2003年3月1日(土)

専門的な文章のタイ語訳。

集中タイ語講座(インテンシブタイ)修了者なら、新聞記事の翻訳程度は片手間でもこなすことができる。しかし、専門的な文書となると、なかなかそうもいかない。翻訳を始めて10分以内に、たとえば「意匠」と「登録商標」の違いのような、日本語でも正確な意味が分からない言葉をどうやってタイ語で表現するかという問題に直面する。

今回、僕が有償で請け負ったのは就業規則の翻訳だった。労働省に提出する公的な書類であるため、完璧なタイ語訳が求められている。そこで、報酬の7割を分けることを条件に、エーンに手伝ってもらうことにした。自分の分け前がたったの3,000バーツというのはなんとも物足りないが、僕よりもエーンの仕事量のほうが3倍近く多いから仕方ない。

共同翻訳作業はつぎの手順で行った。①僕が日本語の原稿に目を通して、それを準文語調のタイ語で読み上げる。②それをエーンが公的文書レベルの文章にして読み上げる。③エーンが読み上げた文章のなかに、原文の内容が過不足なく含まれているかを確認する。④エーンが文章を校正する。一連の作業に欠かせないのは、もちろん十分なタイ語能力と一応の教養。

全8ページのうち、4時間かけて5ページを翻訳した。まずまずの作業効率。

先日来、僕の部屋にハムスターがいる。エーンがジョーイからもらったという。愛嬌があって、なかなかカワイイ。

2003年3月2日(日)

あんなところ、もう二度と行きたくない。

タイに来て452日目。初めてヂャトゥヂャック週末市場(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)へと出かけた。これまで友人たちから何度も誘われたバンコクの観光名所だが、僕は何時間も屋外にいるのには耐えられないと断り続けてきた。これで今回のアメリカ留学がなかったら、間違いなくあと一年は先送りしていただろう。

ヂャトゥヂャック週末市場(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)は、高架電車 BTS スクンウィット(スクンビット)線の終点「モーチット」から歩いていける距離にあり(2004年の地下鉄開通以降、ガンペーングペット(カンペンペット)駅を降りると市場のど真ん中に出られるようになった)、毎週土曜日と日曜日の2日間だけ開かれている定期市だ。取扱商品の大半は日用雑貨。衣類の多さが特に目を引いたが、ほかにも食品や動物などのエリアもある。アジア雑貨好きな人なら、ここに来れば掘り出し物に巡り会えること間違いなし。

今回の目的は、アメリカで身につけるための偽ブランド品を買いあさることだった。そのために、僕は体中から噴出してくる汗に耐えながら、3時間もかけて辛抱強く探し続けた。ところが、見つけられたのは安物のカバン屋1軒、偽腕時計屋1軒、それから中古腕時計屋1件だけ。

この市場には、ここを訪れる外国人観光客のために、伝統衣装などの土産物品が豊富にそろっている。しかし本来、ここは庶民が日用品を安く買うためにやってくる市場。庶民の手に届かないような高価な贅沢品を買うのには向いてない。僕たちは仕方なくハムスターのエサ「ひまわりの種」(1袋20バーツ)だけを買って帰宅した。部屋に戻ってきた頃には、Tシャツが猛烈なニオイを放ち、全身が砂埃まみれになっていた。

偽ブランド品は、後日ナーナー(ナナ)周辺か MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロン)あたりで収集したい。

シャワーを浴びてから、昨日の翻訳の続きをした。残るはパソコン入力と校正作業のみ。

2003年3月3日(月)

午後2時。目を覚ましてみると、エーンがパソコンに向かって翻訳した文書を打ち込んでいた。エーンによると、正午頃にやってきたという。エーンの作業は3時間足らずで終わり、僕が夕方まで校正作業を引き継いだ。

夜、友人の会社でのバイトから戻ってくると、エーンが持ち帰る予定になっていたハムスターが、書置きとともに残されていた。

19:46 DEAR Kei-Chan

ฝากเจ้าตัวเล็กอีกซักคืนนะ bye (^-^)
おチビちゃんは、あと何夜か預けるわ。じゃあね (^-^)

P.S. สอบคราวนี้ต้องแย่แน่เลย เป็นสอบ writing ตั้ง 5 วิชาแน่ะ
P.S. 今回の試験は絶対にやばいっぽい。だって、5教科ともライティングなんだもん。

なごみ系の小動物。僕の部屋にこれ以上預けられると、なんだか情が移ってしまいそうだ。

2003年3月4日(火)

昨晩、僕がハムスター小屋の掃除をしていたときに、エーンから預かっているハムスターを濡らしてしまった。水分を含んだハムスターの毛がツンツンと立っている。

これでハムスターに死なれてしまうと、きっと僕はエーンから感情的に口汚く罵られることになるだろう。ハムスター関連のホームページには「ハムスターは水に弱い」と書いてある。いよいよ憂鬱な気分になった。同時に、現在のハムスター小屋の設備が不十分であることに気付き、買い足すべきものをリストアップした。

夕方、エーンと出かけたサヤームスクウェア(サイアムスクエア)でハムスターグッズを買った。今回買ったのは、ハムスター用のトイレ(350バーツ)、小屋の底に敷く(わら)(99バーツを2種類)、ハムスター小屋(980バーツ)など。なんと合計で1,890バーツもかかってしまった。

サヤームスクウェア(サイアムスクエア)にあるペットショップ「Dog’s Paradise」では、僕の部屋にあるハムスターと同じもの(茶色)が180バーツで売られている。白のハムスターは380バーツ。店舗の賃料が法外に高いため、この界隈の物価もかなり割高。ちなみに、ヂャトゥヂャック週末市場(チャトゥチャック・ウイークエンドマーケット)では、茶色のハムスターが100バーツ前後で売られている。

