2002年4月1日(月)

放課後、MBKへクラスメイトと出かけ、ずっと気になっていた「日本語バカTシャツ」をついに発見。表面には『旅行やコインランドリーなどに。スーパートップ。世界初の低温パワフル酵素配合。冷たい水でも汚れを心から分解。ワンパック、洗濯機1回分』、裏には使用上の注意が書かれている。

ついに見つけた完璧なまでにアホな日本語Tシャツ!! 売り場のおばちゃんに「このTシャツいくら?」と聞いたら「199バーツ」との返事。シャツの生地の質から値引可能と考え、一緒にいるクラスメイトに妥当な金額を訊いてみた。色違いのシャツがヂャットゥヂャック市場(チャトゥチャック市場)で3枚450バーツと聞き、試しに「これ150バーツで売ってくれない? シーロム通りで150バーツで売ってたよ!」と大ウソをかましてみた。すると、「これはそこらものとは生地が違うから、そんな値段では売れない」と切り返された。やむなく価格交渉を断念して「もうちょっと考えてから買うかどうか決めます。さようなら」とその場を去ろうとしたまさにそのときに、「ああ、いいよいいよ。150バーツで売るから買っていくかい?」と呼び止められ、見事こちらの言い値でゲットできた!

その後しばらくMBKをうろつき、高架電車 BTS サーラーデーング駅(サラデーン駅)前にある珈琲屋 Starbucks(スターバックス) で留学斡旋会社の人と会った。先日エーンのバイト先を訪問したとき、タイ人が日本に留学するときに必要となる諸条件について情報を集めておいてほしい、と同僚のヂョーイから頼まれていたので、さっそく訊いてみた。回答はつぎの通り。

2年制の専門学校に留学して日本語を勉強する場合、

1. 就学 VISA 申請時に両親の銀行残高証明書を提出しなければならない。最低でも700,000バーツは必要で、1,000,000バーツあれば却下されない。

2. 高卒でも VISA は取得できる。ただし、ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)卒の場合は難航する。

3. 親と別居していると、VISAの取得にかなりの難航が予想される。

日本政府は外国人の不法就労を懸念しており、 VISA の発給には慎重な姿勢を見せている。タイ人が日本に留学するときには、日本語の能力ではなく VISA を受給できるかどうかが最大の鍵となる。留学先の日本語学校によって難度が変わるという。

エーンは VISA を取得できない要件を完全に満たしている。なお、銀行残高証明書の金額は、日本留学中に必要となる金額とほぼ同額。ちなみに、僕の留学予算は年間約500,000バーツ。

あすはバカ日本語Tシャツを着て学校へ行こう☆

2002年4月2日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコン大学) 文学部主催集中タイ語講座(インテンシブタイ)初級3のカリキュラムでは、午前中に自由討論の時間が設けられている。これが相当の曲者で不愉快になるこもが少なくない。

きょうのテーマは「戦争」。しかし教養が著しく欠如している人と安全保障政策や第二次世界大戦について討論するのは本当に苦痛だ。母国語でも議論が成立するかどうか怪しいというのに、それを超あやふやなタイ語で切り抜けようとするから、発言のヤバさに拍車がかかる。

「日本人は、毎年終戦記念日に家族揃って広島の原爆資料館へ行きます」
「皇帝(天皇)がいなければ日本は国家として存続し得ないでしょう」

外国人学生たち誤った日本人像を持ってしまうのを防ぐため、ひとつひとつ慎重に訂正していかなければならない。ところが、それに対しても不快感剥き出しにして反論されるから、いろいろな工夫が欠かせない。下記はその一例。

「毎年終戦記念日に家族揃って広島の原爆資料館へ行くかどうかについては本人次第ですが、日本人の大半がそうしているという話を私は聞いたことがありません」
「皇帝(天皇)がいなければ日本が国家として存続し得ないと考えているかどうかについては個人の考え方次第ですが、日本人の大半がそのように考えているという話を私は聞いたことがありません」

これまでエーンに、学校での出来事、とくに同報のクラスメイトたちに対する愚痴を言わないようにしてきたが、とうとう我慢の限界に達して洗いざらい全部話した。

「確信できたことがひとつあるわ。それはあなたが彼らを心の底から見下していることよ」

チュラロンコーン大学文学部の集中タイ語コースは進度が早すぎるといわれているが、授業で扱う内容も高度だから基本的な教養がない人はまずついていけない。なかには「国立チュラロンコーン大学学部生たるエリート」を自称したり大学のグッズで身を固めたりする学生もいるが、解釈によっては対国内法に抵触する行為とらしい。

