2001年12月1日(土)

朝、プンが遊びに来た。無断で妹の Playstation1 を持ってきたため、帰宅後に何を言われるかと心配していた。プンによると、タイでは Playstation1 が約10,000バーツ、 Playstation2 が約26,000バーツとそれぞれ日本の2.6倍もするが、最初から海賊版CDが使えるように改造してあり、ゲーム好きならすぐに元が取れるという。

昼、スィリギット国立会議場(シリキット・コンベンションセンター)でベッドの展示即売会が催されているとシェーンから教わり、通常価格の3割引きでスプリングマットレス(シングル, 8,000バーツ)を購入。

これまで我慢して使っていたアパート標準装備のマットレスは、弾力性がまるでなく、その上で飛び跳ねて着地すると「ダン!」と鳴る。睡眠時間に比例して疲労も蓄積する。タイ生活のガイドブックに、部屋を選ぶときにはベッドのしなり具合を確認するよう書いてあるが、まさか自分がタイ人の友人たちからも同情されるような酷い代物が使う羽目になろうとは夢にも思わなかった。

夜になって友人たちが帰宅。エーンを部屋に残したまま、日本人の友人たちとスクンウィット15(スクンビット15)にある「トァーメー(テルメ)」へ行き、日本の家飲み料金で売春婦たちを冷やかし、その足で、 RCA Royal City Avenue のディスコ街へ向かった。友人のひとりはかなりヤル気だった。

ディスコ Route66 入口で、年齢確認のため身分証を提示するよう警備員に求められた。やむなく警備本部へ行き、自分たちが日本人であることを伝え、パスポートなしで入れてもらえるよう掛け合ったところ、警備責任者が「パンツ(という意味のタイ語)を日本語で言えたら入れてやる」と応じてきた。タイ語を1年以上勉強している友人が見事正解して無事入店。・・・・・・そのやりとりの30%も理解できなかったが、これが分かるようになるためにもちゃんとタイ語を勉強したい。

店内は週末とあって大学生客が多く、まともに歩けないほど混雑していた。オカマから執拗なアプローチを受けたが、それをなんとかやり過ごし、無事、法定閉店時刻の午前2時を迎えた。どうもオカマに好かれる性分のようで、売春婦が多い界隈なら、すれ違いざまにオカマに股間マッサージされていたところだ(これまでも毎回のように遭遇している)。

やる気満々の友人は、キチガイのようなタイ人客による再三の妨害を撃退し、デパート女性販売員の電話番号をゲット。ラッチャダーピセーク通り(ラチャダーピセーク通り)で飲み直そうと誘われたが、あまりの眠さに、あす必ず遊びに行くと約束して帰宅した。

2001年12月2日(日)

タイでは高架電車 BTS の車両全体が広告用フィルムで覆われるなど、映画「ハリーポッターと賢者の石」の宣伝がかなり大掛かりに行われている。エーンは関連グッズの大半をコレクションしている生粋のハリーポッターマニアで、先月の一時帰国中に全席指定の前売券を確保していた。

昼、WTC World Trade Center(ワールドトレードセンター) 7階にある映画館のど真ん中のシートで「ハリーポッターと賢者の石」をいつもの3人組(エーン, プン, シェーン)と観賞。英語音声タイ語字幕だったため固有名詞や細かいやり取りがよく分からなかったが、とりあえずスクリーンに見入ることができたから OK 。日本語吹替版のビデオがでたら、もう一度見てみたい。

その後、向かいの大型スーパー Big-C でそこそこお洒落なプラスチック戸棚(330バーツ)等を購入。あまりの安さに驚いた。大量の荷物(今回エーンがあらたに入手した映画館限定発売のグッズを含む)を抱えて帰宅。ベッドでぐったりしていたシェーンを布団に包むなど、みんなで色々いたずらした。

タイでも、たれぱんだやこげぱんって有名みたい。

2001年12月3日(月)

一日中、ペッブリー18にある Venezia Residence(ベネチアレジデンス) 644号室の自室でエーンとだらだら過ごし、夕方になって MBK マーブンクローングセンター1階の「オイシラーメン」へ行き、カレーライスを注文した。

