ソングラーン祭 (タイ正月)

タイ留学斡旋会社「スタディーインタイランド」(Lighthouse Info Service Co.,Ltd.)の方から、運営責任者が一時帰国してしまうため、主催する日本人タイ人合同イベント「ソングラーン祭」の運営を手伝ってほしいと依頼された。

正午、高架電車チョングノンスィー駅前の留学斡旋会社の事務所に到着した。集合1時間前だったが、すでにたくさんの参加者でごった返していた。午後1時にビルの駐車場で集合写真を撮り、ピックアップトラック2台に分乗して王宮方面へ向かった。

日本の道路交通法的には明らかに異常だが、タイではピックアップトラックの後部荷台に人を乗せて走る。これまで後部荷台に乗るのはずっと避けてきたが、きょうのイベントは後部荷台から見ず知らずの他人に向かって水鉄砲やバケツで水をぶっ掛ける日。ここに乗らなければ戦いに参加できない。

当初、水鉄砲を他人に向けて発射するという暴挙が楽しくてたまらなかったが、日が傾いていくにつれて道行く人々が水をかけなくてもすでにずぶ濡れになっているため退屈になり、次第にあたらしい楽しみを追求するようになった。

きょうはあいにくの曇り空だったが、それでもタイは真夏の熱帯。頭から水をかぶったところでダメージが少ないため、クルマが渋滞にハマって立ち往生したときにコンビニへと走り、大量の氷を買っては次々とバケツへ放り込んでいった。

この戦いは物量戦である。唯一の武器である「水」が尽きた時点で敗北が確定する。しかし水道水による補給もむなしく中盤には物資が底を尽いてしまった。敵水鉄砲隊に対する応戦能力を失い、ペーングと呼ばれる粉末を水で溶かした泥を男たちに塗りたくられた。

激戦地となったラーチャダムヌーン通りでは水鉄砲隊輸送車輌(ピックアップトラック)が接近遭遇するたびに奇声が上がって激しい銃撃戦が繰り広げられた。戦闘が最も激しかった地域では同士討ちありなんでもありの大混戦。三輪バイクタクシーで移動する西洋人観光客たちは格好の餌食となった。

日没後にペッブリー18小街路にあるアパートへ戻ってシャワーを浴び、サムットプラーガーン県のディスコで友人たちと酒を飲みながら再び泥水を浴び、そのまま朝までタイ人の友人宅で Heineken を飲み続けた。酒が進むとともにタイ語の文法が滅茶苦茶になっていったが、それでも案外難しいテーマについて話し合えた。

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ケイイチ
バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。