集中タイ語コースの先輩曰く、「それは・・・・・・今回のコースの学生の質が異常に低いだけなんじゃない? どうせ先生達も教員詰め所で愚痴り合っているさ」。

2002年4月3日(水)

けさ、目覚まし時計の設定を間違えたせいで1時間も寝坊し、タクシーで予習しながら大学へと向った。そのとき、きょうの自由討論のテーマがインターネットであることを知り、猛烈にイヤな予感がした。

昼休み直前、まさに自由討論を終えようとしていた瞬間にイヤな予感が的中した。

「このチュラロンコーン大学タイ語集中講座について、あなたはホームページでいろいろと書いていますよね?」

(そうさ、書いているとも! 書いていて何が悪いっ!?)そう思いながらも沈黙を決め込んでいたが、url を突きつけられて知らぬ存ぜぬでは通せなくなった。やむなく、「確かにありますが、タイに関心がある日本人向けに書いているものです。あなた達のプライバシーを犯すような性質のものではありません」と反論。そんなにイヤなら見なければいい。

帰宅後、このウェブサイトのアクセス状況を分析。チュラロンコーン大学からのアクセスが4件、ほかに外国語に翻訳しての閲覧が9件あった。

個人のプライバシーについて、自分では常識の範囲内に収まるよう十分に配慮しているつもりだが、客観的に本当に大丈夫かと問われるとあまり自信がない。

2002年4月4日(木)

留学斡旋会社の方から先日いただいたばかりの留学関連書籍をヂョーイに手渡した。妹はニュージーランド、弟は日本に留学しており、ヂョーイ自身も日本へ行ったことがある。日本語読解力を鍛えるために毎日マンガ「あさりちゃん」を読んでいるという。

「日本の話をするのはやめてっ! わたしが日本へいけないこと知ってるでしょ?」

ふとエーンがひどく不貞腐れているのに気づいた。ホントかウソかは知らないが「一億層中流」という平等意識が広く蔓延っているお目出度い日本とは異なり、タイは貧富の差や境遇の差が物をいう不平等社会。これだけ不平等を実感させられる機会に恵まれていると、どんなに頑張っても勘違いのしようがない。

午後3時(授業終了直後)に Go Go Bar の売春婦から電話で呼び出されたが、「宿題が山のようにある」(直訳)といって断った。ウェブサイトの新デザインを考えるのに忙しい。

2002年4月5日(金)

夜、ソーイ・カウボーイ(ソイカウボーイ)にある Go Go Bar(ゴーゴーバー) へ友人と出かけた。こうも日常化してしまうと、裸踊りのショーが面白くも何ともなくなる。ある友人は、まったく裸踊りを観ていなかった。特に容姿が良いわけでも踊りが上手いわけでもないから、友人同士で話していたほうが楽しい。

午前2時の閉店後、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)にあるホテル「サヤーム(サイアムホテル)」で不味いピザを食べ思い存分ストレスを発散した。午前5時半に帰宅した。

サヤームホテルの売春婦によると、売春容疑で逮捕されても賄賂500バーツで釈放されるという。これでは安すぎる。売買春に対する抑止効果とはなり得ない。

2002年4月7日(日)

この3日間、ずっとウェブサイトデザインの変更作業をしていた。まだ作業が終わっておらず、日記に書くこともない。ソングラーン祭(ソンクラン祭り)の4 連休を利用して完成させたい。

先週末「単語太りをするぞっ!」と意気込んで迎えた3連休だが、そんなこんなで残り1日になってしまった。

2002年4月8日(月)

午後、自室で単語の暗記を始めたが、食材の買い出しのために伊勢丹へ出かけた。帰宅後すぐに机に向かったが、エーンが海軍士官候補生(准尉待遇)と士官学校のパーティーへ出かけたのが腹立たしくなり夜の街へと繰り出した。週末の「単語太り計画」は頓挫した。

せっかくだから、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダー通り)のホテル THE EMERALD(エメラルドホテル) にあるディスコ SPARKS(スパークス)の便所前で麻薬「ヤーバー」が売っているがそれをどうやって便所で使うのかという、先日エーンと議論になった話の真相を究明してみたい。エーンはそのとき、経験ないから分からないけど・・・・・・と前置きしつつも、飲めるはずだと話していた。