バンコクのラーメン店といえば、大衆向けに日本風ラーメンを提供している「8番」が有名。しかし数十バーツ多く出せば、日本米もある「オイシラーメン」(1食あたり予算60~70バーツ)で、日本でも通用するレベルの料理が食べられる。

2001年12月4日(火)

朝、アソーク通りのスーンミットタワー(サミットタワー)にある日本大使館領事部へ行き、在留証明書の発給申請に必要な「在留届」を提出した。怪しい日本語が飛び交っている不思議な空間だった。

日本大使館領事部には、殺されたあとの「邦人援護」ぐらいしか期待できないが、公文書を確実に発行してくれるという点では間違いなく役に立つ。

午後2時、ペッブリー18にある Venezia Residence(ベネチアレジデンス) 644号室の自室で、直通電話回線を敷く工事あった。

インターネットの通信速度は、これまでのアパート構内回線経由では最大30Kbsしか出なかったが、直通回線にしたことで50Kbsまで向上した。構内回線にノイズが混ざっていたのかもしれない。それに、アパートの回線では20分ごとに切断され、その都度通話料が発生していたが、固定電話は何時間使い続けても1通話あたり3バーツだからインターネットの常時接続も可能となる。

その後、プンと合流し、Big-C でクリスマスツリーと大量の飾りを購入(1,000バーツ)。もし日本でもこの値段で売られていたら、すべての家庭にクリスマスツリーが普及するかも。

2001年12月5日(水)

午前6時50分、ルンピニー公園に到着。集合時間に50分遅刻した。公園内はマラソンや太極拳を楽しむ人たちでごった返しており、広い公園の至るところに屋台が出ていた。

午前8時ごろ、気温が上がり、スポーツをする雰囲気ではなくなっていた。エーンとプンが屋台の席に座ったが、僕あまりの不衛生さに完全に引いてしまい、ふたりが朝食をとる姿をシェーンと遠巻きに眺めた。

帰宅後、正午まで熟睡。その間、エーンたちがクリスマスの飾り付けを済ませており、目覚めたときには自室ががまるで幼稚園の教室のようになっていた。

午後、エンポリアムのフードコートで昼食をとる。その後、いつもの4人でカラオケへ行くつもりだったが、夜しか営業していないことを知って帰宅。夕方まで2度目の昼寝をとった。

無茶な時間に起きてスポーツをしたため、きょう一日ずっと体調が優れなかった。

2001年12月6日(木)

プンが僕に好意を持っているそうなので、エーンと半同棲状態にあることをプンには隠している。問題を先送りしているだけでは何の解決にもならないばかりか、そのツケに利子まで支払わされることになるが、これが発覚するとエーンとプンの関係が破局し、僕自身も貴重な友人を失いかねないためやむを得ない。

早朝、Venezia Residence(ベネチアレジデンス) 644号室の扉の前にプンが予告なしで現れ、いきなりエーンの携帯に電話をかけた。この部屋の扉では室内の音が筒抜けのため、エーンの携帯が室内にあることはバレたに違いない。しかし、ここで何をしても事態は改善しないため、息を押し殺してただただプンが立ち去るのを待った。そして、ついにプンは土産として持ってきた菓子をオペレーター(レセプション)に預けて帰っ行った。今回はなんとかやり過ごせたが、このままではいつか修羅場になる。

昼、アソーク通りのスーンミットタワー(サミットタワー)にある日本大使館領事部へ行き、タイの運転免許証を取得するのに必要な「在留証明書」を申請した。

2001年12月7日(金)

午後、アソーク通りのスーンミットタワー(サミットタワー)にある日本大使館領事部で在留証明書の発給を受けた。その後、国際運転免許証をタイの免許証に切り替えるために運輸局へ行くつもりだったが、午後3時半に受付業務が終わると知って延期した。

その後、 MBK マーブンクローングセンターで調理器具(約1,500バーツ)を購入。タイ料理が食べらず近所の屋台で食事を取れないため、やむなく McDonalds や The Pizza Company の宅配に頼っていたが、これからは自炊して安上がりで美味しい日本料理を思いっきり満喫できる。

