2002年6月12日(水)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級1進級試験の出題内容は、長文読解4問、リスニング14行、語彙補充40問、文法50問。150点満点で、満点の6割に相当する90点を下回ると放校される。

これまで長文読解問題は教科書からそのまま出題されていたが、きょうの試験では教科書とは無関係な文章ばかり出題されたため、最初からじっくり読まなければならなかった。さらに、試験対策が不十分だったため、語彙補充問題で時間を浪費した。試験終了後、暗い表情をしているクラスメイトたちに試験の出来を訊いてまわったが、みんな自身がない様子だった。サイアクの場合、今回の試験を限りに、集中タイ語講座(インテンシブタイ)から追放されるかもしれない。

その後、パッポング(パッポン)2にあるバービア(オープンバー)へクラスメイトと出かけた。ハイネケンビールを飲みながらビリヤードに挑戦したが、あまりの暑さに汗が手にこびりつき、キューを上手く押し出せない。

本来、バービア(オープンバー)は、売春婦と語り合いながらビールを飲み、もし気に入れば連れ出し料金(ペイバー)を払ってセックスの相手を確保するための店だが、このときはまだ午後4時前で、まだ売春婦も出勤していなかった。午後6時、トゥックトゥック(トゥクトゥク, 3輪バイク改造タクシー)(50バーツ)で帰宅すると、エーンに叱られた。

「今晩、7時20分発の電車でチアングマイ(チェンマイ)へ行くのは覚えてるわよね? まだ荷物も用意してないでしょう? 電話したのに、なんで出なかったのよ!?」

ハイネケンビール小ビン4本のせいでフラフラしていたが、それでもシャワーを浴びて荷造りを済ませ、午後6時45分には自室を発った。一時は間に合わないかと心配したが、午後7時にはフワランポーン駅(ファランポーン駅)に到着した。

特急「スプリンター号」(バンコク発チアングマイ(チェンマイ)行, 480バーツ, 全車両2等車)は、寝台列車ではないため普通の座席しかないが、足下のスペースは十分確保されており、足を乗せるための台もある。現代重工(韓国)製の客車で、10年前の日本の特急列車並みで、乗り心地もなかなか良かった。

しかし、飛行機の深夜便もそうだが、普通の座席で寝るのは困難を極め、午前3時ころまで寝付けなかった。

2002年6月13日(木)

特急「スプリンター号」は、タイ航空の国内線との競争を意識しているため、ビーマンバングラデシュ航空などの格安航空会社と比較すると、サービスは良い。

午前5時、電車の外はまだ薄暗かったが、照明が点灯し朝食が配られた。軽食とコーヒーのためだけに起こされて困惑した。まだ寝てから2時間しか経ってない。食後、客室乗務員に許可をもらってデッキでタバコを吸い、吸い殻を捨てようとしたところ、灰皿がどこにもなかったため、やむなくゴミ箱に捨てた。灰皿がない場所で喫煙を許可するとは、どういう安全管理をしているんだ?

午前7時20分、タイ国鉄北線の終着駅、チアングマイ(チェンマイ)駅に到着した。北線は現在、チアングラーイ(チェンライ)まで路線伸張工事をしている。駅前のヂャルーンムアング通りから、ソングテオ(ソンテウ, 乗り合いトラック)で街のはずれまで行き、そこからバイクタクシー(モーターサイ, モタサイ)を3人乗りして、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)へと向かった。山間の村々を通過したが、道路の整備状況は日本並み。

午前8時、山間の村々を通過して、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)に到着。宿泊受付所はまだ始まっておらず、清掃婦以外に誰もいない。リゾート内唯一のレストランで時間をつぶした。

午前9時、ヂュラーロンゴーン大学(チェンマイ)文学部の集中タイ語講座(インテンシブタイ)オフィスに、テスト結果を電話で照会した。得点は114点、正答率は76.5%で、クラス6人中3位だった。順位は低下の一途をたどっている。「1週間に3日、毎週月・水・金は、わたしと勉強すること!」とエーンに言い渡された。

サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)の宿泊施設は、それぞれが独立しているコテージで、約40%のスペースが浴室に充てられている。冷房はないが、天井に扇風機が付いており、宿泊料は500バーツ。夜行列車の疲れを癒すために浴室に直行したが、石けんが用意されていないことに気づいて外へ出た。

リゾート内には、整備が行き届いている花畑があり、チョウチョが飛び交っている。6分ほど歩くと、温泉の吹き出し口に到着した。そこには、温泉卵を作るための池があり、現地の人々がその支流に足を入れていた。健康に良いという。その現地の人々の中に、エーンの祖父がいた。エーンは自分の居場所を家族に知らせていないので、大急ぎで部屋に戻った。

午前11時、サンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)チアングマイ(チェンマイ)行のソングテオ(30バーツ, 約1時間)に乗り、花卉市場前にある Seven Eleven(セブンイレブン) で温泉グッズを一通り揃えた。

午後2時、ふたたびサンガンペーング温泉(サンガムペーン, サンカンペン)へと戻り、ようやく熱い温泉にありつけた。タイ留学開始以来、はじめて湯船に、しかも温泉につかることができた!! (ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) には浴槽がない)。

最高な気分になって、リゾート内唯一のレストランへ、遅めの昼食をとりに出かけた。ここのアメリカ風炒飯(カーオパットアメカン)(50バーツ)は、タイ留学以来もっとも美味しい。こんな店が近所にあったら、タイ料理が好きになれるかもしれない。その後、昼寝して、温泉に浸かって、そしてまた寝た。

2002年6月14日(金)

朝、サンガンペーング(サンカンペーン)にある温泉リゾートをチェックアウトして、チアングマイ(チェンマイ)市中心部へと戻り、昨晩予約したばかりのホテル「スリトーキョー」(1泊450バーツ)にチェックイン。ちかくのレンタカー屋でクルマ( Toyota Corolla(トヨタカローラ) クラス, 冷房カーステ付 MT 車, 1日1,100バーツ)を借りた。チアングマイ(チェンマイ)市街は、走っているクルマこそ違うが、無秩序な交通はバンコクそっくり。高層ビルがないことを無視すれば、まるでバンコクにいるのと変わらない。

そのままドーイステープ山(ドイステープ山)の頂上にあるワットドーイステープ寺(ドイステープ寺)へと向かった。途中、山道のビューポイントから見下したチアングマイ(チェンマイ)は絶景だった。

チアングマイ(チェンマイ)からチアングラーイ(チェンライ)へと向かうルートを、地形図ではなく簡素な道路地図だけで決めたため、本来、タイ国道118号チアングマイ(チェンマイ)-チアングラーイ(チェンライ)線を使うところを、谷間を縫うようにして走るタイ国道107号チアングマイ(チェンマイ)-ファーング線で北上してしまった。ワットマハータートパンコーング交差点付近にあるガソリンスタンドで、このルートが棘の道であることにようやく気が付いて右折。山脈を横断するタイ国道1150号線ピンコーング-チアングダーオ-プラーオ線を東へと向かった。

ところが、タイ国道1150号線こそが真の棘の道で、果てしなく続くヘアピンカーブには本当に悩まされた。それでも途中、キレイな2重の虹を発見。山岳少数民族(メオ族, タイの最貧困層)がカラフルな民族衣装姿で道路を歩いているに遭遇するなど、それなりに良いこともあった。

午後9時、約350キロの峠道を約4時間半かけて走破し、ようやくチアングラーイ(チェンライ)市街に到着。こぢんまりとした市街地は、時計塔から西に延びている商店街を中心に形成されている。

繁華街中心部の道路脇にある無料駐車場にクルマを駐めて、ピザチェーン店 The Pizza Company(ザ・ピザカンパニー) でハワイアンピザを食べ、 Seven Eleven(セブンイレブン) でタイポップスのカセットテープ、お菓子、栄養ドリンクを購入。約2時間半かけて、チアングマイ(チェンマイ)市中心部にあるホテル「スリトーキョー」に到着した。