スクンウィット15(スクンビット15)のルアムヂットホテルへ行き、コーヒーショップ「トァーメー(テルメ)」奥の静かな席へ行く。そこで偶然知り合いに会い、さっそく飲めるかどうか訊いてみた。売春婦は麻薬のために売春しているのだから、麻薬については売春婦に聞くのが一番確かで手っ取り早い。

「飲むって、それは・・・・・・あまりにも危険すぎよ!」

ヤーバーの煙が立ち込める部屋に出入りしていた一年前に現物の吸引方法を確認しているが、飲めるという話は聞いたことがなかった。ちなみに麻薬密売容疑で日本から強制送還された過去のあるイラン人(日本語会話可能)からゼッタイにやめたほうがいいと忠告を受けたため、好奇心から手を出すような真似はしないようにしている。

2002年4月9日(火)

集中タイ語講座(インテンシブタイ)修了者が作成した単語集(全課程版)をクラスメイトから入手。文学部ボーローンマラーチャグンマリー館地階の売店に両面コピーを依頼したところ250バーツだった。

2002年4月10日(水)

きょうから新学習計画を導入する。家で単語を一通り眺めてから授業を受けるという勉強法だ。しかし芳しい効果は見られなかった。単語不足が深刻化した影響により、この10日間でクラス平均以下に転落した模様。効果的な学習方法を一日でも早く見つける必要がある。

2002年4月11日(木)

夕方、体調を崩したエーンがアルバイトを切り上げて帰宅。深夜になってさらに悪化したため、エーンの友人とともに病院へ連れて行った。

自分が体調を悪くしたときにはいつも5つ星ホテル並みに豪華な私立バムルングラート病院(バムルンラット病院)(2001年12月日記参照)を利用しているが、診察料も5つ星ホテル並みに高く、一般のタイ人払えるような金額じゃない。しかもタイには国民皆保険のような制度がないため、個人で健康保険に加入するか、会社が一部を負担する公的保険に加入しなければならず、大学生であるエーンの経済力では比較的評判の良い公立病院を選ぶしかない。

午前零時頃、プララームホック通り(ラマ6世通り)のラーマーティッボディー病院へタクシーで向かう。こんな深夜にもかかわらず、待合室には50人以上の患者が順番待ちをしていた。

集中タイ語コースの講師によると、国立病院は診療費が安いが待ち時間が長く、私立病院は待ち時間が短いが診察費が高いという。治療の効果については大差ないらしいが、さすがにバムルングラート病院のような過剰な装飾は見当たらない。

タイの国立病院が想像より相当まともだったことに驚いた。一緒に来たエーンの友人によると、この病院は国王の治療も担当しているため例外的な位置づけにあるという。

今回の会計は207バーツ(急患手数料100バーツ, 診察費・鎮痛剤注射費・処方薬107バーツ)。この金額はエーンがアルバイト日給(8時間)に相当する。エーンによると、外国人はタイの医療補助が受けられないため費用が2倍近くになるという。

個人的な印象では、バムルングラート病院が最初から過剰医療を施すのに対し、ラーマーティッボディー病院は費用がかからない医療で様子を見て、高価な精密検査等を避ける傾向がある。

2002年4月12日(金)

集中タイ語講座(インテンシブタイ)開講以来、はじめて授業を欠席した。昨晩から不調を訴えていたエーンの体調が今朝になってさらに悪化したため、プララームホック通り(ラマ6世通り)のラーマーティッボディー病院に同行した。ちなみに集中タイ語講座の授業料は1日(4時間)あたり1,000バーツ。

ところで、集中タイ語コースに大手銀行シンガポール支店の元従業員を自称するシンガポール人学生がいる。しかし言動や行動が知的エリートから著しくかけ離れているため不審に思い調べてみたところ、その銀行は5年前に名称が変更されていることが2分とかからずに判明。年齢的に旧名称の銀行で働くことは不可能であることから、彼がウソをついていると結論付けられた。この件では以前から疑念を持たれていたが、まさか本当にウソだったとは。

タイは貧富の差が激しく学歴や職歴で個人の信用度が決まるため、シンガポール人クラスメイトがつま先立ちで背伸びしたくなる気持ちも理解できなくはない。今回は少し調べればすぐに分かるウソだったから良かったが、経歴を証明せよと要求するのは礼儀や信義に反するため、ウソを見抜くきっかけはない。それにつけ込んで詐称されたら、もはやどうしようもない。

