2002年3月1日(金)

「タイの誕生日パーティーでは、諸外国とは異なり、誕生日の人が参加者に振舞わなければならないというルールがある」と、先日、タイ語講師が話していた。

放課後、アルバイト中のエーンから携帯で呼び出され Siam Discovery Center へ行くと、きょうは(仕事仲間の)ヂョーイ20歳の誕生日で、エーンが午前中に用意した誕生日プレゼントと薔薇の花束を勤務先の酸素バー(オキシジェンバー)からバレれないように持ち出し、あとで渡してほしいと頼まれた。

プレゼント一式を持ち出すことには成功したが、スィースルット通り(ペッブリー18)の細い道を歩いていたところ、プレゼントもろとも水をかぶってしまった。雨樋の水の割には量が多いと思って振り返ってみると、民家の入り口で女児が右手にコップを持ったままの前傾姿勢で硬直していた。飲みかけの水だ。キタネー。

午後8時半、日本人の友人に薔薇の花びらを持たせ、 Siam Discovery Center の酸素バー(オキシジェンバー)へと向かった。ヂョーイは大喜びしていたが、すべてはエーンが仕組んだ演出なので、なんとも後ろ暗い気分になった。

午後9時の閉店後、MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)6階へ行ったところ、週末せいか順番待ちの列ができており、バースデーケーキを食べながら待った。ケーキのあまりの甘さに、日本人の友人は(タイで流行っている日本の)テレビチャンビオンで食べさせられたら、ゼッタイに3個目ぐらいで吐くだろうと話していた。ここのボウリング場は最新の設備を備え、ブラックライトでボウリングボールが光って見えるなど、先進国と比較しても引けをとらない。エーンはボーリング初体験だったが、なんと79点を弾き出した! あの超細い腕で、どうやってコントロールしているのか不思議でならない。1ゲーム目が終わったが時点でヂョーイの門限となり解散した。

ヂョーイの日給(9時間勤務)は200バーツ程度と少ないため、タイの風習を無視するかたちとなるが、やむを得ず全額出してあげた。それと、プレゼントに怪しい水がたっぷりかかってしまったことは内緒にしておいた。

2002年3月2日(土)

今週末の宿題は、「繰り返しタイ語ドリル」。まるで小学生用計算ドリルのような懐かしい響きだが、A4用紙で43ページもある。

昼すぎ、MBK マーブンクローングセンター(マーブンクロンセンター)に併設されている東急4階の日本料理店「田ごと」で昼食をとった。3階エスカレーターでヂョーイとすれ違い、世間のあまりの狭さに驚いた。

その後、 MBK の眼鏡屋でコンタクトレンズの洗浄液「オプティーフリー 355ml」(230バーツ)を購入。エーンが先月 Siam Center(サヤームセンター)で買ったときは166バーツだったから、店の選択を誤ったかも。

2002年3月3日(日)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催集中タイ語講座(インテンシブタイ)準拠の単語集を久々にアップデートし、初級1の全内容をカバーした。

タイ文字の読み方を習い終えたこの機会に初級1(1月2日~2月5日)の新出単語(約1200語)を見直してみたところ、さっぱり見当がつかないのが約1割、タイ語からなら意味は分かるが日本語からタイ語に訳せないのが約1割で、全体の記憶率は約8割だった。

午後8時、エーン帰宅。先月末(2月26日)の日記で紹介した The Pizza Company(ピザカンパニー) のハワイアンピザ(Mサイズ189バーツ)と Bread Sticks & Dipping sauce (29バーツ)をオンラインで注文した――つもりだったが、肝心のハワイアンピザを注文し忘れたため、コールセンターから確認の電話が入り、エーンが謝りながらピザを追加注文していた。

寝るまで単語の復習を続けた。

2002年3月4日(月)

きょうの授業は สำนวนไทย(サムヌワンタイ) (タイ語の慣用句)がテーマで、「まるで鼻の先のような近さ」、「まるでねじれるような空腹」、「まるですね毛すら落とさない( ขนหน้าแข้งไม่ร่วง = 大金を使ってもびくともしない)」など、先週金曜日の続編にあたる。

ここのところ単語の復習を満足にしてこなかったため、一時、授業に付いていけなくなった。いつの間にか覚えなければならない新出単語が山のように積み上がっており、そろそろ何とかしないと大変なことになる。単語の復習の重要性を痛感。

放課後、 MBK マーブンクローングセンター2階の美容室でストレートパーマ(1,100バーツ)をかけた。髪型がタイ人以上にタイ人的になった。カリアゲだけはマジで勘弁してほしい。

2002年3月5日(火)

ここ数日、単語帳作りに没頭している。きょうは製本して表紙まで付けた。

「この単語帳が完成すれば、今までの単語を余すことなく身につけることができる!」

―― という思惑があってのことだが、単語をコレクションしているだけのような気もする。芸術的なマイ教科書ができたとしても、これで成績が上がるとは限らない。一覧性を高めて効果的に暗記できるようにする試みだが、実際に利用しなければまったく意味がない。

クラスメイト達は授業中に配られたプリントを日本語に訳してノートにまとめているが、どれだけの効果があるんだろうか。日本の児童・生徒のあいだには「ノートにまとめる」という文化があり、一説によれば、「試験前にノートをまとめると、試験範囲を記憶できたものと錯覚できる」という。まったく同感だ。タイ語教育に詳しい講師が作成した「授業内容をまとめ」を独自にアレンジしても時間の無駄以外の何物でもなく、ほかにどんな意味があるのか。その時間を使って繰り返しプリントに目を通したほうがよっぽどためになると思う(そもそも、ノートにまとめられるようなレベルの文法事項は授業中に習得してしまうのが最も手っ取り早い)。

2002年3月6日(水)