その後、サヤームディスカヴァリーセンター(サイアムディスカバリーセンター)6階の日本料理店 SUMO で夕食をとった。テレビでは「何でも美味しい日本料理屋 SUMO 」という CM が頻繁に流されているが、これのどこが「美味しい」のだろうか? 値段は日系の日本料理屋のおよそ1.5倍。味は拷問のようにひどかった。

タイにおける日本料理屋の味は、常に知名度と反比例する。超有名店は超激マズ。タイ料理を食べたほうがまだマシだ。

2003年3月5日(水)

タイ語訳を依頼されていた就業規則をメールに添付して送り、深夜までこのホームページの掲示板プログラムを作っていた。

2003年3月6日(木)

「もう新しい20バーツ見た?」

就業規則をタイ語訳した報酬を受け取りに友人の会社へと出かけたところ、唐突に20バーツ紙幣を見せられた。

タイでは、この5年ほどのあいだに20バーツ札を除くすべての紙幣のデザインが変更された。しかし、なぜかこれまで20バーツ札だけは旧紙幣がそのまま使われ続けていた。

新20バーツ紙幣は、現行の500バーツ紙幣のような近代的なデザインで、1,000バーツ紙幣と同じような色をしている(新20バーツ札は緑色, 1,000バーツ紙幣は灰色)。前面には他の額面の紙幣と同じく現国王プーミポン・アドゥンヤデート(プミポン)ラッタナゴースィン朝(タラナコーシン朝またはチャックリー朝またはバンコク朝), ラーマ9世)の肖像が印刷されているが、背面の肖像が従来のタークスィン(タークシン)王(トンブリー朝)からアーナンタ・マヒドン王(ラッタナゴースィン朝(タラナコーシン朝またはチャックリー朝またはバンコク朝), ラーマ8世)へと変更されている。

屋台などで乱暴に扱われる20バーツ札。いつまでこの美しい姿を保てるだろうか。

今晩、友人の会社に寄ってから、スクンウィット(スクンビット)界隈にある日本料理屋で遅い夕食をとり、高架電車 BTS ナーナー(ナナ)駅前の露店で腕時計の模造品を購入した。友人によれば、内部には日本製の部品が用いられており、模造品の割には品質が高いという。しかし、時計の周囲についている「りゅうず」が簡単に取れてしまうらしい。見た目は本物そっくりだが、実際に本物と並べて比較してみると、表面日付欄にある拡大鏡が忠実に再現されていないなど、模造品であることが分かる部分が数ヵ所ある。・・・・・「それっぽく」見えればそれで十分。1,800バーツだった。本物の値段は440,000円。

模造品があまり出回っていない日本やアメリカでは、ブランド品がまるで神であるかのように崇め奉られているはず。絶対に自慢してやろう(タイではブランド品を身に付けていようとも、絶対に本物とは思われない)。

2003年3月7日(金)

昨晩、スクンウィット(スクンビット)通りの屋台でブランド品腕時計の模造品を買ったときに、僕はバンドの長さを調整することをすっかり忘れていた。

腕からスッポリ落ちてしまうような腕時計など身に付けられるはずがない。そこで、「腕時計ベルトの補修・交換承ります」という看板を下げている露店を見つけて調整してもらった。20バーツだった。

バイト後に帰宅すると、突然エーンがやってきた。エーンによれば、今日ある有名なダンスグループの採用試験を受けて「補欠採用」になったとか。このままお呼びがかからなければ収入も得られないが、ダンス界でのキャリアアップにはまたとない機会とか。正規採用時の月給は13,000バーツ。

個人的には、せっかく頭が良いのだから学術系の仕事で稼げばいいのに・・・・・・と思うのだが、こればかりは本人が選んだ道だから仕方ない。

2003年3月8日(土)

パッタヤー(パタヤ)の上客はアメリカ海軍兵。

今日はアルバイト先の社員旅行に参加した。業務終了後、ワゴン車(ロットゥー)にタイ人を含む全従業員を乗せ、僕はワゴン車(ロットゥー)のアクセルをべた踏みして(でも時速120キロ)、一路ビーチリゾート「パッタヤー(パタヤ)」へと向かった。

午前零時。タイ人従業員たちが寝静まったのを見計らって、僕たちは夜のパッタヤー(パタヤ)へと繰り出した。ホテルの周囲にはピンク色の照明が眩しいビアバー(バービア)が軒を連ねている。

「ニーハオ!」

カラオケスナックが立ち並ぶ薄暗い路地を歩いていたところ、呼び込みをしているホステスの一団に声をかけられた。そのまま「ニーハオ」と返事をしたら、「あーあ、こいつらタイ人だよ」という声が聞こえてきた。

「アッリガトーゴザイマス!」

さらにゴーゴーバー(娼婦の裸踊りバー)の前を通り過ぎたところ、突然感謝の言葉をいただいた。

「三菱!」

でも、さすがに日本語の固有名詞を連発すれば言いというものでもないだろう。

バンコクの娼婦(売春婦)たちは、かなりの確立で日本人を見分けることができる。ところが、ここパッタヤー(パタヤ)娼婦(売春婦)にはそれがないようだ。同行した経営幹部はこう話していた。

パットポング(パッポン)をはじめとするバンコクの夜の街は、半ば日本人観光客をターゲットに営業している。でも、ここはそうじゃないから」

アメリカ海軍の艦船が寄航すると、パッタヤー(パタヤ)の風俗店は店先に星条旗を掲げ、町全体が一気に活気付く。バンコクでは娼婦(売春婦)たちが間抜けな日本人観光客から金をゲットする機会を虎視眈々と狙っているが、ここパッタヤー(パタヤ)にはそういった雰囲気はない。

2003年3月9日(日)

「あの女は絶対に許せない! わたしに危害を加えようという意図は明白。 ああ、できることなら、食べたものを今すぐにでも吐き出してしまいたい!!」

タイ第2の日本人街を形成しているチョンブリー県スィーラーチャー(シーラチャ)からバンコクへと戻る車中、ヒンズー教を信仰しているタイ人従業員が憤慨していた。ヒンズー教では牛肉を食べることが禁じられている。ところが、この従業員が食べたカレーの中に、その牛肉が入っていたという。