今になって思い返してみると、集中タイ語講座のタイ語講師から退職した銀行名と退職年について訊ねられたときのシンガポール人学生の回答はあまりにも不自然すぎた。タイ語講師侮りがたし。

数日後に24歳の誕生日を迎えるが、この歳になると高等教育を終えて社会で活躍している人も多いため、経歴によって人を判断するようになる機会も増えるだろう。しかしタイでは他人の経歴をそのまま鵜呑みするのはやめておいたほうがよさそうだ。

あすから新学習計画の第二弾を導入する。授業開始前に教科書を通読して内容を把握し、文法事項や新出単語の重要度を確認する。覚えるまで新出単語を紙に書き殴る。

2002年4月14日(日)

タイ留学斡旋会社「スタディーインタイランド」(Lighthouse Info Service Co.,Ltd.)の方から、主催する日本人タイ人合同イベント「ソングラーン祭(ソンクラン祭り)」運営の手伝いを依頼された。依頼理由は運営責任者が一時帰国してしまうため。イベントの目的は日本人とタイ人の交流促進。

正午、高架電車 BTS チョングノンスィー駅(チョンノンシー駅)前の留学斡旋会社オフィスに到着。集合時刻1時間前だったが、すでにたくさんの参加者でごった返していた。午後1時、ビル駐車場で集合写真を撮り、ピックアップトラック2台に分乗して王宮方面へと向かった。

日本の道路交通法的には明らかに異常だが、タイではピックアップトラックが後部荷台に人を乗せて走る。これまでずっと避けてきたが、このイベントは後部荷台から見ず知らずの他人に水鉄砲やバケツで水をぶっ掛ける日。ここに乗らなければ戦いに参加できない。

当初、水鉄砲を他人に向けて発射するという暴挙が快感でたまらなかったが、日が傾いていくにつれ道行く人々が最初からずぶ濡れになっているせいか退屈になり、次第にあたらしい快感を追求するようになった。

天候はあいにくの曇り空だったが、それでもタイは熱帯、しかも真夏。頭から水をかぶったところでダメージが少ないため、クルマが渋滞にハマって立ち往生したときにコンビニへと走り、大量の氷を買ってはバケツに放り込んでいった。

この戦いは物量戦である。唯一の武器である「水」が尽きた段階で敗北が決定する。しかし水道水による補給もむなしく中盤には物資が底を尽いてしまった。敵水鉄砲隊への応戦能力を失い、ペーングと呼ばれる粉末を水で溶かした泥を男たちに塗りたくられた。

激戦地となったラーチャダムヌーン通り(ラチャダムヌン通り) では、水鉄砲隊輸送車輌(ピックアップトラック)が接近遭遇するたびに奇声が上がり銃撃戦が繰り広げられる。戦闘が最も激しい地域では同士討ちありなんでもありの大混戦。三輪バイクタクシー(トゥクトゥク)で移動する西洋人観光客たちは格好の餌食となった。

日没後に一旦アパートへ戻ってシャワーを浴び、サムットプラーガーン県(サムットプラカン県)のディスコで友人たち酒を飲んで泥水を浴び、そのままタイ人の友人宅で Heineken(ハイネケン) を朝まで飲み続けた。酒が進むとともにタイ語の文法が滅茶苦茶になっていったが、それでも案外難しいテーマについて話し合えた。

2002年4月15日(月)

ソンクラーン(タイ正月)休みを利用して、ウェブサイトのデザインを変更した。従来の複雑すぎるデザインを改め、見やすさを重視。自動更新情報に東京都大手町の気象情報を追加。タイ王国紹介ページに各種統計データを掲載。勉強はまったく捗らなかった。

2002年4月16日(火)

タイ正月休み(合計4日間)も、きょうが最終日。

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)初級3では、小学校1年生から6先生までのタイ語教科書を25日間でマスターすることを目的としている。「集中タイ語講座」というだけあって、毎日のようにスコールのような単語の雨あられが続いている。

せめて1日くらい勉強しておこうと教科書を眺めたが、本来であれば毎日4時間は復習に充てたいところ。

2002年4月17日(水)

夕方、日中4時間のタイ語学習を終えて、ペッブリー(ペチャブリー, ペブリ)18にあるアパート Venezia Residence 664 号室に戻ると、部屋の電話が鳴った。タイ人の友人からの内線電話で、すでにアパートの入口まで来ているという。

