ふたりの口座残高88バーツ

わざわざ遠くまで来たのに、あやうく目的を果たせないままバンコクへ戻る羽目になるところだった。

午前8時、国鉄東北線の寝台特急69号バンコク発ノーンカーイ行きの2等寝台で周囲が慌ただしくなるのに気づいて目が覚めた。狭い上部寝台から降りて窓の外を見てみると、そこにはタイ東北部イーサーン地方第5位(全国第7位)の人口を誇る大都市「ウドーンターニー」の表示があった。目的地である東北線の終着駅ノーンカーイまではあと55キロ。

昨晩エーンは一睡もできなかったという。石けんと洗顔タオルとコンタクトレンズをエーンから受け取って、トイレの前にある洗面台へ向かった。ところが洗顔直後に列車が動き出して車両が上下左右に大きく揺れ始めたため、コンタクトレンズを無理矢理「目にぶち込む」ようにして装着した。

寝台特急69号は定刻より約1時間遅れて終点のノーンカーイ駅に到着した。駅前で群がっていた3輪バイククシー(バンコクではトゥクトゥク呼ばれているけれど、ここではソングテオと呼ばれている)に乗って市街地へ移動した。

一度は自分でクルマを運転して来た街だ。一応の勝手は分かっている。

銀行の支店などが密集しているノーンカーイ市街の中心部でトゥクトゥクから降りて、ラオス入国料の1,500バーツを引き出すためにバンコク銀行のATMへ直行した。出金しようと暗証番号を入力して10,000バーツのボタンを押したところ、画面に「残高が足りません」の表示が現れた。念のために口座残高を照会してたみところ23バーツしかないことが判明。エーンから借りようとしたところ、エーンの預金残高も65バーツしかなかった。ふたりの口座を合わせても88バーツ(約260円)しかないとはあまりにも貧しすぎる。

財布からクレジットカードを取り出してATMに差し込んだけれど、画面に「通信エラー。カードの発行元にご連絡ください」と表示されてしまった。これと同じ作業を4つの銀行のATMで試してからバイト先に電話をしてバイト代の一部を電信振込してほしいと依頼した。

それでも財布にはまだ1,200バーツ残っている。銀行送金が終わるまでの時間をつぶすために、外国人観光客向けの食堂でアメリカンブレックファスト(75バーツ)を食べて、食堂の向かいにあった貸しバイク屋で排気量110ccのバイク(1日200バーツ)を借りた。そしてメーコーング川沿いに広がっている市場を見物してから再度ATMを確認したところ銀行口座に3,000バーツ振り込まれていた。

レンタルバイクの後部座席にエーンを乗せてメーコーング川を横断するタイ・ラオス友好橋まで運転した。タイ国内に残留するエーンにバイクを預け、タイ側の出国審査をしてから10バーツの友好橋横断バスに乗り込んだ。ラオス側の国境には3分ほどで到着し、到着ビザ(1,500バーツまたは30ドル)を取得してラオスの入国審査を受けた。さらにその1分後にはラオスの出国審査を受けて、友好橋横断バスでタイ側の国境まで戻ってきた。

当初の予定では今晩の寝台特急でバンコクまで戻るつもりだったけれど、昨晩の教訓から鉄道はやめて午後1時半ノーンカーイ発の2等長距離バスに乗ることにした。

2等バスの車内は戦前の網走刑務所を連想させるような極寒の世界だった。冷房があまりにも強烈で手摺がキンキンに冷えている。膝の関節が強烈に痛くなって今にもキレそうになっていたけれど「2等バスの乗客は人権も2等か!?」と言い放って長距離バスのオーナーと口汚い言葉の応酬をするのにとどめておいた。極寒の長距離バスは定刻より2時間半遅い午前零時45分にバンコク・モーチットにあるバスターミナルに到着した。

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ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。