きょう、エーンの期末試験があった。エーンは、数ヶ月前に家出したため自分で働かなければならず、タイ名門のタンマサート大学(タマサート大学)を退学して、ラームカムヘーング大学(ラムカムヘン大学)に編入している。試験の成績さえ良ければ授業に出席しなくても成績と単位が公平に与えられ、しかも授業料がタイのほかの大学と比較しても信じられないほど安いため、働きながら大学卒業を目指す人々が多く通っているという。

タイの大学生には制服の着用が義務付けられているが、ラームカムヘーング大学では試験日以外の制服着用が免除されているため、きょう初めてエーンの制服姿を見た。胸元に銀色の校章、ボディーラインくっきりのピチピチのブラウスに黒のショートスカートというデザイン。仕事仲間で幼馴染のヂョーイも同じ大学に通っており、テストのため珍しく二人同時に休みが取れたというので、日本人の友人も呼んでみんなで遊びに出かけた。

午後6時に MBK マーブンクローングセンター2階の すし金(Sushi King) でエーンの好物である寿司を食べた。ところがタイ資本の日本料理店の例に漏れず、本来の寿司とはかけ離れているメニューが並んでおり、味もサイアクだった。値段は1皿15バーツ~85バーツ。

食後、寿司が嫌いで、今月末に日本へ留学する弟を連れて別行動をしていたヂョーイと合流。6階ボーリング場で5人で遊んでからヂョーイとその弟が帰宅し、残った3人でカラオケ(2時間400バーツ/部屋)へ行った。タイ在住暦数年の日本人の友人とエーンが歌うのを聴きながら、必死に画面のタイ文字を追ったが、語学力不足のため満足に歌えなかった。右の写真は Loso のพันธ์ทิพย์(パンティップ) という曲。あすの放課後にパンティップでこの曲の海賊版カラオケ VCD を買って練習するつもり。午後11時半に帰宅し、勉強を始めた。

2002年3月7日(木)

午後、集中タイ語講座(インテンシブタイ)で使っている文学部ボーローンマラーチャグンマリー館7階の会議室がほかの会議で使われることになり、学部生たちが使っている3階の一般教室で授業を受けた。設備が案外まともなのに驚いた。

ここのところ、クラスメイトたちのタイ語上達とともに共通語が英語からタイ語へと変わり、英会話の必要性が減ったおかげで、西洋系外国人(ファラン)と話せる機会が増えている。放課後、外国人クラスメイト3人と話していたところ、 ボーリングへ行くことになった。MBK マーブンクローングセンター6階のボーリング場で午後6時ころまでプレイして、パンティッププラザへ直行しカラオケ VCD を購入。

帰宅後、同じアパートに住んでいる日本人のギィさんが大学院に合格したことを知り、ディスコ街 RCA Royal City Avenue 前のビアバーでエーンを含めた3人でささやかなパーティー。残念ながら、ほかの友人たちは一時帰国していたり、チェンマイに旅行していたりで呼び出せなかった。

2002年3月8日(金)

ここ数日、常夏であるはずのバンコクはまるで冬のように寒い。厚い雲が、ただでさえ大気汚染の影響で霞んでいる空を覆い、あの灼熱の太陽光を完全にふさいでいる。

―― とは言っても、バンコク人の「冬のように寒い」なんて、せいぜい「半袖の T シャツ1枚では少し肌寒く感じる」という程度のものでしかないが、それでもこうも悪天候が続くと気分まで滅入ってくる。

バンコクに住んでいれば、毎日のように日本にない珍しいもの出会うことができ、日本で売っているものだってほとんど手に入るが、それでも「日本と完全に同一のもの」となるとなかなかそうもいかない。

たとえば、日本料理屋でリフレッシュのために日本気分を堪能するにしても、出発の段階から失敗が目に見えている。

アパートを出て無数の野良犬が昼寝している歩道を歩き、バス停と呼ばれているが乗車待ちの列もない人々が群がっているだけのエリアでバスを待つ。まだ走行中のバスが安っぽい乗降扉を「ドカン」と乱暴に開いたら、スポーツ感覚で飛び乗って、空いている席を探す。しばらくすると、女性車掌がまだ駅改札口に自動改札が導入されていなかった時代の駅員のように「バチバチ」と円筒形の料金回収箱を鳴らしながらやってくるので運賃を支払い、まるで戦前にタイムスリップしたかのような藁半紙の切符を受け取る。ひどい舗装の道で乱暴な車線変更を繰り返すジェットコースターのような車内から外の風景を眺め、目的地が見えたら車内に数箇所しかない降車ボタンを押して転ばないように出口まで慎重に移動する。乗降扉は走行中に突然開くので、道路の端を猛スピードで走るバイクに十分注意ながら飛び降りる。

日本料理店に到着しても、そこで待ち受けているのは “สวัสดีค่า(サワッディーカ~)” と可愛いが気の抜けるような歓迎の挨拶。ここで無料の熱い緑茶を注文しないとボッタクリ価格の飲料水代を請求されるため、タイ人店員が誤解しないように ชาร้อน(チャーローン) と確実に発音しなければならない。やっとのことで日本食にありつけたとヌカ喜びするが、それでも約半分の確率で日本料理とは似ても似つかない日本風料理エックスを前に暗澹たる気分になる。

―― というわけで、日本が恋しい。どうせ日本に帰ったら、便利で娯楽が溢れているパラダイス、バンコクに戻りたくなるのは目に見えているが、それでも3ヶ月に1回ぐらいは文化的で秩序正しい日本の空の下で暮らしたい。

エーンが帰宅した時、ちょうどパソコンに向かって呆然としているところだった。「どうしちゃったの?」と訊かれ、「なんだか頭がボーとして何もやる気が起こらないんだ」と答えると、エーンは「チョコレートを食べれば直るよ。買ってきてあげるっ!」と言って、日給(230バーツ)をまるまる使って食べきれないほど大量のお菓子(230バーツ)を買ってきてくれた。こういうときに親身になって心配してくれるのはとてもありがたい。

