2002年3月1日(金)

先日、授業で先生が「タイでは、誕生日の人が友人達を家に招いて料理を振る舞わなくてはならない。一般的な諸外国とは異なり、誕生日の人が皆におごらなくてはならないのだ」と言っていた。

きょうは、ジョーイ20歳の誕生日。学校帰りに携帯で仕事中のエーンから呼び出されて、サヤーム・ディスカウェリーセンターに寄った。「(エーンと一緒に働いている)ジョーイに秘密にしながら、無事に店からプレゼントと花を持ち出せ」というのが僕に与えられた任務だった。

無事にビルの外へプレゼント一式を持ち出すのには成功したけれども、徒歩で帰宅する途中にプレゼントもろともアクシデントに遭遇してしまった。

いきなり水をかぶってしまったのだ。

細い道を歩いていると、突然左にある家の入り口付近に人影が!――と、思った瞬間にはもう水をかぶっていた。タイでは一般家屋の雨樋の水を地中の排水管に排水するのではなく、1階天井付近から公共道路へボタボタと排水するのが一般的でその水は頻繁に浴びさせられているが、今かぶった水の量はその比ではない。明らかにおかしいと思って振り返ってみると、右手にコップを持った、前傾姿勢で硬直している幼い少女を発見した。

つまり、僕は飲みかけの水をかけられたということになる。キタネー

そのまま家に帰り、20時頃まで宿題をしてから、共通の友人の日本人と共にエーンとジョーイが働く店へと向かった。ちゃっかり、その友人にバラの花束を持たせて☆

20時半には店に到着。ジョーイはプレゼントに大喜びしていたけれども、全てはエーンが午前中の出勤前に買いそろえたものだ。(ごめんね)

店が閉まる21時までふたりを待って、MBK6階へ。週末とあって、ボーリングの待ち時間が30分、カラオケ(タイ語のみ)の待ち時間が1時間ということだったから、僕たちはボーリングを選んだ。待ち時間の間にジョーイのバースデーケーキをみんなで食べていたけれども、あまりの甘さにゲンナリ。友人の日本人と、これをテレビチャンピオンで3個くらい食わされたら絶対に吐くだろうと話していた。ここのボーリング場の設備はかなり先進国風!最新の設備にブラックライトの照明でボールが光って見える、少し前に日本で一世を風靡した、あのスタイルだ。1ゲームし終えたところでジョーイの門限になってしまい解散。

エーンは初めてのボーリングだと言っていたけれども、なんと79点をはじき出した!!あの超細い腕で、どうやって投げているのか不思議でたまらない。

そうそう、冒頭で書いた慣習にのっとり、グランド・パシフィックホテルの寿司・日本料理食べ放題(ひとり466バーツ)をジョーイにみんなでリクエストしたけれども、あっさりと却下されてしまった。

なお、彼女らの日給は9時間労働で200バーツ。それと、プレゼントにもたっぷりと水がかかってしまったことは内緒にしておいた。

2002年3月2日(土)

A4用紙43ページ。「くりかえしタイ語書き取りドリル」そのものだ。ドリルとは・・・懐かしすぎる。

息抜きにMBK隣の東急の日本料理屋「田ごと」に行く途中に、3階のエスカレーターでジョーイに遭遇した。あまりの世界の狭さにびっくり。

昨晩、コンタクトレンズの洗浄液が尽きてしまって、その場はエーンが同じアパートに住む日本人の友人に洗浄液を借りてしのいだけれども、ちゃんと予備がないといけないと思って洗浄液を購入。

オプティーフリー(355ml)。エーンがサヤームセンターの薬品ディカウント店で買ったものが166バーツ。僕がMBKの眼鏡屋で買ったのが230バーツだった。店はきちんと選ばないと。

2002年3月3日(日)

注意深くこのホームページを見てくれていて、タイ語に関心のある方はすでに気づいているだろうけれども、チュラロンコン大タイ語コースカリキュラム準拠の単語帳を久しぶりに更新した。更新内容は初級1第20回分まで(初級1の全内容)だ。タイ文字の読み方を習い終えて、やっとこの単語帳が僕にも使えるようになったから、20日前の分までさかのぼって記憶を確認してみた。

案外忘れている・・・という言い方もできるし、けっこう覚えているっていう印象もある。約1割が文字を見てもどんな単語なのだか全く見当が付かず、さらに残りの1割が日本語からだと連想できないといったカンジだ。記憶率8割。なお、初級1の約1ヶ月間に出てきた単語は約1200語だ。

――なんてことをしているうちに午後8時になってエーンが帰宅し、先月末の日記で紹介したピザカンパニーのピザのオンライン注文でハワイアンピザ(Mサイズ189バーツ)と、サイドメニューのBread Sticks & Dipping sauce(29バーツ)を注文・・・したつもりだったけれども、エーンが肝心のハワイアンピザを注文し忘れて、ピザカンパニーのサービスセンターから、

「マジでBread Sticks & Dipping sauceだけ?」

という確認の電話が入り、エーンが謝りながらピザを追加注文していた。

そして、寝るまで単語の復習を続ける。

2002年3月4日(月)

先週金曜日からの続きで、今日のテーマは สำนวนไทย (タイ語の慣用句)というものだった。

「まるで鼻の先のような近さ」

「まるでねじれるような空腹」

「まるですね毛すら落とさない( ขนหน้าแข้งไม่ร่วง・・・大金を使ってもびくともしない)」

とかいったものだ。気づいたら、もうこんなに単語が!?といったカンジ。一時、授業に付いていくことすら困難になって、単語の復習の重要さを痛感した。家に帰ったら単語の猛特訓だ!!とか思いつつも、美容室に行ってストレートパーマをかけてきてしまった。

MBK2階西側(パヤタイ通りの反対側)の美容室、ストレートパーマ900バーツ、カット・シャンプー・ブロー250バーツ、合計1100バーツ(あれっ?計算が合わない??)だった。安いっ!!