「今夜、バーベキューするけど来る?」

ひとりで郊外へ行くのは心細いからと、日本人の友人たちにも声をかけてみたが、みんな予定が入っているらしく、なかなか応じてもらえなかった。回答が来るまでの1時間40分で、きょうの復習と宿題を一気に済ませ、同じアパートに住んでいる友人の部屋へ行き、無理を言って付いてきてもらった。

高速道路を走るエアコンバスで、一路、バンコクの南東に隣接しているサムットプラーガーン県(サムットプラカン県)へと向かった。

バーベキュー会場は、スクンウィット(スクンビット)113にある友人のインターネットカフェだった。店の前を、バンコク都内では決して見ることができないサームロー(サムロー(自転車牽引客車))が行き交っている。友人がエビや豚肉を焼くのに使ったのは、友人が正月に貯金したとき銀行からもらった電熱器。火力はオーブンスター並みで、火が通るまでに何時間もかかった。

「日本人のオンナってイージーだよね?」

これまで24年間日本人をしてきて、これまで日本人女性がイージーだという印象はなかったが、タイ人男性に限らず、どこの国の男性も似たようなことを話している。ちなみに、友人によると、タイ人女性をナンパするなら、ディスコ街 RCA Royal City Avenue(アールシーエー, ロイヤルシティーアヴェニュー) が一番簡単という。

ここでは、街中インターネットカフェで溢れかえっている。まるでコンビニエンスストアのように身近な存在だ。その背景には、タイにおけるパソコン普及率が低いこともあるが、客の大半は店内の LAN (ローカルエリアネットワーク)接続による通信対戦が目的のようだ。タイ人パートタイマーの時給が二十数バーツと安いため、利用料が1時間につき20バーツと手頃な料金でサービスが提供されている。日本ではコストがかかりすぎて非現実的だが、ガンガン打ち合うゲームは面白そう。

面白そうなゲームをいくつか分けてもらった。

2002年4月18日(木)

二日酔いが与える、授業への影響は計り知れない。

朝一番のタイ語書き取りテストでは、新出単語の綴り以前の問題として、文章そのものが記憶できない。しかも、自分の酒のニオイが、教室中に充満していないかと心配になる。

授業がある日の昼食は、これまで文学部食堂でタイ料理(飲み物代込み30バーツ)をとっていたが、今月から工学部食堂で西洋風ファストフード(インスタント麺「マーマー」+ベーコン入り目玉焼き, 51バーツ)をとるようになった。どちらもオープンエアーで冷房はないが、ようやくタイ料理から解放された(写真は文学部食堂)。

2002年4月19日(金)

バンコクに住んでいる日本人なら知らない人はいない、かの有名なタニヤへ初めて出かけた。そして、さっそく失敗した。

タニヤとは、バンコクにおける商業の中心地であるスィーロム通り(シーロム通り)から伸びる、全幅8メートル、全長200メートルの街路で、いくつか商業ビルもあるが、日本人のあいだではもっぱら日本人向けのカラオケスナックがひしめき合っていることで知られている。

カラオケスナック VIP 鶴の細い階段を上ると、さっそく奥へと案内され、ボックス席に腰を下ろすと、周囲の照明が明るくなってホステスが整列した。そのなかからひとりを選んで、一緒にカラオケを楽しむのが、この店の酒肴らしいが・・・・・・

「きょう、お店の人たちとパッタヤー(パタヤ)へ行ってきたのよぉ。超ツカレた~」

こんなカンジで、僕が選んだホステスはヤル気ゼロだった。これでは、無言で密着して座っているだけの役立たず以外の何者ではない。タイに来てから初めての日本語カラオケで自分を満足させて、逃げるように帰宅した。料金(2人分)は、ウイスキー(キープ可能)とホステス2人30分で2,830バーツ。大半は友人が奢ってくれた。日本と比べれば激安だが、サービスの内容にはまったく納得がいかない。

「これは、誰もが経験する登竜門みたいなモンだよ」

友人は、そう言って苦笑していた。こんなことなら、ふつうのタイ人大学生とふつうの会話をしていた方がよほど楽しい。タニヤ通りの日本人向けカラオケスナックは、タイ語が話せない孤独な単身赴任者が癒しを求めに行くためにあるのかもしれない。

ホステスによると、この店のオーナーはタイ人で、20代後半から30代前半の客がもっとも多いという。

2002年4月20日(土)