冷蔵庫にあったビアスィング(シンハビール)を飲んで疲れを癒し、シャワーを浴びてからベッドへと直行した。

2002年6月15日(土)

チアングマイ(チェンマイ)市内にあるメーサー滝へ行ったが、雨季のせいで濁っていたため、滝泳ぎをあきらめてパヤオへとクルマを走らせた。

タイの幹線道路は、とても良く整備されており、日本と比較しても遜色ない。少数山岳民族(メーオ族)の集落を通りかかったときには、集落より道路のほうが豪華に見えた。タイ国道1号線のパヤオ市付近も、とても広い。

グワーンパヤオ湖の畔を散策してから、観光客向けのタイ料理店でアメリカ風炒飯(カーオパットアメリガン)(タイ料理しかないときにイヤイヤ注文するメニュー)を注文し、チアングマイ(チェンマイ)へと引き返した。

ところが、気づいたときには、タイ国道1号線を約100キロも余計に南下していた。そのまま峠道を南下を続けて右折すると、見知らぬ市街地へと迷い込んだ。道路の脇には、花馬車が駐まっていた。

「花馬車は、ランパーング(ランパン, ラムパーン)の名物で、ここにしかないんだよ」と、エーンが話していた。怪我の功名。これも道に迷ったおかげ。その後、国道1号線パホンヨーティン通りをさらに南下し、国道120号北宮殿パヤオ線を北上してチアングマイ(チェンマイ)へとたどり着いた。

国道1号線では途中、数十キロにも渡って舗装工事が行われていたため、砂利道をゆっくりと走らざるを得なかった。

2002年6月16日(日)

朝、チアングマイ(チェンマイ)市内にあるホテル「スリトーキョー」をチェックアウトし、ちかくのレンタカー屋にクルマを返却。オーナーにタイ国鉄チアングマイ(チェンマイ)駅まで送ってもらった。

特急「スプリンター号」(チアングマイ(チェンマイ)発バンコク行)では、往路と同じ昼食と昼食が振る舞われた。午後のおやつを断り、眠っているあいだにバンコクに到着した。タイ国鉄ドーンムアング駅(ドンムアン駅)停車時に見た、空港のオレンジ色の照明が、条件反射的にココロを Go Go Bar(ゴーゴーバー) へと駆り立てる。

そんな欲求を抑えて、タイ国鉄マッガサン駅(マッカサン駅)からタクシーでペッブリー通り(ペチャブリー通り)にあるアパート Venezia Residance(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)へと戻った。

「わざわざチアングラーイ(チェンライ)まで行って、何をしてきたと思う? The Pizza Company(ピザカンパニー) でピザを食べて、そのすぐ近くにある Seven Eleven(セブンイレブン) でお菓子を買っただけよ」と、エーンはハンズフリーの携帯電話に向かって話していた。

「ねぇ、ケイイチぃ、ちょっと聞こえてる? どうしてチアングラーイ(チェンライ)まで行って、ピザ食べなきゃいけないのよ? 普通、旅行先では名物を食べるもんじゃないの?」携帯電話から、エーンの親友、ジョーイの声が聞こえてきた。・・・・・・たしかに、仰るとおり。

友人の日記を久々にチェックしてみると、エーンという名のカノジョができたと書かれていた。

「ああ、これからややこしくなるわね。わたしをエーン1号、もうひとりをエーン2号と呼びましょうよ」とエーンは言うが、友人が付き合っているエーンのほうが先に生まれている。

「でも、2号と呼ばれるのだけはイヤ。じゃあ、あっちをエーンオーと呼ぼうよ?」

タイ人のニックネームは短いため、どうしても他人のニックネームとダブってしまう。エーンが提案していた「エーンオー」は、オーのエーンという意味。オーは友人の名の一部。

どうも、小エーンと大エーンに落ち着きそう。

2002年6月17日(月)

きょうからヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2が始まる。短い休暇が終わるとともに、日本人1人がクラスを去り、若いアメリカ人男性が加わった。いつものことながら、編入生のタイ語力には驚かされる。タイ語を1年半勉強してきただけあって、リスニング力や単語力がずば抜けている。ところが、カリキュラムが違うせいか、集中タイ語講座(インテンシブタイ)の学生なら当然知っているような単語を知らないこともある。

