で、無意識のうちに殴りかかってしまいそうで心配だ。

「以前、彼は怒り狂った学生に殴り飛ばされたことがある。俺もその場に居合わせたのだが、あれはいつのことだったかなあ? まあ、当然のことなんだけれどね」

相応の報いというものだ。

完全に日本人留学生アドバイザー不信に陥った僕は、このタイ人留学生アドバイザーを頼って、ここアルハンブラで英語の授業を受けることに決めた。 ロサンゼルス・ダウンタウンなんて当然キャンセルだ。

そして、タイ人留学生アドバイザーは、ついに同情して僕に救いの手をさしのべてくれた。

「僕はタイ人の友人たちと共同生活をしているのだが、もし良かったら、君もホストファミリーが見つかるまでのあいだ、僕たちの家に滞在するというのはどうだろうか? ロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人留学生アドバイザーは、至急、君のアパートを手配すると言っていたが、それでは余計に金がかかることになるだろう。君はタイ語が話せるんだ。タイ人に準ずる十分な支援をしてあげようじゃないか」

そうだ。僕にはもうロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人留学生アドバイザーを信用してやらなくてはならない義理なんて一つもない。留学遅延に関する3つの不手際のほかに、彼はさらに致命的な4つ目のミスを犯したのだ。そう、彼はついに僕が必要としているサービスをの何一つとして正確に実行しなかった。そもそも、タイ語が通じれば、日本人アドバイザーなんかいなくても、僕に不都合なことなんて何もない。

それからというもの、すべてが順調に運んだ。彼の家に連れて行かれ、彼と共同生活しているタイ人たちを紹介してもらい、みんなでダウンタウンにある日本人村「リトルトーキョー」へ行って日本料理を食べることになった。

さらに、彼と同居しているタイ人の一人が今日タイへ一時帰国するというので、みんなで空港まで見送りに行くついでに、空港で今朝借りたレンタカーを返却した。予定よりも1日早い返却だったため、二日目のレンタル料金は返却された。

午前3時20分。タイ人4人が共同生活を送る、閑静な高級住宅街の一角にあるこの可愛らしい家のリビングで僕はこの日記を書いている。

明日は、語学学校主催のサンフランシスコ旅行ツアーに参加することになっている。あのどさくさの中で、いつの間にか僕も参加することになってしまったのだ。

2003年5月23日(金)

英語を母国語とする人に言わせると、外国人の話す英語にはそれぞれ妙な癖があるという。僕なんかには、日本人英語と中国人英語、それにタイ人英語の3種類しか判別できない――もちろん米国内の地方訛りなんて理解できない――けれど、今日はそのバリエーションにさらに韓国人英語が加わった。

それらの違いは僕にはこう聞こえる。

日本人の話す英語・・・・・・カタカナ読みに近くて、英単語の音節数を正確に表現できない。日本語の母音5音以外の発音が苦手。
中国人の話す英語・・・・・・中国人がタイ語を話すときと同じで、末子音をほとんど発音しないため聞き取りにくい。
タイ人の話す英語・・・・・・末子音を発音するが、タイ語発声規則のどおり息を出さずに発音するのでリズムがおかしい。また、母音字が続くと、そのうちのどちらかを完全に省略してしまう。

そして今日初めて耳にした韓国人の話す英語は・・・・・・まるで日本のギャルたちが使っている単語末尾の音があがる、あの話し方そのもの。たとえば、5 (ファイブ)という語であれば、日本のギャルっぽい話し方で「クラブ」というのと同じイントネーションで five (ファイブ)とカタカナ読みで発音すると韓国人の発音になる・・・・・・のではないかと思う。あまりにありがちな発音ミスだったので、僕は彼が five と言いたがっているということに気づくのに5秒ほど費やしてしまった。