「わたしは食べる前に、ちゃんと店員に『何が入っているか』聞いたのよ! でも、あの中に牛肉が入ってるなんて一言も言わなかったじゃないの!」

僕は乗用バン(ロットゥー)を運転しながら黙って話を聞いていた。しかし、最後まで「この従業員に日本料理屋の店員が危害を加えようと意図していた」ことは確認できなかった。

「知っているでしょう? わたしたちが最も崇拝している最高の神シヴァ神が・・・・・・(以下略)」

そんなことを説明されても、ますます混乱するばかりだ。延々と続いたこの従業員の説明を簡単にまとめると、①ヒンズー教徒のあいだでは誰かを呪うときに、牛をその人物に見立てて殺し内臓をえぐり出す。②そうすることで、その人物の内臓にも異変が生じ、上手くいくと殺すことができるという。

「これまで、わたしは悪意ある人々によって呪いをかけられてきた。そのたびに災いから免れようと功徳を積んできたというのに、あの店員にハメられて悪行が増えてしまったわ。わたしはただ災いから免れたいだけなのに・・・・・・」

タイ人の95%はバラモン教(プラーム)精霊信仰(サイヤサート)の影響を強く受けた南方上座部仏教を信仰している。だから南方上座部仏教を信仰しているほかの従業員には、なかなかこの話を理解できない。そのためか、僕を含むほかの従業員たちは、この従業員が20分間にも渡って続けたヒンズー教の教義の話を黙って聞くしかなかった。

結局、この従業員が話していた「日本料理屋の店員による悪意」については、まったく分からなかった。店員が一目でこの従業員をヒンズー教徒と見抜いて罠にハメたのか、それとも単なるミスに過ぎなかったのか。

しかし、1月末に発生したカンボジア国内でのタイ大使館焼き討ち事件の影響で、タイ人のヒンズー教徒に対する感情は確実に悪化している。クメール系のこの従業員の顔を見て、店員が強い嫌悪感を感じたとしても不思議ではない。

以前、マクドナルドでアルバイトをしていたというエーンの話。

「よくあるのよ。ヒンズー教徒が『ハンバーガーに牛肉が入っているとは聞いてない』と抗議してくるケースが。だから、牛肉が入っているメニューを受けたときには、必ず『このセットには牛肉が含まれていますがよろしいでしょうか』と確認することにしているの」

なるほど。過去に何度か、僕自身もそういった確認を受けたことがある。どうしてこんな当然のことを聞いてくるのかと不思議に思っていたが、その背景にこれほど慎重な宗教上の配慮があったとは。

今日はパッタヤー(パタヤ)海岸の沖に浮かぶラーン島で海水浴と水上パラシュートを堪能した。島から海岸へと戻る船で、集合時間に10秒遅れた韓国人を見捨てて出航するという事件が発生。友人がタイ人の船頭に「なぜ10秒も待ってあげられなかったのか」と聞いたところ、こんな返事が返ってきた。

「イイんだよ。だって、韓国人って無作法でムカつくじゃん? まあ、ザマアミロってことだ」

韓国人はパッタヤーのタイ人にひどく嫌われている。以前、僕自身も韓国人と間違われ、危うくひどい仕打ちを受けるところだった。そのときは、自分が日本人であることを必死に説明して、ギリギリのところで難を逃れた。

どこへ行っても、「鼻つまみ者」というのは常に存在する。

バンコク到着後、友人たちとタニヤへと繰り出し、いつものカラオケスナックでウイスキーを飲みながら長距離ドライブの疲れを癒した。

2003年3月10日(月)

今晩、高校時代の友人がバンコクへとやって来る。僕は友人がすでにチェックインを済ませているかどうかを知るために、ホテル「ロイヤルオーキッドシェラトン」のレセプションに電話で問い合わせた。過去の経験から、このホテルでタイ語を使うと甘く見られることは分かっている。だから、あえて英語を使うことにした。ところが、相手の英語がひどくてまったくコミュニケーションがとれない。判明したのは「15」ということ。この数字が何を意味するのかは不明。

アルバイト先から部家に戻ると、僕の携帯に友人からの電話があった。明日の朝食をホテルでとるために、この友人が泊まっているスイートルームで寝ることした。

2003年3月11日(火)

外国語だけでは飯が食えない。

僕たちはヂャーオプラヤー(チャオプラヤ)川に面したホテル「ロイヤルオーキッドシェラトン」で朝を迎えた。朝食ビュッフェを食べ、MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)へ行こうと1階ロビーに降りてみると、そこで日本人ツアー客の一団に出くわした。

ร้านอาหารช่างไหนค้า(らーんあはーんちゃんぐないかー)“(用務員食堂はどれですか?)

妙なタイ語が聞こえると思って振り返ってみると、その方向にはさきほど僕たちの前を通りかかったばかりの日本人の一団がいた。この声は、日本人女性ツアーガイドがベルボーイに向けて発したもの。タイ語で表記するのが困難なほどひどい発音だったが、シチュエーションから推測すれば、おそらく ร้านอาหารอยู่ชั้นไหนค่ะ(ラーンアーハーンチャンナイカ) (食堂は何階にありますか)と訪ねたかったのだろう。

いずれにしても、日本人観光客たちが道中遭遇するかもしれない不測の事態に直面したときに頼りにするのには、この日本人女性ツアーガイドのタイ語力はあまりにも貧弱すぎる。

タイには教育省主催のタイ語検定「ポーホック」がある。正式名称は「私立学校教員免許取得のための初等教育第6学年相当タイ語能力検定」。つまり、この試験を合格しただけでは、中学校以降に学習する歴史・経済・社会に関する話題や、公式な場面で大人らしい立ち居振る舞いをするのには不十分。日本の外国語教育にたとえるのなら、「中学校3年生で習う英語レベル」の表現しかできない。