きょうでバンコクに来てから4ヶ月が経った。

2002年3月9日(土)

昨晩、何の脈略もなく、小学校時代の通学路上にある公団住宅前の交差点で、高校の校歌をクラスメイト全員と合唱する夢を見た。ホームシックの影響がついに夢にまで出てきたか。気晴らしに酒を飲みに行こうか迷ったが、結局何もしないまま一日を終えた。

2002年3月10日(日)

放課後、中学時代からの友人がサートーンターイ通り(南サトーン通り)にある高級ホテル Banyan Tree Bangkok 55階の会員ルームに滞在していると聞いて、バンコク都内の景色を一望するために訪問した。53階の上級客室宿泊者用ラウンジで無料のビールを飲みながら談笑。

日没後、別の日本人の友人がソーイカウボーイ(ソイカウボーイ)にいると聞きつけて合流。気晴らしにパァ~っと遊びに行きたかったところだったから、ちょうどよかった。ソーイカウボーイのビアバーと Go Go Bar 、ナーナー(ナナ)の Go Go Bar を梯子し、スクンウィット15(スクンビット15)のルワムヂットホテル地階にある売春婦が集うバーへ。閉店後、ペッブリータットマイ通り(ニューペッブリー通り)にあるサヤームホテル(サイアムホテル)の売春婦が集うバーへ。・・・・・・というコースの割には、まったくタイ語の勉強にならなかった。とりあえず酒を飲んで満足したというところ。

2002年3月11日(月)

夕食後、いつもの「ゴールデンコース」へ友人たちと出かけた。平日から性風俗施設を徘徊するのはオヤジっぽくていけないが、どうせ同じ値段で酒が飲めるなら、タイ語の復習をかねて売春婦をからかい、現在の習熟度も確認できる冷房が効いている店のほうが楽しめる。この一挙両得の巡回ルートを友人たちはゴールデンコースと呼んでいる。

午前2時ころ、ゴールデンコースの終着地点であるホテル「サヤーム(サイアム)」に到着。フリーの売春婦と住居の話題になった。

「どこに住んでるの?」

「ラッチャダーピーセーク」

「もしかして、ソイ1のロータス裏にあるミーチャイマンション?」

「えっ? ・・・・・・なんで?」

「そこって、こういうとこで働いてる人がたくさん住んでるし、ラッチャダーピーセーク通りにこれほど大きなマンションなんて他にないし。 あのアパートには確か……スペシャルなものがあったよね? 1泊500バーツの中華系アパートでしょ」

「うん。・・・・・・そうだけど、何で知ってるの~? 1泊500バーツ、1ヶ月4500バーツ。ホントまいったなあ」

と言いながらも、すんなりアパートのカードキーを見せてくれた。名刺もゲット。

華人資本の巨大アパート「ミーチャイマンション」は、ソープランドや麻薬ディスコが立ち並ぶラッチャダーピセーク通り(ラチャダー)とアソーク・ディンデーング通りの交差点付近にある。バンコクを代表する風俗街に近く、麻薬(ヤーバー, 1錠99バーツ)が比較的容易に調達できるため、麻薬を買うために働いている売春婦やオカマ、インド人麻薬常用者など特殊な住民たちが集住している。ヘビーな麻薬常用者は、1日につき7錠、日本円にして2100円分程度を摂取しており、アパートの警備員や麻薬の売人たちをも巻き込んで、とにかく異常としか表現できないような日常を送っている。宿泊代金は1泊500バーツ、1ヶ月4500バーツ。

มีชัยแมนชั่น
ミーチャイメーンチャン, ミーチャイマンション
522/163 ซอยสรางค์ ถ.อโศก-ดินแดง เขคดินแดง กรุงเทพฯ 10320
522/163 ソーイサラーング, タノンアソーク・ディンデーング, ケート・ディンデーング, グルングテープ
0-2248-7580

「とりあえず、1晩2000バーツだけどどう?」

「ここの相場って、2時間1500バーツでしょ? スクンウィット15が1000バーツ」

と切り返しておきながらも、結局は宿題を理由に帰宅した。ただでさえ、こんなことに金を使うことに抵抗あるのに、麻薬中毒患者のエイズ感染リスクなんてものが加わってるなんて、まったくシャレにならない。

途中、このホテルの前で客待ちをしている売春婦たちが一斉検挙されている様子が地上波ITVでライブ中継され、一時、店内の売春婦たちが総立ちになって警戒態勢に入るハプニングになったが、落ち着いてきた頃に説明を求めたところ、

「ああ、外で客待ちしている子もけっこういるみたい。お店の中に入るとビールとかを頼まなくちゃいけないから、金の無駄だしぃ・・・・・・。でも、このホテルの中には警察が入って来ないから、ここのビールがセブンイレブンよりも高くても、私たちはここに来ているの」

と教えてくれた。このホテル、なかなかイイ商売をしているじゃないか。

【追記】冒頭にご紹介したアパートには警察が頻繁に踏み込んでいます。麻薬密売人たちは、自分で麻薬を売っていながらも、密告報奨金ほしさに警察に通報することがあります。特に外国人は問題解決能力が低く復習の心配もないため格好の標的にされるでしょう。売春婦たちは裏の世界の人々と太いコネクションがあり、もし敵に回すと武器(青龍刀や拳銃等)を突きつけられるかもしれません。日本人が頻繁に逮捕されているようです。

2002年3月12日(火)

帰宅後、満足するまで昼寝して、連日の睡眠不足を解消した。初級2になってから授業の進度が極端に遅くなり、しかもクラストップをぶっちぎっているため危機感も皆無なため、全然まともに勉強していない。ライバルの必要性を感じている。