――髪型がタイ人風になった。まるで、髪型がタイ人以上にタイ人風だ。かりあげはマジ勘弁。

2002年3月5日(火)

ここ数日、単語帳を作ることに没頭している。今日は、製本して美しい表紙まで付けてしまった。

「この単語帳が完成すれば、今までの単語を余すことなく身につけることができる!」

――という思惑があってのことだけれども、どちらかというと単語コレクターの偏執という気もする。芸術的なマイ教科書ができたとしても、成績が上がるとは限らない。

クラスの友人達は授業中に配られたプリントを日本語に訳してノートにまとめることに努めているけれども、はっきりいってどれだけの効果があるものだろうか。いつ頃からか、日本の高校生の間に「ノートをまとめる」という文化ができあがっている。一説によれば、「試験前にノートをまとめると、試験範囲を記憶できたものと錯覚させる効果がある」ということらしい。僕はこの主張を強く支持している。わざわざ、タイ語教育に経験を持つ講師が作った「授業内容をまとめた紙」を独自にアレンジする必要などまったくない。そんな時間の無駄をするくらいなら、その時間を使ってプリントを繰り返し読んだ方がよっぽどためになるだろう。(そもそも、ノートにまとめるようなレベルの文法事項は授業中に習得するのが一番手っ取り早い)

一方、僕は単語帳作りに精を出している。単語の一覧性を高めて、いつでもどこでも単語を暗記できるようにという試みだけれども、この単語帳を利用して繰り返し勉強しなければ全くの無意味である。

さあ、単語の暗記を始めよう!

2002年3月6日(水)

きょうは、タイの名門国立タマサート大学を中退してラームカムヘン大学に編入したエーンにとっての、初のラームカムヘン大学期末試験日だった。彼女は数ヶ月前に家出して以来、タマサート大学の学費を払えなくなり、また仕事にも出なくてはならなくなったため、転校を余儀なくされたのだ。聞くところによれば、ラームカムヘン大学は出席しなくても期末試験の成績が良ければ、単位と成績が公平に与えられるということらしい。授業料も、他の大学と比べたら信じられないくらい安い!昼間に仕事をしなくてはならず、高額な学費を捻出できないタイ人の不遇な層にはもってこいの大学だ。(ただし、大学のレベルはタマサート大学とは比較にならないほど低い)

僕は初めてエーンの大学制服姿を見た。タイの大学生には制服があって、女子の制服は、上がボディーラインがはっきり分かるピチピチの白Yシャツ、胸には銀色の校章、下はOLがはくような黒のショートスカート。定期試験の時には制服の着用が義務づけられているとか。

きょうは、エーンの試験日であっただけではなく、幼なじみで仕事仲間のジョーイの試験日でもあった。二人にとっては珍しい、同時に仕事の休みを取れた日だったのだ。彼女らとしては、この機会に遊びに出かけない手はない。

午後6時にエーンと日本人の友人と共にMBKへ行き、2階の日本料理店「Sushi King(すし金)」でエーン好物の寿司を食べた。寿司の値段は1皿15バーツから85バーツ。メニューは滑稽を極め、味も日本の「オリジナルの寿司」からはかけ離れたひどいものだった。タイ資本の日本料理店、ことごとくがあまりにも不味すぎるぞっ!!

しばらくして、寿司嫌いのジョーイと合流。彼女は今月末に日本へ留学予定の弟を連れていた。5人でMBK6階のボーリング場へ。

img src=”http://www.diaryinbangkok.com/images/2002/20020306-3.jpg” width=”200″ height=”150″ align=”right” />ジョーイとその弟が帰ってから、3人でカラオケへ。タイ文字の速読に挑戦!!だけど、タイ語カラオケを歌うにはまだ僕の語学力が足りなかったようで、数年タイにいる日本人の友人とエーンが歌うのにあわせながら、必死になって画面の文字を読み上げていた。

右の写真はLOSOの「 พันธ์ทิพย์ パンティップ (パンティップ)」という曲。明日、学校帰りに電脳街パンティップに行って、この曲のコピー・カラオケVCDを買って練習しよう!

カラオケは一部屋400バーツ/2時間だった。帰宅したのは午後11時半。いまから、勉強しなくては!!

2002年3月7日(木)

午後から教室移動があった。普段、僕たち留学生が授業に使っている会議室が使えなくなってしまって、文学部の学部生達が使っている一般教室で授業を受けた。案外、設備がまともなのに驚き!!

ところで、英語が苦手の僕にも、ファラン(西洋系の人種)と話せる機会が増えてきた。クラスメートがタイ語を上達させていくにつれ、共通語が英語からタイ語に変わりつつあって、英語を話す必要がなくなってきたのだ!

そんなわけで、学校帰りにクラスの外国人3人と話していたら、MBK6階のいつものボーリング場へ遊びに行くことに。2日連続のボーリングだ。(そのうち2人は毎日通っているらしい)

午後6時頃に解散して、その足でパンティップへ。カラオケCDを買って帰宅した。

帰宅後、同じアパートに住んでいる日本人の友人、ギィさんが大学院に合格したということを知って、パーティーにくりだした。・・・といっても、ギィさんと僕とエーンの3人だけだったけれども、ディスコRCAの前にあるビアバーで飲むといったカンジのささやかなパーティーになってしまった。他の友人達は――帰国中だとか、チェンマイ旅行中とかで呼び出せなくて、なんだか応急処置的なお祝いになってしまった。

チェンマイ旅行中の友人が戻ってきたら、彼にグランドパシフィックホテル7階の寿司食べ放題(ひとり466バーツ)をおごってもらいつつ、パーティーを仕切り直そう☆

2002年3月8日(金)

ここ数日、まるで冬のように寒い。ただでさえ大気汚染で汚れきったバンコクの空を、さらに厚い雲が覆い、見慣れた真上から照りつけてくる熱帯の太陽とは無縁な日々が続いているのだ。

――と、いってもバンコクっ子が言う「冬のように寒い」とは、すなわち「半袖Tシャツ1枚では少し肌寒い」という程度の意味でしかないのだが。

こうも天気が悪いと気が滅入ってくる。ここバンコクでは、日本で手に入るものならだいたい入手可能だし、それどころか日本ではお目にかかれないような珍しいものまでたくさんあって、とても興味深いけれども、「日本と100%そっくり、まったく同一なもの」となると、なかなか見つからない。

たとえば、日本料理店に行くにしても、日本のようなパス停を示す表示の前の整然とした列に並ぶわけでもなく、犬が寝ころんでいるところに人が無秩序にたまっていて、そんなところでバスを待たなくてはならないという、出発の段階から模擬日本を味わうにはすでに困難になっている。

さらに、バスが来たら来たで、停車する前から安っぽい扉が「ドカン」と乱暴に開き、必ずしも完全に停車するとは限らないバスに、スポーツ感覚で飛び乗らなくてはならない。

バスに乗ったあとは、円筒形の料金回収箱を「バチバチ」と、まるで十年前の鉄道駅の改札駅員のようにならしながらやってくる女性車掌に運賃を払い、公立小学校で使っているようなわら半紙が正方形に切断されたような紙に支払額が印刷されている切符を受け取らなくてはならない。