ちなみに、ここバンコクで旅行業に従事している日本人現地採用者の月給は15,000から20,000バーツ(タイ人大卒者の初任給から職務経験3年程度)といわれている。いうまでもなく、日本人を現地で採用をしている企業のなかでは賃金が最も低い業界だ。わざわざタイ語を学ぶために100万円近くも投資をして、その見返りがこれっぽっちだと思うと気の毒に思う。中途半端なタイ語を身につけたところで、タイでの就職活動では優位に立てない。

そんな現地採用のツアーガイドたちは、ツアー客らを土産物屋に連れて行って土産物屋からコミッションを受け取ったり、夜間のオプションツアーに連れて行ってツアー客から相場よりやや高い料金を受け取ったりすることで生活の足しにしているという。

「言語は道具にすぎない」

よく聞く月並みのフレーズだが、僕もこの主張には賛成する。本当に外国語だけで食べていくためには、同時通訳ができる程度の語学力が求められて当然のはず。それに、さまざまな事情にも通じていなければならない。

その後、マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)の印刷屋で選挙ポスターの見積もりをとってから、上級客室宿泊者向けのラウンジで無料ビールを楽しみ、高架電車 BTS アソーク駅前にあるホテル「ウエスティングランデスクンウィット(スクンビット)」8階の日本料理店「吉左右(きっそう)」で友人から寿司の食べ放題をごちそうになった。

2003年3月12日(水)

ここタイには十分な設備がある。日本にもなかなかないような高度な技術を必要とする分野でなければ、タイで生産した方が費用を節約できる。

高校時代の友人とタイの電脳街「パンティッププラザ」で、 Adobe Pagemaker で作成した選挙ポスター用のデータを少しでも安く印刷してくれる店を探した。同様の店は MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)にもあるが、パンティッププラザの方が2割程度安い。縦1メートル、横1メートルのポスターで1,650バーツから。値段は用紙やインクの種類により異なり、最も高いもので2,700バーツだった。

選挙ポスターを印刷するなら、安い用紙とインクで十分。タイ人政治家の選挙用ポスターや一般人が仮装して撮影した写真などもキレイに印刷されていた。

今晩、ホテル「ロイヤルオーキッドシェラトン」のディナービュッフェをごちそうになった。

2003年3月13日(木)

昼過ぎ。 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)7階のタイスキ屋 MK で、日本から旅行に来ている高校時代の友人とエーンの3人で昼食をとっていたところ、さっそく夕食の話になった。そこでエーンの提案により、最近 BTS 高架電車サーラーデーング(サラデーン)駅前にできたという、しゃぶしゃぶと寿司の店 Shabushi に行くことになった。

Shabushi は、あの悪名高いエセ日本料理店チェーン Oishi の系列。

僕たちはタイでなかなか食べられない「しゃぶしゃぶ」を楽しみにしていた。さっそく店内に入って席に着くと、そこは回転寿司屋のカウンター席そのものだった。目の前を流れている料理に目をやると、タマゴやカニかまなどの安いネタしか乗ってない寿司と、タイスキの具材が流れている。テーブルの上にも、なぜかタイスキのタレが。

してやられた!! こんなの、ちっとも「しゃぶしゃぶ」じゃない。この店は単なる「回転タイスキ屋(安い寿司付き)」にすぎなかった。僕たちは2食連続でタイスキを食べる羽目になった。あまりの不味さに途中で席を立とうとも考えたが、食べ放題料金の210バーツはすでに払ってしまっている。一口食べただけで帰るのもモッタイナイということで、ゲンナリとしながらも仕方なく食べ続けた。

エセ日本料理店チェーン Oishi 系列の店で、僕はこれまで一度として良い思いをしたことがない。タイ資本の日本料理店はどこも不味いとはいわれている。しかもエセ日本料理屋の分際で、値段だけは先進国レベルなのだから本当に腹立たしい。この日本の面汚しめ!

エセ日本料理チェーン Oishi 系列の店で、なんとか食べられるのは Oishi ラーメンくらい。

2003年3月14日(金)

これまでも潜在的に続いてきたエーンとの反目は、初歩的なミスコミュニケーションと互いの意地の張り合いにより、すでにもう後戻りできないところまで来てしまっている。

昼過ぎ、僕はプララームスィー(ラーマ4世)通りと北サートーン(サトーン)通りの交差点にあるレンタカー屋でピックアップトラック(ロットグラバ)(1日1,200バーツ)を借りて、ペッブリー(ペチャブリー)通りにあるアパート「ヴェネチアレジデンス」へと引き返した。そして、アルバイトに出かけるついでに友人の会社に預ける予定になっていた荷物を運ぼうと、1階ロビーで警備員に手伝ってもらえるよう依頼した。

ところが、アルバイトに出かける時間までに荷物を整理することができず、僕は部屋に来た警備員に「また夜にお呼びします。よろしくお願いします」と言って、荷物の移動を先送りした。それを聞いたエーンとジョーイは「僕が明日中に引っ越しを完了させる」と思ったようだ。これが今回のミスコミュニケーションのそもそもの始まりだった。

レンタカーは明日の5時まで借りられる。今晩中に僕の作業が終わると考えていたエーンは明日、レンタカーを運転して、僕が捨てようと考えていた家財道具を友人たちに配って回るという計画を立てて、それを電話で友人たちにふれて回ったという。

しかし、僕の同意を得ずに勝手に「不要品」の譲渡を友人に約束してレンタカーを使う予定を立てたところで、そんなこと知るもんか。そもそも、この部屋にある大量の荷物を今晩中にすべて運び出すなんて、どう考えても不可能だ。だから僕はエーンの要求を拒否した。最初から捨てようと考えていた家財道具が、エーンの友人の手に渡ろうが焼却処分されようが僕は一向に構わない。でも、友人たちに預ける予定になっている「必要な荷物」の運搬手段を奪われるわけには絶対にいかない。だから明日、エーンにはレンタカーを使わせないことにした。

アルバイト先で45分間にもわたって繰り広げられた罵詈雑言の応酬のあと、僕はエーンから次のようなメールを受け取った。

「もし、あなたが責任の半分を認めるなら、私はあなたを許すだろう」

意味不明だ。僕にどんな責任があるというのか。「保存したい荷物の運搬手段を放棄して、不要な荷物をエーンの友人に配って歩くこと」を拒否したことが、そんなに悪いことだったのか!?