今日は、午前7時半に居候先から徒歩5分のところにある語学学校へ行き、語学学校主催のサンフランシスコ観光ツアーに参加した。

途中、Solvang の街やハースト城に寄りながら、午後10時にフレスノの街に到着。モーテル「ナイツイン」に宿泊し、午前2時まで違う校舎で英語を勉強している生徒たちと大量のビールに囲まれながらいろいろなことを話し合った。貧弱な文法と少ない語彙。よくもまあ、あれだけたくさんのことを話せたものだと、我ながら感心してしまう。

なお、今晩の出席者は僕のほかに、韓国人の男女、台湾人の男女の5人だった。

2003年5月24日(土)

語学学校に支払ってしまった金は、理由の如何に関わらず原則として返還されないことになっている。ところが、今回は語学学校のミスで僕がホームレスになってしまったのだから、語学学校に手配を依頼していたホストファミリー紹介手数料200ドルを返してもらえることになった。

案外、これは怪我の功名かもしれない。

計画当初から僕はホームステイにしようか、それとも留学生同士でファミリー向けの家をシェアしようかと迷っていた。そこで、語学学校主催のこの観光旅行の機会を生かして、最善のアメリカ滞在方法を聞いてまわった。

学生たちから聞いた話は要約すると次のとおり。

ホームステイ・・・・・・家賃が高い割にはいい暮らしができない。ホストファミリーが必ずしも終日家にいるとは限らず、英会話を実践できないことも少なくない。その割には制約がいろいろとあり、ストレスが溜まることが多い。
ルームシェア・・・・・・家賃が安く、そこそこの生活ができるが、ルームメイトが遊び好きだと、頻繁に外出に誘われることになって勉強時間がなくなってしまう。さらに、ルームメイトが夜遅くまで音楽を聞くような人だと、「家庭内迷惑」に悩まされることになる。

ホームステイを支持する学生が少なかったことは意外だった。また、乗用車を購入するよう強く勧められた。たしかに、ホームステイや共同生活住宅(?)を語学学校の近くに見つけるのは意外にも困難で、自動車がないと行きたいところに行けなくなるだけでなく、肝心の学校にすら行けないという羽目にもなりかねない。

さしあたって、待遇の改善はルームメートには求られるが、ホストファミリーの長年に渡る生活習慣に変更を求めるのは非現実的だろうという判断から、ルームシェアを念頭に今回の留学計画を立て直すことにした。

いずれにしても、自動車は一刻も早く手に入れなくてはならない。

今日は、正午過ぎにサンフランシスコの町に到着し、遊覧船(20ドル)に乗ってサンフランシスコ湾の観光名所ゴールデンゲートブリッジやオシャレな港町を見て回った。それから路面電車に乗ってダウンタウンへ移動し、一緒に行動していた日本人クラスメートの土産物ツアーに出かけた。

フラートン校で英語を勉強しているタイ人2人と知り合った。タイ語はタイ人との和をつなぐということだろうか。

今晩は台湾人1人と韓国人2のほか、近くに居合わせたバスの運転手を引き込んで、閉店時間の午前零時までモーテルのバーでビールを飲んだあと、相部屋の韓国人に韓国製カップラーメンをもらった。僕の韓国人の対する民族感情が今回の旅行で30%ほど向上した。

2003年5月25日(日)

「ニラートソーングポップ(二大陸放浪記)? ああ、それならタイランドプラザに行けばあるだろう」

渡米2日目、僕は語学学校主催のカリフォルニア観光旅行に参加した。午後6時半、港町サンタバーバラを経由して、ロサンゼルス郡アルハンブラ市の語学学校前で解散した。僕が居候しているタイ人共同生活住宅に戻ったところ、タイ人同居人たちから、以前から探していたタイの時代劇テレビドラマシリーズ「ニラートソーングポップ」がタイランドプラザというところにあるという情報をゲットした。

タイランドプラザはロサンゼルス・ダウンタウンから101号線を約6.2マイル(約10分程度)北西方面へ行ったところにあり、タイ料理店をはじめ、タイ語書籍店、タイ料理食材品店、タイ語ビデオレンタル店などがある。