そして、バスから降りるときには、ひどい舗装の道を乱暴に走るバス内に数カ所しか設置されていない「降車ボタン」を押すために、転ばないように慎重に出口まで移動し、走行中に突然開く扉から、側道を走るバイクにひかれないかを確認してから飛び降りる・・・。

やっとの思いで日本料理店についても、そこでは「 สวัสดีค่า (サワッディーカァ~)」という可愛らしいけれども、なんとも気が抜けるような挨拶を受け、バカ高い飲料代を取られないためにタイ語で「 ชาร้อน (チャー・ロォ~ン)」とタイ人店員に熱いお茶(無料)を誤解させることなく注文しなければならない。そして、やっとのことで日本食にありついても、それは50%確率で日本料理とは似てもにつかないような、見た目が日本料理風なだけの謎の料理Xエックスだったりする。

というわけで、日本が恋しい。日本に帰ったら、すぐにこの便利で娯楽であふれたパラダイス、バンコクに戻りたくなるのは目に見えているけれども、それでも3ヶ月に1日くらいは日本の文化的で、ありとあらゆる秩序が整然としている空気の中で生活したい。

エーンが帰宅した時に、僕がパソコンの前で呆然としていたのを見て「ケイイチぃ、どうしちゃったの?」と聞いてきた。そこで、「なんだか頭がボーとして何もやる気が起きないんだ」と答えたところ、「チョコレートを食べれば直るよ。買ってきてあげるっ!」と言われて、「何故だっ?」と思いつつも、彼女の言葉に甘えさせてもらった。買って帰ってきたお菓子=230バーツ。彼女は標準的なタイ人の日収の2倍の額を、僕のお菓子代に費やした。食べきれないような大量のお菓子群だ。

こういうときに親身に心配してくれる人がいるとは、とてもありがたい。

バンコクに来てから、きょうで4ヶ月が経った。

2002年3月9日(土)

ついに、ホームシックの影響が夢にまで出てきた。日本の住宅街にある公団住宅前の生活道路の交差点で、高校のクラス全員と高校の校歌を歌う夢だ。気晴らしに、酒でも飲みに行きたいと思ったのだが、結局何もしないで一日を終えた。

2002年3月10日(日)

中学以来の友人がバンコクに来ていて、バンヤンツリーホテルに泊まっていると聞き、さっそく訪ねてみた。サトーンタイ通りにある高級ホテルだ。彼が宿泊している55階の会員ルームから大バンコクを見下ろしたあと、53階の上級客室宿泊者用のラウンジで無料のビールを飲んで、つまみを食べながら談笑。

夜が更けてきてから、気晴らしに酒でも飲みに行こうと友人の日本人に電話を入れたところ、ソイ・カウボーイ(スクンウィット21近く)にいるという話を聞いてすぐに合流。ちょうど、気晴らしにパァ~っと遊びに行きたかったところだったから、ちょうどよかった。ソイ・カウボーイのバーで飲んだあと、ゴーゴーバーへ行き、ソイ・ナナのゴーゴーバーへ移動してから、スクンウィット・ソイ15にある売春婦が集うホテル地階のバーへ。そこが閉店してから、今度は新ペッブリー通りにある売春婦が集うサヤームホテルのバーへ。・・・というコースをたどった割には、まったくタイ語の勉強にはならなかった。とりあえず、酒を飲んで満足したというところだ。

2002年3月11日(月)

ミーチャイマンション。アソーク・ディンデーング通りにある、華僑系の巨大アパートだ。住所上ではアソーク・ディンデーング通りにあるとされているけれども、実際にはソープランドと麻薬ディスコの街、ラチャダピセーク通りに隣接しているという立地にある。バンコク中心部の売春街で夜の仕事に従事している人たちの相当数がこのアパートに住んでおり、ヤーバーという種の麻薬が99バーツ(300円)で取り引きされている。麻薬を吸うための資金稼ぎとしての売春には好都合な立地と、麻薬の購入が容易だという2点が有機的に関連しあって、特殊な層の住民たちを集めてしまったようだ。麻薬常習者は一日にたいだい7錠分程度(2100円分相当)を摂取する。彼らはアパート警備員と結託していて、そこではとにかく異常としか表現のしようがない日常が繰り広げられている。麻薬のために売春をしているタイ人女性&オカマ、それに麻薬を吸うためにタイに長期滞在しているインド人のための宿泊施設といえる。一泊500バーツ/1ヶ月4500バーツ

มีชัย แมนชั่น 522/163 ซอย สรางค์ ถ.อโศก-ดินแดง เขคดินแดง กรุงเทพฯ 10320

(ミーチャイ・マンション 522/163 ソォイ サラーング タノン・アソーク・ディンデーング ケート・ディンデーング グルングテープ) (0-2248-7580)

きょうは友人達と夕食を取ったあとに、いつものゴールデンコースへ。つまり、ゴーゴーバーから売春婦バーへと飲み歩き、売春婦達をタイ語でからかうだけからかっておいて、結局彼女らに何の利益も与えずに、自分たちだけでタクシーで帰宅するという格安キャバクラ体験&タイ語のお勉強という一挙両得のスペシャルコースである。自分のタイ語会話力を知らない人と長時間話すと、現在のタイ語力がどの程度なのかを再確認することができてなかなか良いのだ☆

きょうは住居に関する話題。

「どこに住んでるの?」

「ラッチャダーピーセーク」

「もしかして、ソイ1のロータス裏にあるミーチャイマンション?」

「えっ?・・・・・・・・・・・・なんで?」

「こういうところで働いてる人って、けっこうそこに住んでるし、ラッチャダーピーセークにこれほど大きいマンションは他にないし。ああ、あのアパートにはスペシャルなものがあるよね?一泊500バーツの中華系アパートでしょ」

「うん。・・・そうだけど、何で知ってるの~?一泊500バーツ、1ヶ月4500バーツ。まいったなあ」

とか言いながら、すんなりとアパートのカードキーを見せてくれた。ついでに名刺もゲット。

「とりあえず、一晩2000バーツだけどどう?」

「ここの相場って、2時間1500バーツでしょ?スクンウィット15が1000バーツ」

と切り返しておきながら、結局、

「ハードな宿題がたくさんあるから、きょうはもう帰るわ」

と言って帰ってきた。ただでさえ、そんなことに金を出すことには抵抗があるのに、そこに麻薬中毒患者のエイズ感染リスクなんてものが加わっているなんて、全くシャレにもならない。

途中、バーのテレビで地上波のITV放送が流れ、そのホテルのバーの外で徘徊していた売春婦たちが大量に検挙されたというニュースが放映された。一時的にバーの中の売春婦達が総立ちになって警戒態勢に入るというハプニングになったけれども、落ち着いてきた頃に説明を求めてみたところ、

