2001年11月7日(水)
タイへ留学することを決めたとき、それを機会に日記を書くことにした。いつまで続くかわからないが、後々この日記を読み返してみて「充実した日々だった」と言えるような生活を送るように努力するきっかけになればいいと思う。今回の渡タイに同行する大学時代の先輩にそのことを告げたとき、彼も日記をつけると決めていたそうだ。
初めてタイにきた先輩は、何の違和感もなさそうに普通に振る舞っていた。僕が始めてきたときには「なんて妙なところに来てしまったのだろう」と思ったのだが。この様子だと心配なさそう。と、バンコク到着時は思っていた。
ユナイテッド航空875便はバンコク・ドンムゥアン空港に定刻通り、タイ標準時22:50に到着した。スィーナカリンウィロット大学の学生で日本語を勉強しているサと、彼女の友達のトムとシューが迎えに来てくれていた。現地の友達が空港まで迎えに来てくれるって、けっこういいカンジ!こういう経験は初めてだ。
簡単に挨拶をすませた後、トムはほかの二人よりも先に帰宅した。彼の家は空港の近くにあるらしい。空港からバンコクまではかなりの距離があると思うのだけれども、彼は毎日バンコクの大学へ通っているのだろうか?・・・それとも、スィーナカリンウィロット大はバンコクの中心から離れているのだろうか?おいおい、スィーナカリン大の場所はわかるようになるかも。
僕と先輩は残ったサとシューと共にタクシーに乗り込んだ。彼女らの両親も深夜の外出には否定的な考えを持っているらしく、すぐに帰らなければならないのだとか。たしか、サは18歳だったっけ?
彼女らはBTSアリ駅付近で下車。二人は兄弟なのだろうか。それともご近所さんとか。これも、いつかわかるだろうから、とりあえず保留。
とりあえず、僕たちはラッチャッダーピセーク・ソイ1にあるタナタウィーパレスというアパートに宿泊した。ホテルのように清潔な上に宿泊費が一日あたり750バーツと手頃だ。部屋に戻ってすぐ、タクシーでカオサンに向かった。すでに午前1時を回っていたが、なんとしても先輩にカルチャーショックを起こさせてみたいという興味本位から、飛行機疲れしていたところを強引に連れだした。
まず、先輩が空腹だと嘆いていたので、近所のバミー屋台へ。彼はゴキブリとドブネズミにかなり驚いていたみたい。きれい好きな彼には、屋台は馴染まないのかもしれない。バミーの味は評価していた。あんな、怪しいお湯の中に麺が入っているだけのような麺が美味しいなんて、僕にはわからないけど。
――その後、カオサンに行ったがどの店も閉まっていた。心配になって近くの工事現場で働いていたタイ人に、ディスコはすでに閉店してしまったのかと聞いてみたところ、「ぴぃっとりぇーを(すでに閉店した)」との返事。仕方なく午前3時頃に帰宅。
帰宅後に気づいたのだが、彼は相当げっそりしている様子だった。聞いてみたところ、発展途上国特有の食品衛生についての価値観と、道路整備のお粗末さが受け入れられなかったのだそうだ。それと、カオサンにいた日本人に強烈な抵抗感を持ったのだとか。もしかしたら、価値観が保守的な人には、この街は向いていないのかもしれない。



金融機関(社内SE職)を退職後、タイ国立ヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座を修了。米国語学留学を経て、同大学東南アジア研究科で修士号を取得。現在、日本国内の専門商社で海外営業に従事。
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