これまでも問題が発生するたびに、仮に全責任がエーンにあったとしても、僕は自らの円滑なタイ語学習を続けるために、謂われのない責任の一部を常にかぶり続けてきた。しかしヂュラーロンゴーン(チュラロンコーン)大学の集中タイ語講座(インテンシブタイ)を終えた今、こうした無茶な要求を呑んでやらなきゃいけない理由はない。無茶なことを言って一定の勝利を収めることがエーン流の「平等な男女関係構築術」なのかもしれないが、こんなバカげた要求に応じてやる必要はないと思う。

今回もいつものように不当な謝罪要求に応じてやるべきか、それともこれを契機にタイにおける人間関係の抜本的な見直しを図るべきか。

2003年3月15日(土)

「子供をたくさん産めば産むほど自分が裕福になると考えたのは、きっと私の両親に学がなかったからでしょうね。本来であれば、子供の数を減らして、子供ひとりあたりの教育費を増やすべきなのに、こんなにたくさん産んでしまっては子供に十分な教育を与えられないじゃないの」

貧しい掘っ立て小屋が立ち並ぶ都内マッガサン通り、午後3時20分。今回のアメリカ留学にともない、耐久消費財の一部を友人宅に届ける途中の車中で、日本人の友人のカノジョがそう訴えた。なぜこうした話題になったのかは謎のままだが、その話の内容はあまりにも印象的だった。

もし日本で「教育水準と知能の質は比例する」などと唱えれば、とたんに袋だたきにされることが目に見えているが、ここタイではこうした認識が一般的だ。その背景には、タイ特有の特殊な社会構造がある。

第一に、タイでは前近代的な階級社会意識がいまだに根強いこと。人々の社会階層は、それぞれの経済力や教育レベルによって露骨に区別されている。だから、下流社会に対する否定的な意見(差別)が大腕を振ってまかり通っており、決して社会的正義に反しているとはされない。これは、「みんな平等」的な意識が強い日本人には、なかなか受け入れられない価値観かもしれない。

第二に、タイには著しい教育格差があること。一世代前の地方農民のほとんどは小学校すら卒業していないという。この10年ほどの間にだいぶ改善され、今では農民の子供でも初等教育(小学校レベル)は受けているし、中等教育(中学高校レベル)へと進学する貧農の子供も珍しくない。いずれにしても、タイでは教育のない人は知恵もないと考えられている。僕の目にも、そういった人々があまりに稚拙で短絡的で近視眼的に映る。

「裕福な日本人には想像もつかないでしょうが、ここタイにはいろいろな問題があるのよ」

さしあたって、もし僕が大学を卒業していなかったら、タイでは自分の学歴を意地でも隠し通すだろう。さもなくばタイ人から見下されること間違いない。

今日は昼過ぎに大量の耐久消費財を友人宅に預けに行き、高校時代の友人が泊まっているホテル「ウエスティングランデスクンウィット」で寝た。僕が住んでいるペッブリー(ペチャブリー)通りにあるマンション「ベネチアレジデンス」で、捨てる予定になっている荷物を運び出していたエーンとその友人たちに会ったが、簡単な挨拶をしただけでロクに言葉も交わさなかった。

2003年3月16日(日)

高校時代の友人とホテル「ウエスティングランデスクンウィット(スクンビット)」8階の日本料理店「吉左右」で、週末のランチビュッフェを食べた。

天ぷらをはじめ鉄板焼きや寿司といった高級とされる日本料理が一通りそろっている。ひとり499バーツ。友人が持っていた半額券のおかげで、税サ込みで300バーツ弱に収まった。ちなみに、全日空マイレージプラスカードやシティーバンクカードを提示することで20%の割引、クラブタイランドカードで15%の割引。

まともな日本料理を手軽な値段で味わえるためか、タイ人の家族連れも少なくなかった。

同じ499バーツのエセ日本料理屋 Oishi の劇マズ週末ディナービュッフェを食べに行く人の気が知れない。

2003年3月17日(月)

3日前のレンタカー問題に端を発する僕とエーンの反目は、ついに解決を見ることなく決別の日を迎えた。

今回のタイ語学留学は、エーンと過ごした日々そのものだった。そして帰国前日の今日、タイ語留学とエーンとの交際の両方にピリオドが打たれた。教科書通りの表面的な言葉でつづられた SMS(ショートメッセージ)を交換して、関係の清算を確認した。

今日は、バンコクの電脳街「パンティッププラザ」で友人のポスター出力につきあった。

2003年3月18日(火)

午前4時、高校時代の友人が滞在しているホテル「ウエスティングランデスクンウィット(スクンビット)」で目を覚ました。この友人は旅行会社にある端末と同じものを常に携行している。今回もその端末を駆使して、数日前から帰りの便の空席待ちを入れていたが、ハイシーズンということもあって予約が取れない。

午前5時、僕はバンコク・ドーンムアング(ドンムアン)空港のチェックインカウンターでスタンバイ手続きをした。もし予約している乗客が搭乗手続締切時刻までに来なければ、僕がその座席に座ることになる。一刻も早く帰国して、さっさとアメリカ留学手続きに移りたい。昨晩以降、エーンとは連絡の一切を絶っている。

ところが、スタンバイ優先順位最下位であるはずの航空会社の職員が次々と搭乗手続しているというのに、なぜか僕の座席が割り当てられなかった。空港まで見送りに来てくれた友人が英語で、僕がタイ語で「なぜ社員以下の待遇なのか」と繰り返し抗議したところ、出発15分前の午前5時55分になって、ようやくビジネスクラスに乗れることになった。職員によると、僕のスタンバイを完全に忘れていて、エコノミークラスの座席をすべて航空会社の職員に割り当ててしまったため、もうビジネスクラスしか空いていないとか。この混乱に乗じて9キロも重量オーバーしている荷物を追加料金なしで預けることができた。

バンコク発成田行のノースウエスト2便は、定刻通り午前6時10分に離陸した。これからアメリカに赴任するというタイ人男性と機内でタイの歴史などについて話した。彼によると、半年ほど前に僕がハマっていたテレビ時代劇「ニラートソーングポップ」がついに VCD になって発売されたとか。なにがなんでも手に入れなければ!