そんな話をしているうちに、夕食をタイランドプラザで食べようという話になって、ダウンタウンにある大学に通うポーと彼の所有するニュービートルに乗ってタイランドプラザへ行き、タイ料理を食べ、VCDニラートソーングポップ(全29枚40.5ドル)を買って帰宅した。

ご飯のほかに2種類のおかずが選べて3.90ドルだった。

サンフランシスコ観光旅行に行っていたこの3日間のあいだに、僕にこの共同住宅への一時滞在を勧めてくれた語学学校のタイ人留学生アドバイザーが1週間の休暇を取ってタイへ一時帰国していた。

2003年5月26日(月)

「息子よ、そこにある皿を取ってくれないかい?」

・・・俺がいつオマエの子供になったのか!!と聞き返したくなったものの、所詮、僕はタイ人の保護下にある身。きっと、これもいくつかある「我慢しなくてはならないこと」のひとつなのだろう。

今日はポーに誘われてタイ人老夫婦の家でのバーベキューパーティーに誘われ、4人のタイ人たちとその家にお邪魔することになった。実はその老夫婦は単なる居候で本当の家主は片言のタイ語を話すごく普通のアメリカ人だ。タイ人の誰もが「○○の両親の家」と言っていたものだから僕はすっかりそうと信じ切っていたが、きっとタイ人達はその老夫婦のメンツを潰さないようにそう説明したのだろう。

日本人社会もタイ人社会と同様、アメリカと比較してしまうと年齢の上下関係に厳しいが、タイ人社会のそれはあまりにも凄まじい。

もしかして、「息子よ」という言葉にある程度の親しみの感情が含まれているのかもしれないが、やはり日本人の僕としては抵抗感を拭いきれない。・・・その割に相手が外国人となると、、タイ人達はちゃっかりシニアリティーを無視したタイ語を使っている。

そういえば、僕は語学学校のタイ人留学生アドバイザーに彼を「兄貴(または先輩?)」と呼ぶよう指示されている。そう歳も離れていないにも関わらず。いずれにしても、一刻も早く自分の住む場所を探さないと気が違ってしまいそうだ。

今日は、彼らタイ人と中年アメリカ人男性の9人でバーベキューをしてから、半強制的にサイクリングへと連れて行かれた。このアメリカ人は本当にサイクリングが好きらしくて、彼のアパートのリビングになんと11台もの自転車が置かれていた。アメリカ人は趣味に金を惜しまないということなのかもしれない。

ちなみに、アメリカにおけるタイ人社会が裕福な層かどうかとういう点についてはもう少し検討が必要だ。しかし、いずれにしても日本にいるタイ人よりは裕福であるということ疑いない。

3時間もサイクリングにつきあわされた僕は、帰宅後すぐにベッドへ直行した。明日の語学学校の準備は何一つしていない。

2003年5月27日(火)

午前8時20分に居候先を出て、語学学校前にあるレストランで朝食をとった。メニューに目をやってみると、そこには油っぽい料理ばかりが並んでいた。僕は一番マシそうな4.45ドルの朝食セットA(トースト・スクランブルエッグ・ベーコン・ポテト・ホットコーヒー)を食べることにした。

午前9時に語学学校に着いてみると、すぐにクラス分けテストを受けさせられた。テスト問題はジョージア州立大学の留学生振り分けテストのコピーそのもの。僕は TOEFL コースを希望していたが、試験結果次第では通常の集中英語コースを受講した方が良いという中国人留学生アドバイザーの助言にしたがって、このクラス分けテストを受けることにしたのだ。

結果は惨憺たるもので、全7コースあるうち下から3番目の Level 3 というクラスへの編入を勧められた。TOEFL 対策はこれとは別に受講することにした。同時に、僕の学習計画が決定された。