帰宅後、 Windows Messenger でシェーンと話した。きのうの一件のあと、プンは一日中泣いていたという。「エーンが朝早くやってきて、不在着信があったときは、ちょうど階下にある日本人の部屋へ遊びに行っていた」と説明して納得してもらったが、常に合理的な判断をしているシェーンのことだから、きっと確信に近いレベルで真相にたどり着いていることだろう。

ああ、どうしよう。

2001年12月10日(月)

12月8日から10日までの3日間、バンコク郊外にあるビーチリゾート、パッタヤー(パタヤ)へいつもの3人(エーン, プン, シェーン)と遊びに行った。帰宅後、「旅行中、あなたをプンにとられた」とエーンがふて腐れているが、この程度ならまだまだ大丈夫だろう。

2001年12月11日(火)

これまで自分の時間をとれず、きょうもプンが遊びに来ていたが、タイに来てからはじめてオンラインゲームに没頭した。

2001年12月12日(水)

午前5時に起きて、ルンピニー公園に午前6時に到着した。きのうプンに「早朝バドミントン」に誘われ、またしても断りきれなかった。プンたちが到着したのは1時間遅れの午前7時。午後8時、日差しが強くバドミントンが続行不可能になり帰宅。その後、正午ごろまで昼寝し、プンたちは起床後に帰って行った。

午後、近所の医院(30バーツ)で健康診断書を入手。診察はたったの40秒。モーチットの運輸局で、日本の国際免許証でタイの運転免許証を申請した。必要書類はつぎのとおり。

1. パスポートとそのコピー1通 (陸運局でもコピー可能, 3バーツ)
2. 在留証明書とコピー (日本大使館領事部の手数料, 800バーツ)
3. 国際免許証とコピー, または日本の運転免許証と日本大使館による翻訳証明
4. 1インチの身分証明用写真 (運輸局でも撮影可能)
5. 医師の診断書
6. 運転免許証発行手数料105バーツ

約1時間後、免許証は発行された。住所欄に誤記載を見つけ、こんな文書でも本当に効力があるのかとエーンに訊いたところ、「タイの警察は職務怠慢だから、どうせ顔写真と有効期限しか見てない」と話していた。

けさ、海外旅行傷害保険証書が実家から郵送されてきた。保険料は年間66,300円。保障内容はつぎのとおり。

傷害死亡 1,000万円 携行品 0円
傷害治療 600万円 荷物遅延 0円
疾病治療 600万円 旅行変更 0円
疾病死亡 0円 自動車対人 0円
賠償責任 1億円 自動車対物 0円
救援者費用 0円 緊急帰国 0円

2001年12月13日(木)

午後、ハリウッド映画「ハリーポッターと賢者の石」の海賊版 DVD が早くも出回っているとエーンから聞き、自室があるペッブリー18ちかくにある電気店街「パンティッププラザ」へ、プンとシェーンのふたりと出かけた。

タイの PC 用ソフトフェアの大半はコピー商品で、パンティッププラザがその総本山と言われている。あるロック歌手は「パンティップには行かない」という楽曲をリリースし、著作権保護活動を展開している。

目的の海賊版 DVD は250バーツもしたため購入を見送った。その代わりにタイで数年前に大ヒットした歴史映画「スリヨータイ」の海賊版 DVD がほしいとシェーンに話したところ、「王室の尊厳がかかってるから、そんなものを売ったら著作権法違反と王室不敬罪で逮捕されるよ」と話していた。海賊版 DVD を黙認しているタイの警察でも、さすがに国産の歴史映画には神経質になっているという。

きょうの外出の真の目的は、プンとシェーンが抱いている「エーンとの同棲疑惑」を解消するためだった。エーンは現在、自分でアパートを借りて一人暮らししているという設定になっており、ふたりの帰宅後に部屋に戻ってきた。

2001年12月14日(金)

バンコクは、日本人にとってほかの外国の都市より暮らしやすいといわれている。日本にあるありとあらゆるものが入手でき、物価も安い。なかには「日本のテレビ番組」もあるが、ハリウッド映画の海賊版 DVD がこれだけ氾濫しているタイで、「これって著作権法に違反しているんでは?」という疑問はナンセンスだ。あるタイ人の友人は「大学で著作権法を学んでいます」と言っていたが、あれはジョークだったのかなあ。