朝、文学部本館にある集中タイ語講座(インテンシブタイ)事務局へ授業料を支払いに行くと、たくさんの外国人に遭遇した。彼らは、きょうから開講される集中タイ語講座(インテンシブタイ)初級1の学生たち。なんと前コース比約3倍の29人もいるという。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)では、クラス定員10名以下と決められているため、初級1クラスは A から C までの3クラスに分割された。日本人が14人もいるが、この日記を読んでるのは何人いるんだろう?(汗) 日本人学生は各クラス4~5人ずつに分散させられた。なんと、タイ人の学生もいるというから驚いた。

きょうの授業では、コミュニティーにおける信仰の混在について学んだ。当初、農耕民族のタイ人は精霊を信仰したが、ミャンマーからバラモン教が伝来すると、王権を正統化するために宗教が利用されるようになった。タイ人の大部分は上座部仏教を信仰していると言われているが、実は仏教にバラモン教や精霊信仰がミックスされたタイ固有の宗教(タイ仏教)。もちろん、ユニークな単語も多数登場した。

これまで命綱としていた「電子英和辞典」が、とうとう壊れてしまった! ピンチ!!

2002年6月18日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)中級2には、携帯情報端末「パーム」のタイ英辞典を使っているクラスメイトがいる。タイ語を途中まで入力すると候補が一覧表示され、クリックするだけで英訳を参照できる。クソ長い綴りをいちいち入力する必要もない。きのう電子辞書が壊れてしまったので、この機会にパームの購入を検討したい。

きょうの授業は、論説文のような硬い文体で、与えられた課題について論じる自由作文だった。

2002年6月19日(水)

携帯情報端末「パーム」でタイ語辞典を使うのは難しいかもしれない。インターネットの情報によると、パームの日本語版 OS ではタイ語関連の機能が利用できないため、英語版を購入して、それを日本語化 & タイ語化しなければならないという。もちろん OS を買うにも金はかかる。

さっそく、タイの電脳街「パンティッププラザ」へ行き、英語版 OS 搭載の SONY(ソニー) 製 CLIE T615C/S の値段を調べた。18,000~20,000バーツだった。

帰宅後、アメリカのインターネット通販 provantage.com で調べたところ、278ドルだった。パンティッププラザより57%も安い。海外発送もしており対応も良く、しかもクレジットカードが使えるという。送料は41.55ドル。

きょうは、タイ社会の米文化について学んだ。

2002年6月20日(木)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)開講以来、慢性的な新出単語地獄に悩まされてきたが、きょうのは極めつけだった(と、これまで何度書いてきたことか)。

「タイ王国の政体は、市民、陸軍、海軍、文官からなる人民評議会が仏歴2495年6月24日に起こしたサヤーム革命(サイアム革命, 市民革命, 立憲革命)により、最高法規たる憲法が制定されたことで、それまでの専制君主制から立憲君主制へと移行した。立憲君主政体における最高行政官は内閣総理大臣であり・・・・・・」

タイ語学習6ヶ月目にして、タイ王朝興亡史を学ぶことになろうとは。日常生活では決して使うことのない政治用語が大量に登場した。その他、行政府、立法府、司法府、中央政府、地方政庁、国家元首、元帥、大統領、版図、王朝、王位継承権、現人神、放棄、民族、捕虜、戦利品などなど。

しかも、タイ語には高位王族専用の名詞や動詞があり、既定の専用語(王語)がない場合でも、日本語の「御」に相当する「ソング」を動詞の前に付けなければならない。自分のタイ語力では、辞書を書き写すのが精一杯かも。

もはや、カムトック(単語の滝)どころの騒ぎではない。タイ語ネイティブへの道を時速175キロで驀進している。できることなら、目的地まで無事故無違反でたどり着きたい。

先日来、この日記に書いている携帯情報端末「パーム」は、クレジットカードの不具合により、いまだ注文が執行されていない。

それにしても、自分の日記を読み返してみると、いかに不自然な日本語を書いているかを痛感する。長期海外生活者はみんなそうだが、外国語を習得するためには、日本語の作文力を犠牲にしなければならないのか?