2002年3月13日(水)

放課後、 MBK マーブンクローングセンターで珍しく仕事も大学もないエーンと合流してピザを食べ、 Siam Discovery Center 6階にあるエーンのバイト先 Oxygen Bar(酸素バー) でヂョーイに会った。

ヂョーイによると、北野武監督が制作に参加した映画「バトルロワイアル」(2000年)がようやくタイに上陸し、 Siam Discovery Center 6階映画館ではタイ語吹替版が、向かいのリドー2では日本語音声タイ語字幕のバージョンが公開されているという。リドー2の日本語音声タイ語字幕のほうを勧められた。

サヤームスクウェア(サイヤムスクウェア)にある映画館「リドー2」は、まるで地方の映画館のように寂れており、施設もかなり老朽化が目立つ。入場料は Siam Discovery Center (120バーツ)より約16%安い100バーツちょうど。

エーンのリクエストにより、炭酸赤ワイン SPY とツマミを買って帰宅。タイではアルコール飲料が日本の清涼飲料より安く売っており、気軽に飲める(Heineken(ハイネケン) でも38バーツ)。でも、こうも頻繁に飲んでいると太ってしまいそうだ。

2002年3月14日(木)

放課後、 WTC World Trade Center(ワールドトレードセンター) 6階の日本料理店 ZEN で Heineken(ハイネケン) の大瓶をそれぞれ1本ずつ注文し、クラスメイトと語り合った。このクラスメイトによると、ぜんぶで7人いる男性クラスメイトのうち2人が同性愛者で、ひとりはタイ人のオトコを囲っており、もうひとりは同胞の男性年長者に囲われているという。

バンコクと聞いて真っ先にセックスツーリズムを連想する日本人も少なくないが、実際そういう街なのだから仕方ない。友人たちの娯楽も専ら売春婦をからかうことに終始している。だからバンコクのオススメについて聞かれるたびに当惑する。「性風俗を除くと、バンコクの良い点は物価の安さしかありません。タクシーを乗り回すなどして擬似 VIP 体験を満喫してください」としか答えられない。

都市部の娯楽: 性風俗関連(一般人向け/同性愛者向け), 覚醒剤, 麻薬, 寺院・遺跡めぐり

郊外の娯楽:ビーチリゾート, ゴルフ, 性風俗関連, 覚醒剤, 麻薬

バンコクにはまともな若者向けの娯楽なんて何ひとつない。そういえば、真向かいにあるラーチャテーウィーアパートメントは深夜になると賑わい、人の出入りも激しくなる。ああ、クスリの予感。

2002年3月15日(金)

外国人クラスメイトとはよく遊びに出かけているが、日本人クラスメイトとはあまり気が合わず放課後に会うことも少ない。ところがきょうは珍しくクラスメイト全員(1名除く)でボーリングに出かけ、高架電車 BTS サヤーム駅(サイアム駅) 前のタイスキ屋 COCA で夕食をとった。これまでタイ料理は何を食べてもダメだったが、文学部食堂のマズい飯に慣されてきたせいかとても美味しく感じた。人間、思っている以上に適応力あるのかも。

食後、ソーイ・カウボーイ(ソイカウボーイ)Go Go Bar(ゴーゴーバー) で酒を飲んだ。女の子が女性クラスメイトに「わたし女もイケるわよ」とボディーランゲージでアピールしているのを見て・・・・・・唖然としたが、それでも多彩な表現力には感心した。こんな表現もあったのか!?

この1週間、水曜日を除いて毎日のように酒を飲んでいる。クラスメイトからは「今週太ってるよ」と指摘された。最近の日記にタイ語学習ネタが登場しないのは、それだけ無関心になっている証拠。週末は進級試験に向けてしっかり勉強したい。

今晩の外出の件でエーンが不貞腐れてひとりカオサンへ飲みに出かけ、午前3時帰宅。誰と飲んだのかまでは詮索していないが、「カミカゼ」というカクテルに相当やられたらしい。

2002年3月16日(土)

夜更かし続きの一週間だったため寝溜めした。昼過ぎに起床。夜、宅配ピザをとる。特に変わったこともない平凡な一日。進級試験は案外簡単そうで危機感が持てず、対策もしていない。

2002年3月17日(日)

エーンが転職を考えている。いまの Oxygen Bar(酸素バー) (Siam Discovery Center, 月給6,000バーツ)を辞めて、スクンウィット1(スクンビット1)でバーテンダー(月給15,000バーツ)の仕事に就きたいという。そこはロシア人売春が多いことで知られる一帯なので、エーンが売春に手を染めてしまうのではないかと心配でならない。それにしても、バンコクに住んでいると価値観が徐々に狂ってくる。売春が何の変哲もない普通の職業のように聞こえてくるから不思議だ。

昼すぎ、WTC World Trade Center(ワールドトレードセンター) 伊勢丹5階のスーパーで、しゃぶしゃぶ用牛肉(6キレ100バーツ)、しゃぶしゃぶのタレ(250ml, 170バーツ)、鰻の蒲焼き(150バーツ)等を購入。肉よりタレのほうが高いのは納得いかない。

2002年3月18日(月)

ヂュラーロンゴーン大学(チュラロンコーン大学)文学部主催集中タイ語講座(インテンシブタイ)初級2進級試験。クラスメイトたちは「タイ文字の音読」が難しかったと話している。あるクラスメイトは、講師の制止を振り切って途中で読むのをあきらめてしまい、初級3への進級をとても心配している。慣れればパッと見るだけで発音できるらしいが、タイ文字は最大6個のパーツでひとつの音を表現するため、不慣れな僕たちは頭をフルに回転させ、ひとつひとつの要素を分解して音読しなければならない。僕自身も食堂のおばちゃんの息子が近くを行ったり来たりしているのに気をとられ、ついつい適当に読み流してしまった。これでは高得点は期待できない。試験内容と配点はつぎのとおり。