午後、タニヤプラザにあるビデオレンタル屋「日泰ビデオ」へ、いつもの4人組(エーン、プン、シェーン、プン)に加え、アサンプション大学(アッサムチャン大学)日本語学科の学生たちと出かけ、 NHK の大河ドラマ「北条時宗」第48話を借りた(1本45バーツ, 入会金300バーツ)。

2001年12月17日(月)

日本でもできるようなことに貴重な時間を浪費した。日付が抜け落ちている12月15日と16日ときょうの3日間、ずっと日記を更新していた。

12月15日、タニヤプラザにあるレンタル屋「日泰ビデオ」で NHK の報道特集を借りた。店内に「本国の著作権協会との著作権料交渉の結果、残念なから値上げに踏み切らざるを得なくなりました」との掲示があった。ビデオカセットは誰がどう見ても海賊版にしか見えないし、掲示の真偽についても不明だが、日泰ビデオは著作権料を支払っていると広報している。物は見かけによらず。

ところで、エーンは両親からの経済的な支援がなく、仕事もしていないのに、なぜか家計を維持できている。プンやシェーンも部屋に遊びに来るたびに大量の手土産を持ってきてくれる。そこで、タイ人大学生の経済力がどれぐらいあるのか気になってプンに訊いてみたところ、別居している父から定期的な送金があり、1週間で1,400バーツぐらい使えるという。日本で毎月の小遣いが6,000バーツ(15,000円)もあれば、日本人大学生とだって十分に渡り合える。しかもタイの物価は安いから、これだけのあればいろんなものが買える。

――――ホームページのデザインを更新しました。

2001年12月22日(土)

คอมพิวเตอร์ทำให้ผมเสียเวลา ไม่ดี(コーンピウタータムハイポムスィアウェーラー・マイディー)
パソコンは私に時間を浪費させるから良くない

前回の日記を掲載した17日以降、掲示板のタイ語化のために3日間浪費し、さらに同じアパートに住んでいる友人のパソコンを組み立てるのに2日間を費やした。正しいかどうか分からないが、エーンに冒頭のようにぼやいたところ、なんとか通じたようだ。

きのう21日、ペッブリー18にあるアパート Venezia Residence(ベネチアレジデンス) から徒歩8分のタイの電脳街「パンティッププラザ」で、同じアパートに住んでいる日本人の友人とパソコン用の組み立て部品とモニターを購入した。タイの店頭価格は付加価値税(VAT)7%込みだが、どの部品も日本の店頭価格(消費税抜き)と同程度。日本より割高なのはほんの一部だった。

帰宅後、きょう午前4時までパソコンを組み立てていたが完了しなかった。夜更かしをしてしまったため、昼過ぎまでゆっくり惰眠をむさぼるつもりだったが、正午にプンが友人を連れて部屋の前までやってきた。このとき、心の底からアパートの警備員を恨んだ。これでは追い返すわけにも、居留守を使うこともできない。アパートの警備員は陽気だし親切だけど、住人の了解を得ないまま来客を入れてしまうのなら、無人のオートロックドアのほうがまだマシだ。

その後、ふたたびパンティッププラザへ行き、 Windows XP の日本語版を購入(130バーツ)して、友人のパソコンが完成した。

パソコンだけのために費やすには、時間はあまりにも貴重すぎる。ホームページの更新もほどほどにしておきたい。

2001年12月23日(日)

バンコクに越してきてからずっと、タイ人の友人との親交に注力してきた。そのため、日本人の友人を作る時間がまったくなく、日本人の友人は現在、日本に住んでいたときから連絡を取ってきた数人に限られいる。今でもときどき一緒に遊びに行っているが、さすがに数人では十分とはいえない。

昨晩、なかなか寝付けず、起きたのは午後2時だった。はじめての午後起床。もう少し規則正しい生活を送りたいとは思うが、ベッドが狭いため良質な睡眠がとれず、しかも特に用事がないため時間にもルーズになってしまう。

夕方、あすのクリスマスパーティーで交換するプレゼントを買いに行った。エーンによると、プレゼントはそれぞれ200バーツ以上300バーツ未満で、それ以上でもそれ以下でもルール違反となるという。「どんなに面倒でもきちんと選んで買ってね!」と念を押されたが、時間の関係で全員分を買えず、エーンの分だけはあす一人で買いに行く。