「ああ、外で客待ちしている子もけっこういるみたい。お店の中に入るとビールとかを頼まなくちゃいけないから、金の無駄だしぃ・・。でも、このバーの中には警察が入ってこないから、ここのビールがセブンイレブンよりも高くても、私たちはここに来ているんだ」

と教えてくれた。ここのホテル、なかなかイイ商売をしているじゃないかと感心してしまった。

【追記】冒頭に紹介したアパートには警察が頻繁に来ます。さらに、彼らは外国人に麻薬を売却しておきながら、密告報奨金ほしさに警察に通報することがあります。彼女らはタイ人男性の友人も豊富で、敵に回すと武器(青龍刀や拳銃等)を突きつけられるかもしれません。また、日本人が頻繁に逮捕されています。麻薬は彼ら自ら「やめておけ」と強く勧めています。きっと、冗談抜きでヤバイものなんでしょう。

2002年3月12日(火)

平日なのに、性風俗関連施設に通い続けるとは、なんともオヤジっぽくていけない。彼らと違うのは、酒だけ飲んで、売春婦を買わないということくらい。とはいえ、しっかりと冷房が効いている店で飲むのだったら、売春婦がいてもいなくてもビール代は似たようなものなのだ。同じ費用ならば、もっと楽しもうじゃないかということで、例のゴールデンコース(売春婦からかいツアー)を愛用している。

というわけで、連日の睡眠不足のため、授業が終わってからすぐに家へ帰り、満足するまで昼寝を続けた。――初級2になってから、全然まともに勉強していない。初級1とは比較にならないほど授業の進度が緩やかなうえに、他のクラスメートとの差が広がりすぎてしまって、少しも危機感を感じないようになってしまったのだ。

学習にはライバルが必要なのかもしれない。

2002年3月13日(水)

数年前に日本で話題になった北野武監督のバトルロワイヤルがついにタイに上陸した。現在、ディスカウリーセンター6階の映画館で音声タイ語吹き替え版が、シドー2(サヤームセンター向かい)で日本語音声、タイ語字幕のものが放映されている。

きょうはエーンが休みの日で、珍しく大学の試験もない日だというので、学校帰りにエーンと待ち合わせてMBKでピザを食べたあと、エーンが働いている店へ行ってジョーイに会ってきた。ジョーイの話によれば、サヤーム・ディスカヴェリーセンターが映画館が放映しているバトルロワイヤルはタイ語吹き替え版だからと、シドー映画館の日本語音声タイ語字幕の方を勧められた。

シドー2はまるで地方の映画館のように寂れていて、設備も相当に老朽化している。映画鑑賞料金はサヤーム・ディスカヴェリーセンターの120バーツよりも20バーツ安い100バーツちょうどだった。

帰宅後、エーンが酒を飲みたいと言うから、赤SPY(炭酸赤ワイン)とつまみを大量に買って帰ってきた。こう頻繁に飲んでいると太ってしまいそうで心配だ。日本でコカ・コーラを買うよりも安くハイネケンが飲めてしまう(38バーツ)ものだから、気軽に飲めてしまうのがこわい。

2002年3月14日(木)

きょうはクラスメートと酒を飲みに行った。WTC6階にある日本料理店ZENだ。ハイネケンの大瓶をそれぞれ1本ずつ飲みながら語った。聞くところによると、クラスメートの二人が同性愛者で、タイ人の男を囲っているのだとか、年上の同胞に養ってもらっているのだとか。タイといえば性風俗関連の産業を思い浮かべる人が多いようだけれども、実際にそういう街なのだから仕方がない。僕や友人達の娯楽も、「売春婦からかい」なのだし。ときどき、「バンコクって何がお勧めですか?」と聞かれるけれども、「性風俗以外には物価が安いという点しかありません。タクシーを乗り回して疑似VIP体験を楽しんでください」としか言いようがない。さらに、この質問を女性にされると後半部分だけしか話せない。

バンコクの娯楽:性風俗関連(フツーの人だけでなく、同性愛者にも都合がいいらしい)/覚醒剤や麻薬/覚醒剤や麻薬/寺院・遺跡回り

バンコク郊外の娯楽:ビーチリゾート/ゴルフ/性風俗関連/覚醒剤や麻薬

バンコクには若者向けのまともなものなんて何ひとつないのだ!もし、あなたの彼氏彼女がひとりでバンコクに行くといいだしたら、絶対に止めなくてはならないだろう。

そういえば、僕が住んでいるアパートの裏にあるビルもろくにテナントが入っていない廃墟なのに、人の出入りが激しく夜になるととても騒がしくなる。ああ、クスリの予感だ。

2002年3月15日(金)

僕は他の日本人クラスメートとはあまり気が合わないらしく、一緒に遊びに行くという機会が少ない。外国人とならよく遊びに行くのだけれども。

きょうは珍しく、ひとり除くクラスのほぼ全員とボーリングへ行ったあと、日本人だけでサヤーム駅前のCOCAでタイスキを食べた。以前は、タイスキなんてとても受け付けなかったけれども、学食で毎日のようにタイ料理を食べていて慣れてしまったのか、美味しいと思ってしまった自分に驚いた。人間って、思っている以上に適応力があるのかもしれない。

食後に、ソイカウボーイのゴーゴーバーで、微妙に女の子をからかいつつ酒を飲み続けた。同行した日本人女性はゴーゴーバーの女の子に「わたし、女もいけるわよ」とジェスチャー付きで誘われてた。男女のゼスチャーは見たことがあったけれども、女性同士の場合はあのように表現するのか・・・と呆然としながらも感心してしまった。

今週は水曜日を除いて毎日のように酒を飲んでいる。クラスメートには「今週太ってるよ」って言われたし。

最近の日記にタイ語学習ネタがでてこないのは、それだけ僕が無関心になっている証拠だ。週末はテストに向けてしっかりと勉強しよう!