タイ語聞き取り&書き取り(配点63)
タイ文字発音整合化(配点10)
与えられた語句を用いての作文(配点20)
語句の並び替え(配点20)
6行程度の文章読解(配点20)
25行程度のタイ文字音読(配点20)

合格最低ライン: 正答率60%以上(153点満点中92点)

午後7時、高架電車 BTS プローンポング駅(プロンポン駅) でクラスメイトたちと再合流し、スクンウィット39(スクンビット39)にあるイタリア料理店 L’Opera(オペラ) で夕食をとった。味は超ウマ、たくさん飲んでひとり1,075バーツ。タイの物価を考えればべらぼうに高いが、たったの3,000円でこんなにたくさんの美味しいイタリア料理が食べられたと思えば割安感すらある。客層は日本人と西洋系外国人(ファラン)が半々程度。昼のランチなら250バーツで楽しめるという。

食後、スクンウィット29(スクンビット29)Bobby’s Arms(ボビーズアームズ) というイギリス人クラスメイト行きつけのクラブで酒を飲んだ。女性従業員が隣に来て談笑する西洋系外国人(ファラン)向けの店だが、女性クラスメイトも一緒だったため、女性従業員はからかいに来る程度だった。

最後にソーイ・カウボーイ(ソイカウボーイ)の Go Go Bar でノーパンしゃぶしゃぶ状態を満喫する(なんと下品な表現なんだ!)。

「この店には特別な嗜好が凝らされている」

ドイツ人クラスメイトがニコニコ顔でそう言っていたが、別に麻薬が売っているわけでもなく、特別な嗜好なんてどこを探しても見つからない。トイレの小便器に置かれている巨大な氷のことでも言ってんのだろうか。席に戻ると、ドイツ人クラスメイトが天井を指差した。何かと思えば、制服を着ている踊り子たちだった。1階部分の天井がガラス張りになっており――スカートの「中身」が見える。近くにいる店員を呼んで聞いてみると「下着をはいている人もはいていない人もいる」という。間近で観察するため、別のクラスメイトと2階へ移動。隠し部屋へと通じる扉があって、1階に警察が踏み込んでくると同時に身を隠せるようになっている。暇そうにしている店員たちと他愛もない話をしていると、取締りの対象になっている裸踊りがはじまっていた。流暢なタイ語は、このような場面でも威力を発揮する。

――とはいえ、タイ語を勉強している留学生の日記が、どんどん風俗街めぐりの日記へと性格を変えているような気がしてならない。タイ語会話力を向上できずエイズ感染リスクも高いソープランドの話題にならないことは約束できるが、何を隠そうこれが日常なのだから仕方ない。

午前3時、エーン帰宅。幼馴染の海軍将校とカーオサーン(カオサン)で飲んでいたという。律儀なのかふてぶてしいだけなのか分からないが、部屋の前まで送ってこなくてもよいものを。

2002年3月19日(火)

午後3時起床。昨晩、夜が明けるまで日記を書き、エーンの看病をしていたせいで寝坊してしまった。世にゆう「大学生のグータラ生活」である。でも、休み中のことだし、まあいいだろう。

午後9時10分、タイ航空633便で中学・高校時代の友人がドーンムアング空港(ドンムアン空港)に到着。ホテル First(ファースト) にチェックイン。きょうから6日間の日程で滞在する。ペッブリー通りの屋台でグワイッティアオ(クイッティオ)を食べて帰宅。

昨晩のエーンの泥酔の件、午前零時まではヂョーイも一緒にいたという。

2002年3月20日(水)

「タイ人を信用するべからず。タイ人を見たらみんな嘘つきの泥棒と思え」

―― この言葉を最初に言ったのはタイ民俗の研究者なのか、それとも痛い目にあった買春オヤジなのか?

もしこの主張が不特定多数の日本人に向けて発せられている警鐘であるのなら、おおむね賛成できる。売春婦は日々の麻薬のこと(特別な容器を使ってヤーバーをブクブク吸引すること)しか考えていないし、タクシーやトゥクトゥクの運転手は外国人観光客を騙してあの手この手のセコい手で少しでも多くの金を払わせようとする。外国人観光客の場合、タイ人と交流する機会は非常に限られており、このような手合いとしか関わることができないのは紛れもない事実であり、冒頭にあるような錯覚に陥ったとしても不思議ではない。

夜、日本から遊びに来ている友人にバンコク市内の名所を紹介してまわった。ひとつひとつの名所について詳しく書いてしまうと何行あっても足りないので、夜の街でタイ人女性から声をかけられた件について書きたい。

午前3時頃、スクンウィット15(スクンビット15)にある売春婦が集うバー「トァーメー(テルメ)」前の歩道をふらついていたところ、タイ人女性が「こんにちは~」と日本語で話しかけてきた。下記は本人の自己紹介の要約。

1. チュラロンコーン大学に通っている。
2. 大学1年生、18歳である。
3. 大学で日本語を勉強している(チュラロンコーン大学文学部の日本語学科の学生)。
4. この一帯(閉店後に売春婦が場外戦を繰り広げる屋台街)には始めてきた。
5. ここのバミー(タイ式ラーメン)が美味しいと聞いて30歳の友人と一緒に来たがはぐれた。
6. どの屋台が美味しいか分からないため、まだ夕食をとっておらず空腹である。
7. 国民 ID (タイ人には携帯が義務付けられており、売春婦がホテルに入るためには必要)は部屋においてある。
8. もし方向が一緒なら、途中までタクシーに乗せてもらいたい。
9. ところで売春婦が多いみたいだけど、相場はいくらぐらいなの?