夜、40分遅刻して日本人の友人と合流。 BTS でサーラーデーング駅(サラデーン駅) まで移動し、タニヤ通り南にある日本風居酒屋へ入った。つい最近タイで就職したばかりの日本人男性によると、日本人は現地採用でも管理職として採用され、40,000バーツ程度の初任給がもらえ、多い人だと100,000バーツぐらいの月収があるという。僕の月間予算のおよそ1.45倍、平均的な日本人サラリーマンの約7割程度。

せっかくの日本料理だが、さすがに日本のビールは頼めなかった。タイではさまざまなヨーロッパビールがライセンス生産されているが日本のビールは100%輸入しており、350ml缶の場合、ハイネケンビール(タイ産)は38バーツだが、アサヒスーパードライ(日本産)は115バーツ、日本酒の白鶴(日本産)は2合で300バーツもする。夕食(僕は110バーツのカツ丼)とハイネケンビールの大瓶3本を注文して、ひとりあたり280バーツ。わずかな費用で久々にまともな日本食をとれた。

近況を簡単に報告しあって解散。あすはクリスマスだが、まだシャンペンもケーキも買ってない。

2001年12月24日(月)

タイは仏教国として知られているが、商店の入り口にクリスマスの派手な飾り付けが施されているなど、街全体がクリスマスの雰囲気一色に染まっている。

ペッブリー18にあるアパート Venezia Residence の自室でも、クリスマスツリーのみならず天井からもさまざまな飾り物がぶら下がっている。これらは居候人たちが12月5日に飾り付けしたものだが、天井が思いのほか脆く、セロテープをつけた部分は塗装が剥がれてしまっている。

今晩のパーティー会費として5人から500バーツずつ集め、宅配ピザを注文。食後、シェーンのクルマでアイスケーキを買いに行った。

タイでは競技型バラエティ番組「テレビチャンピオン」(テレビ東京系列, 1992~)が人気で、それを真似て早食い競争をしたが、とても大きくて味も檄甘だったため僕は真っ先に脱落した。

いま、その友人たちがこの部屋のベッドで熟睡しているため眠ることすらできず、仕方なく眠気と戦いながら日記を書いている。

2001年12月25日(火)

ひさびさに中学時代の友人に会った。趣味で航空会社の「マイル」を集めている関係で、いつも世界のどこかにあるホテルに泊まっており、資産運用で生計を立てていることもあって、お得な情報でいっぱいの知恵袋を持っている。そして、今回も彼は大変有益な情報をもたらしてくれた。

夜、 Siam Discovery Center(サヤームディスカヴァリーセンター) にある日本風レストラン Oishi のビュッフェ(499バーツ)で夕食をとった。友人は料金の元を取るために食べ過ぎて、アパートへと戻る途中の路上で何度も吐いた。

2005年2月6日のサービス終了にともない、①日本経済新聞を無料で購読する方法、②インターネットのダイアルアップ接続を So-net の海外ローミングを利用して使い放題にする方法 を削除いたしました。

2001年12月26日(水)

朝、起床とともに激しい頭痛と吐き気に見舞われた。友人が昨晩、嘔吐を繰り返していたことを思い出して食中毒の可能性も考慮し、居候人(そろそろ同居人と呼ぶべきだろうか)を起こして相談に乗ってもらった。

現在タイバーツのまとまった現金がないため、加入している海外旅行傷害保険の「キャッシュレス医療サービス」が提携しているバンコク総合病院とバムルングラート病院のどちらかに行く必要がある。エーンが電話で友人に相談したところ、バムルングラート病院の方がよいということになり、ペッブリー18の入口からタクシーで向かった。

午前10時、バムルングラート病院に到着した。頭痛と吐き気に苦しんでいる状態でも、思わずニヤけてしまうような建物で、エントランスはどう見ても5つ星ホテルのフロントそのもの。自動ドアを入って右手奥のフロントで日本人であると告げると、ずっと同行してくれる専属の日本語通訳が割り当てられた。エスカレーターで3階へあがると、日本人と中国人専用の外来受付で書類に住所等を記入。体調不良で病院に来ているのに、何枚もの保険や免責事項の書類を読まされサインさせられたのには正直鼻白んだが、それも完璧な日本語通訳のおかげでなんとか乗り切ることができた。