そうそう、ついにエーンがふてくされてしまって、ひとりでカオサンへ飲みに行ってしまった。

2002年3月16日(土)

今週は夜更かし続きで不健康な毎日を送ってしまったから、きょうはその分もまとめて睡眠を取った。起きたらすでに午後で、夜に宅配ピザを食べた以外は特に変わったことのない平凡な一日だった。テストもそう難しそうではなく、全く危機感がないせいか少しも勉強していない。

きのう、エーンは3時過ぎに帰宅した。誰と飲んでいたかは問わなかったけれども、「カミカゼ」という酒に相当やられたらしい。

2002年3月17日(日)

エーンが転職を考えているらしい。いまの月給6,000バーツの仕事を辞めて、月給が15,000バーツのバーの店員をしたいのだとか。聞いた話では、スクンウィット・ソイ1はロシア人売春婦街だという話だけれども、エーンも売春に手を染めてしまうのではないかと心配だ。この街にいると、売春なんてなんの変哲もないふつうの職業に聞こえてくるから不思議だ。僕の価値観が狂いつつあることが自覚できる。

きょうは、昼過ぎにWTC内の伊勢丹5階にあるスーパーに行って、しゃぶしゃぶ用肉6キレ100バーツと、しゃぶしゃぶのたれ250ml入り170バーツ、それから鰻の蒲焼き150バーツ等を買って帰宅した。しゃぶしゃぶ用の肉よりもたれの方が高いというのが納得いかない。

2002年3月18日(月)

きょうはチュラロンコン大学文学部集中タイ語コース初級2の進級試験日だった。試験内容は

タイ語聞き取り&書き取り(配点63)
タイ文字発音整合化(配点10)
与えられた語句を用いての作文(配点20)
語句の並び替え(配点20)
6行程度の文章読解(配点20)
25行程度のタイ文字音読(配点20)
合計153点満点で、正解率6割の合格ライン(92点)を越えていれば初級3へ進級できる。

みんな、タイ文字の音読がとてもハードだと言っていて、僕も近くをうろつく子供を煙たく思いつつ適当に読み流してしまって、あまり高得点は期待できない。生徒のひとりは途中で音読をあきらめて中止してしまったとか。彼は初級3へ進めるかどうかをとても気にしているようだったけれども、せめて最後まで音読を続ければ良かったのにと思う。聞いた話では、彼は先生の「挑戦して継続せよ」という指示を振り切って音読を止めてしまったのだとか。タイ文字は数個(最大で6個)の記号によって発声が決まるので、読み慣れていない僕たちとしては、それらの要素を分解して発声するという頭の回転の早さが問われるかもしれない。もうすこし、上達すれば文字を見ただけで発音が頭にひらめくのだろうれども。

試験終了後、僕たちは一時解散してから午後7時にBTSポロンポーン駅に再集合した。スクンウィット・ソイ39にあるイタリア料理店「ロペラ」で超ウマい料理を腹一杯食べて、ワインをほろ酔いする程度(といってもたくさん)飲んでひとりあたり1,075バーツだった。タイの物価から考えるとべらぼうに高い金額だけれども、約3,000円でこれだけたくさんの美味しい料理が食べられたと考えれば格安なのかもしれない。その店には日本人とファランの客がそれぞれ半数程度ずついた。昼のランチタイムは250バーツ程度で楽しめるのだとか。

食後にクラスメートのイギリス人の案内でスクンウィット・ソイ29奥付近のクラブ「ポビースアームズ」でつまみを食べながら酒を飲み続けた。そこは、クラブのお姉さんが隣に来て一緒にお話しするというファラン(西洋系人種)向けクラブだったけれども、クラスメートの女性が同行していたので、彼女らは僕たちをからかいに来る程度だった。

最後にソイ・カウボーイへのゴーゴーバーでノーパンしゃぶしゃぶ状態を楽しむ(なんという下品な表現なのだろう)。初めて、かの芸当がどんなものなのかを知った。到着前に、クラスメートが「この店には特別なものがある」といっていたので、麻薬でもあるのかと便所を探索してみたけれども、小便器に巨大な氷が置いてある以外はふつうで、さほど驚くようなものはなかった。

席に戻って、彼に「特別なものがどんなものか分かったか?」と聞かれて、「便所の氷のことでしょ?」と答えたところ、彼が天井を指さした。何かと思えば、舞台で踊っている女の人の姿が鏡で逆さまになって見えるだけの――と思っていたら、なんと店員の制服を着た別の踊り子達だった。近くにいた店員に「彼らは下着を着ているのか?」と聞いてみたところ、「着ている人もいれば、着ていない人もいる」との回答。しまいには、上の階の踊り子達が、警察の取り締まり対象であるはずの全裸になってしまったので、僕ともうひとりのクラスメートがそれを間近に見るために上の階へ移動。警察が一階に踏み込んできたら、カラス越しの2階の踊り子達は隠し部屋へ待避するのだろう。上の階の客は少なく、暇そうにしている店員達とたわいもない話をして次の店へ。流ちょうなタイ語はこういうところで大活躍するのだ☆

――とはいえ、大学でタイ語を勉強している留学生の日記が、どんどん風俗巡り日記になりつつあるのはいけないと思いながらも、これが日常の生活なのだからやむを得ない。しかし、今後とも「ソープランド」の話題がでてこないということは約束できる。なぜなら、その行為はエイズ感染リスクが非常に高く、また出費も大きく、本来の目的であるはずのタイ語会話という目的が果たせないからだ。

最近のこの日記の悪しき傾向が、この日記を連載している留学斡旋会社の方を当惑させている。

それと、エーンは僕が帰宅したあとの午前3時半に帰宅した。カオサンで幼なじみの海軍将校と一緒に飲んでいたとか。海軍将校の彼、僕の部屋の扉の前までエーンを送りの来るのが律儀というか・・・ふてぶてしいというか。

2002年3月19日(火)

今朝の日が昇る頃までホームページの更新とエーンの看病をしていて、起床は午後3時になってしまった。世にゆう「大学生のグータラ生活」である。休み中のことだし、よしとしておこう。

きょうから6日間、中学・高校時代の友人がタイを訪れる。タイ航空633便で午後9時10分に到着した友人と共に一路ホテルへ。無事、チェックインしてからエーンをホテルに呼び、数十分後に帰宅。帰途、エーンが空腹だと嘆いていたので、途中のクヮイッティアオ屋台に寄った。

昨晩のエーンの泥酔の件だが、午前零時まではジョーイも同行していたと付け加えていた。

2002年3月20日(水)

「タイ人を信用するべからず。見知らぬタイ人を見たらみんな嘘つきの泥棒と思え」

――この言葉を初めて言ったのは大学のタイ文化専門教授なのか、痛い目にあった買春ツアーのおじさんなのか?