9:00 - 12:36 集中英語コース Level 3

13:30 - 15:05 TOEFL 対策コース

なんと、僕は1日に7時間12分も学校で勉強しなくてはならなくなってしまったのだ。チュラロンコーン大学の集中タイ語コース(1日4時間)を受けるだけでも気が滅入りそうだったというのに、今回はその2倍弱も勉強しなくてはならない。宿題をする時間があるかどうかとても心配なところだが、それでも10月の入学試験まであと半年しかないから、これも仕方ないことということで受け入れることにした。

それでも、留学生活をエンジョイするどころではなくなってしまったことだけは、どうやら間違いなさそうだ。

教室に入ってみると、そこには10人の生徒がいた。内訳は、台湾人1、インドネシア人1、日本人8。僕はできるだけ日本人がいなそうな地区を選んだつもりだったが、それでもやはり語学学校は日本人だらけ・・・だという噂は事実だったようだ。

授業に使われた教材は大学受験レベルの単語が頻出するものの、全体としては高校1年生レベルで、特に文法解説の講義などは中学2年生レベルだった。

If I go to the market, I will buy a pen.

・・・というレベル。こんなことをやっていて、果たして本当に10月の英語検定試験 TOEFL に受かるのだろうか?

午後は TOEFL 対策コースに出席した。何がなんだかわからないという授業だったが、じきに慣れていくことを期待するしかない。そもそも、講師の解説すら30%くらいしか理解できないのだ。今は聞き取りの練習に専念する時期ということなのだろうか。

2003年5月28日(水)

今、緊急に必要なもの。

携帯電話・・・これがないと相手に自分への連絡手段を知らせられない。ルームメイトも探せない。
自動車・・・これがないとルームメイト候補の家を訪問できない。新しい家から語学学校にも行けない。
共同生活住宅・・・これがないと十分なプライバシーを維持できない。

そのうち、携帯電話は携帯電話ショップへ行けば済む問題で、そう難しくもなさそうだ。しかし、中古車探しとなるといささかやっかいな問題に直面する。

僕の英会話力は「ぎりぎり自分の言いたいことを言える」といえる程度のもので、電話で価格交渉や状態の確認等ができるような水準にはない。だから、自力で自動車を購入するためには、中古車屋に行って英語の説明を何度も聞き直すか、もしくは車を売却したがっている知り合いに直接交渉するしかない。語学学校の掲示板にも2台の中古車が掲示されていたが、値段が相場よりも割高で、売却時の損失額も目を覆いがたいものになる。

そこに、偶然のチャンスが訪れた。

今晩一緒にフィットネスへ行くメンバーのうち、タイ料理店で働いているタイ人が偶然自動車の売却を検討中だというので、すぐに交渉に移ることにした。

1994年式ホンダ製アコード。排気量2,200cc、走行距離140,000マイル、価格5,200ドル。冷房の効きに問題あり、前輪タイヤのホイールが盗難されている、フロントガラスに深いひびが入っているなどの問題を抱えている。・・・なんだか、ひどく割高なような気もするが、帰宅後にヤフーオークションで相場を確認してみたところ、どうやらこのあたりが相場のようだ。

バスで移動するという手段をとりにくいここアメリカでは、どうやら古い自動車にも一応の値が付くようだ。確かに、日本では「ゴミ」と言われているようなおんぼろ車でも、なければ買い物にも行けないのだから仕方がない。

今日は、約7時間にも渡る英語シャワーを浴びたあと、タイ人の友人たちとフィットネスへ行って、フィットネスクラブ向かいにあるタイ料理店で夕食をとった。

ここのところ、タイにいた頃よりも頻繁にタイ料理を食べているような気がする。

2003年5月29日(木)

英語シャワーを浴びて帰ってきたら、日本の実家に忘れてきたノートパソコンの電源ケーブルが届いていた。これでやっとノートパソコンが使えるようになった。日本から発送したのが26日だから、到着までまるまる4日間かかった計算になる。国際航空貨物の送料は1,500円だった。