ちょっとした追加イベントがほしいと思っていたため、まさに渡りに船。彼女の正体はともかく、とりあえずペッブリー7にあるアパートまで送っていった。到着後、ちょっと寄っていかないかと誘われ、タイ人のお宅訪問もかねて友人のために了承した。アパートの概要はつぎのとおり。

Ⅰ. 警備員3人による終日警備
Ⅱ. カードキーによるオートロックシステム
Ⅲ. 家賃5,500バーツ
Ⅳ. 6畳程度の部屋
Ⅴ. 新型冷房機, 化粧台, ダブルベッド, テレビ台標準装備
Ⅵ. 個人の所有物1: ソニー製25インチ型フラットテレビ(推定22,000バーツ)
Ⅶ. 個人の所有物2:ミニコンポ(推定7,000バーツ)
Ⅷ. チュラロンコーン大学への通学便利圏内

さらに最初の自己紹介では知りえなかった情報がつぎつぎと明らかになった。

10. 両親は自動車運転中のアクシデントで死亡している。
11. 母は以前、埼玉県で仕事をしていたことがある。
12. 親からの支援がないため、慢性的な金穴で苦しんでいる。
13. ラーチャテーウィーアパートメント(ペッブリー18)に住んでいたことがある。
14. 実は20歳である。

さらに下記の証拠品を示した。

15. チュラロンコーン大学の女子制服(胸の校章はないがボタンは大学指定のもの)
16. キャンパス内で撮影した自分の写真(制服着用, キャンパスのどのあたりかは不明)
17. アサンプション大学の友人から借りている教科書
18. ビジネススクールの教本とノート

日本語能力そのものはチュラロンコーン大学日本語学科1年生終了時の標準的なレベルを満たしているが、会話中にその記憶力の悪さに何度か驚かされ、また不審な点がいくつもある。

A. 親の仕送りなしに、フルタイムの大学生アルバイトの月給に匹敵する家賃を工面できるとは考えにくい
B. 親の仕送りがなくアルバイトもせずに、大学の授業料を支払えるとは考えにくい
C. なのに電化製品の装備が標準的なタイ人のものよりも遙かに高級
D. チュラの学生にしては、英語の語学力が貧弱(タイ人売春婦の標準よりは高い)

考えられる可能性はつぎのとおり。

イ. 過去にチュラロンコーン大学の学生だったことがあるが現在は売春をしている(30%)
ロ. チュラロンコン大学の制服は趣味、教本は商売道具であり、日本語は母または日本人男性から習った。単なる売春婦(20%)
ハ. チュラロンコーン大学の学生で、両親は健在であり売春もしている(20%)
ニ. チュラロンコーン大学の学生で、両親も健在であり、本当に売春していない(20%)
ホ. チュラロンコーン大学の学生で、両親は死亡しており売春もしている(10%)

内容が矛盾しすぎており結論が出せない。あすのアポは取ってあるので確認したい。でも、彼女が言っていること全てが事実であるとはまず考えられない。

みなさんは、どう思われますか?

2002年3月21日(木)

日本から遊びに来ている友人からマッサージパーラーのサービスを利用したいとのリクエストがあり、タイ在住約1年の友人に電話で相談したところ、ラッチャダーピセーク通り(ラチャダーピセーク通り)マッサージパーラー(ソープランド) Poseidon Entertainment Complex を勧められた。

ソープランド Poseidon(ポセイドン) の概観はまるでホテルやオフィスビルのように壮麗だ。店内はさらに豪華荘厳を極め、自動ドアが開くと同時に受付嬢による丁寧な案内がはじまる。1階ロビーで手荷物をロッカーに預け階段をのぼると、2階には噂どおりガラス張りの赤い「ひな壇」があり、強烈なライトを浴びながら座っている何人ものキャミソール姿の泡姫たちが見える。友人によると、封建時代の中国皇帝たちはこのような部屋で毎晩のように夜の友を選んでいたという(ホントかよ?)。

いきなり「ひな壇」の内側を指差して相手を選ぶのも気が引けたため、とりあえずソファー席でビールを飲みながら友人の相手を選ぶ。しばらくするとタキシード姿の男性店員が近づいてきて、「下の段の一番左の女の子は日本語が使えるだけでなく、性格もよく、サービスも最高でございます」と薦められ、友人はその助言どおりに指名して、僕の知らない道の空間へと消えていった。

ソファースペースにはふたりのウエイトレスがいた。ひとりは自称アサンプション大学(アッサムチャン大学の)の大学生で19歳、もうひとりは自称16歳の現役高校生。

เคยมาเที่ยวอาบน้ำมั้ย?(クーイマーティアオアープナームマイ)
「シャワー浴びに遊びに来たことある?」(直訳)

ウエイトレスたちと話して暇をつぶしていると、奇妙な質問をされた。シャワーはたいてい自室で済ませるし、そもそもシャワーを浴びる行為そのものは「遊び」ではないはずなのに、どうしてこんな質問をしてくるんだろう。しばらく質問の意味について考えてみる。日本語に訳すときにはタイ語の「遊びに」は省くはずだから、「シャワーに来たことある?」が質問の意図。「来る」と言ってるから、場所はたぶんこの店だろう。でも、この店はシャワーを浴びる店ではなくセックスをするための店であるはず。ああ、なるほど。このウエイトレスは、「ソープランドの湯船とベッドで性的なサービスを受けたことがある?」と聞いているのか。

自称16歳のウエイトレスは、ソファーの肘掛にあごを乗せながら、「ここにいるのは、み~~んな18歳から21歳までの若い子だけだよ。年増オンナなんていらないもんね~♪ 年とったら、すぐにポイしちゃってるから~☆」と言いたい放題。性的サービスの料金(2時間)は、ひな壇に並んでいる女の子が1,900バーツ、客席にいる女の子が2,400バーツ。ウエイトレスによると、上の階も似たようなひな壇があり、3,400バーツ~6,400バーツと割高らしい。タキシード姿の高齢の従業員は、「この階の女の子は上の階より安いですがサービスは最高でございます。上の階のほうが美人ですがサービスの質は劣ります」と話していた。

チップの金額についても聞いてみた。

「あんまりちゃんとお話しできなかったり、サービスに不満があったらあげなくてもいいけど、満足できたら最低100バーツのチップはちゃんと渡さなきゃね☆」

―― 1,000バーツとか渡してもイイの?