僕はこの見解に、全面的とまではいかないまでも、おおむね賛成している。売春婦はその後数日間の麻薬(ほとんどの場合、ヤーバーという種の麻薬で、容器を使って「ブクブク」と吸引する)のことしか考えていないし、タクシーやトゥクトゥクの運転手はセコイ手をあの手この手を弄して少しでも多くの金を支払わせようとする。一般的な観光客は、ほとんどの場合このような観光客を相手に商売をしているタイ人としか交流する機会がなく、タイ人は皆セコイ奴らだという錯覚に陥りやすい。

きょうは、バンコクに遊びに来ている旧友を連れてバンコク市内をいろいろと紹介してまわった。全てを書き連ねてしまうと膨大な量になってしまうので、とちゅう夜の街でタイ人女性と電話番号を交換する機会があったので、この点に絞って書くことにする。

午前3時頃、スクンウィット・ソイ15の売春婦が集うバーの前を徘徊していたところ、日本語で「こんにちわ~」と話しかけてきた女の子に遭遇した。彼女の話を要約すると、次の通りだった。

①大学で日本語を勉強している。

②チュラロンコン大学の1年生で18歳である。(①から文学部日本語学科を意味する)

③ここ(売春婦が集うバーが閉店したあとの場外戦の屋台街)へは始めてきた。

④30歳の友達とここのバミー(タイ風ラーメン)が美味しいと聞いてやって来てが、はぐれた。

⑤どうやらここには売春婦が集まっているらしいけれども、相場はいくらか?

⑥どこの屋台が美味しいのか分からないから、未だ夕食を取っておらず空腹である。

⑦(携帯が義務づけられている)国民カード(売春婦のホテル入館に必須)は家においてある。

⑧もし、家の方向が同じならば、途中までタクシーに乗せていってもらいたい。

ちょうど、暇をもてあましていたところだったから、彼女の正体はさておき、とりあえず近所の彼女のアパートまで送っていくことにした。アパートにつくと、部屋に寄っていかないかというので、タイ人のお宅訪問を観光客である旧友のために了解した。

部屋の概要は次の通り

Ⅰ.3人の警備員による終日警備

Ⅱ.カードキー

Ⅲ.家賃5,500バーツの6畳程度の部屋

Ⅳ.新型冷房機標準装備

Ⅴ.化粧台、ダブルベッド、テレビ台標準装備

Ⅵ.個人の所有物:ソニー製25インチ型フラットテレビ(22,000バーツ程度)

Ⅶ.個人の所有物:メーカー未確認ミニコンポ(7,000バーツ程度と想定)

Ⅷ.チュラロンコン大学への通学便利圏内

また、ここで彼女が新たに語った新事実は次のようなものだった。

⑨両親は自動車運転中のアクシデントによってすでに死亡している。

⑩以前、母は埼玉県で仕事をしていたことがある。

⑪親からの支援がないので、慢性的な金穴に苦しんでいる。

⑫僕が住んでいる向かいのアパートに、以前住んでいたことがある。

⑬20歳である。

さらに、彼女が示した証拠品の数々

⑫チュラロンコン大学の女子制服(胸の校章はないが、制服のボタンが大学指定のもの)

⑬テレビの上に置かれている自分の写真(制服着用、チュラロンコン大学で撮影というが未確認)

⑭友人のABAC大学の学生から借りている教科書

⑮ビジネススクールの教本とノート

会話中、彼女の記憶力の悪さに驚くといった場面が何度もあったけれども、彼女の日本語会話力は標準的なチュラロンコン大学文学部日本語学科1年生(きょうの時点では「第1学年終了時」と表記するのが正しい)と同程度だった。しかし、彼女が語ったものの中には矛盾して、整合しない点もある。

A.親の支援なく、売春の仕事もせずに、授業料や家賃を捻出することは不可能であるはず。

B.家賃が一般的な大学生アルバイト(休学しての終日労働)1ヶ月分の給料とほぼ等しいはず。

C.電化製品の装備が一般的なタイ人のものよりも遙かに高級である。

D.英語の語学力が一般的なタイ人売春婦のものよりは高いが、チュラの学生にしては貧弱。

そこで、僕が考えている可能性は次の通りである。

イ.チュラロンコン大学の学生で、両親が健在であり、本当に売春はしていない(20%)

ロ.過去にチュラロンコン大学の学生だったことがあるが売春をしている(30%)

ハ.チュラロンコン大学の学生で、両親は健在であるが売春もしている(20%)

ニ.チュラロンコン大学の学生で、両親は死亡しており売春もしている(10%)

ホ.チュラロンコン大学の制服は趣味の衣装、教本は商売道具であり、日本語は母または日本人男性から習った。本当は単なる売春婦(20%)

なかなか、微妙で結論が出せない。明日のアポは取ってあるので確認してみたい。確かなことは、彼女が言っていること全てが事実であるはずがないということくらいだ。

みなさんは、どう思いますか?

なお、一昨日行われた進級試験の結果は153点満点中144点。正答率は94.11%。なんとか、クラス首位は維持できた。エーンによれば、「正解なのに誤答扱いになっているものもあるから、あと1点くらいは上がるんじゃない?」ということだった。

2002年3月21日(木)

最初に断っておくが、僕はけっしてソープランドのサービスを受けていない。

日本から遊びに来た友人がソープランドのサービスを受けたいというので、タイに1年近く住む友人に電話してお勧めのソープランドはないかと訪ねてみたところ、ラチャダピセーク通りにあるポセイドンというソープランドがなかなかよいとのことだった。

そこは、まるでホテルやオフィスビルのような豪華な外観だった。屋内の内装はさらに豪華荘厳を極め、自動ドアから入った瞬間に受付嬢による丁寧な案内が始まった。

まずは、手荷物を一階ロビーにあるロッカーに預け、案内されるままに2階へ向かった。2階の部屋には、以前から話に聞いていたような赤い「ひな壇」があり、そのガラス張りの部屋の中には強烈な照明でライトアップされた(?)キャミソール姿の泡姫達が何人も座っていた。友人の話によれば、歴代の中国皇帝はこのようなところで夜の友を毎晩のように選んでいたのだとか。

とりあえず、ガラス張りのひな壇を眺めビールを飲みながら、彼の相手を選ぶことになった。僕たちがビールを飲みながらひな壇を眺めていると、タクシードを着たタイ人店員が近づいてきて、

「下の段の一番左の女の子は日本語が使えるだけでなく、性格もよく、サービスも最高でございます」

と勧めてきた。友人はその助言にしたがい、すぐにその女の子を指名して、僕が知らない道の空間へ消えていった。そこから、僕のタイ語の勉強が始まった。

店内には2人の若いウエイトレスがいて、僕は彼女らの暇つぶしの相手をしつつ、友人が戻ってくるのを待つことになった。

ウエイトレスはそれぞれ19歳のABAC大学生と、16歳の高校生だった。彼女らにソープランドについて、いくつかのことを教えてもらった。

ไปเที่้่ยวอาบน้ำ 【ぱいてぃあおあーっぷなぁ~む】
   湯船とベッドがあるソープランドの部屋での性的サービスを受けに行くこと。
   直訳:水浴びをしに遊びに行く / 意訳:ひとっぷろ浴びに行く