今日まで「バンコク留学生日記」をご愛読くださり、誠にありがとうございました。4月から、この日記は「ロサンゼルス留学生日記」として再出発します。こちらのほうも併せてお楽しみください。なお、「バンコク留学生日記」は今年第4四半期を目処に再開いたします。

2003年3月25日(火)

今から1年4ヶ月前、東京都内にある某銀行の IT 部門で働いていた僕は、タイの大学院への進学を目指して退職した。その後、血眼になってタイ語を勉強し続けたが、進学の段階になって TOEFL の得点が問題になった。

こうして、僕はイラク戦争のまっただ中にあるアメリカ合衆国へとやってきた。愛国心をアピールするための星条旗が街中のクルマに掲げられ、人々が英語でコミュニケーションをとっている。バンコクでも英語を耳にする機会はあったが、僕の第1外国語である「タイ語」がまったく通じないのは精神的に辛い。一日も早く、英語力を現在のタイ語レベルにまで引き上げたい。

丸一日かけて英語を必死に聞き続けてきたせいか、リスニング能力が少しだけ上がったような気がする。片言ではあるが、なんとか英語を話せたのには驚きだ。今回のアメリカ留学は約半年間を予定している。このペースでいけば、なんとか人に聞かせられる程度の英語は話せるようになるかもしれない。

今回の旅行目的は、授業料入金の事実を確認すること。3月5日に東京三菱銀行から語学学校 Language Systems に530ドル振り込んだ。ところが、語学学校側は入金を確認できないと主張している。そこで昨晩、高校時代の友人と語学学校に乗り込む計画を立て、ユナイテッド航空成田発ロサンゼルス行きの格安航空券(65,000円)を購入し、旅行カバンに東京三菱銀行の領収証と Bank of America への送金を証明する電文の写しを入れた。ところが、出発当日の今朝になって「入金を確認しました。不手際をお詫びします」という内容のメールが届いた。しかし、いまさら旅行を取りやめても航空券代は帰ってこない。そこで当初の予定通り空港へと向かうことにした。

アメリカ太平洋時間午前8時55分(日本時間翌26日午前1時55分)、僕たちを乗せたユナイテッド航空894便はロサンゼルス国際空港に到着した。日本との時差は17時間。日本にいれば「もう寝なければならないという時間」から初日のロサンゼルス旅行が始まった。そのため消化器系に異常が生じ、昼過ぎには立っていられないほどの激しい腹痛におそわれた。

まず、僕たちは空港でレンタカーを借りて、モーテル Adventure Hotel にチェックインした。このホテルはビバリーヒルズの南約15.5キロ、比較的治安が悪いとされている空港周辺のイングルウッド市内にある。スイートルームの宿泊費は2人で49ドル(プラス税金)。

つぎに、今後の留学費用を送金するために銀行口座を開いた。僕が選んだのはロサンゼルス郡内に ATM を多数設置している Bank of America エルセグンド支店の普通当座預金口座 (Standerd Checking Account)。手続きは約30分で終わった。この口座には絶えず1,000ドルの預金残高を維持しなければならず、一瞬でもその額を下回った月には8ドルの口座維持手数料が徴収されることになっている。英語が堪能な友人が行員に事情を説明してくれ、教育ビザなしでも口座を開くことに成功した。友人によれば、利息の付かない口座であれば、社会保障番号や納税者番号がなくても開設できるという話だった。口座開設のための ID として提示したのは、到着ビザ(アライバルビザ)が貼られているパスポートと写真付きのクレジットカードの2点。

その後、今後のことを考え、僕たちはパソコンで使えるアメリカ全土地図 Microsoft Street & Trips を大手電気店 Comp USA で購入。小さな通りに至るまで詳細なデータがあり、カーナビのように自動で走行計画を立てられるからとても重宝する。スーパーで買い物を済ませてからホテルに戻り、午後7時にはベッドに倒れるようにして寝入った。

翌26日午前零時10分、早寝しすぎたせいか目を覚ましてしまい、頻繁に聞こえる警察車両のサイレンを聞きながらこの日記を書いている。明日はレンタカーで朝からラスベガスへと向かう予定。

2003年3月26日(水)

ショッピングモールは過疎地の経済を活性化するためにある。

早朝、僕たちはレンタカーでラスベガスへと向かった。約360マイル(約580キロ)の長距離ドライブ。州間高速道路インターステート15号線の沿道には赤褐色をした急傾斜の山がそびえ、その周囲に電柱すらない荒野が広がっている。

ロサンゼルスから北東に約200メートルの地点、モジェイブ砂漠に忽然と巨大な集落があらわれた。

カリフォルニア州バーナーディオ郡バーストウ。人口約21,000人。戦後、銀の採掘拠点として建設され、貨物および旅客の輸送のために鉄道が敷設されたという。経済は商業に完全依存しており、ロサンゼルスからラスベガス - ソルトレイクシティーへと伸びるインターステート15号線の経由地として成り立っている。市内には BNSF Railway と Union Pacific Railroad の鉄道駅もある。

