夕方、プラヂョームグラーオ・ヂャーオクンタハーンラートグラバング工科大学産業教育学部言語社会学科の日本語専攻が主催する卒業記念パーティーに招かれ、タクシーに乗って、ラッチャダーピセーク通りにあるヂャーオプラヤーパークホテルへ向かった。ラッチャダーピセーク通りで発生していた渋滞の影響で、会場に到着したのは午後6時の開宴予定時刻に対して1時間5分遅れの午後7時5分だった。
僕たちの住まいは会場から10キロ弱しか離れていないため65分間の遅刻で済んだが、卒業生や教員たちの大半は会場の東、約30キロの地点にあるラートグラバング区から来ており、経路上にあるラームカムヘーング通りやラッチャダーピセーク通りといった郊外の幹線道路と交差するプララームガーオ通り(ラーマ9世通り)で激しい混雑が発生していたこともあって、到着が大幅に遅れた。結局、実際に開宴となったのは、予定より1時間40分遅れの午後7時40分だった。
開宴を告げる堅苦しい挨拶はなく、突然、会場の照明が落ちて、ステージの正面にあったろうそくに灯がともった。教員たちがステージの正面に並んでいる椅子に腰を下ろすと、その足元に学生たちがひとりひとり順番にひざまずいて、腕に白くて細いひものようなものを巻き付けてもらっていた。
その儀式が終わった午後8時すぎに、ようやく夕食にありつくことができた。部外者の会費はひとり500バーツだった。ビュッフェ形式のタイ料理で、アルコール類はビールと赤の SPY が飲み放題。料理のほうは20バーツの学生食堂と比べればはるかに良かったが、ヂュラーロンゴーン大学文学部のボーロムラーチャグマーリー館7階にある食堂で来客者向けに提供されている75バーツの料理と同じようなレベルだった。会場内は在校生たちの出し物などがあってとても騒がしく、卒業生たちは廊下へ出て記念写真を撮ったり談笑をしたりしていた。
パーティーは午前零時にお開きとなり、会場内の各所で記念撮影が始まった。僕も何枚かの写真に入れてもらったが、思いのほかツーショットのリクエストが多くて当惑した。
その後、スックルワムガン街路にあるエメラルドホテル地階のディスコ、スパークスで2次会があった。このホテルは、トイレに麻薬の密売人がいることで知られている曰く付きのディスコで、実際に覚醒剤の錠剤が床に落ちているのを見つけた。
午前2時40分、ペッブリー18街路にある住まい Venezia Residence 6階の自室へ戻った。
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