「もちろん。3,000バーツとか渡しちゃうお客さんもけっこういるみたい。すごいよね~☆ でも、やっぱり200~300バーツってゆうのが一番多いかな? だけど、100バーツでも全然大丈夫だよ♪」

なんというか、ウエイトレスたちのテンションがメチャメチャ高くて驚いた。

日本人観光客を連れてきたということもあって、友人が戻ってくるまでの時間を比較的快適なな接客を受けて過ごすことができた。ちなみに、ウエイトレスの女の子とは入浴できないという(笑)

2002年3月22日(金)

バンコクでは日本酒が日本国内の1.5~3倍程度の価格で売られており、値札を見たとたんに購買意欲が吹き飛んでしまう。そのため日本からの輸入品を買うこと自体ほとんどないが、はじめて日本人の心とも言うべき日本酒「白鶴まる」(900mlで450バーツ)を伊勢丹5階のスーパーで購入し、しゃぶしゃぶとともにバンコク滞在中の友人やエーンを交えて日本の味を堪能した。

2002年3月23日(土)

このウェブサイトに新システムを導入すべく、バンコク滞在中の友人がプログラムの開発に着手。それを隣で眺め話をしているだけだったが、コンピュータプログラムがどんなに便利かを痛感し、その作り方も少しだけ勉強できた。

ヂョーイは、僕が目を覚ます前にペッブリー18のアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) 644号室へエーンを迎えに来た。仕事が終わるとエーンと一緒に戻ってきて、僕が寝るまでずっとこの部屋にいた。あすから2年間、高校生の弟がオーストラリアへ留学するという。

2002年3月24日(日)

夜になって、気象情報とタイ農民銀行の為替情報を自動的に更新して表示させるシステムが完成。以前から自力で挑戦していたが力及ばず、今回バンコク滞在中の友人に開発してもらった。

その後、スクンウィット39(スクンビット39)にあるイタリア料理店 L’Opera(オペラ) で夕食をとり(ひとり1,250バーツ)、ンガームドゥープリー通りにあるホテル「マレーシア」でタイマッサージ(1時間150バーツ)を受ける。マッサージ師にタクシーで帰りたいからチップを弾んでほしいと頼まれるが、あまりの図々しさに辟易して「はぁ?聞こえないなあ?」とかわす。40バーツの割引券がないとかで、会計時に40バーツ返金された。1時間110バーツならかなりお得だ!

マッサージを終えてペッブリー18にあるアパート Venezia Residence(ヴェネチアレジデンス) へと戻ってきたときには、すでに空港で友人の搭乗手続きを済ませていなければならない時間となっていた。大急ぎでタクシーの後部座席に乗り込み、「空港まで!最高に急いでくださいっ!もちろん、有料道路も使って!」と言ったが ―― アヌサーワリーチャイサモンラプーム戦勝記念塔付近で踏切工事にともなう渋滞に巻き込まれ、けっきょくドーンムアング空港(ドンムアン空港)に到着したのは出発時刻の50分前だった。まさか出発50分前でも搭乗手続ができるとは思っていなかったので、「いやあ、50%くらいの確率で飛行機に乗れなかったと思ってたよ」と正直な感想を口にした途端、あまりの無責任さを責める突き刺さるような視線で睨み付けられた。

2002年3月26日(火)

疾風怒濤の短い休暇が終わり、集中タイ語講座(インテンシブタイ)の初級3がはじまった。

きょうから日本人1とドイツ人1があらたに加わり、合計9人(日本人5、ドイツ人2、シンガポール人1、イギリス人1)のクラスになった。新メンバーのタイ語力は、初級2から加わったイギリス人同様かなりのものだ。経験豊富な編入組の面々に、初級1開講当初からの学生たちがあっさり追い抜かれていく。授業で用いられる言語もタイ語が99%以上を占め、これまで十分な復習をしてこなかった学生たちは深刻な語彙力不足のため解説を聞き取れず、授業にもついてこられなくなっている。

授業の冒頭、タイ語講師はこんなことを話していた。

「このインテンシブタイプログラム(集中タイ語コース)は、タイ語で書かれた学術論文を理解するために必要なタイ語能力を養うものです。日本人のみなさんが大好きなポーホック(小学校6年生程度のタイ語能力検定試験)の合格を目的とはしておりません。それでも、初級3が終わる頃にはポーホックに必要な程度のタイ語能力は身に付いていることでしょう」

つづいて初級2進級試験の答案が返却された。153点満点中144点。正答率94.11%でなんとかクラス首位を守り抜いたが、もう少し頑張らないといつ落ちこぼれに転落してもおかしくない。さあ、がんばろう!