この街最大の収入源は、ブランド品を格安で販売するバーストウ・アウトレット。

学部生の頃、大学で「郊外型ショッピングモール経営論」のようなものを習ったことがある。それによると、後背に大きな都市がないと集客に失敗して倒産するおそれもあるという。しかし、ここは周囲100キロを荒野に囲まれた辺鄙な土地。周辺の都市はどこも200キロ以上離れている。一言でショッピングモールといっても、日本とアメリカとではスケールが違う。

僕たちはアウトレットモールで、大量の洋服を買い込んだ。タイで着ていた原色の服は、陽気なアメリカ西海岸の雰囲気にはそぐわない。そこで、ジーンズやバスケットシューズなどで身を固め、カジュアルなファッションを追求することにした。 T シャツ6枚、ジーンズ1本、チノパン1本、バスケットボールシューズ1足、カジュアルYシャツ3着で、合計約250ドル。バンコク以上に安かった。

その後、州間高速道路インターステート15号線沿道のショッピングモール数ヶ所に寄りながら一路ラスベガスを目指した。日が沈む午後6時頃になって、ようやくカリフォルニア州とネバダ州の国境を越える。僕たちは約4時間の道のりを12時間もかけて移動した。

午後10時半から午前零時まで、カジノホテル Sahara Hotel and Casino でカジノでブラックジャックをプレイした。テーブルは最低掛金2ドル台。一時は15ドルほど勝っていたが、最終的に8ドル負けた。

今晩、僕たちはダウンタウンにあるカジノホテル Las Vegas Club Hotel and Casino に宿泊した。宿泊料金は1部屋(2人)15ドル+税金。ラスベガスのカジノホテルは、どこもカジノ客を呼ぶために極端に安い宿泊料金を提示している。

今では世界に名高いこのラスベガスも、元をたどればバーストウのアウトレットモールと同じく、過疎地の町おこし政策の一環だったとか。

2003年3月27日(木)

今日はカジノ三昧の一日。

カジノホテル Las Vegas Club Hotel and Casino で朝を迎え、カジノホテル Wild Wild West でアメリカンブレイクファスト(2.99ドル / 午前9時までは0.99ドル)をとる。カジノホテル Westward Ho Motel and Casino のブラックジャック5ドル台で10ドル稼ぎ、中華街で昼食をとりながら現地在住の日本人から詳しいラスベガス事情をうかがう。その後もParms Casino のブラックジャック5ドル台で55ドル稼ぐ。

その後、州間高速道路インターステイト515号線から95号線へと乗り継いで南東方面へと向かい、ネバダ・アリゾナ州境の街 Laughlin(ラフリン) のカジノホテル Harrahs Laughlin(ハラース・ラフリン) でディナービュッフェ(9.80ドル)をとる。フラッグスタッフの大手チェーンモーテル Howard Johnson Inn に投宿。走行距離609.48キロ。

カジノ産業はネバダ州の主要産業で、カジノ施設で働く州民も多い。豊富な就職先があるためか、州民の教育レベルは著しく低いという。日本人観光客があこがれるカジノディーラー(カジノでトランプを配る人)などもその例外ではないらしく、アメリカにおける社会的地位は厨房の皿洗いに次ぐ程度。なお、一緒に昼食をとったラスベガス在住の日本人によれば、皿洗いは不法移民がするような仕事であって、アメリカ人のする仕事ではないとか。ちなみに、カジノ場従業員で最も所得が高いのは、カジノプレイヤーにアルコール類を勧めに来るカクテルレディーで、年収10万ドル以上。

そのほかにも、多くのラスベガス事情を手に入れた有意義な一日になった。

2003年3月28日(金)

気づいたときには、僕は友人の「アメリカ山間部国立公園探訪の旅」に付き合っていた。当初の話では、①ロサンゼルス3日間と②ラスベガス3日間ということだったが、どうやらラスベガスの3日間にはラスベガス以東の山間部国立公園が含まれていたようだ。いずれにしても、きっとこんな辺鄙な土地など永遠に訪れないだろう。そう考えて、僕はおとなしくついて行くことにした。

山間のフラッグスタッフの街から北へ130キロほど行くと、世界の七不思議にも数えられるグランドキャニオン国立公園がある。1,500メートルもある谷底にはコロラド川が流れている。ところが、高低差があまりにも大きいせいか、谷底をのぞくことはできなかった。

その後、友人が運転するレンタカーは、漫画ドラゴンボールにも出てくるような荒野を160号線に沿って北東方面へと向かった。沿道には広大な砂漠が広がり、勾配が急な岩山が多数点在している。

日没前、僕たちのクルマはユタ州のモニュメントバレーに到着した。周囲の岩山がまるで神殿のように見える。

その後、僕たちは何度も道を外れて原住民居留地へと迷い込み、ときには未舗装路を30キロも走り続けたが、翌午前零時になって、ようやく今晩の投宿地ペイジに到着した。走行距離848.56km。すべて友人が運転した。

2003年3月29日(土)

山間部国立公園探訪の旅は続く。

ペイジの街を昼過ぎに出発。86号線を北上して一路ユタ州にあるブライスキャニオンへと向かう。ブライスキャニオンには、グランドキャニオンとはまた別の趣がある。ザイオン国立公園は、有料道路沿いに広がる山道。通行料20ドル。今回のように複数の国立公園を見物するのであれば、国立公園共通フリーパス(年間50ドル)を購入することで費用を節約できる。

午後6時にラスベガスに戻ってきたときには、僕たちはグッタリとしていた。走行距離1,194キロ。写真はそれぞれ上がブライスキャニオン国立公園、下がザイオン国立公園。

どうやら僕は自然観賞にとことん向いてないようだ。こんなにたくさんの国立公園をまわったというのに、これといった感想が何もない。書けてもせいぜい「うわぁ、綺麗だったぁ~」というくらい。どう工夫しても、これ以上の気の利いたことが書けないのだから仕方ない。

2003年3月30日(日)