その後、内科待合室へ案内された。室内は清潔な病院のイメージどおり水色を基調としているが、どこか上品な雰囲気がある。上流階級向けの病院のため庶民の外来はなく、順番待ちもほとんどない。内科での診察後、脳神経科にまわされ、ふたたび内科に戻ってきた頃には正午になっていた。内科医の診断は「原因不明のため数日間の経過観察を要する」、脳神経科医の診断は単なる偏頭痛。念のため数日間入院してほしいとのことだったが、たとえ保険会社の費用であっても病院の金儲けに付き合わされてはかなわないから、一晩だけならと承諾した。

入院手続後、レントゲン科の待合室でタイ字新聞に目を通したところ「この夏にかけて円は1ドルに対して200円程度まで下落する」と書いてあった。125万円の追加送金を急ぐよう両親に催促しようとしたが、さすがに病院の待合室に国際電話はなかった。緩やかな下降曲線を描いてきた日本円は、この2ヶ月間でドルに対して約10円下落し、現在1ドル=131円近辺で取引されている。バーツに対しても1割程度下げており、このままだと留学の予算に12万円の穴があいてしまう。

腹部レントゲンが撮り終わると、日本の病室より管理が行き届いている病室へと案内された。テレビが天井からつり下がっており、 NHK の国際放送も見られる。

その後、保険会社「今回の入院につきましては、全額保険でカバーされますのでどうぞご安心ください」という内容の電話が病室にあった。

2001年12月27日(木)

昼、日本式の病院食を注文したところ、うどんが出てきた。専用のふたが付いており、冷めないように工夫してある。まるでビジネスクラスの機内食のようだ。

この頃には、吐き気と頭部と腹部の痛みはすでに収まっていた。――と、いうことは食中毒ではない。昼食後に往診に来た内科医によると、吐き気の原因は便秘だったという。便秘と偏頭痛でわざわざ病院に行き、しかも入院までしてしまった! アドベンチャーな体験だけど、なんとも虚しい。

今回、入院費用が直接保険会社に請求されたため、書類数枚にサインしただけで退院できた。病院から保険会社に請求された医療費の明細は次のとおり。

診察費 ฿3,100 医療品供給費 ฿205
X線技術者費用 ฿255 薬品代 ฿1,760
X線費用 ฿600 介護サービス費 ฿690
臨床試験費 ฿1,395 室料 ฿3,030
合計 ฿11,035

その後、シーロム通りのバンコク銀行本店2階で、留学資金の1,250,000円をバーツ建てで預金したところ、415,687バーツになった。為替レートは1バーツ=3.01円。窓口の行員からコンドミニアム購入に必要な送金証明書の申請用紙を手渡された。窓口の行員によると、これだけの金があれば、あまり良くはないが、住むには十分耐えるレベルのコンドミニアムが買えるという。不動産関係の雑誌で、バンコクのコンドミニアムの相場について調べてみようかな。

2001年12月28日(金)

バンコクにあるアパートのほとんどには小さな売店が附属している。そこでは主にインスタントラーメンをはじめ、石けん、シャンプー、駄菓子などの生活に密着した商品が売られている。今日はビールを買おうと僕のアパートにあるインターネットカフェに併設されている売店に行ったのだけれども、ここの品揃えがかなり悪いということを知った。今まではセブンイレブン通いを続けてきたから知らなかったけれども、ここの売店には飲料水とインスタントラーメンしかったのだ。

そこで、向かいのアパートの売店に行ったところ、一ヶ月前に友達の引っ越しを手伝ってくれた気さくなおっちゃんに遭遇した!そういえば、彼はこの売店の店主で「いつもは息子が店番をしている。今度、ビールでもを飲みに来い」と言っていたっけ。ビールを買ったところで、案の定彼に捕まってしまって屋外のベンチを勧められた。そこでは数人のタイ人が酒を持ち寄って楽しんでいた。早口で話す彼らの会話は少ししか聞き取れなかったけれども、タイに来た当時に比べるとだいぶマシになった。語学って、やっぱり慣れなのだろうか?

