知性と教養

「子供をたくさん産めば産んだだけ自分が裕福になれると考えたのは、きっと私の両親に学がなかったからでしょうね。本来なら子供の数を減らしてひとりあたりの教育費を増やすべきなのに、こんなにたくさん産んでしまったら十分な教育が与えられなくなるじゃない」

午後3時20分、貧しい掘っ立て小屋が立ち並んでいる都内のマッガサン通りを、今回のアメリカ留学にともない家財道具の一部を友人宅へ預けるためにピックアップトラックを運転していると、日本人の友人のカノジョが車中でそう話していた。どうしてこんな話題になったのかは謎のままだけど、その内容があまりにも印象的だった。

もし日本で「知性と教養は比例する」なんて唱えれたら袋だたきにされるところだけど、実際にタイではそのように認識されているから仕方ない。背景にはタイ特有の特殊な社会構造がある。

第一に、タイでは前近代的な階級社会的な意識がいまだ根強くあって、人々の社会階層がそれぞれの経済力や教育的なバックグラウンドによって露骨に区分されているため、社会の底辺に対する否定的な発言(差別)が大腕を振ってまかり通っており、発言そのものが社会的な正義に反していると周囲から非難されることはない。これは「みんな平等」的な意識が強い日本人にとってはなかなか受け入れ難い価値観かもしれない。

第二に、タイには著しい教育格差があって、一世代前の地方農民だと小学校を卒業した人すらほとんどいない。この10年ほどのあいだにだいぶ改善されたようで、今では普通に小学校へ通っているし中等学校(中学高校)へ進学する貧農の子供も珍しくなくなった。いずれにしてもタイでは教育のない人は知恵もないと考えられており、実際に僕の目にもそのような人々がとても稚拙で近視眼的なように映っている。

「裕福な日本人には想像もつかないでしょうけど、ここタイにはいろいろな問題があるのよ」

もし仮に僕が大学を卒業していなかったら、タイ人から見下されるのを避けるために意地でも自分の学歴は隠し通すだろう。

きょうは昼過ぎに友人宅へ大量の家財道具を預けに行ってから、高校時代の友人が滞在しているホテル Westin Grande Sukhumvit に泊まった。ペッブリー18街路にあるマンション Venezia Residence の644号室で廃却予定の家財道具を搬出していたエーンやその友人たちに会ったけど簡単な挨拶をしただけでロクに言葉は交わさなかった。

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ケイイチ
バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。