2002年6月21日(金)

「婚約者か奥さんがいるんじゃない?」

エーンは、泥酔するまで酒を飲み続け、酔った勢いで好き勝手なことを言う。これまで僕が結婚の可能性を否定し続けてきた理由を、婚約者か配偶者がいるからだと決めつけた。

タイのテレビ局は、バンコクが国際的な都市で、外国人のタイ人に対する好感度も高いと繰り返し宣伝してきた。そのため、タイ人は自分自身が周辺の後発発展途上国を蔑んでいるのを忘れ、自分自身が先進国で蔑まれる可能性を完全に度外視している(想像すらできないかもしれない)。だから、日本人特有の排他的な民族性(島国根性)をどんなに辛抱強く説明しても、なかなか分かってもらえない。日本に来ても、不幸になるのは他ならぬエーン自身なのに。

自分には、新たな道を切り開く冒険者になるつもりはないし、タイ人との結婚について否定的な考えを変えるつもりもない。

2002年6月22日(土)

本当に迷惑な話だ。

「選挙実施区域内において、選挙前日の午後6時から選挙当日の午後6時までに、アルコール飲料を販売・領布・提供した者は、6ヶ月未満の懲役または1万バーツの罰金またはその両方を科す」(タイ選挙法155条)

タイでは、選挙前日の飲酒が禁じられている。そのため、選挙前日になると、飲み屋の大半が休業し、一部営業している店も酒を出さなくなる。コンビニでも販売が中止されるため、アルコール飲料の調達が一切できなくなる。

昼、パッタヤー(パタヤ)へ、羽を伸ばすためにグルングテープ大学(バンコク大学)の男子学生と出かけた。エーンはペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) で留守番をしている。ところが、パッタヤー(パタヤ)市長選を翌日に控え、お楽しみのナイトスポットはことごとく閉店していた。バービア(オープンバー)では、西洋人がコーラ片手に売春婦を膝の上に乗せて恍惚の表情を浮かべている。まったく滑稽だった。

アルコール飲料を求めて、パッタヤー(パタヤ)市内を縦横断し、ようやく通常の営業をしている飲み屋を発見。ところが、そこはカラオケスナックと呼ばれている、ホステスとカラオケを楽しみ、ホテルへと連れ帰るための売春斡旋施設だった。

当初、タイ人男子学生は、ホステスを付けずにビールを飲んでいたが、次第に泥酔していき、気づいたときには相談なしに、勝手に「僕のための売春婦」を購入していた。その売春婦の容姿があまりにヒドかったため、とても金を払う気にはなれなかったが、口論を続けていても埒があかない。そこで、①料金は折半する、②一方が「サービス」を利用しているときは、もう一方が屋外で時間をつぶすことで合意。

男子学生は、最初に売春婦のサービスを利用した。どこまでヤッたか知らないが、売春婦によると「ひたすら男子学生のビジネスの話を聞かされ続けた」という。その後、部屋に入って売春婦と対面したが、最後まで体に触れることなく、自分の持ち時間を無事にやり過ごした。

ただでさえ売春婦には興味ないのに、強烈なブサイクに金を払わせられるとは。

本当に迷惑な話だ。

2002年6月23日(日)

「ヤツはゼッタイ性病を罹ってる。体液が妙にネバネバしてた。こうやっただけで、性病って染ると思う?」と、バンコクへ向かう長距離バスの中で友人が指を動かしながら思い悩んでいた。昨晩の売春婦費用は、友人と940バーツずつ出し合うことで決着した。まったく酷い出費を強いられた。

不機嫌にパッタヤー(パタヤ)の海を眺め、不機嫌にソングテオ(ソンテウ, 乗り合いトラック)に乗り、不機嫌に長距離バスに乗り、不機嫌にバスから降りてバーングセーン(バンセーン)市場で海産物を眺め、不機嫌に友人と別れ、不機嫌に McDonald’s(マクドナルド) でハンバーグを食べ、不機嫌に帰宅した。

ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)で、エーンに会ったとき、まるで天使のように見えたのは、昨晩の売春婦のせいに違いない。

2002年6月24日(月)

日本語や英語の文は、句点やピリオドで区切られている。しかし、タイ語には句読点もピリオドもないため、今ひとつ、文の範囲がハッキリしない。関係代名詞が立て続けに現れ、一つの文が8行で構成されていることもある(どんな関係代名詞節だ!?)。接続詞や主語の変更を手がかりにすれば分かることもあるが、それでも曖昧なほうが圧倒的に多い。参考のために、つぎの段落をタイ語的に書いてみる。

「しかし、文を分断できなくても、それはたいした問題ではなく、家や学校でタイ語ばかりを話していれば簡単に慣れるため、日本語に訳して考える必要はないし、タイ語スタイルの文章でも構わないだけでなく、いちいち日本語訳して聞き取っていたら、量的な理由から、1日4時間の授業時間中に発狂すること疑いない。」

ああ、気が滅入ってくる。20日付の日記に日本語訳を掲載したときには、タイ語構文の複雑さに悩まされた。教科書のタイ語は直訳でも理解できるが、ネイティブのタイ語を直訳するのにはムリがある。

きょうの授業では、そんなタイ語文を、しかも文語体で書いた。

2002年6月25日(火)

サッカーワールドカップは、タイでも公共広報局(11ch)と iTV で放映されている。タイ人のサッカー好きは日本人以上で、欧州サッカーも連日のように放映され、タイ人男子なら欧州の有名サッカー選手の名前をたいてい知っている。もちろん、ワールドカップも注目されており、試合の様子が都内各所の大型スクリーンに映し出されている。

サッカーワールドカップにおける韓国の奇跡について、審判団による不正判定疑惑や反則行為等が世界各国で報じられているが、この疑惑を韓国との歴史的軋轢のないタイ人はどう見ているのか?

「韓国なんて誰も応援してないよ」

「クラスメイトはみんな、汚い勝利をするなら、潔く敗北してしまったほうがよほどマシだって言ってる」

「韓国がアジアの代表だなんて、やめてくれよ。アジア全体のイメージが反則行為によって汚されてしまう」

「この教室の中に、韓国を応援している人は?」

「お~~っと、これは汚いプレーですね~。絶対にファールでしょう?」

日本では韓国寄りの報道が目立つが、テレビのタイ人解説者は明らかにドイツ寄りのコメントを連発させており、いまこの瞬間も韓国人選手の一挙手一投足に対してエーンが強烈な罵声を浴びせかけている(30秒あたり1回, 1回につき約10秒)。

今回のサッカーワールドカップで、タイ人の対韓感情は明らかに悪化した。

2002年6月26日(水)

ついに、教科書の内容をまったく理解できなくなった。この日が来るのを以前から恐れていたが、英日電子辞書が壊れ、とうとう暗中模索の状態に陥った。

きょうの授業は、仏教について。未知の価値観を大量の進出単語とともに学んでいる。もうどうしようもないから、復習するのもあきらめた。

2002年6月27日(木)

タイの関税率について、留学前にも東京にあるタイ大使館に問い合わせているが、携帯情報端末「パーム」を日本から送ってもらうことになったため、いよいよ懸案となった。

関税率は100%。35,000円で購入したものを手に入れるために、さらに35,000円も払うのは常軌を逸している。海外の事情に詳しい友人によると、 Fedex などのクーリエより EMS のほうが通関手続が甘いという、また、「新品だと課税される恐れがあるから、いちど開封してから送ってもらうといいわよ。もし税関に指摘されたら、日本で使っていたものを送ってもらったと説明すれば、関税率はせいぜい数パーセントで済むはず」と、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)の講師が教えてくれた。

とりあえず、本体や充電器を箱やビニール袋から取り出し、コード類もグチャグチャにして、 EMS で送るよう、母に電話で依頼した。なお、日本からタイへの小包は通常、 EMS で2日あれば届くが、週末を挟むため5日後になるという。