ロサンゼルス市の人口は3,844,829人で、全米2位の規模。

昼過ぎ、旅の出発地点ロサンゼルスへと戻ってきた。ラスベガスからの距離は約580キロ。今回の総走行距離は実に2,884キロにのぼる。ロサンゼルス市街地(ダウンタウン)を縦横無尽に張り巡らされている通りには、それぞれ Main Rd., 1st Rd., 2nd Rd というような単純な名前が付けられている。地図に目を落としてみると、なんと 116th Rd. というものまである。まるでバンコクの路地「スクンウィット通り、ソーイ116」のような響き。

まず日本人街リトルトーキョーで昼食をとる。日本料理バフェイ(ビュッフェ)(6.99ドル)は貧弱を極めた。バンコクのエセ日本料理店 Oishi より、すこしマシというレベル。

この街は土地の高低差が大きい。そんなことに興味を持ちながら周囲の風景を眺めていたところ、街中の至る所にプラカードを掲げた老若男女が立っていることに気付く。そこには「アメリカは病んでしまった。緊急治療が必要だ」と書かれている。イラク戦争に対する抗議運動だ。

5th 通りの奥で政治集会が行われていたため、僕たちは迂回しながら今日の最終目的地であるホテル「ラマダ」へと向かった。

アメリカのテレビニュースは、ここのところ戦況報道一色になっている。インターネット上でも戦争反対をと唱えるウェブサイトに出くわすが、正直「戦争には反対だから反対する」というようなポーズだけの反戦運動には食傷気味になっている。

「戦争は悪いことだから止めよう」
「戦争は孤児を生む原因になるから止めよう」
「戦争は石油資本の利益のために始められた自分勝手な行為だから止めよう」

こうした積極的な抗議行動の裏には、常に参加者のエゴが見え隠れしている。自らの政治的見識や市民意識の高さを主張したいのは理解できるが、だからといって戦争がそんな単純な理由で勃発するなんてありえないし、そんな単純な理由で中止できるようなものでもない。戦争という国家の大事を自分のレベルにまで下げてから論じるのは適当ではないと思う。彼らは政治や軍事の建前を、自分のレベルにまで下げて論じているにすぎない。建前を本質と取り違えて錯覚するようではいけない。

これは将来におけるドル経済圏とユーロ経済圏との戦いである。この戦いは当事者たちにとって、おそらく将来の基軸通貨を決定付ける人権云々などいってられないほど重要な戦いなんだろう。

世論がアメリカのように反対派と賛成派に二分されていて、かつ各人が自ら主張できるような環境があれば、反対運動にもそれなりの意義があるだろう。しかし、マスコミの論調が常に正しいとされる日本のような国で、鸚鵡返しのように戦争反対を唱えていて虚しくならないのか。報道権力の威光を強めてやることに何の価値があるのか。報道権力のウグイスと成り下がることは、逆に自分の信念を陳腐化させるだけだ。

扇動する者、される者。情報には、必ず発信者の意思や願望といったベクトルが付加されている。これを忘れたら今日からあなたも間抜けなピエロ。

・・・・・・という理由で、いま流行している「イラク戦争への賛否」について、僕はを誰にも明かさないつもり。

それにしても、ここでは政治集会が毎週のように開かれるのだろうか。

2003年3月31日(月)

はじめての一人行動。つまらないことで、いちいち究極の選択を迫られる。

昨日までは、高校時代の友人がすべての面倒を見てくれた。ところが、この友人とは昨晩から別行動をとっており、しばらくは自分で判断して自分で行動しなければならない。

午前6時半、僕はホテルから徒歩5分のファミリーレストラン「デニーズ」で朝食をとった。注文したのは All American Breakfast (6.95ドル)とオレンジジュース。テーブルの上に置かれた伝票によれば合計8.43ドル。その内容を詳しく読んでみると、「クレジットカードでお支払いになるお客様は、以下の欄にチップ額と総額をご記入ください」とある。しかし、チップをいくら払えばよいのか。

これまでの友人の話をまとめると、①チップの額は原則として請求額の15%、②高級店では20%でもいい、③ファーストフード店では払わない。

さて、ここデニーズはサーバーがいる普通のレストラン。チップを払わなければならない。請求額は8.43ドル。これにチップ15%を加えると合計10.85ドル。できるだけキャッシュを残したくないから、クレジットカードではなくキャッシュで払いたい。さて、どう払えばよいだろうか。

 ① 細かいことを気にしないで、チップに15セントを上乗せした11ドルを支払う。
 ② 25セント硬貨をで用意できる10.75ドルを支払う。
 ③ 1セント硬貨を駆使してピッタリ10.85ドル支払う。

ポケットに手を突っ込んだところ、手持ちの硬貨では85セントという金を作れないことが判明。③の選択肢はなくなった。そこで、僕はもっとも無難な①11ドルを支払って店を出た。

これで良かったのだろうか?

つぎの難関はホテルのチェックアウト。宿泊料金にもチップを払うべきか? 僕は請求書を前に困り果て、レセプションに「どの欄にチップの額を書けばいいんですか?」と聞いてしまった。

「ノー」

いま思えば赤面するほど恥ずかしいが、チップを払うべきかどうかを知らなかったのだから仕方ない。空港で合流した友人によれば、「カウンターの中にいる人にはチップを払わなくても良い」そうだ。

チェックアウトのあとに、ホテルが用意した空港行きのシャトルバスに乗った。このとき、運転手が僕の旅行カバンを荷台に乗せてくれた。これにもチップを払う必要があるのか? ついに僕は考えるのも面倒になって、空港で1ドル渡してバスを降りた。しかしたら少なすぎたのかもしれないが、渡さないよりはマシだろうし、無料バスに5ドルも払うのもバカらしい。この1ドルが正解だったかどうかは結局わからないまま。

ロサンゼルス空港で再合流した友人から飛行機のアップグレード券をもらい、僕はビジネスクラスで帰国することになった。今日の日記はその機内で書いている。到着まであと4時間13分かかるという。