2002年3月27日(水)

放課後、トリアムウドムスックサー中等学校前から路線バスに乗って MBK を通過しようとしようとしているとき、高校時代の友人から電話があった。

「いま Royal Orchid Sheraton(ロイヤルオーキッドシェラトン) に泊まってるんだけど、午後7時までタダ飯とタダ酒があるから来ない?」

高架電車 BTS ラーチャテーウィー駅(ラチャテウィー駅)前でバスを降り、パヤータイ通り(パヤタイ通り)に左手を斜め下に出す(タイ式のタクシーの呼び止め方)。ところがこの夕方の時間帯、都心部の渋滞を嫌う運転手はなかなか首を縦に振らない。やむなく冷房がないため暑く、しかも決して安くもない三輪バイクタクシー(トゥクトゥク)(80バーツ)で、バンコクの排気ガス地獄を味わいながらタークスィン橋(タクシン橋)ちかくの ホテル Royal Orchid Sheraton(ロイヤルオーキッドシェラトン)へと向かった。

このタダ飯タダ酒は上級客室の宿泊客向けのサービスだが、ホテル従業員に宿泊客ではないことがバレて飲食代金を請求された。 Kloster Beer(クロスタービール) 1杯に160バーツも払わされてはかなわないから自分も宿泊客だと主張。友人の部屋にはダブルベッドひとつしかないが、事ここに至ってはもはや背に腹は代えられない(日本以外のホテルでは人数ではなく部屋数単位で請求されるため、1人で泊まっても2人で泊まっても料金は変わらない)。

その後、スーパーマーケット Big-C(ビッグシー) ラーチャダムリ本店裏にあるタイスキ屋 TEXAS SUKI(テキサススキ) で夕食をとった。 COCA や MK SUKI に比べれば知名度が劣り、しかも鍋がとても安っぽく心配になったが、味は悪くなく料金も安かった。

2002年3月28日(木)

海外で生活するうえで今もっとも不便に感じるのは、日ごろから溜まっている鬱憤を価値観を等しくする相手に母国語でぶち撒けられないこと。エーンに中途半端なタイ語力で不満を並べたところでどうせ困らせるだけだろう。Go Go Bar へ行って、ビールを飲み怪しげなタイ語で踊り子をからかっても、どうせストレスの発散にしかならない。

バンコク在住の日本人は個性が強すぎるため、彼らと気が合わなければ日本にいるときとは比較にならない強烈なストレスを感じる。

そう。こうやって日記を読み返してみると、タイ留学開始以来、自分がこの一件にのみ腹を立てているのが分かる。いま、教室にある椅子一体型の机を特定の人物に向かって思いっきりぶん投げてやりたい気分だ。この問題さえなければ毎日楽しく勉強できるはず。あまりにもクダラナイ問題だが、そろそろ解決の糸口を模索しなければならないだろう。

2002年3月29日(金)

この時期のバンコクはとても暑い。バンコクは熱帯にあるため一年中暑いのだが、この時期は特に極め付けだ。日中の最高気温は37℃、体感気温は47℃にも達する。一日のうち屋外で活動するのは平日の場合、朝の通学10分、昼休みの40分、夕方の帰宅30分。たった80分間の屋外活動にもかかわらず、いつも部屋に戻るころにはグッタリしている。

現在、節約生活を強いられている。一日あたり予算が500バーツしかないのに、先日友人がバンコクに来たときにその3倍の勢いで浪費し、しかも日本土産の日本語 DVD に10,000バーツ支払ったのがかなり響いている。

即席麺「マーマー」(4バーツ)を食べて昼寝した。このままでは太っていく一方だ。

思い返せば、日本でも夏はだらだら過ごすようなもの、のような気がする。

2002年3月30日(土)

午前10時45分、クラスメートからの電話で起床。きのうの予定では午後2時頃にクラスメイトがアパートまで迎えに来てくれることになっていたが、なんと午前11時ラーチャテーウィー駅(ラチャテウィー駅前)集合に変更になったという。とてもではないが15分では何もできない。やむなく午前11時15分集合に変更してもらい、いつもの半分の時間で身支度を整えた。それにしても、どうしてここまでしてクラスメイトのボーリング大会なんかに行かなきゃいけないんだ。

クラスメイト(男)は従兄弟でルームメイトの男性が運転するクルマで迎えに来た。高架電車 BTS ラーチャテーウィー駅(ラチャテウィー駅前)からパヤータイ通り(パヤタイ通り)を北上し、アヌサーワリーチャイサモンラプーム(アヌサワリー戦勝記念塔)前ロータリーで右折。ラーチャウィティー通り(ラチャウィティー通り)でドイツ人クラスメイトをピックアップ。そこから有料道路で北上し、ドーンムアング空港(ドンムアン空港)を通過する。

正午、Future Park(フューチャーパーク) ラングスィット(ランシット)向かいのショッピングモールに到着。ボーリングを2ゲームプレイしたところで腕の筋肉が悲鳴をあげリタイア。

そこで大会が終了するまであと9時間もあるという話を聞きつけ、西洋人クラスメイトが「それなら、きょうまでの新出単語をコンプリートできるね!」と言い、おもむろに集中タイ語講座(インテンシブタイ)のテキストを紙袋から取り出した。僕もそれに倣って単語の暗記に没頭した。「おかわり自由」のコーラをカウントできないほどおかわりした。いずれにせよ、バンコク中心部へ戻る方法が分からないため、イヤでもこの境遇を受け入れざるを得ない。

午後6時、クラスメイトが試合から抜け出しクラスメイトの従兄弟とともに戻ってきたため、自習用(?)テーブルでコンサートを眺めながら皆で夕食をとる。食後、彼らはボーリング大会の会場へと戻り、僕たちはふたたび単語の暗記に没頭。行動が制限されているとイヤでも勉強に精が入る。初級3開始以来、はじめて本格的な復習ができて、それなりに有意義な土曜日となった。

午後9時半、ようやく大会が終わった。アパート近くまで送ってもらえる約束になっていたが、とんどもないところで降ろされた。こんなことなら、最初からタクシーで帰ってくれば良かった。

2002年3月31日(日)

きのう単語をたっぷり覚えたため、とても勉強する気になれない。朝食はコーンフレーク、昼食と夕食はバミー(トムヤムクン味)の節約生活。午前零時、エーン帰宅。スィーロム通り(シーロム通り)の屋台に寄ってきたという。