2002年6月28日(金)

夕方、 WTC World Trade Center(ワールドトレードセンター) 5階にある食品売場でエーンと買い物をしたついでに、6階にある紀伊国屋書店で、これまでずっと欲しいと思っていた「タイ国高等学校社会科教科書『歴史』」(日本語版, タイ紀伊国屋価格1,350バーツ)を購入した。

その後、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ウォンサワン) 644号室(自室)で、その本を興味津々で読み始めたが、内容のあまりの貧弱さに驚いた。

タイ人の歴史は、各地に点在していた集落が、約700年前にひとつの王国になったところからはじまる。本文中には、「タイ人最初の王朝が勃興した仏教歴19世紀(西暦13世紀)まで、われわれタイ人に文化がなかったとは考えにくく、これからの研究が期待される」と、タイ人の民族意識を擁護する表現が目立つ。その表現自体が情けなさに拍車をかけるが、日本の鎌倉以前のタイ史について、あまりたいしたことは分かっていない。

その後、スコータイ朝、アユッタヤー朝(アユタヤ朝)と続くが、18世紀まで中国や日本のような官僚制は整備されなかった(宮廷内に原始的な行政機構はあったが、官僚制度と呼ぶには貧弱すぎる)。また、タイ国王(中央政府)の統治能力は19世紀まで、都の周辺部に限定され、地方の統治は領主任せになっていた。

当時、サックディナー制(位階田制)により、人々の社会的地位は位階田の大きさで比較された。タイ国王は版図全域の神という建前から位階田を持たなかった(タイ全体が国王の所有物である)が、副王格の地方知事が50万ライ(ライ=農地の広さを表す単位)、下級官吏が400ライ、市民階級が25ライで、最下層の農奴階級は5ライだった。当初、位階田には俸禄のような意味合いがあったが、末期には形骸化して地位の高さを相対的に表す単なる数字となった。

本書では、タイ国王の王権が、タイ国民の父から仏教解脱者、仏教解脱者から神聖不可侵の神へと拡大していった背景を、誰もが受け入れられるような工夫が凝らされている。

王朝の興亡についても、歴史的事実にはほとんど触れず、勢力図が変化したため新王朝が勃興し、新国王が即位したと説明するにとどめている。その理由について、エーンはつぎのように語った。

「王権の正統性なんてものを高校生に教えてしまったら、みんな国王を疑い出すじゃないの! それじゃ困るでしょう? 現在のラッタナゴースィン朝(チャクリ朝, ヂャッグリー朝)の始祖だって、トンブリー朝のタークスィン王を暗殺して王位に就いたんだから。サイアクの場合、国王を尊ばせる理由、大逆を犯してはならない理由を、子供たちに説明できなくなるじゃないの」

日本の天皇家は(たとえ建前だけとしても)単一の血統によって継承されてきたが、タイの王家はそうではないことが、王権の説明を難しくしている。

タイの公式政治史は、ひと味たりないどころか、まったく味気なかった。

2002年6月29日(土)

正午前に起床し、昼過ぎに仮眠をとり、夕方に目覚めた。冷房を絶えず使っているせいか、寝ているあいだに風邪をひいたらしい。風邪をひくのは、およそ3ヶ月ぶりのこと。タイにいるにもかかわらず、電気代は月々10,000円にものぼる。

夜、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室(自室)で、ワールドカップ3位決定戦(韓国トルコ戦)をテレビ観戦した。テレビのタイ人解説者は、あきらかな韓国びいきだった。エーンは、トルコがゴールするたびに大声を上げ、韓国がゴールしそうになると大声を上げた。大声はノドに悪い。

その後、この2週間に習った新出単語を復習した。

2002年6月30日(日)

携帯情報端末「パーム」は、すでに日本から発送されているが、ハイテク好きが高じて衝動買いしただけに、到着まで待っていられない。そこで、エミュレータと ROM を入手して、 Microsoft Windows 上でパームの動作をシミュレートした。

なんと、何もできなかった。もちろんタイ語の辞書も使えない。