長居をしているうちに悪いウイスキーに手を出してしまい、体調が悪くなった。それと、半ズボンだったせいで右足が蚊に刺されまくった。夜の熱帯で素肌を出すのは無謀だったのかもしれない。

・・・聞いた話では、タイには一年を通して蚊がいるらしい。日本の蚊は期間限定だとタイ人に教えたところ、彼らはとても羨ましがっていた。日本の四季って本当に素晴らしいのかも!

2001年12月29日(土)

タイの携帯電話は日本のものと比べて高価な割に性能が著しく落ちる。僕はタイに来た直後に、日本では1円でも売れそうもない携帯電話を3,500バーツで買ったが、これはどの携帯電話も値段が性能に見合っていなかったから仕方なく一番安いものを選んだまでのことだった。しかし、毎日のように友達の良い携帯電話を見ていると、やはりいい携帯が欲しくななってしまう。

今日はいつもの3人組が遊びに来た。プゥンが先日買った携帯電話を見せてもらっているうちに、衝動的に新しい携帯電話が欲しくなった。一昨日、バンコク銀行に預金しに行ったときに資金の残額を確認してみたのだけれども、今月の収支が黒字になっていることに気づいてしまったのが悪かったのか、財布のひもが一気に緩んでしまった。

彼女らが帰っていった5時頃に、ラムカムヘン大学へ編入手続きをしに行っていたエーンと合流してマーブンクローンセンターへ携帯電話を買いに行った。すぐにプゥンの新しい携帯と同じ型、同じ色の携帯に飛びついて、さっそく値段交渉に入った。さんざん粘った結果、プゥンが買った値段よりも200バーツ安い6,000バーツで決着した。なかなかの結果だと満足している。――最近、値札の付いていない商品を購入するときに、いつも値段交渉という負けてはならない「勝負」をしているような気になってしまって、他の人が買った値段よりも安い値段で買えると「勝った!!」と思うようになってしまったのは病気だろうか。

携帯電話を同居人エーン名義の月極払いのプランに設定した。本来、タイ政府から労働許可を得ていない外国人はプリペイド携帯電話以外を買えないのだけれども、僕はどうしてもWEBからメールが送れるサービスを使いたかったから、エーンに無理を言って月極契約のための名義を貸してもらったのだ。携帯が無事、手元に来てからすぐにエーンと別れて、中学以来の友人とグランドパシフィックホテルの日本料理食べ放題399バーツへ。カウンターの寿司から鍋焼きうどんまで何でも食べ放題でこの値段はかなり ◎ !味も日本と同じくらい。十分満足だ!

その後、タクシーでラマ4世通り、ソォイ・ンガム・デュップリーにあるマレーシアホテルへタイマッサージを受けに行った。料金は1人200バーツ。マッサージ嬢たちがテレビを見ながらマッサージをしているというやる気のなさはいただけないけれども、それでもちゃんと体がすっきりするマッサージで、チップも20バーツで十分。この安さは癖になってしまいそう!

2001年12月31日(月)

こんな最低最悪な日を迎えるのは何年ぶりだろうか?一年前の就職活動中に超大手優良企業の最終面接に落ちたときよりも、5年前に大学での人間関係が完全に破綻しそうになったときよりも、7年前に高校での友達の大部分を失うことになってしまったときよりも最低、最悪な気分だ。

もしかしたら、その当時ほどひどいな気分でもないのかもしれないけれども、今はそう思えて仕方がない。ピーク時には冬眠してしまいたいと発作的に思ったほどだ。

昨日30日に僕と同居人エーンはプェンの家へ年越し前夜祭のために遊びに行った。そこで、エーンは急にいつも僕が彼女に気があるようなそぶりをしているけれども、実はそれらが全て嘘なのではないかと疑いだしてしまったらしく号泣を始めてしまった。

それを発端に事態は加速度的に悪化の一途をたどり、紆余曲折の経緯をたどった結果、23時55分現在彼女は僕の部屋にいる。

この事件でエーンは僕の彼女になって、僕のことが好きだと言っていたもう一人の友達との関係は冷却化した。

みんな大好きな友達たちなのに、キクシャクした関係になってしまったことはとても残念だ。