2時間のサービス料金は、ひな壇に並んでいる女の子1,900バーツ、客席にいる女の子2,400バーツ。さらに、上の階にある同様のひな壇は3,400バーツ~6,400バーツ。また、泡姫らの年齢は若く、床に座り込み僕が座っているソファーの肘掛けにあごを乗せている16歳のウエイトレスが言うには、

「ここにいるのはみ~~んな18歳から21歳までの若い女の子達だけだよ。年寄りオンナなんていらないもんね~♪年とったら、すぐにポイしちゃってるから~☆」

ということだった。

さらに、タクシードを着た老年の店員に尋ねたところ、

「この階の女の子は上の階よりも安いけれども、サービスは最高でございます。上の階もっと美しい女の子達がそろっておりますけれども、サービスはここの階に劣ります」

ということだった。

なお、前出のウエイトレスに泡姫に渡すべきチップについて訪ねてみたところ、

「あんまりちゃんとお話しできなかったり、入浴サービスの質が低かったらチップはあげなくてもいいけど、満足なサービスを受けたんだったら、ちゃんと100バーツ以上のチップは渡さなくちゃね☆」

――じゃあ、1,000バーツくらい渡してもイイの?

「うん。3,000バーツものチップを渡す人とかも、けっこういるみたい。すごいよね~☆でも、200~300バーツってゆうのが一番多いかな?だけど、100バーツでも全然大丈夫だよ♪」

なんというか、彼女らのテンションってメチャメチャ高かった。

日本人観光客を連れてきたということもあって、僕は比較的よい待遇で彼が戻ってくるまで時間をつぶすことができた。なお、ウエイトレスの女の子とは入浴できないのだとか(笑)

2002年3月22日(金)

バンコクに来て以来、日本製の輸入品をほとんど買っていない。バンコクでの販売価格が日本の1.5~3倍で、値札を見たとたんに購買意欲がどこかへと失せてしまうのだ。

勉強に必要な書籍類が高いことにもひどく悩まされているけれども、日本人の心である「日本酒」が買えないのは大打撃だった。それでも、きょうはタイに来て以来はじめて日本酒を買って、しゃぶしゃぶと共に、エーンとバンコク滞在中の友人の3人で日本を味わった。

なお、「白鶴まる900ml(5合)」は伊勢丹5階のスーパーで450バーツだった。

2002年3月23日(土)

このホームページに新システムを導入すべく、バンコク滞在中の友人がプログラムの開発に着手した。僕はそれを隣で眺めながらベチャクチャしゃべっているだけだったけれども、コンピュータプログラムがとても便利なものだということを知り、プログラムの作り方を少しだけ勉強できた。

きょうは、ジョーイが僕の起きる前から登場し、そしてエーンと共に仕事に行き、さらにエーンと共に戻ってきて、僕が寝るまでこの部屋にいた。彼女の弟が明日から2年間オーストラリアへ留学することになったらしい。彼は高校生だが大変優れているという話だった。

2002年3月24日(日)

先日来バンコクに滞在している友人に依頼して、この「バンコク留学生日記」にバンコクの気象情報とタイ農民銀行の為替レートを自動的に更新して表示させるシステムを開発してもらった。これは、以前から僕ひとりで挑戦していた計画だったけれども、力及ばず結局放置させたままになっていたのだ。

きょうは、きのうに引き続き一日の大半をそのシステムの開発につぎ込んだ。夜になってシステムが完成してから、スクンウィット・ソイ39にあるイタリア料理店「ロペラ」でひとりあたり1,250バーツの贅沢な料理を食べた、満腹の腹を抱えてラーマ4世通りのマレーシアホテルでマッサージを受けてきた。途中、マッサージのおばさんに「帰りはタクシーで帰りたいからチップをはずんでね」と言われたけれども、僕は彼女のあまりの図々しさに腹を立てて、「はぁ?聞こえないなあ?」とかわすことにした。今回は1時間のマッサージで、料金は150バーツ。必ずもらえるはずの40バーツの割引券がないとかで、現金40バーツの還付を受けた。マッサージを110バーツで楽しめたのだ!

マッサージを終えてベッブリー通りのアパートに戻ったときには、とっくに今晩帰国する友人が空港でチェックインの手続きを済ませていなければならない時間になっていた。急いでタクシーに乗り込み、「空港まで!最高に急いでくださいっ!もちろん、有料道路も使って!」と言ってみたはいいが――アヌッサワリー戦勝記念塔付近の踏切工事に伴う渋滞に巻き込まれて、けっきょく空港に着いたのは出発時刻50分前だった。50分前でも搭乗手続きができるとは意外だった。僕が「いやあ、50%くらいの確率で飛行機に乗れなかったと思ってたよ」と感想を漏らしたら、彼に無責任さを責める突き刺さるような視線を浴びせられた。

自分が飛行機に乗るときは、1時間半前には搭乗手続きを済ませられるように心がけよう!

2002年3月26日(火)

疾風怒濤の短いお休みが終わり、初級3が始まった。

きょうから新たに日本人1人とドイツ人1人が加わり、生徒は合計9人になった。内訳は、日本人5、ドイツ人2、シンガポール人1、イギリス人1。このコースから新たに加わった2人も、初級2から加わったイギリス人同様に相当なタイ語使いだ。初級1の開講当初から受講している学生達が、経験豊富な編入組にあっさりと抜かれていく。授業も全体の99%以上にタイ語が用いられ、復習が足りない学生達は授業についていくのも困難を極めるようになっていくだろう。なにしろ、解説自体が聞き取れないのだから、授業についていくどころではなくなってくる。

授業の冒頭に、先生がつぎのようなことを言っていた。

「このインテンシブタイプログラム(集中タイ語コース)は、タイ語で書かれた学術文献を読むのに必要なタイ語能力を養うものです。日本人のみなさんが大好きなポーホック(小学校6年生程度のタイ語能力検定試験)受験を目的とはしていません。しかし、初級3が終わる頃にはポーホックに必要な程度の能力は身に付いていることでしょう」

初級2の進級試験は153点満点中144点、正答率94.11%でクラス首位をなんとか守り抜いたけれども、初級3の進級試験は少しがんばらないと落ちこぼれに転落しかねない。さあ、がんばろう!