英語シャワーの後、タイ人の友人たちとゴルフ練習場へとでかけ、昨日のタイ人と中古車の納入時期等について話し合った。彼の話では月曜日には僕は車を運転できるようになるそうだ。

午前3時まで共同生活住宅の居間でタイ語恋愛ドラマ「ウマーンディン」を見てから寝た。どうやら僕はこのドラマにはまってしまったようだ。わざわざアメリカまで来ているのに、英語を勉強する時間よりも、タイ語を話しタイ語を聞く時間の方が長いというこの状況を不思議に思っている。はたして、こんなことでよいのだろうか。

2003年5月30日(金)

今日は学校を休んでポーやアサンプション大卒のタイ人女性ふたりと携帯電話を買いに出かけた。この街の至る所にある中華料理屋で昼食をとり駐車場に戻ったところ、「売ります」と書かれている自動車に目がとまった。

1993年式トヨタ製カムリ。排気量3,000cc、走行距離112,000マイル、価格5,300ドル。助手席の扉にコインで傷つけられたような長い傷が付いているが、冷房の効き等には問題ない。標準のタイヤもしっかりついているし、フロントガラスも割れていない。これはもしかして、タイ人の知り合いから購入する予定のクルマより高く転売できるのではないかと思って、さっそく試乗してすぐに購入の交渉を済ませた。売却側の中国人で中華料理店店主の話によると、彼は明日土曜日に自動車転売に必要な排気ガス規制適合証明書を取得して、月曜日には名義の変更ができるということだった。これで、僕は月曜日にはマイカーをゲットできることになった・・・と同時に月曜日の授業を休まなくてはならなくなったことが確定した。

一方、一昨日購入の約束をしたタイ人に申し訳ないと思って電話したところ、「別に売却を急いでいるわけではないから気にしないでくれ」と言われた。

その後、小さな携帯電話ショップに行って Singular 社のGSM方式携帯電話対応SIMカードを50ドル(通話料30ドル込み)で購入。携帯電話本体はタイで使っていたGSM方式のものをそのまま使うことにした。

タイ人の友人たちから聞いた話では、プリペイド携帯電話の通話料はひどく高いそうで、月極契約のものを使った方が断然お得だとか。しかし、それを購入するためには、安定した収入のある個人の保証が必要で、さらに最低でも1年間は契約しなくてはならないため、半年程度の留学を予定している僕には選択できない。

2時間後には携帯電話が開通した。

今晩はタイ人たち総勢9人でフィットネスクラブへ行ってから、昨日まで僕に車を買う約束をしていたタイ人が働くタイ料理店で遅めの夕食をとり、タイ人女性を家へ送ってからアメリカ版ゴーゴーバー(?)、紳士クラブ「ジェントルメンズクラブ」と呼ばれる裸踊りバーへと繰り出した。裸踊りショーが延々と行われるようなところだった。また、気に入ったホステスを呼んで100ドルほどを渡せば、隣室で約10分間「セックス寸前のサービス」を受けられるそうだ。僕はこういうことに金を使わないことにしているから、どんなものかを実際に見ることはできなかった。

なお、ジェントルメンズクラブの入場料は20ドルだった。

2003年5月31日(土)

今日はポーに連れられて、大型家具チェーン店 IKEA に出かけた。ここにはオシャレな家具が一通りそろっていて、一度の買い物で新居に置くべき家具のすべてを揃えられる。オシャレな女の子の部屋の必須グッズ「小物」も大量に売られていた。値段は日本に比べてから6分の1程度だった。2万円もあればいろいろなとオシャレなものを揃えられるだろう。

場所は 600 N. San Fernando Blvd. Burbank, CA 91502 、ゴールデンステートハイウェイ州間高速(インターステート)10号線をダウンタウンから北西へ約12.4マイル(約18分)ほど行ったところにある。

僕も新居を見つけたらここに来て家財道具一式を揃えようかと思う。