午前3時ころ、ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室で、ふらつきながらシャワーを浴び、冷房が効いている部屋に戻って涼もうとシャワー室のドアを開けた瞬間、停電した。

冷房と温水器を同時に使ったせいだ。電気の使いすぎによる配線用遮断機(ブレーカー)ショートに違いない。そう思って、酔っ払いながらも復旧を試みた。しかし、ベランダにある冷房の室外機からガス放出音(プシュー音)が聞こえるのはなぜだろう? アパートの警備員にブレーカーが壊れて電力を使えなくなったと伝えると、懐中電灯と扇風機(廊下から電源をとる)を用意してくれた。

朝、アパート1階のオペレーター(複数人からなる管理グループ)にブレーカー故障を伝えると、電力技術者を午後2時半に手配してくれた。その間、やむなく別の階にある友人の部屋で涼ませてもらった。

午後2時半、644号室の電力が復旧した。電力技術者によると、昨晩の一件で、電力メーターのヒューズが飛んだせいで停電したという。ところが、使えるようになったはずの冷房を入れても、まったく涼しくならない。昨晩ガス放出音が聞こえたときに冷房用のガスがなくなったのではないか? オペレーターに冷房の故障を報告した。

数時間後、紆余曲折を経て、冷房復旧の目処が月曜日まで立たないことが明らかになった。そのため、日貸し用の標準サイズの部屋を無料で貸し与えられた。しかし、たった数日間のためにデスクトップパソコンを移動するのも煩わしいから、やむなく644号室の玄関とベランダのドアを開け放ち(この部屋の窓は開閉不可)、身体中から吹き出してくる汗に悩まされながら日記を書いている。

こんなに暑いと、すべての作業が大雑把になる。タイ人は怠慢と言われているが、その理由がわかるような気がする。本当に頭がクラクラする。

2002年4月21日(日)

友人に誘われ、アサンプション大学(アッサムチャン大学, ABAC)文学部日本語学科の授業「ツアーガイド演習」に参加した。

アサンプション大学(アッサムチャン大学, ABAC)の学費(年間約100,000バーツ)は、国立大学(同12,000バーツ)の約8倍。そのせいか、先日参加した(キングモンクット大学ラックラバン校)プラヂョームグラーオヂャーオグンタハーンラートグラバング工科大学産業教育学部日本語学科の授業より、全体的にかなりおとなしい印象。

プラチェートポンウィモンマンカラーラームラーチャオォーンマハーウィハーン寺院(ワットポー)を見学し、ヂャーオプラヤー川(チャオプラヤ川)沿いのレストランで昼食(タイ料理)後、渡河船(2バーツ)でトンブリー地区へと移動。

アルンラーチャウォーラーラームチャーチャウォーンマハーウィハーン寺院(ワットアルン)は、旅行ガイドブックで酷評されている。「地球の歩き方」によると、入口付近にある書き割りで記念写真を撮ると料金を請求されるとある。タイの伝統衣装が描かれている、まさにその書き割りから顔を出して写真を撮ろうとしている学生がいるから、注意を促した。

“ไม่เป็นไร คนไทยไม่โดนหรอก”(マイペンライ コンタイマイドーンローク) 
「タイ人なら大丈夫よ」

ところが撮影後、しっかり20バーツ徴収されていた。目の前で、西洋人観光客が市価13バーツのコカコーラに、なんと60バーツも払わされていた。ウワサに違わず、本当にロクでもない寺だ。

バンコク生活5ヶ月目にして、初めて寺院巡りを体験した。

2002年4月22日(月)

タイ語の学習を終える前に予算が底をつくことを恐れて、これまで節約生活を続けてきたが、意外にも黒字になっていることが判明したため、従来の日本食生活を復活させた。

以前、通学路の中間地点にある東急デパート4階の日本料理店「田ごと」で毎日のように特大カツカレーを食べていたが、そのカツに飽きて通わなくなった。そこで、きょうは和風ハンバーグステーキ(120バーツ)を注文したところ、日本にある普通の定食屋くらいの味だった。これなら毎日通えるかも!!