この2週間ほど、この日記が風俗徘徊日記と化していたので、全体のバランスを取るために、次回は授業内容を全て掲載します。お楽しみに。

2002年3月27日(水)

学校が終わって、路線バスでMBKを通過しようとしているときに、バンコクに来ている友人から電話があった。

「ロイヤル・オーキッド・シェラトン・ホテルに泊まっているんだけど、午後7時までただ飯が食えてただ酒が飲めるから来ない?」

という誘いがあって、道路でトゥクトゥクを拾ってタクスィン橋近くにあるそのホテルに向かった。夕方の時間帯はタクシーがなかなか止まってくれなくて、トゥクトゥクという選択はやむを得なかった。けっして安くもなく、冷房がないため暑く、バンコクの排気ガス地獄を味わうのはイヤだったけれども、渋滞を嫌うタクシー運転手は渋滞がイヤだとかで日常的に乗車拒否をしてくるのだ。ラーチャテウィー駅からタクスィン橋まで80バーツだった。

彼が言うただ飯とは「上級クラスの客室の宿泊客が使える無料で使えるラウンジがある」ということだったのだけれども、ホテルの従業員に僕が宿泊客でないことがバレてしまって、けっきょく飲食料を請求された。クロスタービール一杯に160バーツも払うのはあまりにもイヤだったから、ゴネて「私は本当に彼と泊まっているのだ」と主張することになった。彼の部屋はダブルベッドでベットは一つしかないのだけれども仕方がない。(日本以外のホテルは客室単位で料金が請求されるので、ひとりで泊まっても、二人で泊まっても同じ料金なのだ)

食後に、TEXAS SUKIへ行ってきた。この店はタイスキのチェーン店なのだけれども、知名度がCOCAやMK SUKIに劣る。どんなものか心配だったけれども、料金も安く味も良かった。ただ、鍋がとても安っぽかったけれども。

2002年3月28日(木)

母国にいないといろいろと不便が尽きない。それらの中には「最適な不満のはけ口がない」というものもある。ストレスを発散させたいのであれば、ゴーゴーバーでビールを飲みながら、怪しげなタイ語で踊り子をからかっていれば何とかなるものだが、不満を遠慮なく語れる相手となるとそういるもんじゃない。エーンにタイ語で不満を並べても、日本文化を知らない彼女を困らせるだけだろうし。

さらに、ただでさえ個性が強すぎるバンコク在住の日本人と気が合わないとなると、ストレスの蓄積も日本にいるときとは比較にならない。

そう。椅子一体型の教室の机をある特定の人物に剛速球でぶん投げてやりたいほどの気分だ。日記を読み返していると、バンコクに来て以来、僕はこの一件のみに腹を立てている。問題解決の方法をなんとか模索したい。あまりにも、くだらないすぎる問題だ。(この文章のイカレ具合が、怒りの具合を良く表しているかもしれない。)この問題を除けば楽しく毎日勉強できているのだが。

2002年3月29日(金)

この時期のバンコクはとても暑い。どの季節も暑いのだが、いまの季節は極めつけだ。日中の気温37℃、体感気温は47℃。僕が日中に屋外で行動する時間は、通学の10分、昼休みの40分、帰宅の30分の合計80分だけであるにも関わらず、部屋に戻ると身体がひどくぐったりする。睡眠を十分取っていても、どうしようもなく疲れるのだ。日本にいるころを振り返ってみても、一日3時間も屋外にいただけでなく通勤電車にもまれていたのに、この疲れは比較にならない。

先日の友人がバンコクに来た時に、一日の予算500バーツの約3倍も浪費してしまったのに伴って、いまは緊縮的な支出を迫られている。さらに、おみやげに日本語DVDを買ってきてもらってしまい、10,000バーツを失ったのが致命的な打撃になった。

そこで、一食4バーツの即席バミー「マーマー」を食べて、それから昼寝をしてしまった。まったく、太っていく一方だ。

思い返せば、日本でも夏はだらだらと過ごしていたような気がする。

2002年3月30日(土)

午前10時45分に、クラスメートからの電話で目覚めた。きのうからの帰り際に、彼のボーリング大会に応援に行くという約束したのだ。そのときは、午後2時頃にアパートの前まで迎えに来てくれるという話だったけれども、ラーチャテウィー駅前に午前11時と言うことに変更になったらしい。寝起きで準備が間に合わなかったから、15分遅らせてもらった。なぜ、ここまでして応援に出かけなくてはいけないだろうという疑問を抱えつつ、いつもの半分以下の時間で準備を済ませて待ち合わせ場所に向かった。

迎えに来た車は、彼の同居人である男性が運転していた。彼の話によれば、ふたりはいとこの関係にあるらしい。

ラーチャテウィー駅前からパヤタイ通りを北上して、アヌッサワリー戦勝記念塔ロータリーを右折して、西洋人のクラスメートを迎えに行った。そこから、有料道路に乗ってドンムアン国際空港を通過して、さらに北上を続けて、ランシットにあるフューチャーパークへ行った。厳密にいうと、フューチャーパークの向かいのショッピングセンターなのだけれども、とにかくこの一帯に巨大なショッピングセンターが乱立している。大学時代に習った「郊外型巨大ショッピングセンター」がどんなものなのかと驚かされるようなものだ。本当にでかい。

正午前に到着して、すぐにボーリング場へ。2ゲームプレーして僕はリタイヤした。腕の筋力が持たなかったのだ。彼らはさらに2ゲームプレーして、そして大会が始まるのを待つことにした。

おもむろに、西洋人のクラスメートが紙袋からインテンシブタイ初級3の教科書を取り出して復習をはじめた。そして、僕も彼に習ってカバンから教科書を取り出した。

なんと、大会が終了するまであと9時間もあるという!僕とその西洋人は顔を合わせて「それなら、きょうまでの新出単語をコンプリートできるね!」と言った。その後、「いったい、彼は何を考えているのだろうか?僕たちはそれまで帰れないの?」と当惑し合ってしまったけれども。

僕と西洋人は、仕方なくこの境遇を受け入れ、黙々と単語の暗記をはじめた。おかわり自由のコーラを何杯も飲みながら。

午後6時になり、僕たちは夕食を取ることにした。さっきから、僕たちが自習に使っていたテーブルで、試合中のクラスメートも交えて、コンサートを見ながら夕食を取った。そこに、今朝車を運転していた彼の同居人が再合流。食後、彼はボーリングの大会に参加し、僕たちは単語の暗記の続きをした。

何もやることがなくなると、イヤでも勉強に精が入る。初級3が始まって以来、初めて復習をした。有意義な土曜日の過ごし方ができた。

午後9時半に大会は終わり、車で近くまで送ってもらえるという話だったけれども、結局とても遠いところでおろされた。こんなことなら、タクシーで直接帰ってくれば良かった。

2002年3月31日(日)