ところで、バンコクの日本料理屋は、まるで高級ホテルのように、付加価値税(7%)にサービス料(10%)を加えた金額を請求してくる。呼んでも来ないようなウエイトレスたちのサービスに、どうしてサービス料が発生するのか納得いかない。

夕方、先週末に壊れた冷房が無事復旧した。これで Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 7階にある無料別荘ともお別れになる。

2002年4月23日(火)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催の集中タイ語講座(インテンシブタイ)は、タイ語論文を書くことを目指している外国人向けのタイ語講座。授業では英語とタイ語の2ヶ国語が使われるため、学生たちは英語が話せて当然、という雰囲気がある。

“Do you speak in English?”
「英語は話せるか?」

放課後、文学部ボーローンマラーチャグンマーリー館7階にある教室前で、初級3から加わったアメリカ人学生に英語で声をかけられた。タイ語の発音は、初級1のころエーンに徹底的に矯正してもらったから問題ないが、英会話を実践したことがないため、恥ずかしい発音しかできず抵抗感がある。それに、ある参考書によると、外国語を勉強しているとき、別の言語を同時に勉強してはならないという。これまで作り上げてきた「タイ語脳」が、英語を使うことで破壊されてはかなわない。

“I can speak in English, but I don’t wanna do it.” 
「英語は話せるけど、そうしたくない」

まあ、苦手な英語は使いたくないというのが本音。変に取り繕ったところで仕方ない。集中タイ語講座(インテンシブタイ)を修了したら、つぎはイギリスで英語を勉強しようかな。

それにしても、ここはタイ語のクラスなのに、なんでタイ語ではなく英語を使おうとするんだろうか。

2002年4月24日(水)

「みなさん、怒るべきところでは怒らなければなりません。罵倒されているのに気付かないようでは、タイ語を使いこなせているとは言えませんから」

昼すぎ、ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部ボーローンマラーチャグンマリー館7階にある教室で、正規のカリキュラムには含まれていない若者言葉から罵倒語までの日常タイ語を学んだ。

タイ語は、ノリがよく下品という点で、日本語の大阪弁に似ている。エーンも友人と話すときは下品なタイ語を使っているが、僕と話すときだけは上品なタイ語を使っている。言語的子供(外国人)に、汚い言葉を使わせたくないと願う言語的母親のような責任を感じているという。

先生は躊躇しながら教えていたが、お下劣タイ語は日常生活でごく普通に使われている。

それにしても、タイ語は大阪弁に似ている。

2002年4月25日(木)

タイ人は日常生活の中で「タイ人であるからにはゼッタイに勝たなければならない」というフレーズを普通に使っているが、タイ人であることと、勝たなければならないことの関連性について語られることはない。通常、タイ人が優れていると証明できる指標も示されることはない。

サムライコボリ氏作のウェブサイト Thai Articles 2001 (タイ語)は、タイ王国がいかに異常であるかについて、日本人的な視点から痛烈に皮肉っている。ソングラーン祭(ソンクラン祭り)をタイ人中年男性が無邪気に楽しんでいるのはバカそのものという記事もあった。

タイに住んでいるとタイ人社会の異常さに対して無感覚になるが、たしかにサムライコボリ氏の主張は日本人的感覚では正論に違いない。タイ語が読める方は、ぜひお試しあれ。

1週間だけでもいいから、まともな社会に戻りたい。

2002年4月26日(金)

放課後、コンウェーン通り(コンヴェント通り)にある Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でクラスメイトとタイ語の復習。韓国料理屋で夕食をとり、ふたたび Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー) でタイ語の復習をした。

午前零時ころ、スクンウィット(スクンビット)15にある売春婦調達 Bar 「トァーメー(テルメ, テーメー)」で、タイ語会話を練習した。ひどい容姿の売春婦とタイ語で話していたところ、比較的マシな容姿の売春婦が近づき、真面目な表情で声をかけてきた。

คนไทยไม่ให้เข้า(コンタイマイハイカオ)
「タイ人立ち入り禁止」

タイ国内で購入した服を着てきたのがいけなかったと後悔するべきなのか、それだけタイ語力が向上したと喜ぶべきなのか。でも、とにかく腹が立った。

トァーメー(テルメ, テーメー)は、タイ風俗情報ウェブサイトでしばしば話題になっており、きょうからの大型連休を利用してタイを訪れる日本人中年男性観光客たちが殺到することも予想される。が、それほどの魅力があるとは、とても思えない。この店にいる売春婦は、ほかの性風俗店に雇ってもらえないような年寄りやブサイクばかりだし、ほとんどが麻薬中毒者でエイズ感染率も高い。唯一の魅力は、女性に囲まれながら安く酒が飲めることくらいか?

ここでブサイクな売春婦を買うのは、ほかより費用対効果が低く、逆に盗難遭ったりエイズに感染するリスクが高すぎる。買春ツアーには、それなりのリスクがともなう。

2002年4月27日(土)

夜、エーンとタクシーで帰宅したところ、運転手がスピーカーの音量を耳障りなほど大きくしたり、何を言っているのかわからないくらい小さくしたりを繰り返していた。

これがウワサの!?・・・・・・と思い、メーターを注意深く観察してみると、メーターに表示されている走行距離が30~50メートルごとに100メートルとしてカウントされ、料金もみるみるうちに上がっていった。

約4.2キロの道のりが5.7キロになっていたが、たかだか16バーツ(約50円)のために死闘を演じるのもバカらしいと思い、無言でタクシーをあとにした。

ペッブリー(ペチャブリー)18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) の入口へと向かう途中、タイにおける100メートルの長さについてエーンに訊くと、「うーん、たぶん50メートルくらいじゃないかしら」との答えが返ってきた。

「アメージング(タイランド)とは、あって然るべきものが欠落しているという意味じゃないか?」と、約1時間にわたってエーンに当たり散らした。

2002年4月29日(月)

放課後、 MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)6階にある軽食屋 Black Canyon Coffee(ブラックキャニオンコーヒー) でビールを飲みながらタバコをふかしていたところ、友人たちと「つぎ、どこ行こうか?」という話題になった。

この時期、日本ではちょうどゴールデンウイークの真っ只中とあって、日本から友人たちが遊びに来ている。今晩のメンバーは、日本人4+タイ人1。外国人向けの Go Go Bar(ゴーゴーバー)Coffee Shop(コーヒーショップ) では、タイ人立ち入り禁止としている店が多いため、スティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)にある歓楽街へと向かった。

スティサーンウィニッヂャイ(スティサン)6でタクシーから降りると仰天した。ここには、外国人向けの歓楽街があるパッポング通り(パッポン通り)スクンウィット通り(スクンビット通り)とは似ても似つかない怪しさがある。郊外にあるタイ式多層長屋(トゥックテオ)のようなところで、カラオケスナックや Go Go Bar(ゴーゴーバー) が営業している。こんな下町情緒あふれるイケてない民家で、どうやってオンナを楽しめと言うのか!?

興味本位でドアを開けて足を踏み入れると、奥行き7メートルの店内は薄気味悪かった。注意深く観察してみると、店内の老朽化がいかに深刻かわかる。ほかに客は誰もいなかった。ホステスたちの年齢は27~35歳で、これでは「廃屋の中でオバさんと酒を飲む」以外のなにものでもない。

タイ人男子学生は、「ここのオンナたち、ゼッタイにエイズだぜ? 気をつけた方が良いぞ」と忠告した。

一刻も早く店を出たいと学生に同意を求めると、「いま店を出たら、何が不満なのかと追求されて面倒になる。せめてあと1時間半は我慢してくれ」と言われ却下された。とうとう耐えられなくなり、ひとり店を出て、スティサーンウィニッヂャイ通り(スティサン通り)を散策した。ほかの店は、どこも華やかだった。

約30分後、酔いが醒めてきたところ、「あと、ほんの少しで店を出られるから待っててくれ」という電話が男子学生からあった。さらに30分後、ほかのメンバーたちと合流し、分担金を徴収された。ひとり500バーツで、内訳はホステス指名料200バーツと酒代300バーツ。最初の話では、ホステス30分あたり60バーツと言っていたのに、しかもホステスなんて選んでいないのに、指名料を200バーツもとるとは何事か?

みんな、ひどくグッタリしていた。誰もが「金返せ」と思っていたはず。

その後、スクンウィット(スクンビット)4のナーナーエンターテインメントプラザ(ナナプラザ)へ日本人2+タイ人1で出かけたが、さっきの店で受けたダメージが大きすぎ、午前2時の閉店前には帰宅した。

げに恐ろしきは、スティサンの妖怪。

2002年4月30日(火)

毎度のことながら、進級試験直前になると自分の勉強不足を後悔する。

これまで勉強漬けの日々を送ってきたが、初級3ではかなり手を抜いたため、誤答が急増し、語彙力の不足が深刻なレベルに達している。進級試験対策に万全を期すため、棚からプリントを取り出した・・・・・・が、けっきょく並び替えるだけで終わった。自分の優位性は、もはや発音の正確さしか残されていない。

さあ、あすは試験だ。